新聞記事文庫 鉄道(30-127)
満州日日新聞 1936.6.15(昭和11)


錦承、葉峰両線開通式

あす承徳離宮にて挙行


秘境熱河を横断し政治、経済、国防上重大使命を有する錦承線の一部泉承線(平泉、承徳間九七粁)は沿線駅舎並に構内附属建造物工事完成し愈愈十六日鉄路総局に引継がれ本営業を開始することとなった、思えば旧東北軍閥の勢力下にあった熱河省も日満軍の粛清工作により全く明朗化され、更に同地在住民をして普く王道の恩恵に浴せしめるため既設北票線金嶺寺、凌源間を繋ぐ坂凌線を手始めに錦承線の建設に着手してから三年、その間重畳せる山岳地帯として知られ複雑な地形を有する熱河省に於て建設従事員の厳寒、酷暑と戦い匪禍、水禍に見舞われながら苦心惨澹建設に努力した貢献は実に涙ぐましいものがあるが、かくて万難を排しよく艱苦を克服し今回泉承線の完成と共に錦承線四百三十六粁は見事全通し、宝庫熱河の大動脈として一四七粁の葉峰線と相俟ち将来重要役割をなすに至った、この新設鉄道の輝かしい前途を祝福するため本営業開始に先だち十六日承徳離宮に於て関係者多数参列の下に盛大な祝賀会を開催することとなった、躍進する満洲国有鉄道もこれで七千粁となり、これに自動車路線三千五百粁を加えると実に一万五百粁で総局創業当時の三千粁に比較すると、僅か三年三ケ月に鉄道は倍加し、鉄道路線の全線は三倍半の伸展振りを見せ満洲国の目指す王道楽土建設に堅実な歩みを辿りつつある

難工事と天災とで幾多の尊い犠牲 涙ぐましい建設の努力

宝庫熱河を開発する熱河鉄道はこれを工事の順序により金嶺寺、凌源を繋ぐ坂凌線、凌源、平泉を結ぶ凌泉線、平泉、承徳を連繋する泉承線(以上錦承線)及び葉峰線に区別されるが今これ等の線の工事概況を挙げると左の通りである

坂凌線(一五六粁八)

坂凌線は既設北票線金嶺寺駅から分岐して大凌河に沿い朝陽、葉柏寿を経て凌源に至る熱河聖戦後最初の新設鉄道で、熱河幹線鉄道の東半部をなしている、昭和八年二月着工した、金嶺寺、朝陽間四十粁は僅か八、九ケ月の短期間で完成の必要に迫られ全力を挙げに工事を急いだが、何分同区間はて岳重畳して道路なく材料の輸送料困難を来し、剰へ六、七月は熱河特有の雨期に会い土砂の崩壊材山の流失相つぎ一方常に匪襲の脅威を受けながら橋梁架設、隧道掘鑿等の難工事に多大の犠牲を払って同年八月これを終り、更に朝陽以西凌源迄の路盤工事を同年十二月大体終了したので引続き軌道敷設をなし翌九年五月全区間の仮営業を開始し諸般の附帯設備を整え同年十二月総局に引継がれた
難工事の橋梁は山間で雨量多きため橋梁比較的多く主なるものは大凌河、大平房橋梁である又隧道は窟薩(一三九米九五)葉柏寿(一五五米)の二ケ所で窟薩隧道は昭和八年十月竣工し地質砂岩で大凌河左岸の断崖絶壁中にある、葉柏寿隧道は同年九月一日着工、翌九年一月二十日竣工した

凌泉線(八七粁一五八)

熱河省の中央山嶽地を貫く本線は昭和八年十月着工したが七月の雨期に坂凌線の各所破壊せられ材料の輸送に齟齬を来したが従事員の努力により同十年一月仮営業を開始し附帯工事をなして同年九月総局に引継がれた
橋梁、暗渠等の構造物の施行場所は二百三十ケ所、径間全長二坪六〇七である、二道溝及び楊樹領の二ケ所に隧道を繋掘二道溝隧道は導坑貫通直後隧道内長さ約三十米の落盤のため日鮮満人二十二名の犠牲者を出し支障を来したが万難を排し工事を進め予定期日迄に完成した

泉承線(九七粁)

平泉、承徳間は昭和八年十一月一日測量を開始し同九年二月二十八日大体終了したが、地形複雑な関係上しばしば改測を行い翌九年四月二十八日始めて路盤工事に着手した、而して同十年二月二十六日より軌道敷設にとりかかり本年三月十日より仮営業を開始した、この泉承間は熱河省の中央山嶽地帯を貫く鉄道とて橋梁、隧道等の建造物多く従来の国内建設線に比し稀に見る難工事区間であった、即ち本鉄道は平泉を起点として西進し瀑河を渡り更に第一護城河、第二護城河およびその他の小支流を渡り右転して小寺溝駅を過ぎ山腹を縫いつつ大杖駅に至りそれよりそれより右曲左折して小渓谷を過ぎ郭杖子の部落を右に見、左転して上谷駅および丘陵地帯の山麓を縫うて永和駅に到着、間もなく瀾河支流の山咀河を横断し対岸に出で地勢急

[図表(開通した新線)あり 省略]

なる渓谷を過ぎ、更に小支流および畑貫河を越え下板城駅に到着するが、これより鉄道は右曲すると共に老牛河を渡り奇岩突出の瀾河左岸に沿い右に左に匍行しつつ下板城隧道を通過、続いて瀾河の本流を渡河し更に山容峻嶮なる右岸に沿い第一上板城隧道および第二上板城隧道を抜け、やや平坦な耕地に出で白河を渡り上板城駅に至り再び山腹を驀進し熱河第一の瀾河鉄橋を越え、荘頭山の山麓に進み荘頭隧道を潜り再び瀾河の左岸に出で石門河を渡り荘頭駅を経、西北河、溝門河を過ぎ武烈河の左岸に沿い第一偏嶺および第二偏嶺の両隧道を抜け紅石河の鉄橋を渡り長駆承徳駅に至るもので途中駅の数は
平泉、小寺溝、大杖、小谷、永和、下板城、上板城、荘頭、承徳
の九駅、橋梁の主なるものは瀑河鉄橋の二百八十米、第一護城河鉄橋の九十米、第二護城河鉄橋の九十米、山咀河鉄橋の百米、老牛河鉄橋の二百六十米、第一瀾河鉄橋の四百米、白河鉄橋の二十二十米、第二瀾河鉄橋の五百二十米、石門河鉄橋の七十米、西北河鉄橋の五十米、溝門河鉄橋の八十米、紅石河鉄橋の六十米等で隧道は
下板城 八二一米
第一上板城 三二九米
第二上板城 五四二米
荘頭 一〇四三米
第一偏嶺 一八八米
第二偏嶺 四七米
である、熱河縦断の葉峰線と共に本線の完成は宝庫熱河の開発にも重要役割を演ずるであろう

葉峰線(一四七粁)

この線は錦承線葉柏寿を起点に大凌河を渡り北進して石脳の山岳を越え更に丘陵地を縫行して二十家子、三十家子、黒水等の部落を経て赤峰に至る鉄道である、昭和八年十一月本線の測量を開始した時恰も坂凌、凌承線建設の繁忙期に当り人員不足のため測量遂行に困難を伴ったが、建設員の献身的努力により昭和十年六月仮営業開始の運びとなり、続いて諸工事を完成し同年十二月本営業を開始した葉峰線橋梁工事は凌泉線に比較して位置不利の地にあるため材料運搬に困難を極めた、殊に昭和九年六月一日の豪雨のため出水、倉庫に侵入し又材料輸送用として建設された木橋、橋脚、諸材料等流失し且つ砂丘地帯における暴風は線路盛土の一部を吹き飛ばし自然の被害があって工事に支障を来したこと屡々あった、主なる橋梁は大凌河、第一牛河、第二牛河、杜家河、老哈河、坤都河で又隧道は石脳山嶺六三五米の一ケ所であるが工事を急ぐため従事員を督励し昼夜兼行で掘進し導坑着手以来百十八日で貫通した

臨時列車運転

開通式参列者のため左の時刻表により臨時列車を運転する

[図表あり 省略]

“熱河”の語源

“熱河”の由来は蒙古語のハラガヌーロ(熱き河)の意味で古の武烈河にして源を北方茅荊頂の連山に発し南流して承徳を過ぎ瀾河に注ぐ、この一小渓水の名“熱河”がそのまま地名を代表し、又離宮の名に冠せられ、更に省名に附せられるに至ったものである

錦承線全通感言 鉄路総局総務処長兼運輸処長 酒井清兵衛

所謂熱河鉄道の基幹たる錦承線が鉄道建設局の異常なる努力に依り当初の予定より早きこと実に約五箇月を以て全区間の建設を完成し六月十六日より満洲国国有鉄道の一線として正式に営業を開始することとなったのは同慶の至りに堪えない次第である。
回顧すれば大同二年三月満洲建国の癌たりし熱河省内に幡居せる旧東北軍閥の勢力が日満軍の粛正工作に依って一掃せられ暗黒熱河は茲に初めて明朗なる晴天を見るに至った。満洲国当局はこの明朗化せる熱河をして、更に現実王道の下に光被せしむベく交通の開発を企画し、先ず国道を建設して自動車路線を主要地間に設け同時に鉄道の建設を満鉄に委託した、爾来約三箇年満洲国内第一の山岳地帯として周知の如く複雑なる地形を有する本線の建設は全く困難そのものであったに拘らず、従事員諸君の努力は能くこれを征服して本年三月初金嶺寺承徳間三四一粁余の全区間の鉄道敷設を完了する迄に進捗したのである。今日本線の正式営業開始に当り吾人は改めて日満両軍将士並に建設当局各位の御奮闘に深甚なる感謝の意を表すると共に聖戦の犠牲として幽明界を異にし今日本線開通の歓びを倶にし得ざる幾多英霊に対して厚くその冥福を祈る次第である。
惟うに錦承線の開通は曩に開通せる葉峰線と相俟って曾ての暗黒熱河に王道の恩恵を洽く光被せしむることを以て第一の使命とするものであるが、これを経済的に見るときは従来交通不便の為空しく死蔵されていた沿線各地鉱山物の開発を始めとし努力の欠如に因り不振なりし農牧産業の振興に拍車をかけること等に於て重大なる意義を有するものである。従来多くの論者は熱河の将来に対し経済的に何等期待すべきものなしとして悲観論を下して居るやに見受けられるが、開発の基礎たる鉄道が漸く開通した今日においてする軽軽にその前途をトすることは早計であろう。満洲の開発は最も恵まれた満鉄沿線においてすら過去三十余年間の実績が斯くの通である。比較的天恵薄き本線沿線の開発に対して藉すに相当の時日を以てせざれば容易にその前途を測知し難きことは自明の理でなければならない。この意味に於て吾人鉄道経営のことに従う者は凡ゆる努力を捧げて沿線の開発を促進する覚悟を有して居る。
又今日世界各国に於て重要なる一インダストリーとして新しく登場した観光事業の方面から見るときは世界的の秘境として知られた承徳本線の開通に依て交通の便に恵まれ観光客の来訪は加速度に増加すべく期待されるのである本線の有する政治的、国防的使命については贅述するまでもなく蒙古辺境及北支方面の国境線に近接し有事の際に重要なる交通路となるべきものである。斯くの如く錦承線は凡ゆる意味に於て重大な意義と期待とを包含するものであって、その開通に当り吾人は更に緊揮一番して勇躍今後の経営に従わんとするものである。

祝辞 満鉄総裁 松岡洋右

本日茲に錦承線並葉峰線の全通祝賀式を挙行するに臨み一言祝辞を述ぶるは本職の最欣快とする所なり
凡そ近世国家に於ける地平天成の要具として之を交通機関の整備に求むるは敢て贅言を要せざる所先に満洲帝国の樹立せらるるや其の版図の全域に亘り鉄道網普及の企画成り之が敷設並経営の大業を挙げて我が社に委嘱せらる、国策の存する所我が社は直ちに其の業に就き春秋並に五星霜を経たり今日全通を告げたる二鉄道亦其の一部に属す
由来熱河の地は前朝別□の地たる此処承徳の名に依りて僅に世に聞こえたるに過ぎず其の民度は旧習を脱がせず産業亦微々として振わず物資の流通は辛うじて之を馬背に託せらるるに過ぎざりしなり、今や本鉄道の開通を見る明日の熱河は将に刮目に値するものあるべきなり、況や西に蒙古を控え南に北支を臨む其の鉄道の価値は当に熱河に幸するに止まらざるべきなり彼を思い此を念うて慶祝の念転た禁ずる能わざるものあり
本鉄道の起工は適々熱河聖戦の直後にして兵火の余燼未だ収まらず、匪徒随所に跳梁する時に当り幾多工事の艱渋に加うるに更に身命の危険を堵せざるべからざりしを従事員一同克く職責に忠にして夙旦夕夜身を挺して辛労に堪え以て今日の光栄を□ち得たる又其の間日満両国軍憲各位の終始絶大なる援助を賜わり衷心感謝へ堪えず此の機を藉り謹みて深甚なる謝意を表するものなり
茲に聊か蕪辞を呈して祝辞となす

満鉄鉄道建設局長 佐藤応次郎

本日茲に錦承、葉峰両線の開通祝賀式を挙行するに当り来賓諸賢の普臨を辱うするを得たるは本職の再光栄とする所なり
抑も本鉄道は熱河地方に於ける産業並文化開発の大動脈をなすものにして満洲国の国防上にも亦極めて重要なる幹線なり而して工事施行は之を四区に分ち昭和八年四月先ず大坂凌源間の工事を起したるが、当時同地方は熱河聖戦直後にして兵匪の跳梁甚しく殊に此の地特有の烈風並数次に亘る豪雨は工事の進捗を阻害すること一再に止まらず、築堤の決潰橋梁の流失など相亜いで起り従事員の苦難は実に言語に絶せり続いて凌源、平泉間及葉柏寿、赤峰間の工事に当りても其の建設途上或は酷寒に凍土を□き或は炎天に熱砂を穿つ等其の困難は全区間に譲らざりしが克く万難を排して何れも予期以上の成績を以て工を竣え満洲に引続を了せり、而して最終の工事区間たる平泉、承徳間は地形嶮峻を極め山岳連座して渓谷其の間を縫い延長の半は殆ど隧道に続くに橋梁、橋梁に続くに隧道を以て終始稀有の難工を続けたり斯くて約五〇〇粁に亘る全線を僅に三年有余にして完成し本日此の盛儀を見るに至りたるは洵に慶祝に堪えざる所にして是偏に日満両軍憲並地方官民の絶大なる御援助と本社の使命に鑑み本工事の進捗に心血を注ぎて奮闘せる社員並請負業者各位の努力に因るものにして本職の衷心感謝措かざる所なり
惟うに本鉄道の開通は啻に熱河地方のみならず比隣蒙古地方天与の資源開発を促進し併せて産業文化の発展に貢献すると共に、軈て北支と満洲とを結ぶ一大交通路の実現を促すものにして将来日満支間の交通経済上に済す成果は期して俟つベく延いては東洋平和に寄与する所蓋し大なるものあらむ
茲に錦承、葉峰両鉄道の全通を慶祝するに当り工事の間職に殉じて本鉄道開拓の人柱となれる崇高なる犠牲者の英霊に対し謹みて哀悼の誠を捧ぐ
一言以て式辞とす



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