新聞記事文庫 アジア諸国(7-011)
大阪毎日新聞 1934.8.6-1934.8.8(昭和9)


アフガニスタン経済事情

英露支間に挟まれ遠く日本を慕う 富田美津雄


かねて期待されていたアフガニスタンに、わが全権公使の駐剳が決定し、去る四日、名誉ある初代公使としてアレキサンドリア駐在北田正元総領事の任命を見た、そして早晩同国使臣の駐剳の実現するであろう、かくて親日国アフガニスタンとの国交は、いよいよ名実ともに具体化することとなった。そもアフガニスタンとは如何なる国か、本社は先に山内秀三氏を中心とする近東中亜調査団を後援し、幾多貴重なる調査報告を得て、同国に関する紹介を紙上に載せた。そしてさらに、山内氏同様同国を実地調査して去月十九日帰朝した冨田美津雄氏の調査資料を載せんとする、同氏は岐阜県多治見町の人、最近約半年を同地方の探査に費し、しかも実際商取引に携わるだけ、その着眼点は専ら経済方面に傾注され、今後飛躍的に経済提携の実を挙げんとするアフガニスタンを知る上に、尊重すべき資料たるもの……
 今回新たに、わが国より駐在公使を派遣することに決した国、アフガニスタンは、面積六四万方キロメートルわが国よりやや狭く、人口約九百万人(アフガン政府発表による−英国の調査では千百万と称し、露国では千二百万と称す)インドおよび露国に挟まり、その接衝地として知られておる、往昔、同国の仏教はなやかなりしころには、支那からは法顕玄奘三蔵が同国ジャララバットに入ったこともあったが、近代においてはその名、インドの蔭に隠れて全く世人の注意から遠ざかってしまった、然るに一昨年国立銀行アフガン・ナショナル・バンクの設立をみるに至ってから、アジアの新進独立国として新たに世界貿易戦線に躍り出で、全世界に驚異的飛躍を続けつつある日本品を歓迎することによって日本との貿易戦線上にも俄に直面し来ったのである。
 東はヒマラヤ連峰、バミールの高原を隔てて、近来英露接触の要地として知らるる問題の支那新疆に接し、北は露領トルキスタン地方、西にアジアの独裁王国たる新興のペルシャに境し、南はインドおよびインド独立人種の国ペルチスタンに囲まれている海港なき山岳の国、アフガニスタンは、さらにその中央を走るヒンドクシ山脈によって地理的にも歴史的にも、はたまたその住民の生活習慣上にも截然として二分せられている、住民はこれを大別して十二種別とせられ、言語もペルシャ語、プシト語、トルキスタン語等に区別され、宗教もまたその多くは回教ソン二派に属するが、その他シー派あり、独立宗派あり、従って古よりその統一困難なりしため、現在の如き広範囲を包含しての完全なる独立国家たりしことはかつてなかった、ところが西暦一九一九年、英印とのいわゆる第三アフガン戦なる聖戦によりて、現在の独立国家を形成し、王位を守れる前朝アマヌラハン王より現朝マハムット王二世に至る十五ケ年間、特に意を内治の完成に用いた結果、施政大いに上り、現在では、全国殆ど回教を信じ、ペルシャ語をもって統一せられ、国内山峡辺境種族に至るまで平和裏にその治政を楽しみつつあり、通貨の設定及び安定、諸外国との公使交換国際間の親善ならびに信用の実を上げ、漸く近代的国家としての形容を備えるに至り、今や新興国の意気高らかに、進んで世界の貿易戦線に躍り出でたのである。
 殊に現王マハムット・ザハーヒル・シャー・シャーは未だ御年二十二歳の御若年ながら、つとに御英邁の聞え高く、昨年四月、父君崩御の後をうけて御即位遊ばしてより、叔父君に当る現在の総理および陸軍両大臣のよき輔佐を受けられつつ、全国民の信頼と、武をもって世界に鳴るその部下の忠実なる兵士に守られつつ、御治績は国外にまでおよび、今やアフガン国はその歴史にかつてなき充実を見るに至り、殊に交通路は四方、八方に開通し河川には新に自動車橋梁のかかるもの多く、また国民教育制度の改進もめざましく昨年度には五十校、本年度は約七十校の小学校の続築せらるるありその他各専門学校も既設のもの以外に着々と開校せられ、挙国一致の実まことに顕著にして、我々同じアジアに住む国民の衷心同慶にたえざるところである。
 国民一般に、古来より英露の接衝地として、たびたび両国の干渉を受けたれば国際関係には早くよりめざめ、アジアの先進国としてわが日本を慕うの念厚く日本人を信頼尊敬すること深いものがあるが、従来その地理的関係よりして英露の何れかに頼らざるを得ず、またわが国としても直接には交渉なく英国やインドを通じての間接的のものに過ぎなかった。然るに今回我国の公使館が開設せられまたアフガン第一回国際博覧会の開会せらるるを機として、両国の理解親善を進め得るようになったので、我が国としても、各方面人士の一層の進出を期し、アジアの先進国としてアフガン国上下の信頼を裏切らぬようにしたいものである。
 殊に貿易においては世界各地に日本品の排斥が行われつつある際、小国なりといえども、これを歓迎する同国に進出せんとするに当り特に慎重なる態度をもってせられんことを望み度い。
 もとより人口一千万の地、如何に日本品を歓迎するとはいえ生活程度も低く、やれ積め、それやれの地にあらざることは論を待たないが、将来トルキスタン地方への仲介地たることをも考慮し一層の注意をうながし度い。

必需品は全部輸入その六割が邦貨

 未だ確実なる統計の発表せられたるものなく、数字的に詳細確実は期し得ないが、アフガニスタン暦、昨年度の外国よりの総輸入額は無届けなるを除き約英貨五百万ポンドにして過去五ケ年間の平均額も略これに等しく、また一方外国への総輸出額も大体同額で先ず輸出入のバランスは平均していると見て差つかえなく、為替相場は欧洲諸国およびインド、ペルシア間に立ち、国貨アフガンルピーを単位として十進法を使用しており、現在約三・七アフガニーがインドの一ルビーに相当し即ち邦貨一円はほぼ三アフガニーである。度量衡はペルシアと同じくバットマン・ハルワルを使用すれども公官署商社はメートル法をもってし国語はペルシア語にして第二語として英独露の三ケ国語に通ずるものがある。産業方面より見れば原料供給国にして輸出品は羊皮羊毛を筆頭とし、その他に山羊等の獣およびその皮毛、アヘン、果実、蔬菜、穀物類がこれに次ぎ、その他少量の礦物、薬草等を出す、中にも羊皮はカラクリと称す有名な羊の腹子の皮あり、アヘンもまた良質として名あり平均十二、三パーセントを含有すといわれ、果物の中メロンは米国加州産よりかえって美味であろう。けれども、これ等のものは直に日本へ一般的に輸入出来ぬもの多く、誠に両国のために残念である。
 国内工業としては、この地方特有な家庭工業として作らるる鍋釜類を除きては、一般国内需要に完全に供給するもの殆どなく、他の家庭工業として製靴、製帽、製粉、綿織物があるが幼稚にして見るべきものなく、工場としては国内需要の約六、七割を供給するマッチ工場あり、他に兵器製造所あれども挙ぐるに足らず、二、三の都市には二三〇ヴオルトの水力電気発電所がある。
 かくの如き状態なれば国内需要品は一般家庭の日用品といえども殆ど総てを輸入品をもってせざるを得ず、これ等輸入品の税率は総てを含みて平均約三割余である。殊に日本品は安易なる国民の生活状態に迎えられて一般日用品においてはその約六割をしめておる。

輸入

 従来より同国に輸入せれおる日本品は殆ど全部がボンベー辺りのインド商人の手を経て入っており品種は種々あれど、絹布絹製品は広く一般には使用せられず、人絹は安物、大柄プリント物、絞人絹等、綿布も高級品少く縞柄物の売行あり、安物のホワイトシーチング、ブラックジーンの如きはインド商人のスベキュレータによって動かされつつあり綿製品、毛糸品もまた相当見受けられるが、タオル、シャツ等多くして靴下は習慣により日に数回手足を洗うため一般に使用せられず、雑貨に至りては殆んど総ての商品が売捌かれおり枚挙の遑なきも、文房具、化粧品、陶磁器、硝子器、ゴム製品、金物類、時計、日用家庭品等々、ただしその割に玩具類はペルシア国の如く輸入禁止ではないがあまり消化されず、その他は一般品なれどもアフガン国に直接需要状態を聞く日本商人なきため、思わざる点に不評を受けたり、またはこの国特有の品を選択する理解なきため、たとえば陶磁器における丸型土瓶、文房具の石筆、色鉛筆、ペン等、硝子器のラムネコップ、金物の錠、エバーシャーブ、化粧品のアイシャドー、石鹸類、ボタン、針および糸、綿布のサラサ模様襟巻等々は露独等の品によって供給されている有様である。
 振返って見るに、一般に中亜近東バルカン等の諸国の如き露領の近接地は、近代産業の飛躍を誇る露国が有利な地理的関係とその生活状態を同じうする立場から、安価を立前とする日本品にとっても重大なる今後の競争相手であって殊にバルカン、ペルシア、アフガンにおいてその感が深い。世界市場を独占して金城鉄壁を誇る名古屋地方の安物陶磁器すらペルシア北部においては影だに見ないのは残念である。
 今後トルキスタン、新強外蒙古にまで進出を希望する日本貿易のために露国品との競争を一層注意し、彼れの産業整備の未だ完了せざる間に地盤の確保に努力されんことをこの機会に特に切望しておく。
 アフガン国民の多くは回教律を守ることかたく、未だ近代文化生活様式を取り入れず、一般常食としてナンと称するパンに、羊乳、鶏卵等を主として外国式食料品を口にせず、絶対に禁酒を守り、男子はターバンを被り、女子は他人に顔の一部すら見せざるように普通綿製の白きチャドールを被りて多く外出せざれば、酒類、塩鮭を除く食料品、帽子類、女子外出用品等の売行きは余り無きも、必需嗜好品として緑茶紅茶は国民一般の好愛する物なるがゆえに緑茶の消費国としては世界において日本支那に次ぐ国であって近時、支那茶に代りて日本茶の進出が見受けられる。茶は砂糖を入れて愛飲し同時にドロップ等の菓子類を愛用する。
その他同国に販路あるものとしては、売薬類、薬品、医療品、タバコ、工業用品、道路工事用具、軍隊用及び警官用品、洋服地、一般機械類、綿毛製品、建築用品、電気器具、ランプ、自転車、紙類があげられる。
輸入禁止品として国際一般禁止品のほかに冩真機、活動冩真機等がある、さらに本年三月より家具、什器、卓子掛、玩具、金糸、真珠、鏡、ガラス玉、指輪、カラー、首巻、婦人用帽子類、花火、西洋競技具類、ペルシア製および欧洲製絨緞、刺繍ショール等二十四品目が禁止せられた。
 国内諸工事は従来同国の海外留学生が、多く独英仏伊等に派遣されたる関係上、政府筋諸官署にはそれ等の系統多く、中にもドイツ人は、特別関係の英国人を除きては第一に各方面に活躍しており、多くの工事はドイツ人の手によりて行われつつあり、従ってその他の商品も独伊の品が比較的多い。
 アフガンナショナルバンクは同国内唯一の銀行にして、同時に政府直轄の下に外国貿易にも従事する貿易商社を兼ね、全貿易額の約三割は同銀行の取扱うところで、輸入においては砂糖、自動車および同用油、特殊機械類および一般政府筋必要品等、輸出においては羊皮カラクリ等は同行の独占専売品にして、緑茶も早晩専売にするとか聞きおよんでおる。ただし一般政府用品は他にも取扱い商人あり、カラクリもまた他にも許可するようである。

日アの直接取引と相互親善を希望 富田美津雄

都市及び貿易路

 国内都市、首府カブールは人口約十八万、インドに近く国の南部にあり中央政府の所在地、同じくインド、ペルチスタンに近きカンダハーは人口約九万にして国内最大の平原に位しインドとの大なる商業地、ヘラットはペルシアのホラサン、露国のメルブ地方に接し露波両国との貿易地にして人口約五万、マザリシヤリフは山北第一の都にして人口約五万人、インドより露領トルキスタン地方へ通ずる隊商の中心地で将来トルキスタン地方への貿易地となるであろう。
 インドおよび露国内はアフガン国境までそれぞれ鉄道開通しおれどもアフガン国内に鉄路なく、前記都市間には各々自動車路完成してラリーの交通が多いが、その多くは騾馬、駱駝の背にて運ばれる。
 外国との貿易路としては

一、ペルシアのテヘランよりメシットを経てヘラットに通ずる自動車路
二、露国北方トルキスタンよりはボハラ、メルブよりクシキンスキーに至る鉄道、それよりムルカブ、ヘラットに出る自動車路
三、露国トルキスタンよりボハラカルキーよりオルメツまでの鉄路それよりバルク、マザリシャリフを経てカブールに至る自動車路
四、インド方面よりはカラチ、ボンベー、カルカッタ等何れの方面よりもラホールを経てペシャワールに至る鉄路それよりカブールまでの自動車路
五、同じくカラチよりシャカプールを経てボラムまたはチャーマンまでの鉄路を経てカンダハーヘの自動車路と以上の五線あり

 日本よりの経路は最後の二線によるを便とする。今試みにカブールに至る路を尋ねんか、たとえば日本よりカラチまでの船舶は雑貨として一トン約三十円くらい、そこにてインド通貨の許可証明を受け陸揚積込みに約一トン三ルビー、ベシャワールまでの約一千三百マイルの行程の汽車賃約十ルビー、それよりカブールに至る国境山脈を越ゆる約百九十五マイルは自動車便にして、この運賃約七ルビー。
 ペシャワールよりカブールに至る道の運送および保険(ただし保険料は一・五パーセント)前記アフガン国立銀行にても取扱っている。
 昨年までインド通過アフガン国に至る貨物に対してアフガン政府の依頼によりインドにおいて、従価の約二割を通過税として徴収していたが、本年二月より廃止せられ、また従来インド通過の輸入品に対してはインド輸入税を課し、アフガン輸入の際その四分の三を払戻していたが、今回全額払戻しをすることとなり結局インド通過税は不用となった訳である。

一般輸入取引状態

 禁止品または専売品以外の商品は一般商人にても輸出入共取扱いが自由で諸外国に見るが如き貿易統制または貿易管理を受けず、カブール、カンダハーの如き都市には欧洲諸国と直接取引をしておる商社があり、彼等の多くはアフガン国立銀行以外にもインド、英国等の銀行と取引を有して取引の決済に当て、普通は国境都市ペシャワール、ボラム、チャーマン、フシキンスキー等においての引渡値段をもって取引をしているが、日本との直接取引希望者は、CIF・カラチ等にても引受け、建値は英貨またはインド・ルピーを便とし、普通一割内至二割の手附保証金をもって取引を開始し、残額はDP為替附きを望んでおる。輸出においても同様である。商社の習慣、信用取引状態はほぼペルシアおよびインド南部地方と同様である。
 国内の売買はバザーにおいて多く行われ、隊商がこれに次ぎ、商機は回教の大祭に多いが、一般に冬季よりも夏季において取引が活溌のようである。
 近時、アフガン国有識者間に日本を尊敬する念高まり、一層日本を理解せんと欲する者多く、日々の新聞紙上に日本に関する記事を見ざる日なく、または日本との直接取引を望み或いはその子弟を留学させんとする者がある。日本の活眼有志の士において進んで両国親善のため理解ある提携をなしこれを善導せられるならば幸これに過ぎずと附言して擱筆する。


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