新聞記事文庫 都市(12-109)
大阪朝日新聞 1934.4.28(昭和9)


国際的に発展する大哈爾賓特別市


北満特別区とは従来東省特別区と称されたる地域が多少の改編を経て大同二年七月一日より更新したる地域の総称である、即ち哈爾賓を中心として東はボグラニチナヤ、西は満州里、南は新京へとT字形に延びたる北満鉄路の附属地一万五千町歩に及ぶ地域で、その成立は十九世紀末葉の「三国干渉」によって支那に恩を強要した帝政露国がその代償として支那から獲得したる東支鉄道敷設権に端を発したもので、一八九六年九月の東支鉄道建設および経営に関する契約によるもので最初は単に「東支鉄道附属地」といわれていたが、一九二〇年十月、支那は露国の革命に乗じてその行政権を回収し「東省特別区」と改称し、更に満州国成立するや、大同二年七月一日を以って「北満特別区」と改称されるに至った、今や「北満特別区」成立経過を概観するに、帝政ロシア専制時代より満州帝国の治下に至るまで政権の推移甚だしく、波瀾万丈、露支勢力の消長が刻々に反映し宛然メトロドラマの一雄篇たるの観がある、殊に帝政ロシア独占時代に於ては日露戦争の失墜から北満に勢力を確保せんとしたロシアも、革命勃発は極東に波及し、混乱状態を呈した、時しも国権回収に虎視耽々たりし支那はこの好機逸せず、直ちに実力を以て行政権回収を開始した、その後露支協定が成立して東支鉄道に対して折半共同管理原則が確立した、とはいえども奉天政権は事毎に東支鉄道に圧迫を加え、次次に権益を回収し再び東支鉄道の上に暗黙ただよい、険悪な空気は一九二九年五月露支紛争となりかくする裏に全世界の視聴をあつめたる満州事変が勃興し、東支鉄道一方の経営者たる支那は新興の満州帝国と変る運命になった
建国以後昭和七年二月日本軍ハルビン入城直前東省特別区は反吉林軍の占領するところとなって一時無政府状態に陥り、行政経済緒機関は停止された、時の特別区行政長官張景恵氏はこれが解決を日本特務機関に委任し来り特務機関の活動によって旧状機関は旧の如くに復活したが同時に満州帝国の北満政策の基点たる大哈爾賓市の建設の一大方針に基き従来長官公署の管轄に属したる特別市政局並びに特別市政管理局は新たに大哈爾賓市政■備所の下に属することになった大同二年七月一日より輝やかしき北満特別区は成立するに至った、この北満特別区公署第一代長官には、特別市長を兼ねて呂栄環氏が任命された

きょうの大哈爾賓

北満に於て四通八達の都市としてはハルビンを第一とする、北東亜細亜の物資輸送、旅客従来の結節点として絶大なる意義を有し、新京へは二四〇粁、大連へ七〇四粁、浦潮へ七九四粁、満州里へ九三五粁であるきょうの国際都市哈爾賓は露国が都市経営を行う迄は全く松花江岸無名の草莽に過ぎず、従って哈爾賓の名称も満州語「網十場」又は「魚網」から生れた「好浜」良き浜の意で、露語のハオピン(大墳墓)の転化で露人は遠久の墓地として永住せしめんため命名したという国際都市としての人口別は満州人三十四万、蘇■赤系三万白糸三万、日本人一万、朝鮮人五千、其他英、米、独、伊、波、白、チェコ等約三十余箇国の人種■集せる所謂国際都市を達成する
都市計画 満州国の北満政策の基点である大哈爾賓特別市は満州国第一の大都会として国都新京の五倍、現大東京市の二倍に達する実に尨大なる地域を占め、区劇上からは従来の四市三県に誇る一大メトロポリスである。従来俗に大哈爾賓と称していた地域は伝家旬、埠頭区、新市区、松浦市を総称したもので九五・五平方キロ米であった。然るに大同二年七月一日を期して成立したる大哈爾賓特別市は従来の哈爾賓の約十倍に拡大されるわけである
大哈爾賓 特別都市計画事業費の起債として第一期五百万円を集め、上下水道の建設、交通機関の統制、特に緑地々帯の建設享楽地帯の建設、市営住宅の建設計画などがある、中にも有利なるは
投資家歓迎 目下爾賓市中は人口の急激なる増加につれて、住宅極度に払底し、市営住宅計画は少なくとも市当局が或る保証の下に家屋に対する投資家を必要としている現状でこれも大都市計画図表発表後で、四月中にはその発表があるはずである、詳細は哈爾賓特別市公署庶務科へ照会すればよい

大哈爾賓の行政

特別市の精神は普通都市より重要性を認め、政治、経済、軍事、国際関係等々の諸般の事情を顧慮し、地方行政機関の省に応せず国家直接の監督下に置く、現在の哈爾賓特別市公署の組織は

「総務処」秘書科、経理科、人事科、庶務科
「行政処」社会科、公用科、衛生科
「財務処」損務科、徴収科、産業科
「工務処」道路科、河川科、建築科、企画科、庶務科

国際都市だけに構成は複雑多岐なるため「特別市自治委員会」を組織し市政参加定員二十一名で官選である、顔触れ満州国人十三、日本人三、露人三その他外国人二である、自治委員会は市公署に対する市民代表の監督機関で同時に市行政一般に関し市長の相談役たる役割を持っているが権限濫用は市長により圧えられるから同会が市行政の根本を動かすようなことは見られない、然し市県の綜合体であるから新に三つの辮事処を設け、行政事務の円滑を図っている

第一弁事処 管轄区域は元東省特別区市政管理局管轄区域
第二弁事処 A前浜江市政■備処管轄区域B前浜江県全部C前阿城県に属したる区域
第三弁事処 A前松浦市政局管轄区域B前呼関県に属したる区域

どんな事業が有望か

現在の哈爾賓を中心に投資の大系を一覧するに(単位千円)

[図表(一、日本人の投資額)あり 省略]

[図表(二、露人の投資額)あり 省略]

[図表(三、外国人の投資額)あり 省略]

右の如き投資の現況から見て現在最も有利なる事業としては酒精、製油(大豆の輸出に比例)織物、皮革(大工場焼失)林業、水産、製粉、醤油等であるが将来有望視される産業として少なくとも手を染むべきは洋灰、焼瓦、ホップ、麦酒、亜麻亜に亜麻工場、牧牛馬、牧羊緬羊は特に移民処が大々的に奨励する、皮革、砂糖(甜菜)水産業、石炭、酒精等であるが、殊に松花江の流域に沿いて淡水々産が最も有望で、スッポン輸出や鯉、鮒など盛んに会社組織の下に計画されている

道裏、道外商会

哈爾賓特別市には道裏、道外の二商会がある、一体北満商人の特殊性は南満よりも共同経営が進みチェーンストアーの経営形態以上に仕入れ販売の機能を十二分に発揮し外商に対抗し得る、これは一人がそれ以上の資本家にて同種又は異種の経営形態で各独自会計で利潤の配当をする店舗の連鎖であって哈爾賓市商会員の全部がこの資本連鎖にて北満奥地各都市の商人と連絡を執っている、治安確立と共にこの北満の経済的重要性が増大するにつれて満商の商業経営の連合形態の研究が必要だ
哈爾賓特別市道外商会会長張●氏は道外洪盛氷号の執事で本年六十一歳、傅家に於て最も知られた信用ある商人で在哈商業界に重きをあんし手腕絶倫という

[写真(張津会長)あり 省略]

哈爾賓道裏商務総会会長張廷閣氏は本年五十九歳、会て哈爾賓市自治会長の要職にあった、哈爾賓製粉マッチ同業公会科移牒の椅子にあり哈爾賓商経界の重鎮として勢力を有し、手腕家である

[写真(張津閣会長)あり 省略]

北満進出に商業を移民を 相見幸八氏所信を語る

国際都市ハルビン一の近代式大ビルが去年の暮れに建築された、四階建二千三百余坪で五十五戸がこの中に包容されているから素晴らしい、名も「高岡ビル」と称し最高五十円、最低五十円(住居)の安い家賃で、ハルビン一の繁華街にこの大厦が従り立っている、少くとも日本人の誇りである
建築の動機について、店主相見幸八氏は語った
この非常時第一線に於て今後の日本人が北満進出上の足場となる相当な建築物が必要である、こうした見地から数十万円を投じてこれが建築をなし、ビルとして経営し、頭初の目的が日本人の北満進出という理想であるから、断じて外人の申込には応じない、日本人のみに提供している一体北満へ進出すると言うは易く行うはむずかしい、文化の進んだ都会生活に親しみたい人々には不自由を忍んで北満の田舎生活に耐えられぬ、楽をして金を儲けようと考える人が多い、私は人々が考えも及ばぬ不自由な田舎に耐えて仕事をつづけて日本商品の進出を計っている、そこに商権伸張となり満人支那人の経営以上に有利な立場を常に開拓している、私はこの「商業開拓移民」として勝者の地位を常に踏締めなければ、国幣を費し、尊い犠牲を出して北満に進出し生命線を確保したということが出来ぬ、北満進出の声は大なれども、真にこれに応じて来る真摯な商業移民ありやと考えさされる次第であると語った
高岡号の事業は一般輸入品と特産輸出であった、三井物産株式会社のエゼントとして活躍し同社の食糧品雑貨薬品に至るまで高岡号の手を通じて北満奥地へ出しているとは実に愉快である、またゴム地下足袋も、日本足袋株式会社の製品で同店の努力を以って絶対的勢力で進出して行く、そこが相見氏の不動的信念の片鱗である、氏は常に商品の利益を縮めて安く提供し、同種商品を扱っている支那人に打勝つ氏の秘訣である、なお北満各主要地には支店出張所を置き、間島円們及大阪市立売堀には仕入関係で支店がある(写真=高岡ビル)
【略歴】
相見幸八氏は京都府の人で幼にして対露貿易の成功者伯父谷源藤氏に伴われ浦潮に出で対露貿易に志す、其の後高岡打棉会社の支配人として活躍し大正十年高岡号として個人営業になし製棉の販売其の他一般輸入をなし着々発展中革命につれ蘇国貿易が国営になったので将来は北満にありと云う信念から昭和元年ハルビンに進出本号をここに置いて今日に至る、高岡号、高岡ビル及遼陽橘町に高岡棉□を経営し北満進出の邦人中北満経済界の重鎮として国際都市に異形を放って居る


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