新聞記事文庫 鉱業(02-048)
大阪朝日新聞 1916.3.9-1916.3.11(大正5)


鉱塵と坑夫の健康(上・下)


(上)

戦局の進展に伴い、金物類に対する需要激増し、価格の暴騰を来したる結果、従来生産費を償わざりし為捨てて顧みられざりし諸在の休坑続々復活されたるのみならず、新に試掘、採掘を出願する者相次ぎ、甚だしきに至つては通貨を鋳潰す者をさえ生ずるに至り斯界未曾有の活気を呈しつつある事は屡報道したる如くなるが、之に関連して攻究を忽せにすべからざる一の社会問題が存在する、鉱塵及び炭塵が坑夫の健康を威嚇し、延いて社会に其余毒を流す事即ち是れである
此問題は今日に至って初めて起ったのではない、然し乍ら、今日に於て特に之を云為すべき理由がある、というのは、此鉱業熱が戦争という不時の出来事に刺激せられて起ったものである以上、戦争が終熄して金属の価格が常衡の標準に復帰するに従い、再び其生産費を償い得ざる事となり、今日復活を見たる休坑及び新に採掘に従事されたる鉱坑の大部分は早晩復休坑若くは廃坑の運命に陥らざるを得ないのである従って其間の事情を解し之を打算の中に入る者は今日に於て永久的にして完全なる設備を為す事を欲しないであろう、出来得る限り設備の手を抜いて一入利潤の多からん事をのみ希うて居る、其結果、此設備不完全より来る粉塵呼吸の危険は今日に於て特に切実なるものがあるからである
設備の不完全より来る危険は素より此の粉塵問題のみに止まらない、然し乍ら、此種の危険は急激に其結果を現さぬ丈けに坑主並に坑夫等の注意を逸するプロパビリティーは却て大なるべく、然も其危険は之が為に疾患を得た者一人のみに止まらず、其影響する所、極めて広汎なるものがある、吾人は彼らの死亡率を見る毎に慄然として肌に粟を生ずるを禁じ得ないのである
最近英国政府はシエツフィールド大学の病理学教授なるビーツテイ博士に炭塵及び其の他の鉱塵が豚鼠の肺に如何なる影響を与うるやに関して一の報告を徴した、同博士の実験せる結果に依れば、板石、貝岩其他粘土質の粉塵は左程危険にあらざるも、晶質の硅土を含有せる凡ての粉塵は直接に肺を侵害し結局肺結核となるの徴候ありと言うて居る、尚炭塵は貝岩の粉塵に比すれば余程有害だという事である
又ハルディン博士の報告によれば炭塵並に貝岩の粉塵は比較的無害なれど長期に亘りて之を観察すれば其害毒決して看過するを許さない、五十五歳以上の坑夫にして、肺患(主として気管支炎)によりて斃れる者は殆ど皆此粉塵を呼吸せる結果なりと断言し得べしことある、然し之に対しては異論がある、即ちコリス博士は此種の出来事は単に塵炭を呼吸せるが為にはあらずして、之と同時に石塵を呼吸した結果であると説明して居るのである
それはとにかく、是等の粉塵を呼吸する事に基因して起る疾患の主なるものは、喘息、気管支炎、肺炎及び肺結核なるが、喘息は直接死因となる事稀なるを以て、死亡率の統計より見れば、他の三者の如く重大なる関係を有して居らぬ、英国の四大炭坑に於ける各年齢別による死亡統計(千分比例)左の如し

[図表あり 省略]

右の表に就て観察すれば、三十歳前後の年齢に於ては炭坑夫の肺結核に脅かされる者極めて少数なるを知るであろうが、是れ実に彼等をして肺疾に対し全く注意を怠らしむるに至るのみならず、彼等をして炭塵は却て肺結核の予防に有効なりとの信念を抱くに至らしめたる所以である
しかしながら、炭塵が肺結核の予防に有効なりとの結論は多少の誤謬を含んで居る、前にも述べた通り人体に直接有害なるものは晶質硅土であるから、炭塵並に粘土塵を含有して居ればそれ丈け危害が緩和されるというに止まるのである

(下)

壮年者の気管支炎の為に斃れる者は各炭坑共に極めて少数であって、肺炎及び肺結核の為に斃れる者に比較すれば、三分の一乃至百分の一に当るに止まるけれども、晩年に至るに従い漸く其率を増加し、五十五歳以上殊に六十五歳以上の者に就て之を見れば、驚くべき速度を以て其率を高め、却て肺炎若くは肺結核の為に斃れる者の数を凌駕し、甚だしきは其二十四倍にも達して居る
もっとも六十五歳と言えば、通常最早や坑夫として労働すべき年齢ではないのであるが、偶此事実は此の疾患が如何に漸進的で且底力を持つて居るかを証明するものである
其中に就きても、ランカシエーヤ並にノッチンガム及びダービーシエヤに於ける老年者の気管支炎による死亡率は特に目立つて高率を示して居る、コリス博士の説明する所によれば、是れ同地方に於ける炭坑はダーハム及びノーサンバーランド其他の炭坑に於けるが如く、石炭が水平層を為し居らざる為、採炭に際し岩層の障碍多く、之を除く為に、石塵の飛散多量なるに基因して居るという事である
ランカシエーヤ並にモンマウス及サウスウエールスの諸炭坑に於ては老年者の肺炎に因る死亡率も亦甚だ大きな数字を以て現されて居る、英国の肺炎に因る平均死亡率は千人に付一、三二四であつて、坑夫に就て言えば丁度三十五歳乃至五十歳位の所の率と匹敵して居る、五十五歳以上に於ては平均死亡率の三四倍に相当して居るのである此の種の疾患が粉塵の充満せる下層の空気を呼吸する結果、粘土に混じたる硅土の作用を受くる為なる事は言う迄もない話である
是等は炭坑に就ての話であるが、各鉱坑に於ても、戦慄すべき類似の現象が繰返され、何れも気管支炎及び肺炎の為坑夫の活動力を鈍らせ、遂に生産減の悲境に陥りつゝある事を発見するであろう、南阿の金坑並にコーンウオールの錫坑の如きは其適例である
斯の如きは純粋の経済論を以てしても、甚だ憂うべき現象であるのみならず、其の害毒の及ぶ範囲は決して、一人一箇に止まらないのであるから、社会的見地から之を見て、為政者の大に注意せねばならぬ一大項目とされて居る、尚白人坑夫の死亡率は有色人坑夫の死亡率よりも遥に低いと言う一事は特に注意すべき点ではあるまいか
比較的設備の整頓し、監督の行届いて居る鉱坑に於てすら、既に此通りである、目先きの利益の為に殆ど盲目的活動を続けて居る戦争当て込みの一時的鉱坑に於ける状態や知るべきのみである、吾人は必ずしも今目前に勃発しつつある鉱山熱を呪うものではないが、一時の景気に吊り込まれて、坑夫等の健康を顧慮する暇もなき我利々々の多きを見て転た寒心に耐えざるものがある、当業者の反省を望むと同時に、当局の之に対する監督の遺憾なからん事を望んで止まないものである



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