神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 朝鮮・台湾・満州(16-098)
京城日報 1937.1.1 (昭和12)


一時間の時差撤廃で鮮満一如の具現化

記念すべききょう元旦から実施


【仁川電話】満洲国がすべての犠牲を払ってきょう日満の時間を統一したことは各方面から好評を博し日満両国の諸交渉、事務上に頗る便宜となったわけである、日満標準時統一の結果は政治経済通信運輸等日満相互の利益は増大すると共に両国の不可分関係を徹底強化するわけである測候関係者にとっても喜ばしいことである、即ち今まで日々の気象通報にも時間が一時間相違していたので内、鮮、満二重の努力をしていた、これが除かれた訳で、観測所国富所長は語る
 日本に初めて時刻の制度が出来たのは斉明天皇の六年、その時皇太子であらせられた天智天皇が初めて漏刻(水時計)をお作り遊ばされ、人民に時をお知らせになった、それから徳川時代の終まで千二百年の間如何なる沿革があったか明細に知る事は中々容易でない、徳川時代の時刻法は明治六年の改暦と同時に廃され、その代りに地方真太陽時が用いらるることとなった、明治十二年から平均太陽時が用いられ二十一年から標準時が用いられた、二十九年に至って中央標準時と西部標準時と二種の標準時が行わるることとなり、朝鮮では四十四年まで子午線の時を標準時としていたが、十五年から中央標準時を用いることにした、満洲がいつ頃から日本より一時間おくらせていたかいま文献がないので判らない
 満洲国内の標準時は従来東経百二十度の子午線の時によることになっていたのであるが、これを内地同様東経百三十五度で丹波の国がこの標準にあたり満洲国では吉林省の東がこれに相当している、天文学上から云えば、安東二十四分、奉天二十五分、新京二十一分、大連二十八分、ハイラル三十三分、京城ですら二十分、それぞれ標準時間より相違し東京とは標準時の相違時間に更に二十五分を加えた丈け違ってくる熱河省の西、興南省の西にあっては標準時に離反すること実に一時間十六分であるが、満洲国がこの際思いきって日本と同じ時間を用いるようになったことは大英断である、標準時間から云えば京城や東京ですら違うのであるから、これは天文物理学上ばかりからも云えない問題であろう、時間は東経一度違う毎に四分違ってくることを承知して貰いたい


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