新聞記事文庫 労働(1-024)
大阪朝日新聞 1912.10.6(大正1)


クルップの社会政策


今年八月八日独逸国エッセン市に盛大なる創立百年記念祭を挙げたるクルップ会社は其の初めて莱因河の一支流ルール河畔に設立せられたる当時は実に眇たる一小手工業的鋳鋼所に過ぎなかった、百年の間多少の浮沈と好不景気とはあったが概して日に躍進し月に濶歩して今日では資本金一億六千馬克、鋳鋼業、製鉄業、造船業、石炭坑、鉄鉱坑等を包有し七万余人の労働者を使役する世界屈指の大会社である、其の重なる製品の一たる大砲の如きは独逸を以外の五十二箇国に二十七万三千門の砲身を供給して居る、百年祭にはカイゼル親しく臨御してクルップ会社が後れ馳に先進国の鉄工業と競争して遂に世界的市場を開拓したる偉業を嘆賞して政治並に経済史は永久にクルップなる名に名誉の冠を捧ぐべしと云ったのは必ずしも溢美ではない。
クルップ会社の外部に対する位地は以上の如く世界屈指であるが其の内部の組職即ち工場主対労働者の雇傭関係換言すれば労働者の待遇方法に至っては屈指と云う程度を通り越して先ず以て世界一である、今更クルップ会社の社会政策を紹介するのは時勢後れである殊に新聞がやるのであるから間抜けさ加減はお話にならない、けれども如何せん我が国では国富増進の第一歩であるところの生産的社会政策即ち労銀の引上げと労働時間の短縮換言すれば労働者を優遇すると云うことは日本の国力の進歩を妨げるものである今日労働者を酷便するのは結局生産費を安価ならしめて先進国の工業と競争する唯一の武器である之なくては日本の工業は一日も立って行かぬ、労働者がドンな酸鼻な状態にあろうが又将来日本の工業がドウなるかにはお構いなく当座自己の懐が肥ゆればソレで沢山と云う盲蛇に畏ぢざる的の愚論が依然勢力あり、折角工場法も骨抜さにして知らぬ顔の半兵さんをきめ込む様な世の中であるからクルップ会社の百年祭に因んで今更らしく尤もらしく同会社の労働者優遇法の概略を紹介する必要がある、此の点からして必ずしも時勢後れな間抜けた計画ではないと信ずる。
茲には同社の労働者待遇方法を仮りに救済機関、教育機関、住宅設備の三ツに大別して説くことにする。

第一救済機関

疾病金庫

千八百三十八年の創設で昨年調に拠ると加入員から拠出したる額は百三十四万二千馬克で会社からの補助は六十七万馬克である、つまり労働者側は二、会社側は一の割合で掛金する制度である、此の資金で以て労働者の疾病の際に於ける珍察、治療、医薬、看護等の諸費用及び死亡した場合に埋葬費を支弁するのである、之は千八百八十五年に初めて制定されたる独逸国疾病保険法の手本となったもので、クルップ会社では此の疾病保険法と相竢って職工を救済する訳である、此の外に会社から時時病気見舞金を出す此の総額が百二十二万二千馬克に上って居る、病院の設備は固り完全で男子用、女子用、小皃用と夫れ夫れ分れて居る、クルップ家の冠婚喪祭の際に設けられた幾種の病院もある。

労働者恩給金庫

千八百五十八年以来ある制度で老衰又は廃疾の為に労働不能となった場合に会社から年金として労働者にくれてやるのであるが労働者の生存中は固り死後寡婦孤皃等の遺族にも及ぶのである、年金の額は賃金の高及び勤務年限の長短に依って段が附く例えば一日五馬克の賃金で二十年間勤務した者ならば六百馬克、同一の賃金で四十年間勤務した者は千五十馬克、之が賃金六馬克三分の二の者になると同上の年限で八百馬克と千四百馬克宛退職後年年支給さるるのである、又年金は仮令労働不能の証明なくとも即ち労働に堪え得る者と雖も年齢六十五歳に達するときは年金に指定されたる期間経過後であるか又は四十年間勤後後は支給さるるのである。

生命保険同盟会

千九百七十五年来組職されて居るが或る意味に於ては恩給金庫の働きを補充するものである保険料が割引せられたり、又必要のあるときは保険金が前払せらるるのが特色である

職工財団

千八百八十七年中興
の祖アルフレッド、クルップの死を記念する為会社は百万馬克を寄附して職工は勿論家族に至る迄其の恩沢に浴せしむる仕掛である、即ち労働者自身に何等の責なくして困難に陥りたる場合又は不治の疾病に罹りたる場合等に於て疾病金庫が十分に尽し能わざるところを補い一方には又恩給年齢に達せざる前に死亡したる場合にも其の遺族扶助料を支給するのである、是も亦独逸国の労働者保護法の救済ある上に更に会社の設備で労働者を救済する方法である。

廃疾財団

千八百九十七年の創設で第一世維廉皇帝の百年誕辰を卜して会社が同じく百万円を寄附したものである、職工財団と同じ趣旨の働きを為すもので国庫よりする廃疾者の保護及び会社の定めたる年金扶助料の尚及ばざらんことを憂えて設けられたものである。

役員及、寡婦、孤児恩給金庫

千八百九十年会社が五十万馬克を醵出して設立したるもので年俸二千馬克以上の役員は総て入会を許される、入会の際には給料の一箇月分を掛け其の後は年俸額の百分のを掛金とする。

[写真(鐘紡の娯楽会堂)あり 省略]

之と同額を会社も掛金する、然し会社は此の外に昨年調で特別支出金四百六十五万馬克を補助して居る、恩給の受領資格は五箇年勤続の後に生ずる、此の年限に達すると俸給額の六十分の十五を受くる資格が出来る、而して勤務年限三十五年迄年年六十分の一を増加して三十五年勤続の暁には年俸額の六十分の四十五を受ける資格が出来る、現在の最高額は一万馬克に達して居るのがある、寡婦の受くる恩給は此の割合の半額で孤児は十八歳以下は男子又は父の恩給の二十分の一である。
クルップ会社の労働者救済設備は保護を斯の如くやって居るぞと広告的申訳的の補助とは自から選を異にして居る会社事業の使命抱負を自覚しての労働者保護であるから其の遺り口が根本的である、労働者から掛金さして会社からは涙ほどの補助をしてお負けに其の掛金全体を会社の営業資本に繰込むと云う如き卑劣なこどはせん、全部公立の貯蓄銀行に託してある。

第二教育機関

小学校

八学級に分れて役員職工の男女児の初等教育を施す、而して日本では問題にならないが独逸あたりでは各地方から集まる職工には宗派が異るから此の学校は何れの宗派にも属せない、斯ることまでも気が付けてある、千九百五年にエッセン市から小学校の経営を会社に移してしまった。

工業学校

千八百七十五年の設立で十四歳の女児及び手工労働の婦人を主として営業的に養成する所であって女子手芸学校と云う程のものである。

家政学校

職工の子女をして小学校終了後料理、看病、裁縫、洗灌等を教ゆるところで老婦が監督指導して居る、例えば人間が健康を維持する為には一日に肉類は幾ら、野菜穀物が幾ら宛必要である、それを最も安価に調理する方法は斯斯であると云う風で衛生と経済との見地を離れない、又模範室というのがあって日用品の整理方法を実地に就て教ゆる所である。

矯風会

物理、化学、電気等の科学から簿記、演説、速記、音楽等の稽古が出来る外舞踊、演劇等も催される、会員は政党加入又は政談演説等は出来ない、壁画には倫理的のものよりも文学的のものが多い、これは彼の地シルラー、グーテ等の文豪に富んで居って其の創作は自ら人の精神を美化する力を持って居るから職工等の気品を高尚にすることに偉大の勢力がある千八百九十年の設立で会社の直轄でなく補助するだけである。

図書館

工芸的書籍が大部分を占めて居る、事苟くも煽動的に亙る書籍はクルップ会社と雖も厳禁してある、支局が幾箇所にもある、現在八万二千冊を包有し縦覧よりも貸出が主である昨年あたりは貸出高十九億余回に上った、而して各書とも特別の皮表紙が付けてあって回収さるる度毎に表紙は勿論一枚枚枚消毒をする、固り機械でやるのであるが用意誠に周到である千八百九十九年の設立

奨学資金財団

会社から年年一万二千馬克宛支出して職工長及び職工等の子弟を技術的に教養し高等工業学校等にも入学せしむるのである、千八百九十年の創設

第三住宅設備

以上述べたる諸設備は今日大概の工業会社に類似のものがある、唯程度が違って居る迄である、然るに労働物の住宅設備の完美を極めて居る点はクルップ会社が嶄然として群を抜いて居るのである、粗はバラック式の一階建より精は煉瓦造の三階建に至る迄一人前に要する空間はどれだけ、日光は共有物であるという理想が実視されて居るのみならず一棟に二乃至六家族共同住居のものと雖も隔壁は固り入口もあれば庭園も各別に存在して居るから便利である上に各自の品位を保つことが出来る、シェーデル屋敷、クローネン丘、アルフレッド屋敷、養老屋敷等の住宅地には各消費組合があり、市場あり、麺麭焼場あり、学校があり、公園があり、ビヤホールがある、倉庫音楽堂、屠牛所のあるものもある、宛然として日本の別荘地の如きものである、否設備万端比較すると迚も競争にならん位である一廉の日本紳士でも一たびコロニーの並木のある辺にでも行くと顔色なしと云うことだ、エッセン工場のみでも六千六百戸其の他の工場に於て三千百戸此の外に独身職工の合宿所があって二千三百のベットが備附てある、未だ四千戸位しかなかった十年前に於て此等家屋の建築費が敷地代を入れて千六百二十八万馬克であったと云うから大したものである、而も公園敷地費や野菜畑費、学校、病院等の費用は此の外にある訳だ、家賃は

[図表あり 省略]

で独逸一般家賃率の五分の三にしか当らぬそうであるから総収入は建設費の百分の四、維持費其の他を引去ると百分の二、五である租税や元金償還費を引去ると利子は出て来ないた云うことである、此の外に役員集会所、職工長集会所等があって王突台等を備えて娯楽集合所にして居る、又体操撃劒倶楽部、艇庫、テニス其の他のコートが設けてある、養老屋敷には現在四百五十戸あって今後年年三十乃至四十戸を増築することになって居る、此処には天然の絶景に加うるに設備万端整って鉄と肉との戦の為に疲れ果た老躯を養って悠悠自適の間に余生を楽むことの出来る様にしつらえてある、実にクルップのコロニーに産れ茲に生き茲に死するものは、一大温室の中にあるとってよい。
以上の社会政策的諸設備に加うるに独逸労働者保護法の規定に依って労働時間、賃銀支払方法、職工証等に至るまで保護がある訳だから労働者の待遇上には殆ど間然するところはないと云ってよい、斯の如くクルップが至れり尽せりの方法手段を講じて居るに対して同じく労働者保護に就てはクルップと並立して世界に範を垂れて居るものがある、即ちエナ市のツアイス眼鏡工場である、此処では卓抜なる識見を以て一世を風靡したる故エルンスト、アッベー教授が心血を注いで築さ上げた組合経済と労働時間短縮とで総ての問題を解決せんとしたのである、詳言すれば資本は工場主にあるでなく、重役にあるでなく、職工に専属のものでは固りない、皆ンナが寄って集まって共同に働いて而して夫夫分に応じて利潤を分配するのである、住宅を建ててやるでもなく廃疾財団の設備等も亦固りない、一方に又労働時間は突飛に短くして八時間より多くは働かさない。
是に於て乎右の両者を比較して学者間に二様の見解が現れて来る、クルップの如く赤児に乳を飲ます様に余りに労働者を労わると労働者が自然卑屈に流れて主張すべきことも主張せずに一方に大に恩恵を受けて居ることであるからマアマア耐忍して置こうと云う引込思案になる、然るにツアイスの方は労働者を放任して置く総ての事を賃金収入で決してしまう、随って労働者の人格を維持する上に何等の障害を与えない、之が一派の学者の大に気に入るところである、之と反対にクルップに左祖するものから見ると家庭的に何等の繋累のない独身労働者は別とするも苟も家庭の繋累のある労働者は扶養の手数を要する数に依って又健康不健康に依って又老壮幼に依って各自自自に其の生活状態に大なる差異がある、是等の責任を労働者一人に負担せしむるのは酷である、之れが救済は主として雇主に於て世話をしてやらねばならぬと云うのである。

[写真(クルップ会社職工住宅 クロチンベルヒ部)あり 省略]

斯の如く学者の間にも実際家の間にも意見のあることであろうが結果から見てクルップの取れる社会政策が誤って居るとは思われない、口悪のカイゼルが工業経営上の発展を讃美したるのみならず社会政策上の問題にも大に貢献するところがあったとクルップ社に親臨して心から感謝の辞を述べたのも日常の大布呂敷とのみは見ることが出来ない。


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