新聞記事文庫 金・銀(05-107)
東京朝日新聞 1925.8.9(大正14)


全世界を驚ろかす金塊引揚げの放れ業

八坂丸船長の日誌を頼りに片岡弓八氏の苦心


今から十年前大正四年四月二十一日ドイツ潜航艇の為地中海底に沈んだ郵船八坂丸の貴重品室から右の金貨を引あげるため深海工業の片岡弓八氏が五月二日門司を出発した事は既報の通りであるが同氏の計画は既報外電の通り見事に成功した
右の金貨は東京海上保険が契約当事者として損害のばい償として所有権を有するに至ったもので当時ロンドンの正金支店から東京に仕向けたものを八坂丸が積載帰航の途中地中海で撃沈されたものである深海工業所の片岡弓八氏は同行した七名の潜水夫と十名の職工を督励、熱心引あげに努めた結果最近に至り作業漸く進行して、一週間前に契約当事者たる東京海上保険株式会社へ『十箱だけ引き揚げ得る見込み』という入電があった十箱といえば一箱五千ポンド入りであるから時価約五十五六万円のものである、何しろポートサイド沖合六十マイルの海底四十尋の地点で八坂丸が撃沈されて以来十年間も沈んでいたのであるから、金貨の箱腐って引揚作業に非常な困難をきわめたらしく、いよいよ成功が事実とすれば世界の潜水業に一大革命をもたらす事となるであろう、片岡氏は現大蔵省参与官の三木武吉氏と一所に高松中学を卒え越中島の商船学校を出て東洋汽船等に奉職、昨年例の大串式潜水服の特許権を譲り受けてこの壮挙を目論み、昨年の八月以来東京海上と折衝を重ねて居たもので片岡氏等一行は六月二日ポートサイドに着後専ら山脇船長(遭難当時の八坂丸船長)の精細をきわめた航海日誌によってトロール網を用いて沈没箇所を捜索し、到着後二週間許りで八坂丸のありかをつきとめ今日に至ったものであるポートサイドへ向う航海中も絶えず潜水夫を指揮して甲板を海中になぞらえ潜水服を着せて捜査の練習をやったほどの熱心さであったという
八坂丸の貴重品入金庫を爆薬で開いたのは約一箇月以前であったが郵便物が一杯つめこんであったので以外に手間取ったもので二十箱に詰めてある金貨は全部英国のサヴァレン金貨で重量にして約一万四百トン時価百十万円に上る偶然とはいえもし片岡氏が完全に成功した事が確実なれば不景気になやむ日本の潜水業者等は続々この種の投機的冒険事業に手を出す事であろうがさきに世界的潜水業者たるノールウエー潜水夫をへき易せしめたイギリス海峡に沈む英船エジプト号の金貨百万ポンドも日本人の手に収め得るかも知れぬと目下各方面では話題の中心となっている

海事工業界 画時代的の成功 海事工業岡田所長の喜び

【門司特電】百万円金塊引挙げ作業成功の快報をもたらして右作業直接の当時者片岡弓八氏と親交ある帝国海事工業門司出張所長岡田音吉氏を訪えば『痛快々々』と氏は満面に喜色を浮べながら語る
実は渡欧の節も態々僕を訪ねて来て作業上の事に就き色々所信を述べたり抱負を語ったりして出掛けました、そこで問題は同君の案出した潜水器がこれまで数回の実験で如何に世界的記録を造って居るからと云って何しろ水深六十メートルもある現場での作業では却々の難作業だと云うので一般当業者間では楽観悲観の両派に分れて相当興味を以て今日まで成行を見ていたのです何れにしても片岡君のこの成功は日本海事工業界のほこりであると共に世界海事工業界に一大紀元を画する事になります

利益問題を離れて喜ばしいこと 東京海上側談

右につき東京海上では
「私の方では捨てて置いたものが運好く手に入るもののようで運がいいようですが、数社に再保険を附してありますし、戦時中政府が再保険官営をやっていた関係もありますから二割とはいうものの当社の手に入るのは僅少な額に過ぎません、当社にはまだ入電はめりません、カイロから電報が来たというのは少し変です、ポートサイドから来そうなものですが、しかしカイロは政治の中心である関係上カイロから来たのかも知れません、当社の利益問題は別として日本人が他に率先してこの世界的大事業に成功した事は愉快です」
と語っていた



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