新聞記事文庫 銀行(12-003)
神戸新聞 1923.3.3(大正12)


信用取引発展と銀行の活用

而して銀行を信頼する事は財界安定の基


昨年末の財界大変動は日本積善銀行の休業以来、大阪東京神戸其の他全国各地に其破紋は拡大されて銀行取付けとなり休業となり、整理となって、恐るべき経済的動揺と社会的不安とを現出し最近は漸く鎮静の域に入ったけれ共、尚お其の底を流るる怒るべき人心の不安と動揺とは、全く除去されたとは言い得ない。思うに斯くの如き一大不安と動揺とを招来した所以のものは、一は其の責一二不謹慎なる銀行経営者にあるとは言うものの、また半面徒らに流言蜚語の惑わす所となって、軽挙に堕するが為めであるとも見ねばなるまい。勿論銀行そのものの本質から見て、預金者の預け入れた行金を他に貸付けるに当っての態度と心理とが、厳正であり、周密な注意の下になされなければならぬ事は言うまでもないが、預金者も此の際慎重の態度を持し羹に懲りて膾を吹くの愚にならぬ様充分冷静に考えねばならない。若し昨年の如き動揺の結果、社会一般が銀行否定の傾向でも生じたならば、それこそ由々しき社会問題であると言わねばならぬ今更事新しく経済学上の原理原論に遡って、銀行の社会的機能と銀行発達の経済的価値とを高唱力説するまでもあるまいけれど、我が国銀行発達の歴史はまだ極めて短いものであり、西欧先進国に比して、其の広汎なる国民的好意と信用との程度はまだまだ比較にならぬ程下位にあると言わねばならぬ。従って国民の銀行利用法も未だ好く研究されず商工業の盛んな都会はとにかく、地方に深く入るに従って銀行そのものの本質に就てさえも、確実な理解を持っている者が少い状態である。斯くの如きは一国経済の健実なる進歩発達の上から見て痛歎すべき事であって、近時の世界的大潮流が、何れも悉く其の根幹に於て何等かの程度に経済問題を起点とし、若くは接触している場合、我が国民が銀行の本質をだも好く理解しない実情にあると言う事は、確に一つの国民的恥辱とさえ言い度い位である、とは言え、最近は我が国銀行家も大いに覚醒し、経済国際化の世界的大潮流に掉して堅実なる地歩を進めつつあった。国民もまた漸次然うした傾向に進んでいたのであるが、昨年来見る如き不安と動揺とを現出した事は確に大きな一つの社会問題であると共に痛嘆すべき事である。

金を死蔵するのは原始的な考向

 けれ共、若し今昨年末に見る如き一二銀行に破綻を動機として、銀行預金そのものに不安を抱き、すべての人々が金を死蔵するに至ったならば如何?昔の金持ちは通貨を大袋に入れ、之を土蔵の中に堆積して、其の多い事を以て唯一無二の誇りとしていたものであった。今でも山奥深い片田舎の老人は、縞の財布に詰め込み、箪笥の中か然らずば其の胴巻の底深く全財貨を秘蔵しているものがある。若し社会全般の、現金に対する傾向が少しでも斯うした方面に向ったとするならば、一国経済の大眼目から見て何としよう。嘗て(確昨年)大阪に於ける或る銀行の一支店が取付けに合った時、預金者は一時に殺到して支払を受けたが其の中に其の支店から払戻しを受けた現金を同じ銀行の本店へ預け入れ代えて安心したと云う預金者が二三に止まらなかったと言う事である。落語の題材となりそうな話ではあるが、それが否定すべからざる事実である以上、我が国民中の一部には、銀行に対して尚斯くの如き程度の理解より持っていない事を物語るものでなければなるまい。否寧ろ其の数の上から論断するならば此の程度の人の数が遥に多いであろう。若し此の事実にして正しいとするならば、斯うした理解程度の低い国民の多数が昨年の如き銀行破綻の頻出を一区劃として、前述の如き縞の財布を煩わすの結果になりしはないか、通貨は死蔵されたる時には何等経済的の価値もない。世間の一部にもあれ若し斯うした風潮を生じ、信用取引は著しく毀損され現金は全く其の呼吸を止めて静止の状態に入ったらば、それが一国経済の上にどんな影響を及ぼすであろうか。之れ識者のひとしく憂慮する所である。
 然しまた他の一面から考察するならば、此の世智辛い、生活困難の世界的大渦巻の中に立って、健闘よく幾分の余裕を生ぜしめ、滴り落つる血と汗と脂との結晶として預金した金を、ムザムザ暗から暗に葬られ去るとするならば、誰か不安と動揺の暗影に包まれないものがあろうか。茲に銀行選択眼の必要があり、銀行経営者の誠意と責任感とが重要視される所以である。

貸出の心理 銀行が之を没却する所に悲劇が生ず

 吾人は今茲に銀行経営論を云為しようとするのではない又現在銀行経営者に向って、資金貸出しによる金儲けの方法を講述しようとするのでもない。唯、其の資金貸付けに当っての心理—即ち人の金を預かってる銀行が、どうした心理に出発して貸出しをすべきか昨年頻出した銀行破綻の大部分は財界好況時に於ける放漫無責任な貸出しと重役の事業熱に浮かされたに起因するものであるから、此の際少しく論じて見るのも、強ち無意義な事に終りはしないであろう。
 銀行が人の金を預る—それは所詮、払渡の請求によって、預金者に返却すべき金の保管をするのに過ぎない。従って銀行は其の貸付金に対する一定の小額な利子を得るのが目的であって、其の資金を使用する事業の生む、利益の配当に与るものではない。言い代えるならば、銀行が貸付けに当っての態度は、飽迄銀行の本質に立却して為すべきもので、『此事業は儲かりそうだから一つやって見よう』と云った様な心理に出発すべきものではなく『此の貸付金は必ず償却されるかどうか』と云う一点のみを眼中に置いてかかるのが正しい銀行の立場であり、貸付け心理でなければならない。若し冒険的な金儲けがし度かったら自分個人の金で勝手にやるが好い成金になろうと落魄のドン底に陥ろうと御随意である。若し不幸にして銀行家が此の態度と心理とを忘れたならば、其の及ぼす所の悲劇と罪悪とは、誠に恐るべきものがあるのである。
 斯うした銀行の本質的な立場は今更喋々弁し立てるまでもなく、少くとも銀行家の百も二百も知っている所ではあるが、しかも次から次と其の悲劇の繰返され、遂に『銀行罪悪』の叫びが高く広く社会に漲り渡り、銀行否認の恐るべき傾向をさえも醸成せんとしつつあるのは何とした事だろう、吾人は決して銀行を呪おうとするものではないが、仮令其一異例にもせよ若し斯うした不謹慎の為めに、此の呪わしい叫びか期せずして挙げられたとするならば、銀行それ自身の為めにも、預金者の為めにも悲しまねばならぬ所である。

銀行は金を運転するのが生命である 金の流動する事に依て社会の経済が生きる

 然し銀行は金を運転するのが生命である。運転する事によって健全な利潤を得るのが生命である。そしてそれは独り銀行そのものの利益として、株主に配当されるばかりではない。金の運転され流動される事は、金の生きてる事を意味するのである。血液が絶えず血管中を流動して止まない所に、人体生命の根源が宿る様に、金の絶えざる運転によって、即ち金の呼吸の続けられる事によって、社会経済に生命の光が現れて来るのである。若し総括的な意味に於て言うならば、即ち銀行は心臓であり、血液運行を調節する血管の弁であり、呼吸を掌る肺気胞でなければなるまい。若し現在に於ける経済組職発達の上に銀行がどれだけの力あるものであったか、そして又現在に於ける経済活動の上に、銀行がどれだけの機能を持っているか、考えて見たら可なり面白いものであろう。
 が、兎に角銀行は預かった金を運転するものである以上、預金者の全部が一度に押し寄せて、其の預金を不意に持ち去るとしたら、他銀行の応援でもない限り、大抵の銀行が参ってしまうのは知れ切った事である。従って不幸にして休業整理の止むなきに立ち至った銀行が悉く不謹慎不確実なものであるとは言われない。預かった金を運転流動させずにじっとして金庫の中に死蔵して置けば何時預金者が全部押し寄せても大丈夫であるが、それでは銀行存在の意味がない、若し今、或る一定の瞬間に、世界中の銀行の悉くへ、預金者が一度に全部押し寄せて預金を引き出して仕舞うとしたらどうだろう。世界中の銀行は片っ端から、悉休業せねばならなくなろう。そして其の結果はどうなるか。即ち此処が預金者の考えねばならぬ所である、
 以上述べた様に、銀行預金は本来決して不安なるべきものではない。若し不安があるとすれば、それは銀行経営者の人格に欠階があって、資金貸出しに当っての心理と態度とが放漫軽佻である為めであろう。しかしそれは何事にでも例外のある通り、極めて特殊なものとせなければならぬ。それを以て一般銀行預金を否定してかかるのは、どう考えても妥当な事とは言われないのである。も一つ不安の原因となるべきものがあるとすれば、それは即ち預金者の血迷った軽挙に起因する。上来述べた様に銀行は預入きれた金を運転するのが生命である、以上不意に預金の全部を引き出されるとすれば、どんな銀行と雖も面喰わざるを得ないであろう。流動する血管の血液を切り出すと同の様一時は休止状態に入らざるを得ないであろう目下暗々裏に流れつつある銀行不安の暗流は、或る程度まで銀行経営者の不謹慎に起因している事も認めねばならぬ事実ではあろうが堅実な営業を続けている銀行をさえも苦しめているのが、多分の原因ではないだろうか。
 即ち斯うした不安に導きし二つの原因さえ除去したならば、銀行預金は決して不安なるべきものではない。或る一運転手の、過失と怠慢と若しくは悪意に因って、汽車が脱線し、多数の死傷者が出たからとて、汽車は悉く脱線するものと論断する事は出来ない。況んや、こんな例外を一般的に当てはめ『汽車は危険だからと徒歩するに限る』として、十里、二十里、五十里、百里、千里の道をテクル事は愚もまた甚だしい哉と言うの外ないであろう。
 要は汽車そのものの選択である銀行預金も之と変る所がない。其の運転を掌る重役にして誠意あり、銀行の実質にして堅実なるものである限り、決して不安を抱くべき必要はないのである。

銀行は預金を増加せしめ活用して行かねばならぬ

 銀行の制度は、近世商業発達上に於ける、信用取引の進歩が生んだ一現象に外ならない。商業発達の為めに、引いては吾々の社会生活進化の為めに、信用を基礎とした取引の必要な事は、何人と雖も極めて容易に考え得る事であろう従って銀行の制度を益々完全にし其の機能をより充分に発揮させる為めには、預金者各自が、銀行の何者であるかを好く理解し、安んじて益々預金を増加して行かねばならぬ。預金の増加は唯に各個人の目前の生活を安固にするばかりでなく、商業取引上に於ける信用率を高め、経済運用上に活気を附与するもので、之を譬て言うならば、人体に健全なる血液を増加すると同様である。一国預金の減退は、形容枯渇せる貧血患者のそれであって全身の衰退は身体各部の衰退となり、一国経済界の不活溌は、引いて各自生活を脅かすものに外ならない。
 勿論単に貯蓄と言う点からのみ見るならば縞の財布を煩わす事も貯蓄であり、郵便貯金も貯蓄であり、銀行預金も一種の貯蓄であるには相違ない。蓄積されたるものを運用し、活用し生動させる事に依て、自己を益し、社会を利して行かねばならぬ。社会を利する事は同時にまた自己を益する事となって還元される。此の意味からするならば、縞の財布は単なる貯蓄としてのみ価値あるものであって銀行預金による運転との間には雲泥の差あるものと言わねばならない。銀行に預けて置いた金を愴遑として引き出し、之を郵便貯金にした人の間々あったなどは果して進歩した経済的方法と言われるであろうか。若し斯うした人達の筆法で行くならば、何処かの郵便局員が不正を働き、貯金者の台帳か何かをゴマかして、貯金者に少からぬ迷惑をかけたと仮定して、其の場合には金を郵便局から引き出しでどう始末するであろうか。不安を抱けば何事も不安でないものはない。一流銀行の預金を、郵便局に鞍代えするなどは、余りに神経的な行動であり軽率浮薄な考えと言わねばならない。

銀行を信頼せよ 軽挙は却て自己を禍する

 水鳥の飛び立つ音に驚いて走った平家の兵の昔語りはいざ知らず最近の人々の心は、さらでだに動揺し、徒らに神経過敏に陥っている。けれ共斯うした神経質な行動、即ち流言蜚語を信じて軽挙盲動する事は、決して預金者自身の幸福となるものではなく、却て自己を禍するものと言わなければならない。叙上の如く、銀行は社会経済の運行上重大緊密なる使命を有するものなるが故に何人も之を信頼して、充分に其の機能を発揮せしむる所に、一般預金者及び社会の利福は増進せらるるのである最後に目下我が財界に貢献しつつある銀行の一部を紹介しよう(順序不同)

株式会社神戸岡崎銀行

同行は大正六年七月の創立に係り開業当時は資本金一千万円内払込金二百五十万円なりしが其後行運の隆盛に伴い漸次払込を了し大正九年全額払込同九月更に倍額の増資を行い現在資本金二千万円積立金五百二十五万円となり居れり而して最初は市内浪花町の本店のみなりしが業務の進展に対応する為め大正九年には明石及大阪二十年には東京、及市内有馬道に支店を設置し又本夏には更に市内柳原に支店新設の予定なりと
同行は当市の富豪岡崎氏の経営にかかり岡崎藤吉氏頭取たり岡崎氏が当地実業界の長老たるは衆知の事実にして其多年の経験に基き堅実漸進を以て主義となし其下に明達機敏なる岡崎忠雄氏常務取締役として之を補佐せらる以て同行が戦後数次の恐慌にも何等の影響なく前記の如き発達を遂げたるは当然と云うべし岡崎氏は常に社会奉仕の念厚く大正九年神戸市へ金五拾万円の寄附をなせるを始め公共事業に尽されしこと些少ならず且忠雄氏は目下市会議員の公職にありて市の為めに貢献する所甚だ多し岡崎氏関係事業は同行の外岡崎汽船株式会社神戸海上運送火災保険株式会社、朝日海上火災保険株式会社兵庫電気軌道株式会社、神栄株式会社等ありて各其特色を発揮し隆盛に向いつつあり

株式会社三十四銀行

明治十一年の設立にして(信託業兼営)資本金五千万円積立金千五百三十二万円なり同行は縷説するまでもなく関西財界の重鎮小山健三氏が終始一貫、一人一業主義を以て専心経営し来れる銀行にして普通銀行一般の業務、信託業の外に事業資金部の設けありて工場財団抵当貸出及び工場、敷地、建物器械を抵当とする貸出即ち工業金融の途を開き居れるが此種工業金融は同行独特の試みにして開始以来関西中工業者の為めに貢献せし処鮮かならず尚お同行は香上銀行インターナショナル銀行等の間に代理契約を結び貿易業者の為めにも外国為替の利便を供え居れり重役としては小山氏の外取締役に山口玄洞、広海二三郎、菊池恭三尼崎伊三郎、一瀬粂吉(常務)北村吉之助(常務)太田一平(常務)監査役に藤山雷太、竹尾治右衛門、河崎助太郎の諸氏あり何れも阪地又は東京に於て名望ある実業家揃いなり本店は大阪市高麗橋四丁目にありて支店は大阪市内に七箇所東京市内に二箇所其他京都、神戸、兵庫、尼崎、西宮、伊丹、姫路、広島、徳島、奈良、台北、台南等枢要の諸地方に設置しあり神戸支店は栄町三丁目支店長は田中栞氏兵庫支店は兵庫本町通にありて支店長は松井宗次郎氏なり、而して貸出内容の堅実なる、所有有価証券が八千万円の巨額に昇らんとし随って常に手許資金の潤沢なるは共に是れ同行の誇とする処なるが宜なるかな預金は近年顕著なる増加を告げ昨年末には実に預金総額二億二千万円を突破するの盛況を呈せりと

株式会社山口銀行

株式会社山口銀行は元治元年山口両替店創設を以て其起源となし其後明治十一年国立銀行条例に準拠して第百四十八国立銀行と改称し明治三十一年其営業満期に達するに及び更に山口銀行と改称して国立銀行の業務を継承し大正六年其組織を変更し山口吉郎兵衛氏社長の下に資本金二千万円の株式会社となし以て今日に及べり
同行は終始鞏固なる基礎の下に堅実なる営業方針に則り顧客に対しては懇切を旨とし財界幾多の波瀾曲折に遭遇するも苟くも機宜を誤らず嶄然今日の隆盛を見るに至れり同行は現在東京、名古屋、京都、御影、神戸、兵庫、岡山、福岡、京城等に十三箇所の市外支店及び十五箇所の大阪市内支店を有し資本金二千万円諸積立金六百万円預金総額一億八千七百余万円を算するの成績を見るに至れり当市元町三丁目の同行神戸支店は大正六年十月の新設に係り行務の発展と共に更に大正九年三月兵庫宮内町に同出張所を増設し大正十一年十月同出張所を兵庫支店と改称せり支店長三崎伊太郎氏は神戸兵庫両支店長を兼務総統し益々将来の発展を期し居れり

株式会社第一銀行

同行は明治六年七月当時世人が銀行業務の何たるやを解せざる時代に於て子爵渋沢栄一氏頭取の下に設立せられたる我国最始の銀行にて本年は正に創立五十周年に当り古き歴史を有する銀行なるが同行は一般銀行業務の取扱は勿論昨今外国為替の取扱も益々盛んに常に堅実叮寧を以て行是とし顧客本位に営業しつつある本店は東京市日本橋区兜町に在りて資本金五千万円積立金三千五百五十万円諸預かり金三億四千万円、内容の充実せるは世間公知の事実にて重役は頭取佐々木勇之助、常務取締役石井健吾、野口弥三、杉田富、取締役日下義雄、佐々木慎思郎、西園寺亀次郎、監査役土岐●、竹山純平、相談役子爵渋沢栄一の諸氏、支店は東京、横浜、名古屋、四日市、京都、伏見、大阪、神戸、広島、下関、門司、福岡、久留米、熊本、小樽、札幌、函館、室蘭、京城、釜山に総計三十二箇所を置き神戸市内は栄町通四丁目に神戸支店、元居留地京町七十二番クレセントビルディングに京町支店、兵庫鍛冶屋町に兵庫支店が有り大阪市内は東区高麗橋三丁目に大阪支店、西区新町通三丁目に西区支店、南区安堂寺橋二丁目に南区支店、東区本町二丁目に本町支店が在る其外内地朝鮮、満洲は勿論欧米諸国到る処の重要なる都市に有力な為替取引銀行を以ち広く顧客の便宜を計り穏健なる発達に向いつつあり

株式会社近江銀行

同行設立は明治二十七年三月にして資本金三千万円(社債信託業兼営)払込高一千八百七十五万円今期の積立金実に五百五十五万円に及び行運愈隆盛たるものがあるミンジケート銀行の一にして其重役の顔触れは関西実業界の有力者を網羅す常務取締役須田鏡造、朝倉茂次郎、取締役西田庄助、阿部房次郎、伊藤忠三、下郷伝平、大原孫三郎の諸氏監査役は北川与平阿部市太郎の両氏である本店所在地は大阪市東区備後町二丁目支店の主なるものを列記すれば次の如くである。東区農人町の東支店西区立売堀南通一丁目西支店、北区天神橋筋三丁目の北支店南地南堀江支店、京町堀支店、川口支店、船場支店、天王寺支店、福島支店泉尾支店、玉造支店、塩町支店、東京方面には日本橋区田所町の東京支店を初め深川、神田、本郷、小石川に各支店ありて京都、神戸兵庫、広島、名古屋、浜松、大津其他近江の国には到る所に数箇所の支店及出張所を設置し基礎強固なるを以て信用博し

株式会社第六十五銀行

明治十一年第六十五国立銀行として鳥取に設立せられ十五年七月当市に移転、同三十一年組織変更されたる同行は資本金五百万円諸積立金壱百二十一万円余にして大正十一年四月より神戸市金庫事務取扱を開始せるが其基礎の鞏固営業振りの懇切なると永き歴史とは自ら業務の発展と、拡張とを促され愈隆運に向い現今は市内兵庫戸場町の本店の外、多聞通、西柳原、神戸(栄町二)滝道、南、(切戸町)大阪、(大阪長堀橋筋一)難波(大阪難波元町)福島(大阪、福島)各支店あり、出張所は脇の浜(脇の浜町二、不日支店と改称)駒ヶ林(二葉町不日支店と改称)中山手、上沢(不日支店と変更)上町(大阪)西浜(大阪西浜)戎橋(大阪戎橋)の各出張所派出所ありて相連絡して着々行務の進展を計りつつあり尚十一年末の諸預金高二千八百六十万円、貸出千九百余万円、所有公債証券六百十三万円、現金及預け金六百五十四万円にて現任重役は取締役頭取藤田助七、常務取締役宮城正一、取締役兼支配人原田要取締役乾新兵衛、滝川儀作、監査役宇都宮直七、武井悌四郎の諸氏なりと

株式会社日本興業銀行

同行は明治三十五年三月資本金一千万円を以て設立せられ爾来発展に伴い数次増資をなし現在五千万円を擁するに至れり、元来同行は政府の特別なる保護監督の下に工業金融機関として設立せられ之れが為め特に興業債券発行の特権を有するを以て同方面の金融に対しては最も有用の機関たると同時に一般銀行業務に付きても亦意を用い各般の便宜を与えつつあり、其の営業振りは堅実にして絶えざる努力に依り好く今日の隆盛を来したるものと謂うべく現在五億円に近きバランスを有するに至る、昨年末調に依れば積立金一一、二一五、五九七、円五〇〇、諸預り金四二、一二一、〇一八、円一〇五興業債券発行高二八八、五九八、一八九円〇四、諸貸出高二五六、三八八、三七一、円六一〇、なり現総裁は小野英二郎氏、理事は岩佐●蔵、弥永克已、松本弘造の諸氏又監査役は相馬永胤、服部金太郎、大場多市の諸氏にして本店は東京市麹町区銭瓶町一番地に在り、尚東京市日本橋区新右衛門町三丁目に日本橋支店及大阪市東区高麗橋五丁目一番地に大阪支店を有す、当地神戸支店は大正七年七月市内仲町(旧居留地)三十六番に開設せられ片岡敞吉氏支配人として其経営に当り益々発展の途にあり

株式会社日本商業銀行

創立以来約二十六年の星霜を経て、市内本店銀行中の巨壁として重きをなせる同行は資本金壱千万円、諸種積立金一百五十万円、所有公債、社債券八百七十余万円(十一年下半期現在)を算し設立以来些の渋滞なく順調に経過し行運隆々として揮い堅実なる基礎の下に漸進主義的に着々として現下の金融界に処して貢献し益々業務の発展を見、兵庫鍛冶屋町の本店の外、市内支店として元町、楠町(目下新築中)の二箇所、中国にては明石支店、岩国支店、柳井支店、九州にては門司支店、長崎支店、北海道には小樽支店、室蘭支店の七箇所を有し重役としては東京斯業界の巨頭安田家の安田善五郎氏取締役頭取たるを初め同副頭取秋山忠直、常務取締役に丸山継男、取締役に武井守正男、有馬市太郎、原田虎太郎川西清兵衛、滝川弁三の諸氏、監査役は石川茂兵衛、沢野定七、安田善助の三氏にして銀行経営に就て絶大の勢力と信用ある安田家の背景ある上同保全社の監督あり加うるに重役及田中支配人以下行員諸氏の協力一致せる鞏固無比の営業振りとて当市金融界に嶄然一頭地を抜ける又当然の帰結と云う事を得べし

株式会社村井銀行

昨年の財界大変動に際会し其の基礎の堅実味を一般に知悉せしめた同行本店は東京市日本橋区日本橋南詰にあり設立明治三十七年十二月資本金一千二十五万円積立金二百六十五万円にして社長は煙草王として巨名ある村井吉兵衛氏、常務取締役藤平純三、同磯田親吉、取締役村井貞之助、村井真雄、村井竹治郎、永井清志、監査役松原重栄、上野栄三郎、山口吉諸氏で支店の主なるものを挙ぐれば東京市内及附近に於ては堀留、神田、渋谷、江戸川、麻布、芝、浅草、室町の各支店大阪に於ては東区本町三丁目に大阪支店及び天満、玉造、松島橋の三支店、京都にては下京区四条通に京都支店を其他五条、七条等に支店及び祇園に出張所を設け当市にては栄町通二丁目に神戸支店を有す尚神戸支店は大正七年の開設にして昨冬新店舗落成し続いて柳原及中山手に派出所を設置し堅実なる営業方針の下に着々と発展しつつある

株式会社兵庫県農工銀行

同銀行は現在資本金六百万円積立金三百十万五千円にして農工債券発行高四千三百万円、諸預かり金二千百万円を有し貸付総高六千七百万円に達せり本店は当市栄町一丁目にして神戸市内に二箇所姫路三田豊岡洲本等本県下枢要の地に六箇所の支店を設け県下の農村金融を司るのみならず本邦最大の経済都市たる阪神地方に於ける唯一の不動産金融機関として最も重きをなせり最近動向に対する事業資金の借入申込高は年々二千数百万円に及び随時農工債券を発行して需用に応じつつあるが特種金融機関たる関係上其貸出に対しては厳密なる制限あるを以て自ら債券の確実性を一般に認識され今や同行債券は全国的に募集せられ且普及されて毎回全国の農工債券中最も優良の成績を収め益々堅実鞏固に発達しつつあり因に重役は頭取大谷吟右衛門専務取締役水町雄次取締役伊藤長次郎、平尾源太夫、中村重次郎、初井奈良吉、監査役山本鋭一郎、小西新右衛門、西村隆次の諸氏なり

株式会社三十八銀行

同行は明治十一年十一月を以て創立されたる第三十八国立銀行の後なり当初の資本金二十三万円にして十五年六月三十万円に二十六年一月四十万円に逐次増資し三十一年上半期に至り国立銀行営業期間満了を告げたるを以て更に資本金一百二十万円の株式組織に改めて其営業を継承し爾来株式会社三十八銀行と称するに至れり而して時運の推移は益々同行の発展拡張を促し三十九年一月一躍二百万円に増資し大正六年十一月姫路、飾磨九十四の四銀行を合併すると共に資本金を四百万円に、続いて翌七年四月八百万円に増加し、其後益々業務の進展と四囲の状勢により資本増加の必要を告ぐるに至り愈昨十一年六月更に倍加して現在の一千六百万円(払込額一千万円)の巨額を算し県下有数の大銀行たるに及べり。同行は本店を姫路市西呉服町に置き支店及出張所を県下十数箇所に設け殊に神戸市内の支店は栄町、三宮、多聞通の枢要地に在りて各敏腕達識の俊才を配置し以て頻繁なる商取引の金融機関として遺憾なからしめ、営業最も殷盛を極めつつあり現重役は頭取伊藤長次郎、常務取縮役野々上喜蔵、馬場玲蔵、取締役宇川雄太郎、米沢吉次郎、川口木七郎、大西甚一平、平野亀之助、大路環、監査役奥藤研造、高井利平、尾上作平衛の諸氏なり

株式会社藤本ビルブローカー銀行

我国に於けるビルブローカー業の始祖にして、換言すれば、我国金融調節機関の母たる同銀行の本店は、大阪東区北浜五丁目にあり。明治三十五年呱々の声を挙げてより近々二十年の間に、此の業務が資金調節の上に、必須の機関として認めらるるに至った事は、一は業務そのものが、時代の要求に合致した為めである事は言う迄もないが、一は『藤本』の着実健全なる営業振りの、然らしめた結果に外ならないであろう。今其業務状態の大要を挙げると、最近一箇年間の本支店金銭出納高は四百三十三億九千四百二十余万円にして、証券部の債券売買総額は約四億六千余万円、募集債券取扱総額は約八千余万円の莫大なる数字を示している。同銀行は今や世界債券市場の中心地たる、紐育に出張所を設置し、彼地の権威者とジョイント、アッカウントを締結する外倫敦に出張所を、桑港、羅府沙市、布哇に代理店を設け千三百余のコルレス先を有し内地に於ける東京、横浜、名古屋、京都、神戸、門司の各支店及び福島、金沢の出張所と相呼応して、其活躍振誠に目覚ましいものがある。取締役会長は平賀敏氏専務取締役は横田義夫、谷村一太郎の両氏である六支店二出張所(内地に於ける)の中に、魏然として頭角を表しているのは同行神戸支店であろう誠実能く顧客の満足と信頼を羸ち得銀行部に於ては日々驚く程莫大なる資金の需給の仲介を計り、尚各種預金、内外為替、手形割引、貸附等の一般銀行業務に、非常なる熱意と多年の熟練を以て従事している。又証券部に於ては内外公債、地方債、社債及び株式の売買募集に従事して、斯界の第一人者を以て自他共に許している。確実なる債券に非ずんば、絶対に取扱わないから、顧客は安心して投資の好侶伴として良い。支店長八十川政樹氏の下に、銀行部に高辻楢吉氏証券部に野上孝平氏あり、共に年壮気鋭、努力と開拓を以て生命としているビルブローカー業務の担任者として、相応しい陣容と云う事を得。

株式会社十五銀行

資本金壱億円、東京市京橋区木挽町七丁目に本店を置き当市仲町三十五番に神戸支店、栄町三丁目に栄町支店、湊町一丁目に兵庫支店葺合御幸通に葺合支店其他全国各地に三十六の支店を有し、財界一方の重鎮として、また宮内省の本金庫として堅実なる営業振りを示している。同社の株式は華族世襲財産たるの特権を有しているなども、其の特色の一に数えられ如何に基礎の鞏固なるかを窺うに足る次第である。而して同行の創立は明治十年五月華族の共同設立になった第十五国立銀行に其の端を発している。其の後漸次行運隆盛に赴き大正二年資本金を四千万円とし、次で大正九年八月、大阪に本店を置ける株式会社浪速銀行、東京の丁酉銀行当市川崎氏経営の神戸川崎銀行との合併を遂行し、一躍資本金を一億円に増加して今日に至ったのである尚同社の重役は頭取成瀬正恭常務取締役佐藤五百巌、愛甲兼達取締役園田孝吉男、松方巌、青山幸宜子、清水宜輝、浅野長之、松方正雄、久野昌一、宇佐川済、監査役山本直良、岩倉道倶男、関口高次、小川貞一、西脇済三郎の諸氏で神戸支店長は咲花一二三氏である

株式会社鴻池銀行

資本金一千万円全額払込済みの株式会社にて今を去る二百五十年前天和年間以来、鴻池家が主として諸国の大名に金銀の貸付け若しくは荷為替を為したるに端を発し爾来銀行業を鴻池家唯一の事業として今日に至ったものである、之が同行の特色であり誇りであろう今や諸預かり金の総額(大正十一年下半期末に於ける)六千九百万円所有諸公債証千八百万円、諸貸付金の総額四千八百万余円に及び大阪市今橋二丁目に本店を置き大阪市内に上町、西、南、木津、泉尾、福島、岡崎橋、阿倍野橋、鴻池新田の九支店、東京、京都、京都三条岡山、和歌山、御坊、神戸の各地に支店を設置し、其の他十余箇所に派出所を設けている。因に同行現在の重役は左の諸氏である。取締役社長男爵鴻池善右衛門、常務取締役加藤晴比古、取締役鴻池万蔵同藤田政輔、同森本啓太郎、監査役鴻池新十郎、野々村政也、斉藤浩介猶神戸支店は元町通三丁目浜側に仮に営業所がありて、本建築は目下西町角に新築中で、支店長は佐野勇氏である。


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