新聞記事文庫 逓信事業(8-185)
大阪毎日新聞 1937.6.10(昭和12)


西日本の新らしき耳と口

泉北深井の送信所と明石の受信所

十三日ひらく満洲台湾への無線通信


西日本の耳と口−大阪深井送信所と兵庫県明石受信所とはそれぞれ昨夏来の工事も完成、いよいよ十三日午前零時一斉に新しく切替えられ台北、大連、奉天、新京、京城、精津、ハルビンなど外地と花々しく交信を開始するが、この送受信はいずれも大阪中央電信局の電波コントロールをうけるためこれらの外地と京阪神間の通信は一躍優に十分は短縮され、さきに開局された対欧無線の兵庫県小野受信局の大阪操作とともに大阪は一ぺんに無電の中心−

深井

泉北郡深井村に新しく出来たアンテナと白堊の瀟洒な平屋建が俗に”平野の電信局”と呼ばれていた住吉区喜連町喜連送信所の移転先で十三日から看板も大阪中央電信局深井送信所と改められ一二、〇〇〇坪の広大な敷地に二百坪の鉄筋コンクリート平屋建本館には国産の優秀を誇るTU一一一一A機など送信機が数基あり関西風水害の苦い経験から生れてここに据つけられた非常用原動設備は外部に如何なる電力障害があっても送信機能にはビクともしないという心丈夫さ
その他電池、電力、修繕、事務室があり文字通り生命線のアンテナは大阪無線界としては初めての試みとして高さ四十五メートル自立式鉄塔十基が中空にそびえその鉄塔間には指向性アンテナが近代科学の新しい光を放ち堂島の中央電信局通信台とを結ぶコントロール線があり深井だけの費用さっと六十万円、大正十二年春平野無線電信所として生れた”平野の電信局”も馴染深い姿を消し移転と同時に増員もされるから現在中央電信局に表われている送受信総数一日四千五百は忽ちのうちに倍、三倍となりその能率のピッチもグングン上げられるわけで
工事はまだ所員官舎や附属建物が残っているので全部の完成までにはなお数ケ月を要する

明石

明石受信所−兵庫県明石郡伊川谷村−は十一、二両日試験通信を行い深井発信所と相呼応し業務を開始するが加東郡小野町には”世界の耳”として小野対欧無電受信所が今春来活躍をはじめておりそれと相ならんでわが国の無電界に一威力を加えるもので明石受信所はいわゆる”外地の耳”としての誕生である、九日熟れた麦畑のなかをドライヴして明石郊外伊川谷村有瀬の同受信所を訪れると、白堊のスマートな本局舎を中心に、大空に聳えたつ高さ四十五メートルの鉄塔十一基は科学の国の偉観を呈している
受信所の位置はかなりの高台で明石海峡から淡路島が一目に見渡せる勝地、面積八千坪、目下十二棟の日本建官舎を建築の最中だ、ここの仕事は満洲、台湾朝鮮からの電波をとらえては直ちに大阪中央電信局へ連絡ケーブルで転送するだけが主なことで、”電報に翻訳はしないが、或る意味からすれば小野の受信所以上にその使命は重かつ大といえよう、今までは大阪中央電信局で受信の仕事をやっていたのだが仕事の量も漸次増加し、狭い局舎ではなにかと不便でかつ都会のなかでは雑音も多いので、ザッと二十里離れた閑静な土地へ仕事を分離したわけ、使用受信機は国産を尊重しており、受信室に入るとハルビン、京城清津、大連、奉天、台北などにわかたれたボックスがさかんにビービーガーガーと試験をやっていた、そのなかに「航空」とあるボックスはこれからいよいよさかんになろうとする定期航空飛行に備えたものとのこと

[写真(西日本の耳と口の威容【上】深井送信所【下】明石受信所)あり 省略]


データ作成:2003.9 神戸大学附属図書館