新聞記事文庫 護謨工業(04-069)
時事新報 1935.5.15-1935.5.23(昭和10)


ゴルフボール通俗商品知識 (1・2・3・4・5・6・7・終)


(1)

ゴルファー

クラブの一撃と共に、白球がコバルト色の空にカーンとこだまして、スーッと快い線を描いて飛んで行く、もうこれだけで少し位の心の憂さやムシャクシャは消し飛んでしまう、それが何万坪という広大な土地で、しかも身軽ないでたちでこれをやろうと云うのだからゴルフなるもの、一度味を覚えたら、もう病みつきである、そこでゴルファーの数の増え方も実に大したもの、殊にここ両三年の激増ぶりは全く驚嘆に値する
現在日本内地及び朝鮮まで併せて、リンクスの数は正式のカントリークラブ、パブリックコース、練習場等を入れて約六十、クラブ正会員が二万五千人、その他パブリックコースを利用したり、正会員の紹介で正式のクラブで打っているゴルファーまでを数えると、まず五万人は下らないだろうと云われる、そして今後ともその数はますます増加するばかりである

ボールの需要激増

斯くゴルフがメッキリ発達普及した今日之が消耗品である所のゴルフボールの需要も之に伴って激増している、ゴルファーを三万人と押え、一人当り一ヶ月に半ダースのボールを消費するとすれば、優に一ヶ月一万五千ダースのボールが消し飛んでしまう訳だ、随分練習用に安いボールを使っているゴルファーもいるから、その価格を内輪に見積ってダース当り十円とみれば、月に十五万円がフッ飛ぶこれは年額百八十万円の消費である

情ない国産ボール

かくも多くの需要を有し、然も将来その需要は益々増えようとしているこのゴルフボールは、現在殆ど舶来品によって供給されている実情にある、国産ボールが市場で獲得している勢力は全くお話にならない、併し国産ボールの勢力も漸次擡頭して来るし、一方製造家側もその普及発達には血みどろな努力を払っている、その結果わがゴルフボールの製造も漸く研究時代を脱して、軌道へ乗って来た形である、商品としての国産ゴルフボールの生命はこれからにある訳だ。

何故舶来に押れる

わが国でゴルフボールを始めて造ったのは昭和六年中である、その後早や四年間を経過しその間手先が器用で模倣の上手な日本人が熱心に研究しているに拘らず国産ゴルフボールは未だに舶来品に圧迫されるその理由は云うまでも無く舶来品に比して品質が劣っているからである、つまり製造技術が進歩しないからである、だが更にその原因を究むれば、製造技術が非常にむずかしいと云うことと製造家が何れも少い資本で経営しているからだ、かなり優秀なボールを製造している所でも『まだまだ研究時代です』と本当の所を語っている又『研究に十万円位を費すのは僅かの間です』とこぼしている
英、米のボール製造各社が何れも極端な秘密主義を取っていて不用になった機械すら、世間へ出すのを恐れている、これは技術を外部へ洩らさない為めであるが、これでは如何に日本人でも真似のしようがない、又製造家に資本の少いことは、研究費が充分出せないことばかりでなく換金関係から不完全なボールを市場へ出して、初期に於ける国産品の声価に大きな痛手を与えている

使手にも罪がある

併し国産ボールが市場で受けない理由は−敢て責任呼ばわりする訳ではないが−一面ゴルファーにも、罪があると云うのは元来ゴルファーは全部と云っても良い位、暮し向きの裕福な人ばかりである、従って少し位安いからと云って、なかなか国産ボールには振り向こうとしない、いや舶来ボールを使用しているのをむしろ誇りとさえしている
更に今一つはゴルファー同士がお互に賭けごと…一寸失礼な言葉だが…をする、この場合相互のやり取りの対象となるものは、ボールだけしか許されないことになっている、ところがそのボールは一流の品でなくては承知しない−誰しも初めから負けるつもりでかけないからどうせ勝って貰うボールなら一流ボールに限るという訳である
だが、この方面に需要されるボール数もなかなか馬鹿にならないこれが国産に換えらるれば、それこそ国産ボールにとっては大儲けである(つづく)

(2)

種類と名称

現在市場に出廻っているゴルフボールの種類は舶来、国産(これは僅かだが)取り交ぜ実に三十種に及んでいる、まず舶来の高級品ではスポルディング、ダンロップ、ノースイースト、シルバーキング等で、それから稍下ってウイルコックス、ユー・エス・ローヤル、コロネル、ブロンフォード、ウイルソン、グレイグース、フォアフォア、ハリケン、ホールハイ等があり、そしてこれらの二等品ボールがそれぞれ別な名称で出ている、次に国産では、ファーイースト、富士、ヴィクトリー、プラス・ワン・オン、マルビシ等でそれに近く市販されようとしているB・Sタイヤのスタンダードがある−尚おボールの製造業者に就いては後に述べる−

世界的サイズ

さて、この辺でゴルフボールの生立ちに就いて一寸述べて見よう、=それはやがてゴルフそのものの生立ちででもあるが=ゴルフの本場は勿論イギリスである、非常に古いゲームで、その古さを云えばジェームス一世(一五六六−一六二五年)の時代に既にゴルフに就いての法令が有ったと云うから、それよりも以前に始められたものに相違ない、その後一七五四年の初め、イギリスで二十二人の紳士貴族が従来スコットランドで行われていたゲームの規則を成文化し同時にローヤル エンド エンシエント ゴルフ クラブなるものを組織している、之がゴルフクラブの起りであり、この成文化された規則が今日までも用いられ、世界的権威となっている、そしてボールの規格もこの時に確然と定められている、それに依るとボール一個の重さは一・六二オンス以内大いさは直径一・六二吋以上となっている、その後一九三一年にアメリカでボールの大いさを直径一・六八吋に改めたがこれはアメリカサイズと云われアメリカだけしか用いられず、又アメリカ人とイギリス人とマッチする時は矢張り本格的に世界的サイズのボールを使用されている、このアメリカサイズのボールは二、三年前日本へも多少来たことがあるが今では用いられていない

ボール芯の発達

往時のボール製造にはまだゴムが知られていなかったので周囲をキッドで作り、中に鳥の羽根を一ぱいに詰めて堅くしたのであった、がその後ゴムが発見され、鳥の羽根に代ってゴムしんを入れるようになり、外皮のキッドもゴムとなって来た、それが更に進歩してゴムの蕊に代って中へドロドロの液体を入れるようになった、然しこれでは日が経つにつれて蕊が収縮しボールが飛ばなくなって終う、そこで化学が登場して蕊の改良が行われ液体は液体だが、収縮しない上に、日が経つにつれて、却って膨脹する現在のようなしんとなり外皮も亦、ガタパーチャーの如き新製品が発見されてこれが用いられることになったのである

我ゴルフの歴史

いささか、脱線の嫌いはあるが、この辺で日本に於けるゴルフゲームの歴史を一寸のぞいてみる
過る一九〇三年イギリス紳士のアーサーエッチ グルーム氏が神戸の六甲山に僅か四ホールではあるがコースを開いたことがある、これが柳々わが国に於けるゴルフの濫觴である、やがてこれは正規の十八ホールに改められ、神戸ゴルフクラブなるものが組織された、その後一九〇六年横浜在住外人によって東日本最初のコースが横浜の根岸に設けられたそして一九〇七年七月二十九日には我国最初のゴルフマッチが神戸、根岸の両クラブ間に行われたのであった降って一九一四年には東京ゴルフクラブのコースが駒沢に開かれた前の二クラブが外人によって出来ているに対し、これは日本人が主となって組織した最初のもので其意味に於て駒沢のコースこそ正にわがゴルフ史上に於けるエポックメイキングのものである、斯くして漸次普及発達したのである(つづく)

(3)

良否鑑別法

ゴルフボールの製造工程や材料に就いて説明する前に予めゴルフボールの良否の鑑別について述べる必要がある、さて良いボールと云えば、極めて常識的ではあるが
勿論まず第一によく飛ぶことである、そして更にクラブで打った刹那にカーンと大空にこだまする快い音をたてること、及び飛ぶ時に正しい弾道を辿ること等である、この正しい弾道は重心の正しいことから来るもので重心の狂ったボールは上昇するときには弾道を描くが、下降の場合に急直下してしまう
又その他に丈夫であることを良いボールの条件として要求されることは勿論である、以上をチトむずかしく云い表わすと弾力、触感、耐久力、耐務力、抗張力、摩擦抵抗力等の諸点に於いてよければよい程、高級ボールと云われる訳である

製造の工程

ゴルフボールの核芯部は、これをセンター(Centre)と呼ばれているが、この核芯はボール製造上最も神秘を蔵しているもので、各製造会社とも秘密にしている、併しドロドロの液体がゴムの袋によって包まれていることには変りない、この泥状の液体をゴム袋に注入するには、概ねエアーコンプレッサーで行われ、一定量を入れ終ると袋の口をくくる、そしてゴムテープで堅く巻き、丸さを一定させる、この時の球形の大いさは大体直径が三十粍から三十五粍までのものである
次にその上から糸ゴムを平均に巻きつける、この工程は殆ど機械で行われるが、その機械は絶対に内地で出来ない、そこで国産ボール業者は皆これが入手に非常な努力と経費を払う、英国で市場に出ている機械はかなり不完全である、各有名なゴルフボールの製造会社では各々独得の機械を考案して内外不出としているから入手の困難さも無理からぬことである、機械で巻くとボール一個が約一分半から二分間で出来るが若し女工に手でやらせると一日に僅か二個位しか出来ない
そして野球ボールの糸まきに熟練している職工がやってすら一個の巻き上げには正味たっぷり一時間を要する、これは糸ゴムを平均に伸ばしきった、その儘で巻かなくてはならないからである、糸ゴムの巻き方は機械によって放射状□しているのと無軌道式のとある

ゴムの材質

さて製造上問題になるのは巻きつけるゴムテープ及び糸ゴムの材質である、これが単なるゴムでよいものなら、わがゴルフボール製造工業はかなり以前に確立している筈である、然らばどの点が問題かと云うと普通のゴムは八倍までは伸びるが、それ以上は伸びない
ところがゴルフボールには最低十三倍から二十倍位まで伸びるゴムでなくてはならないからである、つまりこれは伸張力の大きいものを充分な伸張を持たせたままで、回数多く捲けば巻く程、良く飛ぶと云う自然の法則を無視するわけに行かないからである又これがゴルフボールに第一の生命を与えるからである
そこで国産業者は皆従来からこの特殊なゴムを造るために努力し未だにその努力を続けている、そしてこの特殊なゴムを作るには優良なゴムに南米特産のバラタ(Balata)と云う樹脂を適当に混じてやれば良いと云われている

最後の検査

次は別にガッタパーチャ(Gutta−Percha)と云う南洋特産のゴム様の物質でキャップを造って置きこれを蒸気圧に依って糸ゴムで巻き上げられた核芯に圧接するのであるこれと同時にボールの表面のディンプル(Dimple)やメッシュ(Mesh)などの型を付ける、このガッタパーチャの圧接したのをカヴァー或は外皮と云っているが、これ亦製造家泣かせの難物であるそれからカヴァーのはみ出しを切整して乾燥させ塗装室へ送るここで噴霧器にかけてペイントされる、これを更に乾燥させてマークを付け仕上吹きを行うとそれでゴルフボールが出来上るのである
この間、それぞれの試験機へかけて重、大きさ、重量心の検査を行われることは云うまでもない、尚最近重心の検査はレントゲンで行われるようになった、そして検査で落ちたものは二等品とか、更にそれ以下の等級の商品となるのである(つづく)

(4)

カヴァー

ゴルフボールのカヴァーがガッタパーチャであることは現在でこそ、一般に知られているが、その以前は全く見当がつかなかったものである
然しボール製造にガッタパーチャは絶対的に必要なもので、若しもこれ無かりせば、今日の如きゴルフの発達はみられまいとまで云われている、何故かならば、ガッタパーチャはゴムに比して比重が重く硬くて容易に伸びない、そして圧迫、打撃、引裂等に対する抵抗力はゴムの遠く及ばないところ、又強力もゴムは精々一平方インチの切断面に就いて二百封度位までであるが、市販されているガッタでもこの十倍以上即ち二千から三千封度の強力を持ち、精製したものになると七千から一万封度位のもある
そして皮革に比しても優に二倍の強力はある、これあればこそボールを打つと刹那にカーンと云う快い音も立てるし、丈夫でもあるわけでボールの外皮として代替物を許されないのである

精製は困難

ガッタパーチャは現在海底電線のパッキングや歯科医の充填用に使用されているが、これは南洋に限られて産する一種の喬木の樹汁の凝固したものである馬来半島の南部、スマトラ、ボルネオ、ジャワ、バンカの諸島がその産地であるが、その主要成分は炭化水素である、ところが又この精製は非常に困難なもので前回に述べたように業者にとっては大きな難物なのである精製したガッタパーチャは一封度二十円位する、だから、ゴルフボールのコス□をみるとガッタパーチャ代が約五割五分を占め、次に糸ゴム代が二割、ペイント一割、センター五分、工賃一割となっている

工場の悩み

又いくらボールを打っても剥げないようなペイントを得ることも製造業者の大きな悩みである、現在、内地で製造している何処の工場でも、これにはかなり参っていると見えてどの製造家も一応は凡ゆる塗料会社とわたりをつけている位だ、事実、塗装されたペイントが剥げたり亀裂が入ったりするボールは、ゴルファーにとってはこの上も無く不愉快なものだし、又舶来品は恐らく剥げると云ったことがない
製造には大部分機械で行われるがその間にいろいろと一寸したコツがある、だから機械が手に入り、ボールの原料の正体が判然と掴めたら、手先の器用な、そして労賃の比較的安いわが国では、相当安価に出来てもよいと思われる、併し何分にも原料が殆ど輸入品なので案外安くは出来ない
これが製造各工場の悩みである、ボールさえ今よりもズッと安くなれば、ゴルファーの数は愈々物凄い急速度をもって増加することは明白なことである

海外へ雄飛

ゴルフボールの製造を以て一概にゴム工業とは云いきれないかも知れないが、国産各工場では一様に口を揃えて『ゴム工業中これ程至難なものは無かろう』と悲鳴を挙げ、或る工場の如きは『後半は全く意地でやったもので、こうむずかしいと知ってたら手を出すのじゃなかった、何度投げ出そうと思ったかわからない』と真情を吐露している
併し僅かの間にゴムタイヤの自給自足を確立し、しかも輸出にまで進んだわがゴム工業の名誉の為めにも、ゴルフボール位は一日も早く海外へ雄飛せしめ度いと意気込まれている(つづく)

(5)

最初の製造

わが国で一番最初にゴルフボールの製造に手を染めたのは、現在数寄屋橋際にインドア ゴルフをやっているG・Uゴルフクラブの上田軍一氏である、それは昭和六年のことだと云われるから今年で足掛け五年になる、だが上田氏は今では全く製造から手を引いている、そして上田氏の系統のものは最近株式会社に改組した大崎の日本精工所が受継いでいる、舶来ボールを解剖するとゴルフボールの製造などは実に一見訳もないようにみえる、誰でも新規に始める人はこれに引っかかるのだがさていざ始めてみると工程こそ簡単だが、前述の如くどうしてもその原料がうまく出来ない、ボールの型は出来ても生きたボールに仕上らないのである
上田氏もかつて製造を開始するなり早速この難点に直面してしまった、そこで考えついたのがリカヴァー ボール即ち再生ボール若くはつぎはぎボールと称されるものの製造であった

再生ボール

このリカヴァー ボールと云うのは方々のリンクスに特約して置いた表面ペイントの剥げたボールやひびの入ったボールを買集め、表面を剥がし、丁度糸捲きが終ったまでの工程のボールとし、これにガッタパーチャを圧接しペイントを塗装して、如何にも芯から国産の如くみせかけで別なマークを入れて市場に出すものである、
だから日本のゴルフボール製造工業の濫觴はリカポァー ボールにあったと云い得る訳だ、

ボール紛失

リカヴァーに使用するボールは各リンクスに特約して置けば相当に纏まる、−と云うのは大ていのコースには池があって、ゲーム中この池の中に飛び込んだボールは殆どゴルファーは断念するからである、又試合中ボールが見えなくなった時キャディが五分間探しても見つからなければ、これをゴルファーは放棄しなくてはならないからである、だから若し一寸達者なキャディにかかれば屡々ボールは紛失するし、そのボールは何時かそのキャディから市中へ売られて行くのである

練習用の球

この古ボールが市場で売買されるのが一個七、八銭から十一、二銭である、これがリカヴァーされて市場へ出ると五、六十銭になっている、いくらガッタパーチャが高価でも一寸儲かるボロイ商売である、併し完全にリカヴァーされるのは古ボール千個中四、五百個位なものだそうである、この節では一寸表面にきずのあるボールには、その儘各練習場で一個三十銭から五十銭見当で販売している、
このリカヴァー ボールも今ではリカヴァー ボールとして最初から練習□用ボールとして価格を引下げて売っているのだから、別に不正でも何でもなく、独立した一つて製造業であることは勿論である(つづく)

(6)

製造の動機

上田氏に次いでゴルフボールの製造に乗出したのは浅草の谷工業所である、それは昭和六年末のことだが谷工業は元来野球ボールを製造している店−同店の主人谷鉄二郎氏が野球ボールを銀座の新田恭一氏の店へ納めに行った時、新田氏からこれから有望なのは野球ボールよりもゴルフボールであろうと聞かされたのがその製造に乗出す動機となっている、その帰る途中で早速舶来ボールを数個求めて、直ちに解剖したものだと云う、そして何だこれしきのものかとばかり製造にとりかかったのだが
さて実際にやってみると研究すればする程、困難な問題に到達し苦心惨憺、稍自信のある製品が出来るようになったのは昭和八年の秋、そして翌九年の三月からワン オンと銘打って売出したのである、最もこの間リカヴァ ボールの方は先に成功して市場へ出していた

輸出向きに

谷工業はその後も不断の研究を続けてワン オンを更に改良しプラス ワン オンと改名し美津濃運動具店を主に、その他直接三井信託や住友などの消費者へ、それぞれMitsui,Sumitomoのマークを入れて売り出している、そして輸出向けの品は「サンタニー」のマークで将来大いに飛躍すべく目下英文カタログを製作中である
同所ではテープと糸ゴムはアメリカから優秀品を輸入し、他は全部自給している、それだけに生産費も余り安くはつかない、糸巻き機械は同所が凡ゆる手づるを辿って昨年漸くロンドンでノース ブリティッシュ社型のものを手に入れ、昨秋入荷した現在日産は十五打だが、フルには操業していない

日三商会は

谷工業と殆ど同時位にゴルフボールの研究に着手したのは、現在「ファー イースト」の名で売り出している日三商会である、ファーイー ストは三井物産玉造船所の技師前田英一氏が、その職務の余暇を利用して研究しはじめたのが最初で昭和七年の暮には、まずボールの形だけは完成した
その後ますます困難な問難に逢着したが、兎に角これを突破して昨年から製品を市場に出すようになり、五月からはいよいよ月産三百打という積極的な生産計画を建てることになっているファー イーストの工場は玉造船の近くの宇野にある、同所では原料ゴムから機械まで一切前田氏独自の研究によって創作されたものである、日三商会はあくまで外国品防遏を目標に置き内地市場の獲得に力を注ぎ、現在の販売方法は各リンクスへ委託の形式を採っている

日本精工所

BSタイヤがまだ正式にゴルフボールを市販しない今日、日本精工所はわがゴルフボール メーカーとしては唯一の株式組織の会社である、と云っても本年三月二十六日に株式に改組したてのホヤホヤで資本金も十万円だが、兎に角ゴルフボール製作を専門に狙って株式会社としたのだから痛快事である
同社はその前身を東京ゴム工業所と呼び、昭和八年に副業としてリカヴァーボールの製造を開始したのが動機である、その後純国産化を計画したが、ここも亦御多聞に洩れず非常に苦心したものである、同社のボールは京都帝大化学研究所の研究が基礎になっていてその上に同社上林社長の実験と、舶来ボールのさぐりを加味して出来たものでその間約二ヶ年、現在同社の製品はヴィクトリー、富士、ハイペック、シルヴァーサン、スペシアルの五段階に別けて売出している

海外市場へ

同社では内地市場の獲得よりもむしろ海外市場への進出を目標としており近く別個に資本金十万円を以て日精製品販売株式会社と云う販売会社を設立する予定である糸巻き機械は非常に苦心してイギリスのスポルディング社と同型のものを購入し、これは去年の九月に漸く入荷したのである(つづく)
お断り 前回に日本精工所が上田軍一氏と関係あると記した点につき、日本精工所から全然無関係なる旨申出あり、右訂正致します

(7)

BSタイヤ

国産ゴルフボールのメーカーは以上述べたものの他に銀座の新田運動具店とタイアップしてマルビシ(丸菱)と云うボールを製作市販している滝野川の桑沢ゴムがある、併しまだ同所は諸種の点で本格的な軌道には乗っていない
ところが、目下ゴルフボールメーカー間に非常な衝動を与えているものがある、それはB・Sタイヤの進出である、何しろB・Sタイヤは他のメーカーとは比較にならぬほどの巨資を擁していることだし、ゴム工業としては地下足袋に初まって靴に行き遂にタイヤにまで成功し、これを海外にまで輸出している程の権威であるから、他のメーカーがB・Sの乗り出しで一寸たじろいだのも無理はない

英国で研究

B・Sタイヤがゴルフボールに着目したのは丁度一昨年即ち昭和八年である、それから早速一技師をこれが研究の為めイギリスへ派遣した、その技師は手蔓を求めて漸くのことでハーレーキンと云うボール製作会社へ入ることが出来た、氏は約二ヶ月間と云うもの、それこそムキになって研究した、併しなかなかかんどころとなると先方も警戒して充分な研究は許さなかったそうである、だが兎に角一応の理論と技術とを修得して帰朝し、それからいよいよ実験室に閉じ籠って研究を続けた、そして本年に入って漸くこれを完成した
目下同社ではスタンダードのマークのもとにその試作品を見本品として直接ゴルファーに提供し、その反響を慎重に研究しているが、これで自信を得ればいよいよ本格的に市販しようと意気込んでいる

利益度外視

同社の幹部は『当分の間はこのボールで儲けようなどと考えていない、これで少しでも外国品を圧迫し得ることが出来ればそれで本望だ』と豪語している、兎に角大資本が表面的にもせよ利益を度外視してボールの製作に乗出して来たことは頼もしき限りである、尚同社の糸巻き機械は十万円近くの多額の金を出してロンドンから購入したものだと云われている

製作者増加

更にボール製作界進出を虎視眈眈として狙い、目下頻りと研究に従事しているものに極東ダンロップゴム会社と神戸内外ゴムの技師長竹内惣七氏がある、竹内氏は大分以前から研究に着手しており、既にゴルフの雑誌等には屡々その製法技術や理論等を発表しているから、いざ製作開始となったら、これまた相当の期待は約束されよう
何れにもせよ、今日の如くゴルフゲームが著しく普及し、日一日とゴルファーの数が増加している折柄だから、今後ともボールのメーカーは恐らく急速度を以て増加して行くことであろう(つづく)

(終)

ゴルフボールは舶来品でも国産品でも概ね半ダース入りの箱に入れて取引されるがその取引の単位は一ダースである、尤も小売りはこの限りではないが、舶来の高級品スポルディングやノースブリティッシュは一ダースの小売相場が十九円内外国産の一等品はダース十三円から十四円である、小売商はこれを一ダース売ると少くとも二円位の利益はある、何しろ金がさがあがって、利益があり而かも客種が良いのだから、どこの運動具店でも取扱っている日本精工所が各方面のゴルファーへ宛てて予め約三百打ほど送附して置いて、あとで集金郵便で集金したところ、僅かに半ダース分が入金出来なかっただけだと云うから推して知るべしである、発売元と小売屋若くは特約店との取引には六十日から九十日の延勘定で決済されている
ゴルフボールの輸入税はモト奢侈税として十割課税であったが現在は三割五分の課税であるそして貿易商の手数料は五分が普通となっている
輸出の場合は、それぞれ先方の国によって異るが、重なところを挙げてみると次の如くである
濠洲は税率従価五割に附加税一割、蘭印は同二割、支那は同三割五分に附加税一割、満洲は従価一割二分五厘の附加税五分、アメリカは三割イギリスは一割の附加税一割五分ニュージーランドは四割の附加税三分、インドは五割、海峡植民地は無税
国産ボールも現在のところ内地では余り好評を博していないが、全然輸出が無い訳ではない、尤も本当のサンプル オーダーには過ぎないが、今迄日本精工所で扱った仕向地をみると次の如く広い範囲に及んでいる
濠洲、バグタッド、アメリカ、グワテマラ、インド、ベルジューム、キューバ、エジプト、バリー、ルーマニア、パラグアイウルグアイ、上海、大連、香港等国産ボールが品質的に今後大いに進歩すれば、何と云っても労銀安と云う好条件があり然もその上海外のゴルフ熱は内地とは全然問題にならない程旺盛なのだから、わがルゴフボール製造業は将来は輸出工業として飛躍する望みが多分にある訳だ
ゴルフボールもゴム製品の一つであるから、一年間も寝かして置いては全く品質が悪化してしまうよくボールの表面がクリーム色になっているのがあるが、これはゴムが酸化したためで、こうなったら飛力が全然失われてしまう、半年も経過するとややこの傾向が現われる、ボールが最も良いコンディションにあるのは、仕上げられてから三ヶ月後あたりであると云われている(この項終り)



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