新聞記事文庫 都市(2-015)
大阪毎日新聞 1913.1.30-1913.2.1(大正2)

兵庫県付録

神戸中央市区の変遷 (一〜三)

元湊川改修会社の功業


(一)

湊川改修会社は昨年限り其清算事務の結了を告げ本月限り其社宅を引払い残務は専務清算人秋山恕卿、武岡豊太両氏に一任して今回全く解散を告げた回顧すれば神戸市の中央を貫流して堤塘丘状をなし以て東西の交通を阻隔するのみならず年々土砂を流して海港を埋め時に洪水は堤塘を破って多数の家屋を流し人畜を害うなど神戸市の一大厄介物たりし旧湊川は湊川改修会社の苦心経営に依りて其川筋を他に移し現今の如き熱閙の巷と変じ歓楽の郷と化し古昔の名残を僅に公園指定地の老松に留むるのみとなった自然が人間を征服する力も豪いが人智が自然を征服する力もまた偉いといわなければならぬ此際神戸市民は湊川改修会社の先見ある功業に対して大に感謝の意を表せねばなるまいと思う
此時に当って会社事業の沿革を述べ聊か懐旧の料となすという事は強ち無用の業ではあるまい抑も湊川を改修しようと企てた動機は去明治二十年故藤田伝三郎先代鴻池善右衛門故田中市兵衛土居通夫氏など大阪の富豪連に村野山人氏が加わって之れを他に附換えれば神戸市の患害を除くのみならず川床と海面に少からぬ市街敷地を得て公私共に大に利益であろうと云うので時の官庁に交渉の結果同二十八年に至り愈々百万円の株式組織となし会社を創立した仍で会社は翌二十九年四月流域附替工事を出願し同十二月政府の許可を得たのである
斯くて会社は同三十年七月公有水面一部埋立の許可を得て開業し其十一月湊川改修後に於ける旧川敷地の無料払下げを受くるの件を神戸市と契約し直に新川開鑿の工事に着手し同三十四年八月に至って工事全部竣成した此間時日を経る事五ヶ年工費を費やす事約百十万円新川延長二千四百六十間に及び就中音羽山下に穿通せし隧道は長さ三百三十二間難工事中の難工事であった

(二)

新湊川の工事は完成したが旧湊川の埋立は其儘で工事に着手して居ない夫から新湊川の検査を受けると同時に予ての契約に基き旧湊川の川敷堤塘敷地無代譲与の事を神戸市長に上申翌三十五年六月に至って旧湊川敷堤塘敷地五万八千二百九十九坪の無代譲与を受けた併し資本金の百万円は既に費い尽して少からぬ負債のある折柄とて旧湊川の埋立工事をするにも肝腎の資金がない会社は此間旧湊川尻を埋立てて造船所に売ったり色々遣繰算段を行って見たが工費を引出す途がないので非常なる苦境に陥った
それを大倉喜八郎氏が見兼ねて三十万円の資金を会社に融通し後の工事を継続せしむる事となったそこで会社は専ら其衝に当った秋山恕卿、武岡豊太の両氏が経営を引受くる事となり専念埋立工事を急いだのである、そして同三十八年の下半期に至って旧湊川敷地の整理工事全部完成を告げ海軍省用地前東出町の水面埋立工事も同三十九年に至って完成し旧湊川敷地五万八千余坪の外に水面埋立地一万九千余坪を得る事となった而かも会社は同年八月新湊川の堤防隧道保存期満了し維持修繕の義務を解除せられたるを以て会社の事業は茲に大半以上完了し此上は川敷を処分して注入した資金を回収すれば宜い事になったそれで四十年一月に至り会社を解散して秋山、武岡両氏等の重役が其儘清算人となって爾来専ら川敷の売却処分に任ずる事となり川敷を売っては株主に払戻し斯くする事前後九回に及んで株主は一株五十円に対し以前払込に充当したものを合せて百二十二円五十銭宛払戻しを受けた勘定になる之れを金利に引直すと株主の懐合は年八朱平均の配当を受けたと同じ勘定になるので営利会社としては先ず充分の成績を挙げたものと云って差支ない
ところで此土地の売却処分に就て初め一坪平均四十円位には売れる見込であったのが時偶戦後の財界反動時代に会し折角築き上げた市街敷地も殆ど手の出すものがなく久しく茫々たる川原の如き体たらくであった此間会社の苦心経営はまた普通ではなかったのである或は現今の相生座に廉く土地を払渡し宏壮なる劇場を造らしたり或は青物市場を起し借家を建てて人を集める工風を凝したり色々手を代え品を換えて土地の繁栄策を図ったが川原は依然として顧みるものがなく漸く同四十三年に至りて活動写真館が出来て借家にも弗々人が住むようになり市街地として将来多少望みのある土地となって来た現今の活動写真館の敷地となって居る四千余坪の土地は当時武岡豊太氏等が大倉喜八郎氏に拝むようにして一坪平均五十円で買って貰った土地である然るにそれから僅に三年後の今日となって右の土地は土一升金一升というも愚か神戸市内では最も高価なる土地となり大倉喜八郎氏は為に資本に数倍する利益を獲得して大喜びである数年前までは一坪五十円にも六ヶ敷かった土地が一躍数百円の地価に昂騰しようとは実に夢のような話しではあるまいか

(三)

数年前まで殆ど狐狸の巣窟に等しき砂原で風雨の節は砂礫を捲いて面を向くべからず夜などは婦人や小児は恐れを懐いて此処を通行するのを避け宛然小沙漠の観を呈せし湊川の新開地も活動写真館や劇場が建並ぶと忽ち肩摩轂撃の熱閙場裡と変じ大阪の千日前も東京の浅草も三舎を避ける神戸唯一の歓楽郷と化し一ヶ月一坪の借地料が一円より八円という箆棒な値段に暴騰して寸尺の土も銀と其値を争い一塊の砂礫も黄金と其貴重を競うとするに至った当初会社が旧湊川川敷地を一坪三四十円の宅地として売買する設計を立てた時に多数の人々は之れを一個の空想として聞取り殆ど耳を傾くるものがなかったと云うに至っては全く隔世の観がある
而も斯の如く湊川新開地の繁盛を見るに至ったのは一面に於て神戸電鉄線開通の賜物で所謂地の利を得た上に交通の機関が具わったからである更に本年の八月より神戸電鉄の兵庫線は湊川繁盛区の南端を横貫する筈なれば一層交通の便利を加うると共に其繁盛は弥が上に繁盛を加うる事となるべく殊に有志の計画に成れる理想的演伎場たる聚楽館も遠からず竣成すべく電車通以北の空地も漸次市街地と変ずべく尚其上方の公園指定地も整理の必要に迫るべく恁うなって来ると湊川新開地の将来は那辺まで繁盛するか今より測り知るべからざるものがあると共に元湊川改修会社の先見ある施設に対して愈々多大の感謝を払わねばならぬ
湊川が繁盛するに随って神戸市の繁盛は漸次一所に集中するの観がある数年前までは殆ど常縁日の如き観ありし楠公社附近は全く其繁盛を湊川に奪われて往時繁盛の名残だに留めざる寂莫の巷と変じたるのみならず市の東部の繁盛を集めし三宮神社附近は電車の開通と共に是亦漸く其繁盛を湊川新開地に奪われて今や昔日の態はない其他兵庫の柳原も湊川新開地の繁盛するに随て近来益々寂れ行くそうだ此趨勢にして歇まざれば神戸の繁盛区は遠からず一大変動が起って遂には福原遊廓の移転を促すと共に市区改正の急要を喚起するに至るであろう(完)


データ作成:2005.6 神戸大学附属図書館