新聞記事文庫 鉱業(01-001)
中外商業新報 1912.2.18-1912.3.11(明治45)


鉱山めぐり(一〜十)


(一) 佐渡金山

某月某日、汽船に搭乗して新潟港を発し海上を駛走すること三十二海里、両津港に到着す、即ち是れ佐渡の要津にして、金山は其西方六里の処に位す、車馬の便を仮りて行く、金山所在地を相川町と呼ぶ、元和寛永の盛時には人口十万を算せりと云う。今は昔の夢の跡なれども猶お天下の宝庫たるを失わず。

沿革

本鉱山は慶長六年の発見に係り、明治の初年には工部、農商務、大蔵諸省の管理に委したるが、二十二年御料局の所管に移り採鉱冶金の方法を改善し貧鉱所理の方針を樹てたれども其維持容易ならず、二十九年遂に三菱合資会社へ払下げ、以て今日に及べり。

地質及鉱床

本金山の地盤を構成せる地質は第三紀層に属する凝灰岩及び泥板岩の累層にして輝石安山岩の露出する者あり、鉱床は裂罅充填床にして三条の鉱脈あり、最南に在る者を青盤脈と称し最北を鳥越脈と云い、中央に位するを大立脈と云う、此等の鉱脈は数層の断層に由りて切断せらる、鉱石含有の鉱物は自然金及輝銀鉱にして其一百貫中の平均品位は上鉱金四一、八八銀六一五、二下鉱金〇八四銀一六、三平均金〇、八六銀一六、五を示せり。

採鉱

専ら仰府両階仮法を用ゆ高七尺乃至十四尺幅は脈石の広狭貧富により一定せず掘鑿の方法は主として手掘に拠る。竪坑は大立坑九百三十八尺高任坑一千尺の二あり共に運搬昇降排水の用に資す

製錬

乾湿両様の製錬法を併用すると雖も多くは湿式に拠る。即ち下鉱は搗鉱頂化法によりアマルガムとして金銀を抽収し其鉱尾は青化法に委し澱物として採取す、乾式としては上鉱及半製品たる汰物及澱物を熔鉱法に付し地金となして大阪製錬所に送る。

運搬

鉱石及燃料の運搬用として復線及単線式二様の鉄索あり、前者は六千四百三十二尺、八時間に鉱石二百噸を運搬し、後者は延長二千四百十尺鉱石百噸を運ぶ、其他は総て軌道に拠る其延長六千八百八十四尺也。

労働者

労働の種別、員数、賃銀は左の如し

[図表あり 省略]

産額

最近統計の示す所は如左

[図表あり 省略]

二十九年本金山が三菱合資会社の手中に帰して以来、坑道の整理、点灯の改良、選鉱所搗鉱所の増築、青化製錬法の採用等拡張改良せられたる者鮮からざるが搗鉱の拡張と青化法の採用とは相待って産額を増加せしめたり。但し収獲率に漸減の傾向あるは原鉱品位の降下にあらざるかと云えり。

(二) 其二、小阪鉱山(上)

某月某日、奥羽線大舘駅の一旗亭を発し小阪鉄道に乗換して急行すること十四哩半、海抜五百八十尺の高処に達す、下車すれば眼前に一大市街の開展するを見る、旅館あり、商店あり、郵便電信局あり、銀行あり、学校あり、人口三万と註せらる、即ち是れ鉱山の所在地にして小阪町なりと云う。本邦第一の称、実に余輩を欺かずと思えり。

沿革

本鉱山は文久元年の発見に係り、旧時は南部藩に属したるが、維新後は政府の所管に帰し、明治十七年再転して藤田組の有に帰せり。明治三十三年の秋、良鉱床を発見すると同時に貧薄なる銅鉱自熔法の作業を大成して銀山を閉鎖し、此に大銅山としての今日の基礎を確立したり。

地質及鉱床

本鉱山一帯の地質構造は火山岩及び成層岩の錯総せる配置より成る、石英粗面岩及び安山岩類は前者に属し、凝灰岩泥板岩及び火山灰砂は後者に属す。鉱床は石英粗面岩の併発に誘導せられ凝灰岩及び石英粗面岩の両岩種を母岩として生成したる交代鉱床の一種にして硫化鉱物の集合より成れる鉱床本体と母岩の分解及び鉱染より成れる粘土、粘土状黄鉱並に硅化鉱より成る。試みに明治四十一年中に於ける採掘鉱石の平均成分(百分率)を見るに左の如し

[図表あり 省略]

採鉱

採鉱の方針は四十一年九月まで坑内採鉱主義を採りたるが、同年九月以後掘割主義に採るに至りたるを以て探鉱開坑作業上にも変化を来したり、掘割区域は鉱床自然の形に応じ地表に在りては南北二千二百尺東西六百尺乃至千百尺とし鉱床の中心に向って平均四十五度の傾斜を存し細長き噴火口状に掘鑿しつつあるが、掘割周辺の最高所より最下底に至る垂高距離は三百七十九尺にして掘鑿排除を要すべき土石は約一億七百万立方尺を算せり、此の如く大土工を一局部に於て能く施行し得たるは当に本邦鉱業界の珍とすべし。

(二) 其三、小阪鉱山(下)

製錬

銀山時代に於ては合鉛吹チャフォーゲル法、アウグスチン法等の湿式法を用いて専ら収銀したりしかば亜鉛の採取を目的としてレトランヂ法に改良を加えたる者を開始し、精製亜鉛(亜鉛百分中九十□□)を製出し之を市場に伝るに至りたり、時惟れ明治三十年にして本邦亜鉛製錬の□矢なりとす。然るに此の時一方に於て銅鉱としての乾式製錬成功し銅を主産として金銀を副産物とする製錬法を大成したるを以て亜鉛の採取法を中止し、明治三十六年現行の自熔製錬法に変更し以て今日に及べり。

労働者

労働の種別、員数、平均賃銀は左の如し(賃銀は厘を以て単位とす)

[図表あり 省略]

産額

最近統計の示す所如左(数量の単位は金及銀は千匁銅及鉛は千斤とす)

[図表あり 省略]

尚鉱山の鉱床は既記の如く硫化鉱物の不規則大塊床にして其主体たる硫化硅鉱の如きは発達区域甚だ広く既に坑内に於て鑿岩機等を使用し掘割と相待て探鉱を励むと雖も未だ之を究むるに至らず又掘割は既知鉱床に就き其区域を決定したる者なれば坑内掘進の採鉱又た急速を望むべからざるが故に試錐機を使用して探鉱を試みつつあり、斯の如くにして無尽蔵との称呼ありし硫化硅鉱は既知数となれり小阪鉱山今後の盛衰は実に探鉱の成績如何に繋れり、記して他日を俟つ。

(三) 阿仁鉱山

某月某日黎明、単身鷹巣駅を発し徒歩阿仁鉱山に向う、険阪九里の行程なれば流石健脚の我も少しく疲れを覚えたりき、黄昏銀山町に入る、鉱業所及び製錬所のある所なり、海抜三百尺、山岳重畳して秋冷至り容く、夏季と雖も摂氏三十五度を示すを稀なりと云う

沿革

初めは向山金銀山を以て起る寛文十年大阪の商人高岡某伊勢谷某、阿仁比内二川の上流を踏査し小沢に於て銅鉱脈を発見し茲に阿仁鉱山の起源を開けり、元禄十五年佐竹侯の所領に帰したるが明治四年秋田県に移り、同八年工部省の直轄官行となり、同十八年遂に古川氏の有に帰せり

地質及鉱床

本鉱山は小沢、菅草、真木、三枚、一ノ又、二ノ又及向山の七区より成る、地質は火成岩類を主とし、水成岩は第三紀層及第四紀層に属せり、鉱床は第三紀層の凝灰岩、輝石安山岩及閃緑岩中に分布せる裂罅充填鉱脈にして幅員一般に狭くして且つ存鉱の状態極めて不定なり、加之、石英、鉛鉱、亜鉛鉱、硫化鉄鉱其他重土等の夾雑物を含有し鉱質一般に良好ならずと称せらる然れども脈数は百条余あり其東西、南北両□の合する所は鉱質比較的好良なり、現在稼行せる鉱脈は四十余にして、主要鉱物は含銀黄銅鉱、輝銅鉱にして、地表に近き部分は班銅鉱、炭酸銅鉱、硅酸銅鉱の如き二次成鉱物を産す。

採鉱

本鉱山の鉱床は既記の如く脈幅狭隘にして且つ存鉱不定なるを以て階段的抜掘とも称すべき折衷法を採用せり即ち主要坑道は高さ六尺幅四尺の加脊にて掘進し採鉱場は□押坑道より上部に向い鉱脈に沿うて鉱并を切上げ其両側に之を設くるを常例とせり。

製錬

製錬に於ける一ヶ年間の処理鉱量は約四百万貫にして其種別割合如左

[図表あり 省略]

斯の如く粉鉱の多量なるは鉱脈の性質上石英を混ずるを夥多にして之を淘汰精選するの必要上粉砕を余儀なくせらるるに因る、然れども尚お硅石饒多にして鉱石中の殆ど四割以上を占め鉄硫黄等の必要分子は比較的僅少にして含銅品位は平均一割弱なり。

労働者

男女労働者の員数、平均賃銀は左の如し(賃銀は厘を以て単位とす)

[図表あり 省略]

産額

最近一ヶ年の産額は左の如し

[図表あり 省略]

(四) 神岡鉱山(上)

払曉越中富山を発したる記者は其夜飛騨船津の一旗亭に客となりて十四里踏破の疲を休む。船津は神岡鉱山のある処にして其北方三里に跡津坑あり、それより二千二百五十尺にして土坑あり、それより西北に一里を距る東茂住の東面に増谷、持ヶ壁、鉛谷、天戸平、池ノ山、摺谷、清五郎谷等の坑口あり、高原川西方の山脚を洗い北流して越中に入り神通川となり日本海に注ぐ。

沿革

本鉱山発見の年代は詳ならず、口碑の伝うる所によれば養老年間宝の里より黄金を掘出して朝廷に献じたりと謂う、宝の里は今の高原郷の旧称なり天正年間越前大野の城主金森出雲守飛騨を戡定し金鉱を探りて本鉱山を得たり、元禄年間幕府の直轄となり、明治十九年三井氏の有に帰し、採鉱冶金に洋式を採り益々事業を拡張して今日に至る。

地質及鉱床

地質は太古大統の片麻岩系に属する岩盤にして片麻岩を主岩とし之に石灰岩、硅岩等を副層せり。鉱床は片麻岩系の地盤を母岩とし造成せられたる交代鉱床にして其形状に種々あれども概別して不定形の楕円柱状及鉱脈の二種となすとを得べし、就中楕円柱状鉱床は当鉱山に於ける主要の鉱源にして栃洞、東平、蛇腹、湊山、池ノ山の諸坑皆之に属す。鉱脈として鉱床を形成せる者は東茂住及杉山の諸坑に就て見るを得るも鉱量極めて少量なり。鉱分は含銀方鉛鉱、硫化亜鉛鉱、黄銅鉱、炭酸鉛鉱、硫化鉄鉱、硫砒、鉄鉱、石英、石灰石、陽起石等にして、就中含銀鉛鉱及硫化亜鉛鉱を以て主産とす。

採鉱

本鉱山の鉱床は概ね峻嶺の絶頂に存在するを以て一面交通運搬等の困難ありと雖も竪坑の開鑿絶無なるを以て非常の利益あり、且つ其鉱床は不正規鉱床なるを以て先ず□入坑道を開鑿し鉱体に達し採鉱に着手す、採掘は正規鉱脈にありては仰掘階段法を用い、不正規鉱床は長壁法を併せ用ゆ。

(四) 神岡鉱山(下)

製錬

鹿間及び上平製鉱所より送り来る鉛精鉱は反射炉又は鍋焼壺を以て焙焼し焼鉱は酸化鉱、緩鉄、鉱鉄屑、石灰石等を調合して鎔鉱炉に装入し熔解して粗鉛、□及緩の三種を産す、粗鉛は流鉛炉にて渣を絞除し含銀粗鉛として柔鉛炉に送り熾熱の下に風を送りて砒□等の害物を酸化せしめ、密陀と共に炉外に流出せしむ熔鉱炉産出の□は粉砕して鍋焼法にて焙焼したる後ち再び熔鉱炉に装入し二番□として真吹床に送り鉛を加え南蛮床にて含銀鉛を絞り取り粗銅を産出す、鎔鉱炉より産出する緩の一部分は熔解剤として使用し他は緩置所に堆積す、柔鉛炉より出ずる鉛はパークス鍋に送りて亜鉛を加え銀分を吸収せしめ亜鉛スカムとして掬い取り、鉛は更に精鉛炉に移し過剰の亜鉛を除去したる後ち精製鉛として輸出すパークス鍋産の亜鉛スカムはモルガン式の蒸溜炉にて亜鉛を蒸溜し貴鉛は英式分銀炉に装入して鉛を酸化せしめ炉外に排出し粗銀は鉄棒に附着せしめて取出し、黒鉛坩堝中に入れて精製し鋳型に移して精銀と為す

交通

本鉱山に於て最も困難にして最も注意を要するは交通運搬の方法設備にして、就中坑外の設備なるが、多くは軌道及架空索道に拠る、索道延長四万九千七百九十三尺也。

労働者

労働者の種別、員数、平均賃銀は左の如し(賃銀は厘を以て単位とす)

[図表あり 省略]

産額

最近一ヶ年の産額は左の如し(数量の単位は金銀は千匁銅鉛は千斤とす)

[図表あり 省略]

本鉱山の重要鉱場は栃洞坑なるが其採鉱量は一ヶ月百万貫に過ぎざるを以て第二通洞開鑿を必要とし、明治四十一年今の最低坑道たる通洞以下更に約七百八十尺を降し、現在の通洞と鹿間製錬所との中央の高さを卜し、工事を開始せしが、該坑口より西東五千尺にして現通洞が遭遇し居る鉱床に達すべく、落成の暁は採鉱上絶大の利便を見るをなるべし。

(五) 別子銅山

某月某日新居浜より鉄道に便乗して端出場に到る。鉄道は別子銅山の私設に係り山下鉄道と称す。専ら鉱業用に供せらる橋出場にて下車し、徒歩阪路を攀づると二里余にして復ま鉄路の通ずるを見る。角石原を過ぐるを十余町にして採鉱場に達す。

沿革

本鉱山は元禄三年住友吉左衛門氏の発見する所にして其翌四年四月始めて採鉱に着手す。当時北背に立川坑と称する銅山あり、寛永年間の創始に係り大阪屋某の稼行する所なりき元禄八年に至り偶然にも両坑貫通し茲に始めて両坑同一の鉱層たるとを知りたるを機とし立川坑を譲り受け、併有稼行するに至り、連綿今日に及べり。

地質及鉱床

地質は太古紀の結昌片岩系に属し鉱床に接して、石英片岩絹雲母片岩及び緑泥片岩あり、此外附近に最も多きは石墨片岩及び紅廉片岩なり鉱床の上磐を破りて噴出せる蛇紋岩数ヶ所にあり、上磐三千尺には角閃岩の大露出あり、之に接して片麻岩及び緑榴岩あり、鉱床は上記の岩層中に介在して走向斜傾共に岩層に一致せり、鉱石の組織及び含銅により之を大別して(一)塊状含銅硫鉄鉱(二)縞状含銅硫化鉄鉱(三)富銅鉱となすとを得べし。

採鉱

階段堀にして専ら手鑿とし、坑道開鑿はライナー、シュラム、ハンマー形等の鑿岩機を使用す、坑夫は主として容積請負、負夫は重量請負にして出来高に依り賃金を支払う、八番坑道以上の坑水は水路又は樋に依り、同坑道準以下は主としてシンキング形喞筒にて同坑道に排揚し第三通洞を通じて水路に依り海中に放出す。

製煉

製煉所は新居浜の北方九哩半なる瀬戸内海中の四阪島に在り其鎔製煉には目下焼鉱吹及生鉱吹の二法を併す焼鉱は厩炉内に於てし、厩炉より発生する所の煙は海面上の高さ三百五十七尺の一号煙突に導き空中高く海面上に放散せしむ、精銅の品位は含銅百分の九十九、七より九十九、九に至り平均九十九、七五あり、特に真鍮の材料として一種卓越せる美色を呈するを以て声ゆ。

労働者

労働者の種別、員数及平均賃銀は左の如し(賃銀単位は厘なり)

[図表あり 省略]

産額

最近調査に係る産出額は精鉱五千四百四十五万貫、精銅一千九十三万五千斤其価格三百六十四万八千円也。

(六) 生野銀山

某月某日、播但線生野停車場に下車、東すると十町にして一大製錬場に達す、即ち是れ生野銀山の製錬場にして太盛坑の南麓なり。本鉱山の鉱区は太盛、金香瀬若林、神児畑、明延、大竪の六坑に別れ居り、生野銀山は実に其総称也。

沿革

本鉱山は国中最も古き鉱山の一にして口碑の伝う所によれば其発見は大同年間に在り、然れども採鉱法の稍備はり、事業の見るべき者あるに至りしは天文十一年以降とす、慶長元和の交幕府の直轄稼行に帰し幾多の消長を経て、明治元年十二月官有となり、後ち宮内省の所管となり、二十九年岩崎氏の有に帰す。

鉱床

太盛坑の鉱床は含金銀砂金鉄鉱脈粒状安山岩及び第三紀灰岩中に存在す、主脈を本□と称し東西に走向す、実に生野銀山の大宗なり、金香瀬坑の石英粗面岩は第三紀の凝灰岩及び粘板岩を貫き噴出せり、金銀鉱脈及び銀銅鉱脈は之を母岩として生成す、若林鉱は含銀銅鉛鉱を産し、神児畑坑の母岩は閃緑岩にして加盛及び秀盛の両脈は渓流を隔てて東西に走向す。明延坑は古生層の粘板岩中の含銀銅鉱脈なり、大竪坑の鉱脈は中生層に属する泥板岩にして南北に走向し西方に傾斜す。

採鉱

坑道の一側又は両側より上向又は下向階段法を以て採掘し、其跡を捨石を以て充填す、採鉱せる粗鉱は鉱車に入れ上鉱は特に叺入とし軌道或は巻揚機により直に坑外に搬出す。

製錬

品位優良の金銀銅鉱は大さ三粍以上の者は其儘鎔鉱製錬に付し、三粍以下の者は焼結法にて燬焼し硫酸滓、石灰石等の溶解剤を混じて鎔鉱精錬に付して金銀を銅□中に抽収す。□は溶融の儘真吹に送り含金銀粗銅を作り大阪製錬所に於て電気製錬に付す。

労働者

労働者の種別、員数、平均賃銀(単位は厘)は左の如し

[図表あり 省略]

産額

最近調査に係る一ヶ年の産額は左の如し

[図表あり 省略]

右の外、鉱石の儘にて販売したる売上高八万二千二百五十八円を算せるが故に其の総産額は実に百三十九万三千三百十八円也。

(七) 帯江鉱山

山陽線倉敷駅にて下車、東するを一里にして一阜丘に達す、即ち是れ帯江鉱山にして阪本氏の銭嚢なり。二十四年其有に帰す。

鉱床

地質は古生記変質粘板岩にして石英斑岩脈処々に顕出す、鉱床は裂罅填充の黄鉄銅鉱脈なり。

採鉱

鉱脈は鳥羽、猿曳、金堀、金才、田中の五条にして各脈に竪坑及び横坑道を設け走向及び下底に向て採鉱しつつあり。

製錬

製錬所は児島湾外の犬島に在り、先ず生鉱に適宜の硫化鉄鉱、石灰石及硫酸滓其他第三期より生ずる緩を調和して骸炭と共に鎔鉱炉に装入して之を処理し、然る後ち生□を仮焼し、焼□を再び鎔鉱炉に装入し緩と稠密費の二種を鎔別せしめ、稠密□を真吹に付す。

労働者

労働者の種別、員数平均賃銀は左の如し(単位は厘を以て単位とす)

[図表あり 省略]

産額

最近の調査に係る一ヶ年の産額は精銅百四十二万四千九百六斤価格四十五万一千八百円を算せり。

(八) 花岡鉱山

小阪鉱山の途次、奥羽線大舘駅より雪橇を飛ばして花岡鉱山に向う、雪泥一里、三基の煙突濛々として黒鉛を吐く処即ち花岡鉱山なり。

沿革

明治の初年一農民の発見に係り、田口氏等経営の下に銀を製錬し、最初は銀山たりしが、其後石田某の有に帰し硫化鉄鉱を採掘し、椿鉱山に運搬して其製錬に供したるが、明治四十年品位良好の銅鉱を産するに至り某は之を小阪に売鉱して巨利を薄せり。某の死後現鉱主小林氏の有に帰し製錬を開始して旭日昇天の勢あり、久原氏の日立鉱山と共に東北に於ける新進多望の鉱山を以て推称せらるるに至れり

地質及鉱床

鉱山一帯の地質は第三紀層にして鉱床は凝灰石と安山岩との間に胚胎せる大鉱塊にして現に目撃し得る所は幅六十尺乃至百二十尺長さ五百尺也、近時探鉱の結果、尚お北方数百尺に走向せるとを発見し、前途に望みを嘱されつつあり。

採鉱

現在の採鉱法は一坑道より六坑道までは階段的に坑道を設けて採掘す鉱石は竪坑より電気捲揚機にて坑外に搬出し殆んど選鉱を要せずして製錬場に運搬せらる、坑内には電気喞筒二台を据付け排水に供せり。鉱石は他の鉱山の如く□□ならざるを以て一人一日一千貫を採取するとを得と云う。

製錬

東北地方の鉱山は硅石鉱多くして砿化鉱乏しき為め製錬上に困難を来すを例とせるが、独本鉱山は砿化鉱多くして自熔製錬法には最も適当なる鉱質なるを以て燃料の如き僅に三%以内にして足る、故に製煉費は他山よりも廉なり。熔鉱炉三坐、焼結炉四個、真吹炉八坐にて、一日三万貫乃至五万貫の精鉱を処理す。炉の能率意外に良好なるを以て更に焼結炉三個真吹炉八座の増設を急ぎつつあり。原動機は二百八十八万馬力サクション瓦斯発動機にて送風機及び発電機を運搬せしむ

運搬

大舘花岡間は馬車の便あるも専用軽便鉄道を敷設し物質及び各地支山の鉱石運搬に供すべく近日工事に着手すと云う。

労働者

種別、員数、平均賃銀は左の如し(賃銀単位は厘とす)

[図表あり 省略]

産額

最近調査に係る一ヶ年の産出額は金七百十三匁、銀五十七貫四百三十二匁、銅十三万四千五百斤此の価格五万九千余円にして近く焼結炉等完成の上は著しく産額を増加し其価格八万円を下らざるべしと。

(九) 日立銅山

常盤線助川駅にて下車、更に車を傭うて二里の嶮阪を行る、宮田川の上流なり。往昔は佐竹藩の稼行に属したるが、文久元治の交、大塚某水戸藩の許可を得て採掘し荒銅を得たれども幕末の騒擾に会し休山す、明治三十二年赤沢某採掘特許を受けて再興し赤沢銅山と称せり、同三十八年久原氏の有に帰し、現称に改む、爾来十余年、異数の発達を遂げたりと伝えらる。

地質鉱床

本鉱山一帯の地は所謂阿武隈高原の南端に方れる秩父古生層に属し、角閃片岩、千枚岩、絹雲母片岩及石灰岩の数種より成る、鉱床は角閃片岩中に介在する含金銀銅硫化鉄鉱層にして其分布極めて広く幅員五百尺延長五千尺の間に多数の並行鉱層を成す。

採鉱

現在に於ける採鉱区域は第三中盛、神峰、及本坑にして五十尺又百尺毎に横坑道を開鑿し各坑道は正立又は斜竪坑に依り連絡す。採掘法は専ら仰掘階段法に依り人力及び鑿岩機を用ゆ。

製錬

鉱石の溶解は自鎔法に依り製銅にはベセマー式練銅法を採用す。

運搬

製錬場と助川駅との連絡機関として、即ち買入鉱石其他各種需製品運搬の為め電気鉄道を専用す。延長七哩十八鎖也、其他製錬場採鉱場間の鉱石の運搬には鉄索を用い居れり。

労働者

種別、員数、平均賃銀は左の如し(賃銀は厘を単位とす)

[図表あり 省略]

産額

最近調査に係る一ヶ年の産出数量は金十万五千三百八十匁、銀二百二十四万二千六百八十四匁、銅八百五万九千十三斤にして、其価格は金五十一万九千二百十二円、銀二十八万八千百八十五円、銅二百四十万一千三百四十四円、計三百二十万八千七百四十一円也。

(十) 仙人鉄山

奥州線黒沢尻駅にて□鉄に乗換え駛走するを五里、仙人山に着く、此の間道路概ね平坦なり。本鉄山発見の時代は詳ならず、明治の初年小野組にて企業せしも成果を見ずして放棄し、爾後二三の所有者を代え、明治二十八年雨宮氏の有に帰す二十九年諸般の施設に着手し、三十三年製錬試験を行い、三十四年工事完成製錬を開始し以て今日に至れり

地質鉱床

本鉱山の地層を構成する基岩は古生期に属する石灰岩、花崗岩及び片麻岩より成り、石灰岩は多く上層に敷亘す、鉄鉱床は概ね石灰岩及花崗岩中に挿入して不定形の塊状をなし或は数尺に過ざるあり、或は数十尺に及ぶ者ありて延長幅員を定むるを能わず。銅鉱床は不定にして鉄鉱床の在所稀に伴髄す

採鉱

鉄鉱は露天掘と坑道掘とを兼行し、銅鉱は階段採掘に依れり。露天掘は階段法に依るも現状の地勢に依り大さ一定せず、坑道採掘は残柱法に依り掘達し、開鑿には機械を用いず。

製錬

十二噸高炉一基、六噸高炉一基を有す、共に木炭吹なり、原料及燃料を混合して炉頂より投入し炉内より散出する廃棄瓦斯を利用して暖風炉に於て風を熱し高炉の下方羽口より四百度以上の熱風を送入す、一昼夜鎔銑を出すを六回、鉱滓は一時間毎に後方滓口より排出す、製錬用として直立鉄管式熱風炉二基、□筒横臥式鼓風機二筒を有せり。

労働者

種別、員数、平均賃銀は左の如し(賃銀は厘を以て単位とす)

[図表あり 省略]

産額

最近調査に係る一ヶ年の産額は製品鉄二千百九十仏噸八万八千九百四十円、銅十一万八千八百八十一斤三万五千九百七十円なるが他に販売したる鉄鉱百二仏噸一千円を計上する時は総価格十二万五千九百十円也。



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