新聞記事文庫 航空(6-142)
日本工業新聞 1941.9.20(昭和16)


太平洋制覇目指し伸びる”世界航空路”

躍進する”東亜航空圏”


きょう・航空記念日

世界戦は欧洲全土をして焦熱の坩堝と化すると共に今や世界全諸国を戦波に捲込まんとする、今次大戦の立体戦化は前大戦に比較し得ざるほどに進歩を遂げ洋の制覇から空の征覇時代を一段と深く認識せしめる、一八九七年は飛行機の発明された年であり、人類の文化史はここに新しい一頁を加えた、新しき空の歴史が半世紀を経過せる今日、欧洲戦と支那事変に依って第一次の破壊及び世界建設が行われつつある、世界の海洋を制してきた巨大海軍国大英国の崩壊−空の世紀に海の王国が破滅に瀕しつつある現状は全く必然的段階と云い得るであろう、新しき世界を建設するものは空を制するもの−この意味から枢軸国家群の航空工業は驚異的飛躍を遂げているものであり空を制する実力に依って世界再建設を実現せしめんとしているのである

今二十日は第二回の航空記念日!逓信省では全国主要都市で意義ある空の祭典を挙行し、全国民に対し航空再認識を呼掛けるが一方空の”殊勲甲”とも云うべき”航空有功章”を制定、空の推進力となった民間における功労者にこれを授与する、空こそ男の行く処であり世界の空を制するもの世界を制覇するものか−かかる意味合から世界再建と同時に世界における航空輸送事業を考察する場合まことに航空記念日は意義深い、勇武の空軍と整備された航空の目覚しき発展こそわが広域圏を保障するものである

世界航空輸送事業

航空輸送事業は一九一四−一九一八年の第一次世界大戦に依って生れた、第二次大戦は根本的な改新を航空事業に齎すであろう、ここに過去の発展過程を回顧し太平洋沿岸諸国に於ける航空現勢及び主要各国民間航空輸送事業を概括的に決算してみよう

太平洋を繞る航空網

満洲国

昭和七年三月一日満洲国の誕生をみるや満洲国情は一変、国家建設の重要部門たる民間航空の確立を促進せしめ同年九月二十六日満洲国政府は同国に於ける航空事業を独占的に経営せしむる目的をもって満洲航空株式会社が創立した、会社は日満合弁により資本金三千万円、旅客、貨物及郵便物の運送などをはじめ航空事業の発展に伴う凡ゆる事業を行っている、国都新京を中心として四方に幹線航空路を布きその幹線間を横に連絡する環状線或は之を起点する支線を以て巧に政治的中心地、産業要地との相互連絡を図っており満航路線の飛躍的発展は実に満洲国自体の発展を物語っている、支那事変勃発後における日満支三国間の緊密性に鑑み同会社は三国間を結ぶ国際航空路を設定、昭和十年十二月新京−□春線を清津に延長して満洲北鮮間の航空連絡を実施したが、昭和十二年六月満洲国政府は日本航空輸送株式会社機の国内乗入を許可したので東京−福岡−京城−奉天−新京線は中島AT機によって毎週一往復の即日連絡が行われかくて日満間の距離は著るしく短縮されるに至った
 これと同時に満洲航空株式会社は新京−京城間に定期航空を開設、同年十月から毎日一往復の運航を開始した、更に昭和十四年二月満航奉天−錦州−天津−北京線を開設、最近に於ては満蒙航空連絡協定の成立により昭和十五年七月から承徳−張家口−大同−厚和−包頭線及承徳−多倫−張家口線の航空路を開いたが前者は毎週二往復後者は毎日一往復の定期航空を行っている、而してかかる航空路をもっては日満間の緊密な連絡は不十分なりとの見地から昭和十六年三月十七日東京−新京直通航路(大日本航空会社)を開設、日満一体化を具現すべき強力な空の連絡路を完成をした、かくの如く満洲航空株式会社は国内航空路或は国際航空路に飛躍的発展を遂げ会社創立当時僅かに九九五粁の定期航路は一九四一年三月末現在に於ては左記の二十三線路延長一四、四一五粁に達した

国内航空路 航空路線
大連−佳木斯線 大連−奉天−新京−哈爾賓−佳木斯
奉天−大連線 奉天−相仁−通化−輯安−安東−大連
新京−中江鎮線 新京−通化−中江鎮
新京−●春線 新京−延吉−図們−●春
奉天−承徳線 奉天−錦州−承徳
新京−哈爾賓線 新京−牡丹江−哈爾賓
哈爾賓−冨錦線 哈爾賓−通河−依□−佳木斯−冨錦
牡丹江−冨錦線 牡丹江−半截河−密山−虎頭−同江−冨錦
佳木斯−冨錦線 佳木斯−宝清−冨錦
佳木斯−饒河線 佳木斯−羅北−冨錦−同江−饒河
佳木斯−密山線 佳木斯−宝清−密山
佳木斯−撫遠線 佳木斯−羅北−冨錦−同江−撫遠
新京−東寧線 新京−牡丹江−綏芬河−東寧
新京−承徳線 新京−通遼−開魯−林東−林西−承徳
哈爾賓−哈爾賓線 哈爾賓−北安鎮−孫呉−黒河−嫩江−哈爾賓
新京−満洲里線 新京−白城子−斉々哈爾−海拉爾−満洲里
佳木斯−黒河線 佳木斯−仏山−烏雲−孫呉−黒河
黒河−漠河線 黒河−鴎浦−漠河
国際航空路 航空路線
新京−京城線 新京−奉天−京城
奉天−北京線 奉天−錦州−北京
牡丹江−清津線 牡丹江−図門−清津
承徳−包頭線 承徳−張家口−大同−厚和−包頭
承徳−張家口線 承徳−多倫−張家口

支那

支那における定期航空は、中国航空公司(米支合弁)欧亜航空公司(独支合弁)西南航空公司(支那資本)恵通航空公司(日支合弁−後に中華航空会社)の四大資本に依って掌握され宛然支那を舞台として米、独、日の航空角逐戦を展開している、しかしながら支那事変は支那に於ける航空網を破壊すると同時に根本的再建設を行うべき一エポックとみられるものであり、支那航空事業の将来は実に今事変の本質的意義と相関聯するもので、反枢軸側の航空路は次第に苦境に陥りつつある
 中国航空公司は資本金一千万円、うち中国側五百五十万元、米国側四百五十万元の大航空会社で一九三七年支那事変勃発直前における同公司の経営線路は左の諸線であり総距離五、一二六粁を誇示していたのである

(1)上海−南京−九江−漢口−宜昌−重慶−成都線
(2)上海−海州(又は南京)−青島−天津−北京線
(3)上海−温州−廈門−汕頭−香港−広東線
(4)重慶−貴陽線

なお一九三六年十一月「パン・アメリカン・エアウェイズ」の太平洋横断線がマニラから香港へ延長されると共に同公司の上海−広東線を香港に寄航連絡せしめるに至ったが空のABCD線による攻撃は既に当時から胚胎しつつあったもので中国航空公司は完全に米系資本に牛耳られていたのである
 支那事変の拡大進展に伴い中国航空公司は必然的に経営縮小を余儀なくされたが、其の反面将政権の奥地遁走は同公司をして別途の対外航空路を開設せしめ一九三七年五月には昆明−河内間の定期航空を開始して「エール・フランス」線との連絡を確保、同年十月には緬甸をつなぐ重慶−昆明−「ラシオ」−蘭貢線に毎週一往復の定期航空を就航せしめ蘭貢に於ては「インペリアル・エアウェイズ」会社の英濠線と連絡するに至った、即ち同公司の航空路線は一九四〇年末現在大体左の四線となっている

(1)重慶−桂林−香港(毎週四往復)
(2)重慶−昆明−ラシオ−蘭貢(毎週一回)
(3)重慶−成都線(毎週二往復)
(4)重慶−昆明線(毎週一往復)

欧亜航空公司は資本金三百万元うち中国側二百万元独逸「ルフト・ハンザ」側百万元の出資により一九三〇年八月に設立をみた、支那事変直前に於ける同公司の経営路線は五線で総距離六、七六〇粁に達した、一九三七年七月支那事変の勃発は同公司の経営にも多大の影響を与え一九三八年十月漢口陥落と共に同公司の経営線も自ら重慶中心に転移し一九三九年九月第二次欧洲戦勃発前まで左の定期航空路線を経営していた

(1)蘭州−成都−昆明線
(2)重慶−昆明線
(3)重慶−桂林−香港線
(4)昆明−河内線

なおこの他に不定期船として(1)重慶−西安線(2)西安−哈密線(3)蘭州−凉州線(4)蘭州−寧夏線(5)西安−蘭州−西寧線(6)昆明−桂林線を運営していたが欧洲戦の勃発とともに同社は深刻なる打撃を受け一時は全線に亘り運航停止に陥った、而してこれが漸次復旧に努力した結果一九四〇年末に大体確実とみられている航空路は左の諸線で此の他に重慶−香港間の不定期業務をも経営している模様である

(1)重慶−成都−蘭州−□州−哈密線
(2)重慶−成都線
(3)昆明−成都−蘭州線

西南航空公司

西南航空公司は純粋の支那資本によっており広東、広西両省の官民に依り設立された公称資金百五十万元(三十万元払込)の会社で主として広東を中心とせる南支航空路を開設していた、支那事変勃発後同公司は帝国海軍の沿岸封鎖及広東爆撃に脅威を受け間もなく起点を広東より桂林に移し(1)桂林−都安−南寧−梧州−桂林(2)桂林−梧州−南寧−竜州−河内線の二線を経営してきたが同公司は目下全業務を休止している状態である
中華航空会社

在支外国資本による航空網に対抗するため中華航空株式会社の前身たる恵通航空公司は一九三六年十一月七日資本金四百五十万元(日支折半出資)の日支合弁会社として設立され専ら北支中心の航空路を開始したが中でも特に重要なる意義を有するものは一九三七年六月開通せる天津−大連線であり同線は大連に於て日本航空輸送会社大連−東京線と連絡、東京、天津間一日連絡を可能にしたのである、同公司は支那事変勃発に際し尠なからざる打撃を蒙ったが、この間皇軍との密接なる連繋にてわが作戦によつ多大の便宜をあたえた、同公司は昭和十三年十二月十七日資本金六百万円をもって日支合弁によって設立された中華航空会社に合併され新会社は更に昭和十四年九月二十一日資本金を五千万円に増額した、同社は設立以来短日月に拘らず目覚しい発展を遂げ其の路線総距離は八、八八〇粁に達し昭和十六年三月末現在に於ける経営路線は左の如きものがある

(1)北京−天津−済南−徐州−南京−上海線
(2)北京−天津−大連線
(3)北京−張家口−大同−厚和−包頭線
(4)北京−石門−彰徳−新郷−開封線
(5)北京−石門−太原線
(6)大連−青島−済南−北京線
(7)青島−上海線
(8)上海−南京−漢口線
(9)南京−安慶−九江−漢口線
(10)上海−台北−広東線
(11)青島−徐州−帰徳−開封線

名古屋の航空記念日

聖戦下第二回の航空日を迎え大日本飛行協会愛知支部では陸、海、逓信各省の協力を得て十九日豊橋公会堂における”航空日本の夕”を皮切りに二日間にわたって軍国の秋にふさわしい多彩の行事を実施するが名古屋市では二十日北練兵場において模型航空機競技大会、午後一時より国際飛行場に於て軍民飛行機参加の下に爆撃機空襲、空中戦闘、空地連絡等のペイゼントを行うほか、夜は市公会堂に航空日本の夕を催し講演映画、藤原義江の歌謡曲を催すが市電気局では当日の人出を予想して築地口および下一色線などに大増発を行うほか築地口から飛行場まで大型バスを臨時運転する

(二) 太平洋を繞る世界航空網の現勢


[図表あり 省略]

仏領印度支那

一九三三年仏国における航空輸送事業の統合の結果誕生をみた資本金一億二千万法の国策航空会社たる『エール・フランス』会社は一九三五年十一月河内−広東間の空路を開設し支那の西南航空公司、及び西安−昆明線の欧亜航空公司と連絡を遂げ他方英国のインペリアル・エアウェイズ会社、及び和蘭のKNILM会社が仏印乗入れを行い香港、蘭印−仏印間は直通連絡航空路が開設された、欧洲大戦後に於ける航空路の変遷には著るしものがあり欧亜公司の昆明−河内線は大戦勃発により運航を休止、仏国の極東線は昨年六月仏国の単独降伏以来又英国の香港線及中国航空公司の昆明−河内線は昨年九月日本軍仏印進駐以来運航を停止した、現在では仏印に於いて定期航空を行いつつあるのはKNILM会社のバタヴィアーパレンパン−新嘉坡−西貢線と「エールフランス」会社の西貢−河内間のローカル線を止めるのみである、かくの如く仏印に於ける在来航空路は全部運航停止に陥ったが、一九三九年十一月三十日日泰定期航空路設定に伴い仏印はわが日泰航空路の重要なる寄航地となり昨年七月十六日以来大日本航空会社は台北−河内−盤谷間に毎週一往復の定期航空を開始、同年十二月四日には更に台北−河内−ツーラン−西貢−盤谷線を開設したがかくて仏印はわが東亜共栄圏の一翼を担うに至ったと云うべきであろう

泰は亜細亜に於ける国際航空路の要衝とも云うべく欧洲諸国からの遠距離の国際航空は首都盤谷に縦横に交錯している
 一九二八年アムステルダム−バタヴィア間に定期空路を開始した和蘭KLM会社の蘭印線及一九三一年に拓かれた馬耳塞−西貢間のエール・フランス会社の極東線続いて一九三四年インペリアル・エアウェイズ会社(現在のブリティシュ・オーヴァシーズ・エアウェイズ会社)の英濠線、又同線から分岐し香港に至る香港線、更に今次欧洲戦勃発直前に開設された独逸「ルフト・ハンザ」会社の伯林−盤谷線等は凡べて盤谷を経由しており西は欧羅巴諸国、南は蘭印を経て濠洲に、又東に向っては香港を経て米国の太平洋横断航空路に連絡し遠く米国に通じ同国の国際航空交通上における地位は実に枢要なるものがある
これらの航空路は大戦勃発後その影響を蒙り休航若くは減航の止むなき運命に陥り現在就航中のものは僅に和蘭の蘭印線、英濠線のみとなったがこれとて毎週三往復を夫々一往復乃至二往復に減航している現状である、これに反しわが国は一九四〇年六月十一日台北−盤谷、同年十二月五日更に台北−河内−ツーラン−西貢−盤谷の二線の定期航空便を開始した

英領馬来

英領馬来は国際航空の見地から極めて重要なる地位を占めており一九二八年和蘭KLM会社のアムステルダム−バタヴィア線は彼南、新嘉坡に寄航し更に蘭印KNILM会社は一九三〇年バタヴィア−新嘉坡線を開設、一九三三年英国のインペリアル・エアウェイズ会社は印度大陸横断航空会社と協力して倫敦−新嘉坡線を開通せしめ翌三四年にはその姉妹会社である濠洲のクワンタス・エンパイア・エアウェイズ会社は同線を延長して新嘉坡よりシドニーに至る航空路を開設、更に其後蘭印KNILM会社はバタヴィア−新嘉坡線を開設して空路をスマトラのメタンと仏印の西貢に延長するに至った、かくて新嘉坡は盤谷と共に東亜における国際航空路の二大要衝たるの地位を占むるに至った(続く)

(三) 太平洋を繞る世界航空網の現勢

比律賓

比律賓諸島における航空輸送事業は萎微の一途を辿り現在イロイロ・ネグロス会社のみが貧弱なる業務を続けているばかりであるがこれに反し米国の極東航空基地としての同島は頗る重要視される、米国桑港−ホノルル−ミッドウェイ−ウエークーグアムを経てマニラに寄航し香港に至るパン・アメリカン・エアウェイズ会社の太平洋横線はマニラで比島の国内航空路と連絡する、然るに米国は南太平洋における英米合作を緊密化すると共に他方蘭印との提携を策動して、パン・アメリカン・エアウェイズ会社はその太平洋横断線をマニラより新嘉坡に、またバタヴィア−マニラ線を計画して蘭印KNILM会社は昨年末両地間に試験的航空事務を開始、遂に一九四一年一月七日同線を定期空路とするに至ったマニラ、新嘉坡、香港、グアム島バタヴィア、ラングン、重慶を結ぶ航空路はかくてABCD包囲陣形を完成する−所謂戦闘機なき空の戦が開始されたのである

蘭領東印度

空からのABCD包囲陣の一翼を担う蘭領東印度の航空輸送事業は本国系のKLM会社線及び濠洲「クワンタス・エンパイア・エアウェイズ」会社線を除きKNILM会社が独占的経営を行っている、KNILM会社は一九二八年蘭印政府の補助を受け設立されたもので現在資本金一〇、〇〇〇、〇〇〇盾払込資本金五、一七五、〇〇〇盾の航空会社である、同社の一九四〇年十月に於ける経営路線は次の如くマニラ、新嘉坡、西貢、シドニー、バンコック各地間の航空路を開設している

一、バタヴィア−バンドウン線
二、バタヴィア−スマラン−スラバヤ線
三、バタヴィア−パレンパン−パカンバル−メダン線
四、バタヴィア−パレンパン−新嘉坡−パカンバルー−メダン線
五、バタヴィア−スラバヤ−バンジャ−マシン−バリクパパン−タラカン線
六、バタヴィア−スラバヤ−バリー−マッカサル線
七、バタヴィア−スマラン−スラバヤ−マカッサル−パロポ−コロンダレ−ゴロンタロ−メナド−テルナテーナムレア−アンボン−バンダ−ファクファク−バボ−マノクワリ−バボ−ファクファク−バンダ−アンボン−南東セレベス−マッカサル−スラバヤ−スマラン−バタヴィア線
八、マカッサル−南東セレベス−ナムレア−アンボン−バンダ−ファクファク−バボ−ファクファク−バンダ−アンボン−ナムレア−テルナテ−メナド−ゴロンタロ−コロンダレ−パロポ−マカッサル線
九、バタヴィア−パレンパン−新嘉坡−西貢線
十、バタヴィア−スラバヤ−バリー−クパン−ダーウィン−クロンカリー−チャールヴィル−シドニー線

なお同社は一九四一年一月七日からスラバヤ−マニラ間の定期航空路を開始しマニラで米国の太平洋横断航空路と連絡、また同時にバタヴィア−新嘉坡線を開始してKLM会社線と協力のうえABCD包囲陣形の重要なる航空路線に非常な協力を示しているのである

濠太利

濠太利は一九一九年十一月−十二月に行われたスミス兄弟の第一回英濠飛行に刺戟せられ一九二〇年には早くも航空業務を開始した「クワンタス・エンパイア・エアウェイズ」をはじめ十数会社が濠洲における便利な交通機関としてその使命を果しつつある、濠太利は航空業務開始以来二十年の歴史を有するだけあって航空と大衆は密接に結びついている、同国における驚異的な国内航空の発展は大衆の下駄の役目を果すと共に一朝有事の際には素早く武装すべき体形を整えており今次欧洲大戦勃発後に於ける濠洲の航空網は完全な戦時態勢をもって英本国の戦争に協力しつつある
 濠太利の対外航空は「クワンタス」会社の新嘉坡−「シドニー」線が最初に創設されたが現在は同線以外の国際航空路としてKNILM会社(蘭)の「バタビヤ」−「シドニー」線と「タスマンエンパイア・エアウェイズ(新西蘭)の「シドニー」−「オークランド」線との両線が開設されており前者は蘭印及濠太利両政府の協定によって一九三八年七月三日毎週二往復をもって開設されたもので和蘭KLM会社の「アムステルダム」−「バタビヤ」線とバタビヤで接続している、第二次欧洲戦争の勃発後には運航回数を毎週一往復に減航せしめたが現在でも依然として蘭印−濠洲間には定期航空業務が継続されている、蘭印欧洲間を結ぶKLM会社線は伊太利参戦の影響をうけ英国の英濠線と同様に近東以西の運航を阻止せられたので地中海東岸の「リダ」(パレンスタイン)から「バタヴィア」に至る航空路を僅かに維持している、「クワンタス」の姉妹会社「タスマン・エンパイア・エアウェイズ」会社の運営する「シドニー」−「オークランド」線は一九四〇年四月三十日に開設されたものだが本線の開通は濠洲−新西蘭の高速度連絡を実現すると共に同年七月に開通した米国「パン・アメリカン・エアウェイズ」会社の桑港−「オークランド」間南太平洋航空路と連絡し米国経由して英本国との航空連絡を行っている
この航空路を運営する「タスマン エンパイア・エアウェイズ」会社に新西蘭の「ユニオン・エアウェイズ」会社、英本国の「ブリティシュ・オーヴァシーズ・エアウェイズ」会社、濠洲の「クワンタス・エンパイヤ・エアウェイズ」会社の三社共同出資によって設立された国策航空会社で資本金五十万磅英国政府、新西蘭政府、濠洲政府から夫々補助金が賦与されているタスマニア海横断般空路の完成と相呼応して一九三七年十二月に開通し翌年一月使用機の事故勃発のため中絶されていた米国「パン・アメリカン・エアウェイズ」会社の米国−新西蘭線は一九四〇年七月十二日に復活した(つづく)

(四) 太平洋を繞る世界航空網の現勢

アメリカ合衆国

米国に於ける太平洋航空路はパン・アメリカン・エアウェイズ会社が独占的に経営している、同会社は一千万弗の資本を以て中南米の群小航空会社をその傘下に収め一九三二年には遂に「マイアミ」及「ブラウンスヴィル」を基点とし「ブエノス・アイレス」に到る全長約二万粁に及ぶ中南米循環航空路を完成、次いで北進し「アラスカ」に於ける航空会社を買収して西半球の汎米航空に制覇を遂げるに至った
 かくて同社は欧羅巴と亜細亜を目標に渡洋航空路開拓に乗出し一九三五年には桑港−馬尼剌、一九三七年には桑港−香港間の太平洋横断航空路を開設、引続き一九三九年六月には米国民の待望久しき北大西洋横断航空路を設定した、同社の航空路は実に六万四千九百粁、三十六箇国に跨る国際航空網を経営しているのである

太平洋航空路

(一)桑港−「ホノルル」−「ミドウェイ」−「ウエーク」−「グアム」−馬尼剌−香港線(距離一四〇七五粁、毎週一往復、所要日数七日)
 桑港−馬尼剌間を結ぶ航空路は一九三五年十一月二十日チャイナ・クリッパー号によって太平洋横断処女飛行が行われ航路一万二千粁を七日をもって翔破、十二月二日馬尼剌を出発した同号は同六日桑港に成功裡に帰航した、かくて太平洋横断の定期航空が開始され一九三七年四月二十一日に同線は香港に延長、爾来同社はマーチン会社製「チャイナ・クリッパー」「ハワイ・クリッパー」(一九三八年七月二十九日行方不明となる」(フィリッピン・クリッパー」及び「シコルスキー」会社製の「ホンコン・クリッパー」の四隻で桑港−香港間に毎週一往復の旅客貨物及郵便物の定期航空を経営してきたが一九三九年には七十四人乗四十噸の超大型「ボーイング・クリッパー」艇を新に就航せしむるに至った
(二)桑港−羅府−「ホノルル」−「カントン」−「ヌメア」−「オークランド」線(距離一二、七五七粁、毎週一往復、所要日数四日半)
 パン・アメリカン・エアウェイズ会社は一九三五年新西蘭政府との間に「ホノルル」−「オークランド」間における定期航空路設定に関する協定を締結し慎重なる探査飛行及び試験飛行を行ったのち一九三七年十二月二十九日隔週一往復の定期航空を開始したが一九三八年一月十一日使用機「サモアン・クリッパー」号が遭難して行方不明となったため南太平線を一時中止するに至った、然るに一九四十年四月三十日英国の「タスマン・エンパイヤ・エアウェイズ・会社が「シドニー」−「オークランド」線を開設するに至ったので「パン・アメリカン・エアウェイズ」会社も之に相呼応して同年七月十二日桑港−「オークランド」間に隔週一往復の郵便旅客の定期航空を開始し「オークランド」で英国線と連絡、太平洋上における英米両国の密接なる提携が完成された
世界情勢の進展とともに英米両国は日本の南進政策を阻止せんと狂奔しているが「パン・アメリカン・エアウェイズ」会社は太平洋横断線を更にマニラから新嘉坡まで延長せんとしており、英帝国航空路を北進して「シドニー」から新嘉坡に達せしめんとする計画が実現すれば南太平洋は英米両国の両腕によって抱合わされることになる、南太平洋に重大関心を有するわが国としては絶対に看過し得ざるもので「パン・アメリカン・エアウェイズ」会社の最近における動向は実に注目に値するものがある(つづく)

(五) 太平洋を繞る世界航空網の現勢

加奈陀

ABCD航空網包囲陣の有力なる一翼を担う加奈陀は逸早く航空輸送事業を開始し現在では十八の航空会社が蜘蛛の巣の如き航空網を張りめぐらし東西に跨る金融、工業、政治、農業の各中心地と連絡しているが太平洋沿岸方面における航空会社は「トランス・カナダ・エアラインズ」会社「ユーコン・サザーン・エア・トランスポート」の二会社で前者は六、三八八粁、後者は二、三一一粁の航空網を経営している
 「トランス・カナダ・エア・ラインズ」会社は一九三七年四月十日公布された加奈陀横断航空会社法によって設立された会社で資本金五百万弗、株式は全部加奈陀「ナショナル」鉄道会社が引受け運航の欠損に対しては政府はこの欠損額に相当する補助金を支出し航空路の維持に努力しているのである
一九三七年九月先ず「カナディアン・エアウィズ」会社の「ヴァンクーヴァ」−「シアトル」線を買収、同月中に航空業務を開始した、引続き同会社は本来の使命たる加奈陀横断航空路の開設に着手一九三七年十二月「ウィニペッグ」−「レスプリッジ」間、一九三八年一月「レスプリッジ」からロッキー山脈を越え「ヴァンクーヴァ」に到る試験飛行を実施、之と相前後して運輸省では同航空路に沿う主要都市に鋪装道路を有する飛行場を設置、この飛行場は夜間照明設備や「ビーコン」無線気象通信などを持つもので同航空路の安全性を昂めた、これがため「トランス・カナダ・エアラインズ」会社は一九三八年三月遂に「ウイニペッグ」−「ヴァンクーヴァー」間に定期航空を開始した、同年十月には更に「ウイニペッグ」−「ヴァンクーヴァー」間に夜間航空を実施し同時に「レスブリッジ」−「エドモントン」間の線を開設した、同年十二月一日に加奈陀横断航空路の東部区間「モントリオール」−「オッタワ」−「トロント」「ウイニペッグ」線が開始されるに至ったので「ヴァンクーヴァ」−「モントリオール」間に強力な空のルートが開始され引続き一九四〇年初頭に同線は「モンクトン」迄延長されたので太平洋、大西洋両岸を結ぶ蜿蜒五、一三六粁に及ぶ加奈陀横断航空路が完成されるに至った、なお同社は一九三九年八月十八日米加間に締結された米加航空協定により米国乗入れを行わんとしており米加合作の航空路は着着実現せんとしている、同社は現在左の如き航空路を経営し使用機は統べて米国製のものを使用している

(1)「ヴァンクーヴァー」−「シヤトル」線
(2)「ヴァンクーヴァー」−「レスブリッジ」−「ウイニペッグ」−「トロント」−「オッタワ」−「モントリオール」−「モンクトン」線
(3)「レスブリッジ」−「エドモントン」線
(4)「トロント」−「ウィンザー」線
・「ユーコン・サザーン・エア・トランスポート」会社は従来の「ユナイテッド」航空会社を一九三〇年現在の社名に改称したもので主として太平洋沿岸の航空路経営を行っている
(一)「ヴァンクーヴァー」−「ドーソン・クリーク」線
(二)「エドモントン」−「ドーソン・クリーク」−「ホワイトホース」線
(三)「プリンス・ジョージ」−「ウエア」線
(四)「プリンス・ジョージ」−「タクラ・ランディング」線
(五)「フォート・ネルソン」−「フォート・リアード」線

アラスカ

「アラスカ」における航空事業は一九二二年から開始され数箇の小航空会社が従事していたが、一九三二年八月「パン・アメリカン・エア・ウェイズ、会社は、アラスカ」航空会社及び太平洋国際航空会社を買収し「アラスカ」における航空路を独占する「パシフィック・アラスカ・エア・ウェイズ会社を設立、会社創立後直ちに定期航空に必要な飛行場の建設(十五)及無線局(十三)を設置し一九三四年には「アラスカ」の首都フェアパンクスからベーリング海に臨むノーム及ベセルを結ぶ二航空路線を開設、翌三五年にはこの線路をフェアバンクスの南方ジュノー迄延長してアラスカ汽船会社の沙市線と連絡するに至った
 一九四〇年六月米国政府はアラスカ航空路の重要性に鑑み同社をして米本土とアラスカを結ぶ「シヤトル」−「ケチカン」−「ジュノー」間に一週二往復の定期航空を開設せしめ従来汽船で四日間を必要とした同区間を七時間に短縮する一方シアトルで「ノース・ウエスト・エア・ラインズ」及び「ユナイテッド・エア・ライン」両会社の米大陸横断線との連絡を完成した


データ作成:2003.7 神戸大学附属図書館