新聞記事文庫 綿花(10-131)
京城日報 1942.11.13-1942.11.23(昭和17)


棉作地帯を行く (1・二〜九・完)


(1) 黄海道の巻 供出率が全鮮の第一位 耕地面積の確保と指導に努力

戦時下、軍需資源として、また民需資源として、棉花の重要性は多言を要しまい、そして帝国圏内唯一の棉作地として、四十年の棉作奨励の歴史を有する半島の使命と責務はまた実に大きい、特に大東亜戦争の完遂による大東亜共栄圏の建設が我国に課せられて歴史的な緊急課題となるに及んで、半島の棉作基地的使命は愈よ重大となった、即ち大東亜共栄圏の需要する棉花は推算二千万ピクルといわれる、これに対して共栄圏全域における生産は約六百万ピクルと、漸くその需要の半分を充たすに過ぎない、勿論この数字の開きは支那大陸における戦火による棉田の荒廃、旱水害、ビルマ、泰、仏印蘭印方面における同様の事情に原因するが、これら諸地域における棉作の新たなる奨励助長や、失われたるものの挽回は勿論一朝一夕にして生産量を急激に増加せしめることは不可能である、よし可能であるとしても、南方諸地域よりの我国への輸送は当分望み薄いのである、ここに於いて半島の棉作が大きくクローズアップされたのだ、さてその半島の棉作状況はどうか、昭和八年に開始された第三次棉作奨励十ケ年計画(中間に於いて二回の改訂を見た)は本年を以って一応完了する、その成績は諸種の悪条件を克服して、概ね予定に近い実績をあげているが、なお計画目標(実棉四億九千万斤)にはなお相当の距離がある、この原因には種々あろう、即ち天候の不順、食糧作物への畑作転換、農民の増産意図萎縮、棉花の自家消費、共販価格の低廉など、農民にとっての言分は勿論あるに違いない、しかし、その緊急重要性はこれらの凡ての悪条件を克服しなければならぬまで逼迫している、凡ては増産、増産、ただ増産あるのみである、農民もその声に起上った、各道第一線指導陣も指導、奨励、督励の鉄桶の陣を布いた…我社では本年度棉作の最後のゴールに直面して各棉作主要地に記者を派遣、親しく、棉作の実情、棉花の出廻り状況並に供出督励の布陣を視察せしめた、以下は各特派員の現地報告である
共栄圏自給の棉花方策に呼応して西鮮棉の躍進が目覚ましい黄海道の例を安岳郡にとって観ても、昭和十三年の百九十万斤に対して十七年の収穫高は一躍三百九十万斤の目標高を突破せんとしており、三四年前までは全鮮で尻から一、二番の不振道だった黄海は昨十六年には早くも量からいって全鮮第二位、供出率からいって第一位の好記録を出して西鮮棉花の名を挙げ北には棉が出来ないという“南棉北羊”の常識を茫然たらしめた供出を視察していま躍進の道内を廻ると○○○○万斤供出を目標に道内はまったく綿にうもれた感がある
この躍進する道の様相を共同販売高から観ると、昭和十三年の共販量を一とすれば十四年は実に二倍の二に上昇し、十五年はニニ強、十六年は二、四一弱、十七年度目標高は実に三、五八倍の飛躍的数字を示しており、これによって見ても十四年度から本腰を入れた増産計画が如何に確実進渉されたかが肯けるだろう
耕作面積の確保と指導力強化を二大大綱として十五年度からは更に五町歩以上の集団地を以ってする“陸地棉耕作組合”の設置を各面に行い指導の実践に乗り出した
組合集団地の中には四段歩の共同耕作圃を設けて肥料なども優先配給を行い、ここで播種、肥培管理などの技術啓蒙と供出督励などの集約的指導を行った
組合は耕地面積の拡張、優良種の栽培、収益の貯蓄、肥料及び農具の共同購入などの自主性を□つここで育成された者が更に指導者となってこの共同耕作圃を取巻く二十町歩、三十町歩の集団地の指導に当るわけだ
道の具体的奨励策としてはこの集団指導が中心をなしている、然し広汎な棉作適地を必要とするこの大集団方法は既に耕地的に飽和点に達し、今年から道は二町歩、三町歩の小集団を単位とする“部落集団地区”策を併合せしめて山間離僻の不振地帯に相当の効果を挙げている
道は今後現在の集団地の維持に併せてますますこの部落集団地区を増強する方針だが、連作をやむなくされる黄海が肥料との関係から何時まで集団方法で進めるかここに今後の複雑な宿題がある
□に連作の関係から棉作のボールが著しく小さくなり、某郡農会の指導者は来年度からは坪立本数を三十、三十五に増加して密植法で行くと語っていた
面積主義から集約主義への必要性が三四年にして既に現れた訳だが労働力と耕地面積と民度との相関関係を如何に解決するかが黄海道棉花の将来性を左右するといえる
(この項続く)
渡辺特派員記

(二) 黄海道の巻 “お国の棉花”供出に必死 西鮮に魁け愛国班長総動員

計画数突破に意気込む黄海道の棉作地帯を巡って作柄を観ると、正直にいって欠株と立腐れが著るしく目につく、平均作柄二割減、今年は播種期を低温過湿に撃たれ発芽状態が著しく悪かった、点々と発芽した欠株の間で急いで追播したが今度は旱害が来た、そして後から後がら追われるごとく追播し再追播した結果が、これまた例年より半月も早かった氷雪に襲われて、道全体の欠株と立腐れとなって現れた、それでも農民は天を恨まず“お国の棉花”供出に必死の活動を続けているのだ、試みに道内主要郡の供出量を観ると
五日現在で信川郡一五四万斤、安岳郡一四一万、載寧郡一〇三万、鳳山郡一〇一万と好記録を見せ、共販量は早くも責任量の平均六割に殺到せんとしている
供出方法として、道が西鮮に魁け“愛国班”を昨年から真ッ先に取り挙げたのは偉功だった
この最下部組織を極度に活用する自主的供出方法は、農会棉作技手約二百名、指導員約一千名を以ってする“指導者強化”という道の基礎方針の裏付けを得て遺憾なく組織力を発揮し、まれに見る根強い農民運動の様相を具えつつある
棉によるこの供出運動が徹底した暁はこの運動はやがて小麦その他の供出物資に対しそのまま転用出来るし、愛国班は農民運動の基礎網として強固な活動力を把握するだろう
欲をいえばこの活動力にいっそうの枢軸を与えるためこの際棉花に米、麦などと同様重要物資としての供出府令を仰ぎたいものだ、このことはただに棉花の供出活動を健康にするのみでなく、農民運動として折角定着しつつある“愛国班”の活動をいっそう自主健康にする作用をさえもつのである
このことは次の郡における実際の活動を見れば瞭然とするだろう
道の督励策としてはこの愛国班の活用指導者の強化のほか、道内を三区に分け品評会と供出にそれぞれ優勝旗を出したり、五十斤毎に抽籤券を出して牛、農具、金品などの賞品を出すこともしているそのうち新しいやり方には綿布の優先配給がある
これは総督府からの特配以外に道自体の配給品の優先特配で今年初めて試み成績がいい、その外結婚用綿の特配などがあるが、兎に角収穫量の七割だけ早く出せば後はなるべく使わせるという即生活主義が効を奏して供出、作付とも大いに自主性が顕れつつあるというのが実情だろう
十日までには一千万石供出は確実ですよと道の技手は自信満々と豪語していた
安岳郡 今年の共販目標量二百八十万斤、作付面積三千二百町歩の目標であったが旱湿害のため結局二千八百町歩に落ちた、それでも反当収量平均百二十斤にこぎつけ、郡の実収量三百三十万というから道内で二位と落ちないだろう、播種から供出までの道の指示を受けて各郡の行きかたは大同小異といえるから、代表的なこの郡を少し詳しく書いてみる
作付二千八百町歩というから郡の総耕地面積一万五千町歩の約二割一分が棉作地となっており多いのは一ケ面で三割までが棉作地となっていた、昭和十二年の共販高僅か六十万斤だったものを十三年には一躍百万斤となり、今年は勇躍して二百八十万斤は必ず出すと意気巻いている
農会職員十二名を擁し、春四月先ず郡内愛国班長約二千名を集めて、“棉作大会”を開き、その年の計画、方針、共販方法などを示し割当面積の確保を強調する
大会から帰った班長は班員を集め郡の示表を中心に班の責任面積の割当を全く自主的にやる、そして各自の報告書を郡に出す郡は報告書に依って直ちに指導員を出し土地選定を行う
この時から供出量に対する大まかな指定が行われる、土地選定が終ると播種に移り郡の棉作基本台帳が出来上る、八月上旬になると耕作組合を中心に全班員を集め摘心除草、除虫などの肥培管理の講習会を一週間開く、開花期が来ると郡職員、班長、耕作者が総出で収量調査を行う、この調査が供出の目標量を決定する訳だ
斯うしていよいよ供出期が来ると毎夜々々台帳を手に指導員は班長を、班長は班員を督励し廻って綿は共販市場へと運ばれるのだ、供出督励の方法としては道で書いた外に郡として優良班に賞品金を出したり、供出が終っていなくても結構棉の使用を五十斤まで許可する、その代り班員がお互に棉花を出し合って班としての責任量だけは供出する訳だ
そのほか許可期でなくても優良班には特に自家用棉の打綿を許可したり、雑貨の配給を優先的にしてやったりする種々の方法がある、安岳市場や温井里市場を廻ってみると、朝九時ごろから既に三、四百人の農民が棉を頭にのせ、牛の背にのせてわいわいと詰めかけ中には班員が協同で牛車で運んで来る者もあった、いずれも既に五割、六割の供出を行っており、品質もよく選棉、乾燥も上々である
載寧郡 作付面積二千五百町歩、共販目標百六十万斤、十月末までに八十五万斤を出し、四日既に百万斤を出していた、十一月末までには全責任量を共販するとの意気、量からいって供出は既に後半に入り三等棉が意外に多い、氷雪害のためだ
鳳山郡 作付面積二千九百町歩、共販目標二百四十万斤、四日までに八十万斤を出している
【黄海道の巻おわり】
渡辺特派員記

(三) 平安南道の巻 奨励金に再検討 増産督励には指導力を強化

平南の躍進にも目醒しいものがある、道が第三期棉作奨励に乗り出した昭和八年から今年度までの拡張面積は実に一万五千百町歩、然もこれが昭和十三年の新計画樹立以後からの僅々五ケ年間の数字だといえば人は驚くだろう、こうした全鮮第一の拡張率を持つ平南の棉作地も、今年はお隣の黄海と同じく湿害、旱害を夥しくした上深刻な水害に見舞われた
そのため総耕地面積の約二割を失ったが、指導者はよく農民を督励して収量では昨年度より逆に約一割の増収を見せている、
これは勿論農民の国策への協力にも依るが、全く指導者の血みどろの活躍によるものだ、早い話が雑穀に較べて利益の薄い棉を“土”そのものに生きている農民が植える筈はないのだ、然も棉の播種期は麦や粟に較べて最後となっている
この場合決定的な問題は価格だが、今仮りに棉花と雑穀との段収を比較して観ると、菜(七斗)-小麦(六斗)-大豆(六斗)の二年三作の収入五十一円六十銭に較べて、単作棉二作(二百斤)の手取り収入五十六円は一見有利に観えるが、実際は棉花は収棉に三ケ月からの時間を要し、その他除草とか病虫駆除などに雑穀と比較して約三分の一の手間をとる
即ち肥料などと併せて生産費がうんと高くつき、そのうえ気候病虫害などによる危険率が高かったのである
今年は幸に棉価が大幅の値上げを見、農民は大いに感謝しており、供出に対する思想と覚悟が一変して来た程だったが『綿布一尺、米一升』の昔からの通念といい、また満洲棉、内地棉に比べていま一歩の値上りが至当だろう
従来陸地棉作は全々駄目だとされていたこの道が在来棉に変えて陸地棉を取り入れたのが昭和十四年、中和郡祥原面に植えているのを見て“これなら出来る”と始めて奨励したというからまさにロマンスだ、十四年やっと総作付面積の二割ほどだったものが昨年は総面積の九割強となり、今年は殆んど陸地棉に変えられている、農民は然し自家用棉のため依然として在来棉を作りたがる相だが、在来棉の喜ばれるのは低団棉だけであり、それに僅少でもこれを許せば陸地棉との交配の問題もあるし、今や棉花の国策物資としての重要性からも道は在来面全滅の英断に出るべきである
共販状況は十月末約四分の一を供出していたが、出足が少し遅れているというから今後どしどし成績を上げてゆくだろう、奨励郡としては道内十四ケ郡のうち大同、順川、成川、江東、中和竜岡、江西、平原、安州、价川の十ケ郡を指定しており、産業技進には素晴らしいものがある、例えば作付面積をみても、十五年度の陸地棉作は面積一千八百町歩に対して十六年度は一躍三千七百町歩の実面積を確保し、前年度の共販量百二十万斤に対し二百八十三万斤という勇躍ぶりだ
今年は三百万斤目標に十一月五日早くも百万斤を突破している十五年陸地棉大丈夫の自信を得て十六年郡農会は九千八百円の予算を組み、各面に一人の常置員を置いて自力で指導力の強化を行った
十六年面単位のものを愛国班単位としてここも愛国班に自主的責任を負わすこととしている、一月から二月にかけて“里民大会”を開き、里民を一堂に集めて指導、啓蒙に乗り出しているのは黄海と同様大差ない、冬の間に指導員が出て一筆々々耕地選定を行うことも各面に平均三ケ所の集団地を設置して集約指導に当っていることもほぼ同様だが、新興郡といえるだけに郡内に一歩足を入れると棉手一名、地方技手一名、その他一名を□いて指導に当っている、これを黄海道の十二名に較べると綿作指導者はようやく四分の一に過ぎない、それだけにまた指導者の労苦も甚だしいといえる傾向だ、督励策として道は賞金品を出しているらしいが、棉価の問題を考え総収入の問題を考える場合奨励金などは蝿の糞にもならず、棉作拡張は結局指導力にあるとすれば道は少し方針をかえる必要はないか
江西郡 四千五百町歩の作付面積に対し収穫予想高は三百五十万斤でここから三百万斤を共販しようと張り切っている、量からいえば道内で必ずしも首位とはいえないが、ここまできた近来の躍花供出の活状が身に迫る
竜岡郡 今年の目標作付面積は五千町歩だったが、旱水害のため現在の実面積は三千七百町歩に落ちた、ここから責任量三百万斤を突破しようと努力している、例年より二十日も早くきた氷雪害のためいもなどの獲り入れに手を取られて供出が少し遅れ、十月末までの供出量は約五十万斤、十一月末までには百二十万斤を供出し十二月いっぱいには全責任量を共販するといっている
この郡は部落連盟単位に適正売買組合を作り、棉花以外の共販農産物とともにこの組合が活動細胞をつくっているが、在来棉の歴史が古く大きいだけに乾燥から共出にいたるまで旧慣習が根強く、指導員は血涙のにじむ辛酸をなめている
殊にこの郡には技手は僅か一人しかおらず、しかもその妻女が産後既に三ケ月も引継いて入院しており、若い技手は残された乳呑児をかかえて夜も寝ず指導に走り廻っているが、記者は蓬々と髯を生やしたままの若い技手から苦心談を聞いていて、共に国家観念の中に泣いたのである【平安南道の巻おわり】渡辺特派員記

(四) 京畿道の巻 温情に実る供出 悪条件を克服して早仕舞い

京畿道はなんといっても京城、仁川など人口が密集している都市の大世帯を控えているだけに他道にくらべて食糧増産が一層緊急を要するために棉作については無闇に耕作面積を拡張するわけにはいかない、それだけに関係当局の心労は非常なものである、そこで考え出したのが他道ではあまり採用しておらぬ間作による連作法である、つまり麦の間に棉を作りもっとも合理的に耕地を運用して最小の面積から最大の収穫を得る方法を採用している
好都合なことには棉は比較的さほど肥沃しない土地にも立派に育つのみならず、どちらかといえば傾斜地で排水のよい土地が適しているので丘陵などの有閑地などを開墾して奨励したり、一般作物は余りよく稔らない土地を利用して耕作させ督励している、指導に当る道や郡の技術者たちの熱と努力により今年は相当苛酷な天災に見舞われながらも立派な収穫を挙げている、道内には水原、漣川、長湍の三郡に南北棉業会社の繰棉工場があり、道内で収穫された○○斤の棉はこの三工場で立派な綿に仕上げて需要に、民需に向けられるわけである
さて、この十三日で既に本年度の供出目標たる二百万斤を綺麗に供出して、道内はもとより全鮮棉作地における共販早仕舞の最高記録を作った、記者はまず水原郡の棉作状況を現地に訪い作柄、出荷、共販などに亘る郡当局の係技手ならびに共販に奮闘する繰棉工場職員や出荷に大童の農民の三位一体の棉供出姿をみた
水原郡 この郡は棉作耕地面積三千町歩であるが、今年は旱害や気候の不順など相当に酷い天災にあいながらも白川郡守をはじめ松岡勧業課長の農民への理解ある援助と棉作担当の金田、松原両技手の寝食を忘れた努力によって立派に天災を克服した、すなわち恰も棉の播種期の四月上旬から五月にかけ例の旱魃が続き一時は絶望視されていたのだが白川郡守は棉作は現時局下どうしても所期の収穫を収めねばならないと極力、追播をやらせるように各面長に檄を飛ばした、これと同時に松岡勧業課長は棉作主任技手の金田永甲氏と協力、いちいち各部落を歩いて農民を激励しながら追播を督励したが六月中旬から慈雨が見舞われそのため追播をした種がめきめきと発芽立派に育生したのである
そのため最初の計画面積三千町歩が全部発芽育生し、平均反当り百三十斤という豊作となった、しかも本年度割当供出量の二百万斤をはるかに超え二百五十万斤台に上り農民たちは各戸の割当供出両をすっかり供出して更に供出を申出でるなど当局を感激させている現況だ

これは他のいずれの棉作地でも前例のない画期的なことで戦時下棉花の需要が増し重要性を加えつつあ□今日まことに頼母しい姿といわねばなるまい、この蔭には白川郡守の農民への温情あふれる大英断があることを忘れるわけにはいかぬ、すなわち従来は棉の出荷督励法として郡当局が面吏と協力、各農家の家宅捜索を行ったりしたのを白川郡守は赴任以来“そんな姑息的督励法では駄目だ、むしろ温情で指導しもって農民に棉は国家へ全部供出しその上で製品や繰綿を分けて貰うべきものである”と指導の第一線に起った
さらに今年は各農家が割当責任数量だけ供出すれば、後は自家用として使用を許す旨を播種前に各部落連盟を通じて全農家に徹底させたものだかくて農民は当局の親心に発奮したのだった

出荷状況を見ても全部々落連盟長が愛国班精神を活用、その部落のものは一まとめにして牛車や手押車で共同出荷をするという能率的な方法をとっている、そこへ今年は棉の値も昨年より斤当り七銭も値上りしており、また供出成績の優秀な農家には綿布の特配がある、従来なら十二月一ぱいかかっても共販がすまぬものが十一月十三日で郡の割当数量である二百万斤をすっかり供出するといった上々の成績を収めたのも故ある哉である(この項続く)
白川特派員記

(五) 京畿道の巻 楊州郡民の敢闘 愛国班精神を活用

本道の北部に位置している楊州郡は本年度の棉作計画面積二千町歩の中、播種期における旱害のため相当激しい打撃を受けたが森山郡守をはじめ棉作担当の東島、徳安両技手が一体となり各面長に“棉花を確保せよ”との檄を飛ばす一方、森山郡守自ら陣頭に起って農村の激励行脚を行った、この森山郡守や東島、徳安両技手の激励が農民の奮起を促し、従来なら五月中旬ごろまで旱魃がつづけば棉は断念して代用作の播種をやり度かったのを今年は一人として異議を申出るものはなく追播に次ぐ追播を繰返し、全く火の玉となり天災と四ツに組んで敢闘をつづけた結果六月ごろになって降り出した慈雨で追播した分が発芽めきめきと生育、遂に八百九十四町歩の生育面積を確保するに至った
最初の計画面積二千町耕作面積からみればぐっと減ったわけだが、反当り平均百四十斤という豊作をかち得たのである、これこそ全く指導督励に当る郡当局と農民が一体となり自然の試練を克服、戦う日本国民の逞しい底力を如実に物語ったものといわねばなるまい
こんなわけで計画面積のほぼ半分の面積で優に責任供出高の九十万斤を果す見込みがたったのである、かくて各面の指導員をはじめ部落連興長を動員愛国班精神を活用、出来た棉は全部供出した上、応分の繰棉乃至製品を国家が設けた規定によって配給を受けるように再び供出督励の火蓋が切られた
これが九月初旬ごろから郡下十ケ面に亘り一斉に開拓をした、しかも各農家の自由出荷をやったんでは、どうしても所持棉の完全供出は不可能と見た同郡ではやはり部落連盟理事長が愛国班単位の共同出荷を絶対實行させることになり、一応その部落の棉は前記理事長が一纏めにして牛車や手車で九ケ所の共販所で供出させるのであった、その共販所にも森山郡守自ら一々乗りこんで棉花の国家的重要性集った農民に諄々と説き明年度の供出への対策を講ずるなど他郡で余り見ない熱心な督励ぶりを見せている、お蔭で各共販所とも押すな押すなの盛況を呈して係員は嬉し悲鳴をあげている、かくて十五日現在の共販状況をみると九十万斤の七割強の六十五万斤を突破している
この郡の農民たちが如何に熱心であるかを語る実話をあげてここに紹介してみよう、蘆海面倉門里、鶏声洞には二十戸ばかりの部落があるが、全部落の主婦たちが自発的にこの春から附近河川の不毛地を開墾約三段歩の棉作を共同でやった結果、二千斤の立派な棉を収穫するに至り、去る三日森山郡守を訪れ“どうかお国のお役に立て下さい”と棉作の献納を行った、おそらく棉花の献納は、全鮮を通じてこれが嚆矢であろうと森山郡守はじめ関係者たちは感激しているとまた郡内で一番成績の悪い隠懸面の棉作状況を見ると昨年は責任供出高三万二千斤のところ三割に当る九千斤しか収穫がなかったが
西原面長が、こんな調子ではお国に申訳ないと各部落連盟理事長と協力、農民を督励指導した結果、今年度の責任供出高三万五千斤をこの十五日まで立派に供出、面目を新にした

北隣の漣川郡は道内でも棉作先進郡として既に名高く、邑内に南北棉業の繰綿工場があり自然棉作に対する農民の理解も他郡に比して深いものがある、本年度の計画面積三千三百町歩の中、やはり旱害のため実際の成育を見た面積は三千二百十四町歩強で反当り百三十斤の作柄を示している、本年度の供出責任高は二百万斤であるが、この生育面積で推して責任高を果そうと郡守初め棉作担当の徳川、米田両技手が追播に、摘芯に農民を指導した結果、この十五日で責任高の七割に当る百四十万斤を共販した
残りは月末までに必ず出荷を終えると棉作担当の徳川、米田両技手は力んでいる、出荷方法はやはり部落連盟理事長が愛国班単位に一纏にして共同出荷を実施しており道内の棉作先進郡だけに余裕綽々たるものがある

平沢郡は計画面積二千町歩の中、播種期における旱害のため生育した分は一千五百二十一町歩に落ちたが
瑞原郡守はじめ棉作担当の治田技師の努力の結果、反当り百三十斤という好成績の収穫を確保、今年度の責任供出高百三十万斤を全部果すべしと六ケ所の共販所を動員、督励した結果責任高の八割強の百万斤を突破した、この月末までは全責任高の百二十万斤を供出完了の見込である(この項終了)白川特派員記

(六) 忠南道の巻 自由出荷に凱歌 農民への理解と協力

忠南は全南北とともに棉の産地として鮮内でも屈指の道であるが、何分にも今年は播種期における旱害のため収穫高は殆ど例年の半数に低下するという現状である、しかし道や郡当局が指導員を動員、農民を激励して追播に肥培に全く火の出るような敢闘をつづけた結果、よく天災に打ち勝ち、管理上の最善を尽したため全計画面積の半数以上を確保するのに成功、反当り平均八十斤の平年作と同様の収穫量を堅持して“棉の忠南”の面目を恥かしめなかった
本年の旱害は全鮮的なものはあったが特に忠南の棉作にとっては致命的なものであり、その上忠南の土質が一帯に粘土層であるため被害程度は一層激しかった、道内には大田に朝紡、鳥致院、長項に南北棉業の三繰綿工場があり道内の産棉並に全北の一部を担当して繰棉を行っている、この道は出荷督励法として郡ならびに面の棉作担当技術者を動員、やはりここでも部落連盟理事長を通じて愛国班単位に督励していますが、出荷方法としては従来通りに農家各戸の自由出荷が多く、京畿道でみるような共同出荷は普及されていない
ただ供出成績の優秀な郡や個人に表彰制を設け一等から三等までとして郡(団体)には優勝旗と賞金個人には賞金を授与している、その率は
特等一千円一名 一等五百円二名 二等三百円三名 三等百円三名
の割になっている、まず昨年出荷成績の優秀郡として団体賞を獲得した牙山郡の棉作状況をみよう

牙山郡の計画面積一千四百七十二町歩だが、棉作担当松の本技手の敢闘により見事播種期の旱害を克服、追播の徹底を期し得て今年度の責任供出高百万斤の完遂を目ざし七ケ所の共販所を動員督励の結果、この十五日現在で責任高の八割強の八十五万斤を出してしまった、そして月末迄には責任高の出荷を完遂するのだと郡当局は馬力をかけているものの、恰も籾の脱穀期に当り農家では猫の手も借りたいほどの転手古舞をしており、むしろ同情に堪えないものがある
しかしこの郡では各農民への出荷督励法として播種と同時に各戸当りの責任供出量を記入した通帳を配布、あらかじめ農民たちに自分らの供出すべき棉の量をはっきり自覚させた、その結果各農家では一斤でも多くの棉を生産するため懸命の馬力をかけ反当り最高三百斤の収穫をあげた農家がざらにあり、平均反当り百二斤の豊作をかち得た
こんなわけで今年度の責任高百万斤は楽々と果しうる見透しがついた、供出成績の特によいものには責任高だけ供出すれば、部落連盟の理事長を通じて各農家の家族数その他を細密に調査の上、応分の棉花使用を許すことにしている、また十一月一ぱいで各自の責任高を完全に供出した農家には今年から始まった綿布の特配への優先権を与えることになり、各農家でも脱穀などの余暇を見ては選棉や乾燥に大童となり、一日でも早く責任高の供出を済ますべく真剣になておるので、この月末には楽々と百万斤の全責任高の供出が立派に果たせよう

洪城郡は本年度計画面積一千六百町歩の中、旱害のため六割減収となった、反当平均収穫高は八十一斤、こんなわけで本年度の責任高九十万斤の供出は仲々難事である、しかし棉作担当の成本技手の熱と力による農民への激励が実を結び全農家が所持棉の全量供出を自覚して各部落では連盟理事長が先頭に起ち夜間講和をやって各自の責任高完遂に全力を注いでいる
しかし何んといっても郡全体の減収はいかんともし難くこの十日までの共販高は僅かに二十万斤に過ぎなかった、この郡は十二月上旬で漸く責任高の九十万の供出を完了するであろう

大徳郡は道庁のお膝下にある郡だが、計画面積一千七百二十四町歩をもち棉作担当技手松平清氏はよく旱害に迷う農民を激励して追播に、肥培に懸命の努力を払った結果、全計画面積を確保することができた、しかし反当りの平均収穫高は八十六斤、これでやっと責任高の九十八万斤を完全に果し得ることになった、ただこの郡の誇りともいうべき棉作篤農家を紹介してこの項を終ることにしよう
北面黄湖里の篤農家張忠源さん(五四)は六人家族の小作農であったが五年前から二町歩の棉作をやり共販日に一千八百三十三斤(価額六百二円二十四銭)宛を出荷、それで田畑を買い今日では立派な自作農として成功している、この人は誰に指導されなくとも棉作に努力、反当り百六十斤の豊作をかち得て今年は三千斤(価額九百九十円)の棉を既に去る十月二十三日出荷、共販をすましている
このことが面内はもとより郡内にも伝わり棉作奨励の生きた模範として大きな効果をもたらしている要するに棉作は郡守はじめ幹部からまず技術指導員の技手たちの苦哀をよく理解して協力し、ぴったりと心を合せて農民を指導督励してこそはじめて所期の成績を挙げられるということを切実に感ずる(この項終り)白川特派員記

(七) 慶北の巻 今月中に八割供出 昨年に比べ好成績

慶北の棉作は数百年前義城で文益漸という人が普及に努力したという文献が残っているところから見て、量的には他道に譲るとしても先進道たるの誇りがある、そのために道農務課の第二係では嘉村主任技師、河野、春日技手以下の係員が総督府の棉花供出方針の大本に順応しつつ道目体の独自な督励方法を講じて万全を期している本年の作柄はこの地方を襲った六七月の旱魃で追再播種を行ったものの一帯に不作である、その上に綿布の入手難から棉作農家の自家消費増大や一般人が原棉の密売をする傾向がますます酷くなるのでこの方の取締に懸命の対策を講じているが古い歴史を有する義城郡など本年の収穫予想高百六十二万余斤に対して郡当局の供出予想は百万斤という有様である
然し道内全般に亘って供出期を控えて十月中から指導員が棉花を供出することの重要性を、或は国民学校生徒を通じ、或は部落の臨時常会を通じて説いている、よって本月中には所定供出量の八割までには漕ぎつけることが出来るだろうと期待されて、これが外れたら面目に拘わると非常な意気込みで各郡を督励している
道当局の努力が酬いられて本年十一月六日の供出状況は二十三の府郡のうち三郡を除いて全部昨年同期より出廻りがよく幸先のよいスタートを切っている、以下金泉、永川、清道三郡下における実際について視察の一端を記して見る
金泉郡 十三邑面を擁する金泉郡は棉質のよいことでは全鮮を通じて優位を持続して居り、それだけに郡の棉作主任技手の深田氏も播種後の技術的指導に苦心して郡内の全部落を見廻って面駐在の指導員督励に遑がない、しかも本年は旱魃のために生産拡充計画を変更するような不遇に際会し秋の供出期で最低八十万斤は供出しようと綿密な計画を樹て既に十月から実行に移しているだけに供出の点でも苦労している、作柄は旱魃のために再播種を行った部分もあったが、作付反別は予定通り二千四百町歩に達し、反当収穫予想も六十三斤を計出し、棉作郡として有名な義城、安東両郡より好成績を示している、ここの千頭郡守は供出ということに非常な熱意を持ち、郡守室に統計表を掲げて毎日各邑面の供出高をみて技術員を督励していることは一層棉作係員の責任感を深めているようである
棉作農家に対する督励方法としては賞金制度を設けて郡内部落で最も多量に供出したものに一等五十円(一部落)二等三十円(二部落)三等十五円(四部落)四等五円(六部落)を支給することとし更に綿布入手難が供出を妨げるのに艦みて総督府から道に二千四百反の綿布特配があったのを利用して各農家が郡から割当てられた量の六割乃至八割を達成した者に三尺、八割以上十割に五尺、十割以上十尺ずつ特配することに決めて、六割以上のものは勿論定時配給を受ける資格を有つが六割に達しなかったものには一回以上の定時配給を停止することにしている
原棉の密売や地木綿の製織は厳重に止められているのにも拘らず、この郡が棉作の少い忠北に境している関係上夜間ひそかに農家へ買い出しに来る者があったり、鉱山のあるところでは農家で作った地木棉を法外な値段で買う傾向があるのでこの取締りに郡当局が躍起となっている、自家消費を多くやったり、密売をやる者が多いうちにも特志棉作者はある、□侮面銀基洞の朴来洙、南面鳳川洞の李八寧、農所面新村洞管炳寅の三君は毎年割当て以上を供出し、特に李君は毎年八百坪も棉を作り、それで負債を全部返戻したという篤農家である、十一月五日現在の供出量は九万三千六百斤で供出目標八十万斤に対する一割一部の成績である
永川郡 氷川郡は平野が多く肥沃地帯であるために米麦を主産としているが棉作地帯としても相当の成績を挙げ、特にその供出実績では道内随一である、昭和十五年の如きは収穫高百七十五万四千三百七十三斤のうち百十三万四千三百七十三斤を供出しており、昨年は不作であるにも拘らず百二十万一千百斤の収穫から七十四万三十一斤を供出して二年連続して最高の供出成績を挙げ今年も亦この名誉を続けようと高郡守以下平山主任技手が督励に必勝を期している本年の作柄は二千九百町歩の作付中八百十四町五反は追再播を余儀なくされた位の旱魃であるから反当三十九斤という不作ではあるが、郡自体の供出予想高八十万斤を突破して道当局の期待に副おうと意気込んでいる、十一月六日現在の供出量は二十五万斤で道内では第一の供出成績である
この郡では供出督励法として表彰費を里洞連盟、愛国班の二つにわけて支給することにして、連盟には一等百円(一里洞)二等五十円(二里洞)三等三十円(三里洞)とし愛国班には一等五十円(二班)二等三十円(三班)三等二十円(五班)にしている、一般棉作農家には共同販売の最盛期である十一月を狙って六月から十一月までに棉作農家へ配給される綿布を供出成績によって配給する方策を樹て、一農家が十一月末までに五十斤販売した場合には配給券(五ヤール)一枚を渡すことにした、例えば一時に百斤供出した者はその場で十ヤール分の綿布配給券が貰えるわけであるから非常に効果があると郡当局では供出ぶりに期待をかけていた
愛国班に対しては割当てられた数量を達成した班には優先配給をなし、責任量の六割にも達しない場合は、全然配給しないことにしているから班として貰いたい時は互に供出を督励し合う仕組になっている、高郡守の棉花供出に対する熱意は素晴らしいもので、係員にも告げずにこっそり各部落へ自転車で出掛けて原棉を見付けて『何故販売所へ持って行かぬか』と直接百姓に向って督励するので六日現在の供出量が道内第一位というのも宣なる哉である、折柄郡庁から二里半の地点にある臨皐面が共同販売日になっていたので道庁河野技手と共に現場を見たが郡庁で予想していた一万斤を遥かに突破し一万六千斤は下るまいと、面事務所前で郡職員と買付人が斤量はかりと支給に忙殺されていたが、一時にどっと各部落から押し寄せたため行列を眺めて『迚も大変だ』と持帰ろうとする者があり、それを面職員がとめるやら戦場のようなごった返しぶりであった
清道郡 九ケ面の殆ど全部が山間部にある関係で棉の生育が遅れたのに対し九、十月は好天気に恵まれたので一時は郡の技術指導者も喜んでいたが十月二十三日に霜害に遭って思わぬ被害を生じ現在のところ半作の反当五十二斤となり、予想収穫高も二千町歩から百一万斤、このうち八十万斤は是が非でも供出させようと郡職員総動員で督励に努めている、この郡では棉作者個人別の棉作台帳を作り、郡から面、面から部落連盟理事長それから愛国班長へと下部にまで責任供出量を明示して班長に責任を負わせている、供出に際しても班長が班員を引率して共販所に纏めて供出するよう指示している、綿布の特配、出荷奨励金も他郡とほぼ同様の方法で支給することにしているが現在の供出成績は十月中の一共販所の一回出廻り量が、八、九千斤に過ぎなかったのが十一月に入ってから上向き、各面一共販所の出廻りは一万四千斤に達し、一番多い個人供出量は二百五十斤、少い者で三十斤の成績を示し、十一月九日現在で十五万二千五百八十一斤、供出目標八十万斤の十六パーセントになっている
供出督励のためには郡守以下郡庁幹部から全職員が四回にわけた督励週間中に九ケ面を廻る計画を樹てているが山間部だけに交通不便で非常な苦労が伴うのは他郡にみられないことである(この項終り)(木村特派員記)

(八) 慶南の巻 棉と取組む指導者 血涙・十年間の苦闘

慶南の棉花は各郡の平均反当り収穫高において全鮮一の栄誉を荷い量的にも全南につぐ雄道であったが、一両年は黄海道の飛躍によって永年保持した第二位から第三位に落ちている、それだけに道、郡の綿作担当職員の増産気構えも真撃なものがある、しかしこの道も慶北と同じように播種当初の旱害で追播を行ったが、指導員必死の努力にも拘らず所定作付反別のうち相当の代作を余儀なくされるの不幸に見舞われた、この結果成熟期に理想的な天候に恵まれながらも道全体の反当収穫は過去五ケ年平均よりずっと落ちて六分作という予想がつけられるに至った
供出期を迎えての道当局の周到なる対策は逸早く各郡に通達されて万遺漏なきを期しているが特に供出督励に対する強みは西岡知事が非常に力を添えてくれることである、その供出奨励法として綿布を優先供給することは各道とも実施しているがこの道では西岡知事の発案で昨年から農家の最も欲しているゴム靴布靴を供出成績の良い者に配給している、また知事の指図で棉作技手のうち成績優秀な者に定期昇給直後であったにも拘らず臨時昇給をさせた、道としてはその労に酬ゆる策として執っただけのことであったが、他の怠けている技術員にも『仕事をすれば上司が認めてくれる』という希望を与えて非常な励みがつき、今年の播種指導、供出督励が活気を呈したそうである

統営郡 慶南の棉花を語る以上は統営郡の存在は無視できない、それ程この郡は棉作雄郡として有名であり、反当収穫の最高記録から供出割合のよいことにおいては全鮮に覇を称えている、しかしその反面に指導者の熱意如何によっては必ず何事も達成し得るという生きた証拠を示したことでも有名である、昭和五年には道内の棉花共販成績で十四位十一万三千余斤であったのが十三年には三百万斤を突破した、その裏面には現在道農務課の棉作技手金盛華氏の血闘が秘められている、昭和六年棉作不適地と刻印を捺されているこの郡へ着任にしてから、無智な百姓を相手に棉作を奨め、或る時は自ら耕して播種し、その跡を部落民が掘起して他の作物を播く、それをまた指導者が大挙して再播種するなど力づくで棉を作らすという涙ぐましい挿話もあり
又ある時は『棉を作らせて俺達の食物を奪う者だ』として棉作技術者達を簀巻きにして海へ沈めると部落民に脅かされたなどの話もいまは昔語りになっている、十六邑面中棉作農家一万三千六百戸、作付反別二千五百二十町歩その予想収穫高は二百五十万四千斤で反当百斤を超えているから他郡に比すれば作柄は良いのだがはじめの計画では四百六十四万斤を見込んでいただけに郡庁棉作係の落胆するのも無理はない、供出量は二百万斤を目標にし、耕作者に細密な調査の結果得た供出数量を割当てた供出命令状を交附している、供出を促進するために愛国班を総動員して警察署とも連繋をとって命令された数量は必ず出さなければならぬという観念を植えつけるのに万全策を樹てている
一部には供出督励に面職員が農家を訪問すると品質の良いものを自家消費に充てようとして舟に積んで沖合に漕ぎ出して匿そうとする不審者もいるが一般には『棉は納めるもの』という観念がしみこんでいるから一定量は円滑に出廻る傾向にある、この郡は島が多いので船を使って督励や買上げ立会に出るので能率が挙らない悩みがあるのが綿布、ゴム靴の特配は農民の供出に拍車をかけているのは事実だ、畝幅改良によって秋の麦播きでも棉の立木のままで出来る耕作法と四十町歩の集団栽培で有名な光道面牛洞里水直部落をみたが整然たる改良畝幅は他道からの見学者にも大いに教えるところが多いといわれるほど模範的なものである
統営邑から舟行一時間半の距離にある山陽面は全戸が猫顔ほどの海岸に二里余の長さに亘って散在し、耕作地は丘陵にあるが、ここは十月末の霜害も軽くすみ立木のままの棉が大きなボールをつけて見事に開いているもの、抜きとって乾燥しているもの、家に持ち込んで選棉しているなどの光景が見られ、同行した馬山繰棉工場の沢田取締役も『この分では二百五十万斤に達するでしょう』と傍らの西原主任技手を力つけていた、が十一月八日現在で既に目標半数に近い九十五万三千八十三斤を供出しているから十二月中旬までを最盛期とするこの郡の供出実績こそ慶南の成績を左右するものといえよう

昌原郡は管内に全鮮一を誇る馬山繰棉工場があり、他郡から供出された夥しい棉花が毎日棉作指導者の目に触れるから供出督励上の刺戟になるらしく、林鍾国氏を主務者とする棉作技術者たる文山、中山両技手以下全係員の供出督励ぶりは目覚しいものがある本年の作柄は決して良好とはいえないが、あらゆる悪条件を克服して平均反当収穫を六十三斤にまで引上げたのは成熟期の農家指導の宣しきを得た賜物で、初めの計画供出量百四十万斤に食い止めたのは偉とせねばならない、ここの供出督励は二期にわけて行い、十二月十五日までの第一期内に割当数量の六割、残りの四割は第二期の一月二十日までに供出するように指示している
そして供出督励の主点は愛国班単位の共同責任に置き、郡農会に備へつけた供出整理簿に明細な各班別の供出日計表が出ているから全郡棉作者の出荷成績は一々係員の説明なしでも郡守が一目みて判る仕組になっている万代郡守は供出の重要性に艦みて毎日係員を激励しているため仕事のやり甲斐があると林主任が語っていた、この郡の悩みは馬山府という消費地があって棉を欲しがる府民が農家から密買したり田舎から持ち込んだりする取締りである
記者の訪問した十一月十日までの供出量は目標九十万斤に対して四万斤であるが農家は今が麦播き時期で出荷が遅れており、十二月中旬までには八、九分通り出廻る見込みが付いているという-だが油断はできません、今年中は督励督励で毎日を送ります-と林主任が覚悟のほどを語っている
密陽郡 洛東江の流れに恵まれた豊饒地帯に位置する密陽郡の棉作は古くから行われ、今年の作付反別は二千四百町歩収穫量四百五十八万斤だが旱魃が災して予定量に達しなかった、しかし反当り八十五斤の成績は統営、蔚山に次ぐものであるから悪天候を克服した技術指導者の労を多としなければならない、江本技手を主任として金本技手が十二邑面の指導者に号令して総収穫高二百二万八千余斤のうちから百六十万斤は供出させようと十月五日郡庁で邑面の棉作事務担当者の打合会を開いて道の根本方針に基く郡の方策を協議したがこの地方では自家消費抑制に最も苦心している
棉作を古くからやっている関係上加工技術が進歩し、いかに厳重な監視をしても地木棉を作る者が絶えず、また他郷へ出稼に出ている者へ提供する道外搬出の傾向が特に目立つので各駅に見張人をつけたり邑の指導員が自己に課せられた供出責任数量を達成するように、今や郡庁職員は督励の明け暮れを送っているが十一月十二日現在の出荷状況は三十八万三千五百四十四斤で目標の二割三分八厘に達し道内第二位の優勢さを示している
(この項終り)木村特派員記

(九) 全北の巻 供出愈よ活気づく 収穫はまず申分ない

『本年は各郡ごとに作付面積を拡充したが何しろ旱害や水害によって相当の被害を蒙った、しかし当局者の熱心な督励指導と農家の努力で収穫は上々というところへ漕ぎつけた、共販は開花早かったので例年より一ケ月ばかり早く開始した、もちろん自家消費の抑制や闇取引の根絶につとめ供出促進のため綿布の特配とか褒賞などの方法なども講じた、ところがいよいよ出荷期に入ると農家は麦播に忙殺され今のところ出荷状況は余りよくないが中旬頃からは活気づくだろう』と去る四日全北道庁を訪れた記者に農務課技師吉田穣氏はこう語った、さらに道内棉作生産状況や出廻り状況などについて話をきいてから記者は同課金岡容永氏の案内で南原に向った

南原郡は道内きっての山間部棉作地帯だ、作付面積は一万四千五百反歩、共販高は百五万斤といわれ今年はことに優良種を栽培しその上肥培管理の徹底など積極的な指導督励と、郡内協力一致によって見事な成績を挙げつつある、愈よ共販期に入って、部落常会、愛国班常会に棉花供出の重要性と自家消費、または闇取引等はお互に厳重監視すべきであることを強調しよく徹底している
其の上愛国班を標準として割当数量を決定、完了班順位に統制綿布を優先配給することを申合せ、供出へ拍車をかけているが麦播きに追われ現在の共販状況は約三十万斤だが十一月十日ごろから最盛期に入るであろう
高敞郡 戦時生産力の飛躍的拡充を狙って高敞郡は道内でも棉作の模範部といわれているが、本年は旱害や水害によって棉の成育はあまりよくなかった、それにも拘らず、光山技手を初め鄭石均氏ら係員は各部連盟理事長と協力、共販出荷への督励に全力を尽して割当てられた共販目標百三十五万斤を突破して棉花高敞の栄誉をかち得ようと、意気込んでいる
そのためには部落連盟単位に愛国班に自主的責任を負わしめ優良班には特に自家用の打綿を許し、綿布の配給を優先的に行う方法を講じている、星松大山、孔音面の共販場には担車、荷車部隊が早朝から殺到し係員はうれしい悲鳴をあげている、運ばれる棉花の質は極めて良好で量からいっても既に四十万斤を突破して九日現在では全北第一位を占めている

益山郡 二年前まで棉作には道内で恐らく一番不振な郡とされていた、昭和十五年の共販高は僅か八万斤だったが十六年茂山郡守が就任してから郡守自ら陣頭に起って小島技手を初め係員を各方面に派して作付面積の拡充につとめた結果、昭和十六年の作付面積は五千八百反歩、前年の約三倍共販高は五十万斤という驚くべき数字を示し十七年には百万斤という飛躍的共販数字を示した
勿論播種期の旱害により発芽状態が著しく悪かった為に平年作柄よりは約一割減が予想されてはいるが、一反当り六十四斤の割当供出量は責任をもって遂行すべく意気込んでおり郡当局も督励に大いに馬力をかけている

井邑郡の本年度共販目標高は百三十五万斤、作付面積二万反歩で、松宮技手の指導にも拘らず七月下旬の水害で山間部地帯は相当の被害を蒙り平年作より約一割減反を見せている
出荷期に入って郡では各愛国班の部落常会を開き督励員がいちいち乗込んで棉花の国家的重要性を説明して割当数量はどんなことがあっても確保するよう、自家消費は絶対に認めず出来たものは全部供出するようにと督励してはいる、十月末日現在の共販高は僅か四万八千斤にしか達していない、之では心細いとあって郡庁の係員はもちろん、各面事務所の指導員は昼夜兼行で供出督励に各農家を戸別に訪問、涙ぐましい敢闘ぶりである(この項終り)
鄭特派員記

(完) 全南の巻 愛国心に沸る供出 棉花安の不平も解消

南棉北羊といわれる半島で第一位の棉産地として知られている全南道は文字通り“棉の全南”の名を恥かしめない、今や全道をあげて棉花供出に大童となっているが、さすがに本年は大旱害によって播種の成長に悪影響を受けている、だが棉作は全南の生命とされるだけに熱心な当局の督励指導と耕作者の努力がつづけられた結果収穫期前に入り作柄は非常に見直されこの分でいくと可成りの良成績を挙げ得るものとみられるに至った
特に本年は棉花の開花が早かったので昨年より約一ケ月も早く共販を開始、道から各郡に供出割当を行うと同時に産業技手を初め技術指導員を先頭に、各村落連盟理事長が協力して出荷を督励し自家消費の根絶を期して目標数量○○○○万斤を突破せんとものと意気込んでいる、しかし一般雑穀に比べ余りにも棉価が安いという不平が可成りあり、供出の大きな支障となっていることはこの道として注目すべきであるが、当局としてはこの農民の不平不満に対して国策の重要性を説き、供出の国民としての責務であることを強調しつつ出荷の督励につとめている-記者は技手幸村直氏に案内され道内の視察に向った-

務安郡 三十九ケ所の共販所を擁している務安郡は全南二十二ケ郡内の代表的産地である、作地は殆ど島々の山間部地帯に多く本年は生育期間中旱害、病虫害のため相当減収を予想されたがいよいよ出荷期に入ってみると以外に良好な成績をあげた、作付面積十万三千六百反歩、収穫高は七百八十余万斤、その八割を共販目標高として郡では早速綿花増産委員打合会を開いて各委員に担当区域の責任数量を絶対に出荷督励するよう、共販出荷命令証を配布して自家消費を抑制している、また一方各警察、官庁、学校、金融組合、南北棉業、朝鮮綿花同業会などと緊密な努力をしている
さらに各里、区長、連盟理事長、棉花増産委員を激励

一、選棉乾燥の良否は直ちに利害に影響すること
一、責任供出量以上の出荷者には綿布の特配をなす
一、棉花供出奨励金交附ならびに部落褒賞を行うこと

など万全を尽し綿布配給の不足と棉価の安い不平を押切って愛国心に訴えて自家消費、密売防止に大童となっている、この結果八日現在では百四十万斤を突破したが品質もよく一等棉が八割以上を占めている

光山郡 時局の重大性に艦み光山郡ではこれが軍需品並に国策資源の作物として積極的に栽培を奨励すべく土地、耕作者を選定して播種、肥培管理の指導を徹底させ銃後国民の熱意を棉花の生産供出の上に発揚せしめむべく努力している、しかし旱害の影響が可成り大きく農会では自家消費に断を下して作付面積二万三千反歩、共販目標百十万斤を標準として棉作者個人別の棉作台帳を作り郡から面、面から部落連盟理事長、それから愛国班長へと責任供出量を明示し班長に責任を負わせ供出証を配付するなど既に十月から実行に移している、棉作農家に対する督励方法としては松田技手が先頭に各邑面部落連盟理事長、愛国班長を各販売所指導員として供出督励に乗出しその成績の顕著なる者には各邑面へ三百円以内、個人には百円以内の賞金を授与表彰するという制度を設けている
そのうえ生産には供出数量完了者順位に統制綿布の優先配給をすることを決定して割当数量完遂へ積極的督励をしているこの郡は光州府を擁している関係上一般繊維製品の不足に伴って棉花の密売、地木綿の需要者が多くその値段が高価なので一時共販出廻りは非常に悪く自家消費が増大するので郡当局を初め各面指導員が躍起となりこれを根絶するよう必死の督励に努めた結果、果してその甲斐があって出荷状況は可成りよくなっている、しかし目標数量達成はやや困難視されているようだ

羅州郡でも六、七月の大旱害に災されたが、八月初旬の降雨にやや蘇生、作柄は順調であるが、豊作とはいえない、特に本年は耕作面積の確保、指導力強化を二大網目としているが、九月上旬収穫期を前に先ず郡では石本勧業課長を初め上之技手、棉作係員が一体となり『今年の共販高はわれわれ最後の奮励にかかっている』とばかり面長会議、愛国班長督励、出荷数量示達、面単位競進などの計画を樹て、出荷督励に全力を注ぎ責任数量絶対確保は勿論それ以上の成績をあげることに努めている
かくていよいよ共販期に入り緊急部落連盟理事長打合会を開き郡内共販目標高二百二十万斤のうち割当数量の急速供出完了を促し部落連盟の愛国班を標準とした責任数量を割当てこれを完了するまではその部落連盟員は連帯責任をもって自家消費を自省することを申合せた、かくて一般農家はこの方針に順応して日毎に効果をあげてはいるが、麦播きに追われ十月末日現在の共販高は僅かに約一割を示して出足が遅れているしかし年末までには割当数量が順調に出荷されるであろうと郡当局は楽観している(鄭特派員記)


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