9.1991(平成3)年度修士学位記授与式式辞 1992(平成4)年3月26

平成3年度修士学位記授与式式辞

学長 鈴木 正裕

 ただ今、各研究科の科長さんのご臨席を得て、皆さんに修士の学位記を授与することができましたことは、神戸大学にとっても大いなる喜びであります。

 今日、学位記を受けられた皆さんは、計468名いらっしゃいます。皆さんが、この栄光の日を迎えられたのは、まことに皆さんのご努力、ご精励のたまものでした。ここに深く敬意を表するとともに、心からお祝いを申し上げます。

 さて、皆さんは、修士論文を書き上げられ、それが見事に審査をパスして、この栄光の日をお迎えになりましたが、その論文を書き上げられる過程では、皆さんそれぞれに、つらい思い出、苦しい日々があったのではないでしょうか。私も、今から30数年前、やはり大学院で(私の場合は法律学でしたが。)修士の学位を受け取りましたが、そのときの喜びと、反面でそのときに至るまでのつらかった思い出を、今でもはっきりと覚えています。

 もともと論文を書くという仕事は、大変つらくて、そして孤独な仕事です。まずテーマ選びから、自分でしなければならない。あるいはこれは人に教えて貰っても、しかしその後は、資料集めを自分でしなければならない。その資料を読み、あるいは実験し、その結果を文章にしたためる。この文章をしたためるという仕事が、また大変難しい仕事で、文系の人たちは、まさにこの文章をしたためることが勝負でありますし、理系の人たちも、限られたスペースに充実した内容を盛りこまなければならない。これも簡単とは決していえない仕事であります。そして、その結果を発表するが、そのよしあしは自分一人で背負いこむ。好評であれば、その喜びをたっぷり味わうことができるが、不評であれば、そのとがを他の人に持っていくことはできず、自分一人が悲しみ、そして奮発しなければならない。本学の名誉教授で私の尊敬するある先輩が、この方はその専門分野で数多くの論文を書き全国的にも名の通った方ですが、ご退官前に私に、「論文を書くということは、何もかも自分で背負いこむ、まるで一人芝居だったな」と述懐されたのが、今でも私の耳の奥に残っています。

 しかし、皆さんは、この論文を書くという仕事のつらさ、厳しさを見事に乗り越えられ、今日の栄光の日を迎えられたわけであります。皆さんご自身のお喜びはもとより、皆さんを慈しみ励ましてこられたご両親、ご家族、また皆さんを指導し、修士論文の完成という大きな目標の達成にみちびいてこられた先生方のお喜びは、いかばかりかとお察し申し上げている次第です。

 皆さんは、この修士論文を完成され、修士の学位を取得することによって、いよいよ専門家、プロフェショナルと呼ばれる人たちへの第一歩を踏み出されることになりました。今後皆さんが、大学院へ残ってなお後期課程(博士課程)の勉強を続けられる場合でも、実社会へ進出していかれる場合でも、人は皆さんを専門家、プロフェショナルと呼ぶことになります。

 そこで、皆さんに、日頃専門家について考えていることを1、2申し上げ、皆さんのご参考に供したいと思います。

 その一つは、専門家は、自分の判断に基づいてその仕事を行い、かりに人の指図に従って行動する場合でも、その人の指図に疑問があるときは異議を申し立てる権利と義務があるといわれます。これはもちろん、専門家がその自分の専門について深い知識と経験を有し、世人、世間の人がこれを高く評価するからですが、それだけに、専門家はこの高い評価を維持していくために、自分の専門に関する知識と経験を日々に深め確かなものにしていく必要があります。

 しかし、その専門家の必要とする知識、それに関する情報は、最近のことです、大変なスピードで変化し、進展していきます。10年一昔というような表現は、もはや陳腐で、昨日の知識は、すでに今日に古く、今日の知識は、明日には改めなければならない、というような調子で、学術は進歩し、必要とされる知識は変転してまいります。このことは、自然科学において顕著ですが、社会科学、人文科学においても基本的には同じでしょう。先に述べた専門家としての評価を維持していくためには、専門家はこの変転する知識をつねに追いかけ、これを自分のものとして消化していかなければなりません。しかし、このことは、実は言うはやすく、行うのは大変に難しい仕事です。大変に難しい、ハードな仕事ではありますが、しかし専門家たる道を選んだ以上、この仕事に耐えていく必要があります。それが世人が専門家に与えている期待と評価に、応えるゆえんであります。どうか皆さんも、このハードな仕事に耐え抜いて、立派な専門家としての道を進んでいってください。

 専門家について考えるその二は、専門家というのは、往々にして既存の理論、概念にとらわれ勝ちで、新しい理論、概念には拒絶反応を示し勝ちである、と指摘されています。これは、先に述べた専門家は自己の専門について深い知識、経験を持つべきである、ということのいわば裏返しで、努力して深い知識、経験を身につけるだけに、一旦身につけた知識、経験を簡単に捨て去ることに、ちゅうちょを覚えるというのは分からないでもありません。しかし、それでは、理論、概念に進歩がなくなりますし、そのような古い理論、概念にとらわれる専門家は、しばしば侮辱の意味をこめて使われる、テクノクラートという表現を免れません。

 近ごろ、よく識者によって指摘されていることですが、日本は、新しい科学の発信地にならなければならない、といわれています。今までは、外国から理論、概念を受け入れ、それを翻訳してわが国流に消化する、というだけでよかったのですが、経済力の上昇・発展に伴って、わが国が国際的にも大国の地位に立った現在、科学の面でも新しい理論、概念を創造し、それを世界各国に発信してその科学水準の向上に役立たなければならない、というわけです。

 しかしこのようにわが国が世界へ向けての発信地となり、新しい理論、概念を創造していくためには、いうまでもありませんが、今まで身につけた知識、経験を思い切って投げ捨て、新しい理論、概念に向けてチャレンジしていくことが必要となります。冒険者(Adventurer)の精神といってもよいでしょうが、このような冒険者の精神は、何よりも貴方がた若い研究者、専門家にこそ期待されます。日本が新しい科学の発信地となり、国際関係における大国としての責務を果たしていくために、貴方がた若い研究者、専門家の活動と、冒険者精神が中核となっていきます。

 その意味で、この機会に皆さんに紹介したい、ある研究者の言葉があります。この方は、沼正作先生といい、京都大学の医学部の教授でしたが、今年の2月惜しくも病いのため亡くなられました。沼先生は、生化学の権威のお一人で、本学の西塚泰美教授と同様、ノーベル賞受賞の有力候補者としてしばしば名が出た方ですが、その病いが篤くなったとき、先生の医学部の後輩で、現在の京大総長井村裕夫先生を呼んで、次のようにいわれたそうです。そのお言葉が、井村先生の新聞記者とのインタービューを通じて、新聞紙上に掲載されています(産経新聞、平成4年3月14日朝刊)。

 「私が憂えているのは、今の日本の若い研究者が比較的早く論文の書けるようなテーマしかやらないことだ。私は日本人に独創性がないとは思わない。欠けているとすれば、思い切って難しいことに挑戦しようというチャレンジ精神だと思う。ヒマラヤ登山なら失敗すれば命がなくなるかもしれないが研究で失敗しても命はなくならない。多少のリスクは冒してでも、これは大切と思うテーマには賭(か)けられるような若い人を養成してほしい。これが私の言い残したいことだ」。

 以上の沼先生のお言葉は、直接には私どもに向けられていますが、それと同時に、皆さんがた日本の若い研究者に向けられた先生の遺言、という性質を持つこともご理解頂けると思います。私どもも今後、この沼先生のお言葉を胸にとめてまいりますが、皆さんもこのお言葉を胸にとめてより一段と研究に精進されるよう望んでやみません。

 それでは、今一度皆さんの学位記取得を心からお祝いし、あわせて皆さんの今後のご健勝とご多幸をお祈りして、私のご挨拶とさせて頂きます。  (平成4年3月26日 於 六甲台講堂)

(出典 『神戸大学学報』No.427 1992〈平成4〉年4月)