新聞記事文庫 金属品製造業(2-022)
中外商業新報 1937.6.4-1937.6.11(昭和12)


錻力板の巻 (一〜七)

市場へ出るまで


(一)

ボヘミヤを発祥地とする

 錻力板のことを世間では「ブリキ」と略称する、これはドイツ語の「ブレヒ」或はオランダ語の「ブリク」から転訛したらしい、しかし一説にこんなのがある、明治の初年、外国から赤煉瓦を輸入して虎の門の工部大学などを建てたとき、その煉瓦が錻力板で内張りした箱に詰めてあり、英国の建築技師がその煉瓦を出させるのに「ブリック!」といった、ブリックとはいうまでもなく煉瓦のことだが、何も知らない日本の職人は箱を内張りした光った板のことをさう呼んだのと勘違いし、それ以来「ブリキ」という言葉が生れた−というのである、だがこれなどは余り念が入り過ぎて、寧ろこじつけとしか受けとれない
 今どきトタン板と錻力板を間違える人もないだろうが、念にため両者の相違点を記すと、トタン板は鉄板に亜鉛を鍍金したものであり、錻力板は鉄板に錫を鍍金したものである、一見して判るが錻力板はトタン板よりずっと厚さが薄く、それに鏡の面の様に澄んでいるし、トタン板には微妙な凹凸がある、両者には絹と木綿−いやもっと甚だしい相違があるのだ

 錻力板は今から千六百二十年前にボヘミヤ人が創製したものだということだが、確かな年月は判らない、しかし、その発祥地がボヘミ

[図表あり 省略]

ヤであることは確かで、西暦千六百十年(慶長十五年)にドイツのサクソニーに伝わり、この地でやや本格的な発展を遂げ、英国あたりまで輸出したそうだ、間もなく英国にも斯業が勃興して、錫の豊産地ウェールズ州の南部が錻力板の大産地として浮び上り、缶詰法及び製缶法の発達と相俟ってその製力は全世界を風靡し、錻力板製造は殆ど英国の独占事業たるかの如き感を呈した、一八七二年には米国でも錻力板の製造を開始したが英国品に押されて収支償わず、一時事業中止のやむなきに至ったが降って一八九〇年、マッキンレー大統領が高率の保護関税を実施して以来は流石「ウェールスの錻力板」も手の下しょうがなく、十九世紀の末に至って米国は完全にウェールスの□絆を脱し、欧洲大戦を契機として遂に英国を凌駕するに至った
 世界の王座に君臨すること約百八十年、ここに初めて英国は米国へその地位を譲ったのである【■はチンバー剪断作業を示す】

(二)

草分け会社惜くも挫折す

 海外に於ける錻力板の歴史は大体以上の如くであるが、次いで我国に於て錻力板の歩んだ跡を辿って見ると、その歴史は比較的新らしい、即ち大正十年に日東製鋼会社が神奈川県川崎市で製造を始めたのが我国錻力板製造の嚆矢で、爾来未だ十七年を経過したに過ぎない、しかも同社は作業開始後間もなく経営難に陥って事業を中止し、現在の日本製鉄八幡製造所が製造を開始したのは翌十一年、製品を市場へ送ったのは更に明くる年の四月である、錻力板国産化の第一歩を踏み出したのは実にこの時で、外国と較べると非常に遅れている、尤も「西国事物起原」という本に
 「鉄葉(ブリキ)を接合し、種種の器物を造ることは日本人及び支那人早く之れを発明し、其の後英吉利人亦之れを作り、千七百年代に至り其の製法頗る精巧に至れり、鉄葉の面に火焔の紋又は螺紋を出すの術は千八百十八年(文政元年)以来の発明なり」
とある、これによると日本の錻力板利用は本場の英国に遥か先んじていたことになる、この点に就て

[図表あり 省略]

はもっと仔細な研究を要するだろうが、ここには単に古い記録の一つとして右の一節を紹介しておく
 歴史的見地から観た錻力板の「市場へ出るまで」を以上で打ち切り今度は製造工程の上から「市場へ出るまで」を観察して見る、錻力板製造の第一歩はチン・バーの製造である、普通鋼板の原料になる鋼片はシート・バーであるが、錻力板の原板は厚さが薄く、しかも強靭であることを必要とするので、特にチン・バーを使用する、而してその工程の荒筋を記すと
 鉄鋼、骸炭、石灰石−(熔鉱炉)−銑鉄、屑鉄−(平炉)−鋼塊−(灼熱炉)−(分塊機)−チン・バー
の順序で、出来上りの形状は厚さ八粍内外、幅二百五十粍、長さ十米内外である、斯くしてチン・バーが出来上ると、次にこれを製板工程に移すのだが、これに就ては次回で記すことにする【■はチン・バー加熱作業】

(三)

鋼片から製品になる迄

 前回述べた様にして製造したチン・バーは錻力板の寸法に応じて所要の長さに裁断し、過熱炉に装入して高熱を加え、二枚宛取り出して上下二本のロールの間を数回通過させるこれが圧延作業で、斯くする中にチン・バーは厚さを減ずると共に長さを増し、或程度まで薄くなったものは折り重ねて加熱、圧延し更にもう一度折り重ねて過熱、圧延の工程を行い、所要の厚さを持つ板に仕上げる、この板は二枚重ねのものを二回折り重ねて八枚重

[図表あり 省略]

ねになっているから、所定の寸法に切断して、一枚々々剥ぎ取る−これが剪断剥離作業でここに初めて薄鋼板が出来上る
 剥離された侭

[図表あり 省略]

の薄鋼板には、その表面に酸化鉄が附着しているから、次にこれを硫酸液によって洗滌し(黒酸洗作業)更に空気中で酸化しない様にするため鉄函の中に積み重ねて外気を遮断し、焼鈍炉に入れて熱を加え徐々に冷却して質を柔軟ならしめる(黒焼鈍作業)そして磨きのかかったロールの間を通過させて板の凸凹を除き、同時に光沢を与えて、板の面を鏡の如く滑かにする、これが仕上矯正作業である

 仕上矯正の工程を経た鋼板は質がやや硬化するから、これを柔軟ならしめるため再度の焼鈍を行うそうすると鋼板は灰白色に変るので、この作業を白焼鈍作業といい第一回焼鈍の黒焼鈍と区別している、なお白焼鈍の工程を終ったものを市場ではローモ板と呼んでいるが、これは嘗て英国のローモア地方で柔軟強靭な鉄板を造っていたことに因むものである
 ローモ板にはなお若干の酸化物が附着しているから、次にこれを洗い落し(白酸洗作業)更に空気中での酸化を防ぐため暫く水中に貯蔵し、塩化亜鉛溶液、熔錫槽及保熱のための椰子油を通過させて錫鍍金する、そして研磨ロールにかけると御存じのように美麗な錻力板が出来上る
 そこで表面に疵があるかどうか鍍錫の程度はどうか、更に板の厚さはどうかを検定して各等級に撰別し、木函に荷造して市場へ送り出すわけだ【写真上はロール機、下は同様による作業】

(四)

重量を以て厚さを表わす

 錻力板は厚さと縦横の寸法によって色々の種類に分れるが、またその使途によれば市場向、石油缶用及び特殊製造缶用の三種になる、先ず市場向のものに就ていうと、その寸法には幅二十吋、長さ二十八吋のものと、これを半分に裁断した幅十四吋、長さ二十吋のものがあり、前者を大板または倍尺物というに対して後者を小板といっている、そして板の厚みは百七十封度物、二百封度物という風に英式重量によって間接的に表現する、この意味は大板百

[図表あり 省略]

十二枚一函の正味重量がそれぞれ呼称する数字だけあるということで、重量の重い程厚さが厚くなることはいうまでもない
 そして市場で最も多く取引するのは前記百七十封度物と二百封度物で、一箱正味重量を正確に瓲で現わすと前者は七十七瓲、後者は九〇・九瓲である、なお市場向の錻力板は各種製缶、玩具その他の細工に使用する

 石油缶用は英語読みにオイル・サイズともいう、これには胴板と天地板の二つがあり、前者は幅十四吋、長さ十八吋四分の三、後者は幅十吋、長さ二十吋である、胴板はこれを四つに折って缶の四面に天地板はこれを二つに切って缶の天地に使用する、両者は別個に荷造りし、一箱の枚数は胴板百二十四枚、その正

[図表あり 省略]

味重量五〇・一瓲、天地板は二百二十五枚、七十一瓲、なお厚みは胴板〇・三〇五粍、天地板〇・三三〇粍である
 特殊製缶用は食料品缶詰の缶材に使用するもので、缶の大きさが種々ある関係から、それに使用する錻力板も厚み、寸法も一定せず、日本製鉄が現在製造しているもの丈で二十数種に上る、だから業者はこの種のものを特殊寸法ともいっている
 海外から輸入する錻力板にWWというのがある、市場ではこれに「ダブ・ダブ」という愛嬌ある名前を呈上しているが、正確にいえばウェイスト・オブ・ウェイスターズ(waste of wasters)で、屑のそのまた屑である、即ち一級品の屑がウェイスター即ち二級品であり、ウェイスターのそのまたローズ物だから三、四級品ということになる、厚みは七十封度から百七封度見当のものが多く、下級品として雑用に使う【■の上は原板の剪断、下は黒酸洗作業】

(五)

九年を境に生産高急増す

 錻力板の用途はなかなか広い、例を我々の日常生活にとって見ても各種缶詰、石油缶、ビールやサイダーの口金、茶、菓子、薬容器、玩具等等、しかも今後その需要は益々増加しようとしている、斯る情勢に対応して最近日鉄八幡製鉄所以外に数社の製造業者が登場、国内生産高は急激に増加を示しているが、未だ未だ海外依存の色彩が濃い、即ち大正十二年八幡製鉄所の製品が市場へ出て以来、国内生産と輸入高が如何なる振合にあるかを示せば次の如くである

[図表あり 省略]

 右において昭和九年以来の生産高増加が特に目立っているが、この年こそは八幡製鉄所以外の生産が初めて統計面に表われた年であるそこで同年以後三ケ年間の生産高

[図表あり 省略]

を会社別に示すと次のようになる

[図表あり 省略]


斯くて我国錻力板製造業は、日鉄の大々的増産と新興勢力の蜂起によって、次第に外国の□絆を脱しようとしている
 もともと錻力板は我々の日常生活に甚だ必要であるばかりでなく、戦時食糧に重要性を持つ缶詰の材料として不可欠のものであり、平和的な必需品であると共に軍需的な必需品でもある
 欧洲大戦後錻力板の自給自足主義が世界的風潮となったのはこれがためで、我国も遅蒔きながらこれが実現を目指して一途邁進し

[図表あり 省略]

ているのであるが折しも銑鋼飢饉の声を聞き、かつ鍍金用の錫の如きも国内資源頗る貧弱で、その供給を大部分海外に俟つの外なき実情にある謂う所の国内生産高激増も、真底を打ち破れば存外うら淋しい響きがするのである【■の上は焼鈍炉、下は鋼板矯正ロール】

(六)

製造各社の概況を素描す

 前回で我国錻力板の需給概観を記述した、そこで今後は供給部門を担当するメンバーを素描して見る、先ず第一は日本製鉄であるが、周知の如く同社の資本金は三億五千九百八十一万二千円(全額払込済)錻力板の製造を行っているのは八幡精錬所だけだが、鉱石から製品までの一貫作業を行う我国唯一の製造会社であり、その生産は月額約一万一千瓲、量的にも質的にも支配的な勢力を握っている、その製品は三井物産、三菱商事、岩井商店、安宅商会を通じて市場へ売出すほか、軍部、諸官聴や石油会社の如き大口需要家に直接納入する
東洋鋼鈑は東洋製缶の同系会社で、昭和九年四月に創立、資本金は五百万円(払込額二百五十万円)所在地は大阪市北区である、日鉄からチン・バーを購入しこれを製板して錻力板月産約二千瓲ないし二千五百瓲製品は主

[図表あり 省略]

として同系の東洋製缶で缶材に使用し、また日本製缶へも多少供給する
 扶桑鋼業は昭和八年八月に創立資本金百万円(全額払込済み)で所在地は横浜市神奈川区である川崎造船所から原板たるローモ板を購入し、錻力板月産千五百

[図表あり 省略]

瓲見当である、製品は本来需要家への直接売を建前とし、石油缶用の如きは総てこの方法によっているが市場向のものは東洋物産会社や問屋の手を経由して売ることがある
 中山鋼業は昭和十年六月の創立資本金は二百万円(全額払込済)で、所在地は横浜市鶴見区、淀川製鋼所は昭和十年一月の創立で、資本金百五十万円(払込額九十万円)所在地は大阪市西淀川区である、以上両社は日鉄その他から原板を購入し、月産約三百瓲を挙げているが、その原板にはローモ板でなくて、トタン板と同じようなブラック・シートを使っているので、厳密な意味からは錻力板といえないという人がある

 序ながら世界の錻力板生産高の概算を記すと、総額約二百万瓲と見られ、この中米国が約二百万瓲で、全体の六割六分七厘を占め、これに次で英国約五十万瓲、ドイツ約二十五万瓲、フランス約十万瓲、印度約五万瓲見当である【■の上は白酸洗作業、下は鍍金作業】
 次に八幡製品の配給方法を先ず市場向錻力板から説明しよう、日本製鉄では市場向製品の売出に先立ち、毎月売出協議会を開いて、指定商四社、東京、大阪及び名古屋の三都問屋と会合し、六月ならば七、八、九月積、七月ならば八、九、十月積の売出数量と値段を決める、三都の割当数量は東京、大阪の五に対し名古屋一の割合で、例を本年六、七、八月渡日鉄引受高に取ると次のようになっている

[図表あり 省略]

 なお三都問屋のメンバーは、東京では佐野、内田、草場、木下、斎藤、大野、大阪では佐渡島、井上、山本、吉岡、片山、冨安の各六店、名古屋では、岡谷、側島の

[図表あり 省略]

二店である

 石油缶用の販売には定期契約をなす場合と随時契約をなす場合と二つがある、先ず定期契約をなすものに就ていうと、日本石油へは日鉄が直接販売するが満洲石油へは指定商四社を通じて販売し、三菱石油へは三菱商事、早山石油へ

[図表あり 省略]

は三井、三菱、小倉石油へは三井、三菱、岩井、朝鮮石油へは三井、安宅を通じてそれぞれ製品を供給する、右以外の石油会社は随時に四指定商を通じて日鉄製品を購入するわけである、なお石油缶用錻力板の売出協議会は隔月にこれを開いて、日鉄、四指定商及び石油会社の代表的勢力たる日本石油が相会し、値段を決めている
 特殊製缶用は中以下の業者は問屋から購入するが、需要が大口で問屋在庫に依存すること困難なものは指定商を通じて日鉄から買入れる、即ち東洋製缶は三井、三菱、日本製缶は三井、北海製缶は三菱を通じて錻力板を購入しているが、この種のものは売出協議会を開かず、その値段は市場向に準ずることになっている
 錻力板の輸入商には三井物産、三菱商事、岩井商店、浅野物産、セール商会、カメロン商会があり、これ等は海外から取り寄せた品を直接実需家へ売り、或は問屋へ売っている、日鉄と指定商の間には「日鉄製品を取扱う代りに外国品を輸入しない」という不文律の如きものが存するが、非常の場合、即ち国産品だけでは供給の不足する時はこの限りでないということになっている、なお米、独、英、仏、伊の各国における錻力板製造業者は国際シンヂケートを組織し輸出値段の協定の輸出数量の割当を行っている【写真は錻力板の検定と荷造】(この項終り)


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