新聞記事文庫 鉄道(22-101)
中外商業新報 1928.4.12-1928.4.14(昭和3)


喧ましくなって来た満洲の鉄道問題

その真相は果して如何

一記者


警察力で解決するとか、関東軍の出動を促すとかいって非常に重大化して来た満鉄奉海両鉄道間の連絡協定破棄問題、●昂鉄道の車両流用に関する協定違反問題、及び支那側の満鉄クロス計画というのは、そのことの起りは奉天当局が奉天、海竜間百五十二マイルに奉海鉄道を敷設する計画を立てた折に、満鉄も黙って居られずに厳重抗議を申し込んだことに始まる、しかし奉天当局は満鉄の抗議に委細構わず、支那の資金二千万元で工事に着手し、昨年九月に竣工して直ちに開業してしまった

ところがこの満鉄たるもの当初の抗議にも似ず工事の進行するにつれ抗議の手がだんだん緩んで行ったものだ、けだし奉海鉄道は純然たる支那の鉄道であるから、開業しても資金不足で経営困難に陥ることを見抜いて居り、その場合には乗り出して行って運輸連絡協定を結び、奉海線を満鉄の培養線にして儲けようという肚があったためだと報ぜられているが、案に相違せず奉海鉄道は開業以来資金不足で経営に困難を来していた、これを見てとった満鉄は旧臘□□早速奉天当局に奉海満鉄運輸連絡を申し込み、奉天側も直に応諾し、今年初頭より満鉄と奉天省長劉尚清氏との間に話が進み早くも二月二十七日に至って両鉄道の連絡運輸に関する基本細目の両協定が出来上った

この協定は三月十五日から実行される約束になって居り、満鉄は計画図に当りこれによって毎年約七十万円の収益を挙げることになったので、少からず得意の状態に置かれたのである然るに三月に入る早々支那側は何の理由も示さずに突如右の協定破棄を通告して来た

通告に接した満鉄並に奉天領事館は直に劉省長に厳重抗議し、支那側の反省を促したがこれに対する支那側の言い分は
満鉄奉海両鉄道間の運輸連絡協定は単に満鉄と奉天当局との間に決定したものにすぎず、未だ北京政府の承認を得ていないから無効である
と称し、頑強な態度を示し、頻に交渉を進めている間に支那側は再び満鉄をアッといわせるようなことやった

それは満鉄の担保になっている●昂鉄道の車両流用問題である、●昂鉄道というのは●南、昂々渓間約百四十六マイルの鉄道で、従来満洲里、チチハル、昂々渓方面より奉天へ行くにはハルピン、長春を通過したものを、●昂鉄道を敷設して四●鉄道に連絡せしめ、四平街に出た方が近道であるというわけで、奉天当局によって計画され、大正十三年に満鉄と奉天省の間に工事請負契約が成立し、満鉄が工費千二百万円を投じて大正十四年に起工し、翌年七月に竣工したのである

同鉄道は支那の所有に属するものであるが、満鉄が工費全額を負担した関係から、支那側が右工費全額を満鉄へ支払うまでは、満鉄の委任経営ということに協定が出来て居り、これによって同鉄道及び附属物は全部満鉄の担保物となっているのであるから、支那側が勝手に車両の流用が出来ないはずである、然るに三月二十六日から数回にわたり汽関車三台と貨車四十両を例の打通線を経て奉海鉄道へ持ち込んでしまったものだ(未完)
●昂線の車両が数回にわたり四●線、打通線、京奉線等の長い道中を経て奉海線へ送り込まれたことを満鉄が知っていなかった道理はない、充分知っていたが手の下しようがなかったのである、また●昂線勤務の満鉄の技師が列車が●昂線から奉海線目がけて出発しようとするところを発見し、これを差し止めようと●昂鉄道当局と小競合を演じている間に、汽車の方は遠慮なく動き出してしまったということである、先の奉海満鉄連絡協定破棄問題の交渉は、支那側の態度が煮え切らないため、一向に進渉を見ず、満鉄が極度に神経をいらだたせている折に、更に車両の流用問題が起きたのであるから、満鉄の憤慨したことは想像に難くない

早速三月二十七日に芳沢公使から北京政府交通部へ、奉天領事館から奉天当局へ厳重な抗議をした、この第一次の抗議内容は

一、奉海満鉄連絡協定に対する不法命令の撤回
一、車輛を返送することによって●昂、満鉄両鉄道間の協定を実行すること

というにあるが、これに対する交通部次長常蔭槐氏の回答は
支那鉄道の連絡は連絡会議を経て決定すべきもので、満鉄奉海両鉄道間の連絡協定は批准交換前であるから、無効である、従って支那側には不法行為はない
というにあって、一向に要領を得ず寧ろ反抗的な態度を弄して来た

一方奉天当局の回答は
問題の解決は北京と東京に移されたから、当方としては関係せぬ、一体国際間の外交問題の処理に「不法とか不都合」とか云う文字を使用するのは怪しからぬ
と交渉の継続を廻避しながら、奉天総領事館に高飛車に出て来た、またどうしたものかこれ等の問題は事件発生以来満洲一帯にわたり発表が禁止されていた、多分禁止中に問題が片付くものと思ったためだろう、ところが日支間の交渉は捗どらないのみか、紛糾を来しそうになって来てから、発表が解禁された、解禁によって、これらの事件の発生と支那側の不誠意とを一時に知った在満邦人は、支那側の連続的な排日的非友好的仕打に絶えず不安にかられていた際であるから、此憤慨は極度に達した

芳沢公使は更に四月七日警告的な抗議を交通部へしたが支那側はこれに対し
借款鉄道と言えども、車輛の運用は支那の主権に属し、運用の自由は債権者の干渉制限を受くべきでない

と依然たる不誠意な態度で回答して来た、支那側の意見は要するに満鉄奉海連絡協定破棄も●昂線の車輛流用も何等不法でないというにあり、日本側から言わしむれば改悛の情は少しもないわけであるこの支那側の態度を見た満鉄と在満邦人の憤慨は、真面目に考えて警察力の利用或は関東軍の出動にまで進んだことは無理はない、即ち支那は最近不当課税といい、領事館事件、盛京時報問題といい、連続的に排日行為を敢てしている今回の鉄道問題はその一つの現れである、支那側のこうした排日的行為が今後も頻発することは充分に察し得られる、故にわが国としてはこの機曾を利用して、満洲におけるわが国の威信を示して置かなければ、支那の乗ずる所となり将来に禍根を残すものである

今回は満洲における日支間の諸懸案を解決するに絶好の機会であるから、支那側がこの度の事件につき依然反省せず、解決を遅延せしめる時には、非常手段として警察を利用するか、或は関東軍を出動せしめて、先ず奉海線に廻送されてある車輛を●昂線に返送し、同時に奉海、京奉両鉄道の連絡地点を占領して、連絡を杜絶すべしというにある、この出兵論と占領論とが、在満邦人の間に高唱され、折よく目下上京中の山本、松岡満鉄正副社長をして政府当局を説き政府をして積極的な行動に出しめようとしているものである(未完)
在満邦人の出兵論は内地にいては想像出来ないほど真剣かつ真面目なものである、このために満鉄本社が幾分か在満邦人の強硬意見に引きづられ気味であるとも言われている、連日満鉄本社に開かれる対策協議の重役会に関東庁の警務局や関東軍からも列席者があったことは事態の切迫を意味すると共に、満鉄及び在満邦人の対支強硬態度を示すものとなった、この騒ぎの最中に木下関東長官が上京した、木下長官が下関から上陸し東京へ着くまでは車中で大いに満洲出兵論をやって、途中まで出迎えの人々を煙に巻いていた

ところが長官が東京へ着いて政府要路の一二の人に会ったら、其後に於てはもう長官の対満出兵論が聞かれなくなっていた、之は一たいどうした訳か、田中内閣は今回の満鉄と支那間の鉄道紛糾には初めから出兵の意思は持っていないらしい、それは昨年の山東出兵で散々味噌を付けたのと、今回の問題は大きく見れば全満の鉄道問題には相違ないが、小く見れば満鉄の一事務上の問題で、出兵を要する程事態は急迫して居らず、またこれ位のことで出兵するのは大人気がないというに在る様だ

在京中の山本、松岡満鉄正副社長も、出来るだけ穏便に問題を片付け、出兵等はあくまで避けたい肚で居り、外務当局も外交手段で解決する意思で居り、総じて中央の意見は出兵論には耳を藉さず、穏便な解決方法をとることになっている、従って今日位の事態では出兵は先ずないものと観て差支ない中央の意見が右の如くであり、一方支那側にはいささかの反省の色もなく、日支間の交渉が遅延している以上は、満鉄としては何等かの自衛手段を講じて、対支強硬態度を示さなくてはならなくなって来た

この第一次的現れが十一日満鉄から奉天当局へ通告した所謂対支経済宣戦である、即ち満鉄がこれまで好意的に城根線に入れていた一日平均十七八台位の貨車の運行を停止し満鉄と京奉線を中絶することによって、撫順炭、木材、その他の兵器廠、電燈廠用物資の運輸を停止してしまった、これは支那側にとっては非常な痛手である更に満鉄は満洲関内へ出動の途にある奉天軍の輸送を車輛の不足を口実に拒絶してしまった

支那側の態度が依然改まらない時は、満鉄は次で第二次、第三次の自衛的、報復的手段を採る意思で居り、また万一北支の戦況が進展して来て奉天当局が北京の輸送を満鉄に依頼することあるも、断乎としてこれを拒絶するに肚を決めたとも報ぜられている、満鉄側のこうした報復手段は、全く満鉄自身のビジネッス内の事項に属し、政府の関知したことではないと称されているが、今後第二、第三の報復手段が講ぜられ、またほんとうに北京の輸送を拒絶するようなことになれば、その反響は相当大きなものであろう、これにつき対支感情の上から満鉄の報復手段を却て問題の解決を困難ならしむるものではないかと憂慮している向もある、兎に角今度の問題については今日までのところ支那側は毫も誠意ある態度を示して居らず、満鉄もこれがために報復手段を採るに至ったのである

支那側のこうした排日的行為の続出と一度問題が起ると容易に解決しない原因は、支那側が日本の内政状態を見抜いて居るからだといわれている即ち今回の問題の紛糾も日本の政界が特別議会を前にして支那を顧みる暇のないのを見てやった仕事だというのだ、更に今回の満鉄奉海間の連絡協定破棄と車輛問題に附随して起ったのは、いわゆる支那側の満鉄線クロス計画である、これは右の二問題が起ったために騒がれ出したのであるから、問題が解決されると自然に片付くわけであるが、支那側の満鉄クロス計画というのは、明治四十年日支間に京奉線延長に関する協定というものが結ばれ、京奉線は藩陽までより延長されないことになっている

然るに今回●昂線の車両を京奉線に通じ終端駅である瀋陽を経て奉海線に入れ一方奉海満鉄間の連絡協定を破棄して、奉海、京奉両鉄道の連絡を策したことである、これが京奉線の延長に関する協定違反だというのである、これに対し支那は
京奉線を延長したのではなく、奉海線を延長したのだから協定違反ではない
とうそぶいている、支那の満鉄クロス計画は、今に始まったわけのものでなく、すでに打通線の敷設奉海線の計画当時から考えられていたもので即ち四●、打通、奉海、京奉の諸鉄道を連絡せしめ、営口、連山湾を培養し、もって満鉄に対抗せんとする遠大な計画なのである、すでに京奉、奉海両鉄道連絡のためユニオンステーションが造らるることとなり、皮肉にも今月四日日支間の紛糾を尻目にかけて、ドイツ人と工事請負契約を結んでしまった

満鉄が今日になって今更の如くクロス問題で騒ぎ立てるのは、満鉄の無策を表明するもので、打通線や奉海線の計画当時に充分の対策を講ずべきであったと非難されて弁解の辞はない筈だといわれている、今日までのところでは、日支両当局の態度に相当強いものがあるから、解決の時期は全く不明であるが、現在日支間に解決すべき重要懸案が三十、鉄道問題に関する大小懸案が三百四五十あり、しかも殖える一方であるというからそう簡単には解決がつくまいと観られている



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