新聞記事文庫 日中貿易(5-075)
神戸又新日報 1930.12.23(昭和5)


対支貿易繁閑の波が変ってくる

政府は励行、商人は反対民国の新暦決済


目下中華民国では「洋暦決済の実行」という事が、財界の一問題となっている。洋暦とは新暦―太陽暦の事である。過般国民政府が年末の決済を新暦にあらたむべしという命令を発し、その励行をせまっているので、商人達が大恐慌を起している訳である。

中華民国の年号は今年が十九年である中華民国がまた大清国と呼ばれ年号を宣統三年といっていた其一月一日(太陰暦十一月十三日)支那革命の父逸孫仙が南京で、中華民国臨時大総統に挙げられて就任した。この日が民国元年元旦であった。西暦で言えば一九一二年一月一日である。
爾来民国は対外的には勿論対内的にも公式の場合には太陽暦を用い来っている。

しかし普通一般には今日なお旧暦(太陰暦)が用いられている、上海ほどの世界的大都会においてさえ民国人はまだ旧暦を用いている現に一切の商取引を始め、家賃の支払いから雇傭人の給料に至るまで、ことごとく旧暦で勘定している、その他の地方は推して知るべしである。
 「双十節」は読んで字のごとく新暦の十月十日である、これは宣統三年十月十日湖北省武昌城頭に始めて革命旗の翻った日で、民国第一の国慶日である、この日は旧暦では八月十九日前後に当る、その四九日前には民国年中三大節の一つ中秋節(旧暦八月十五日)即ち月見節句があるこう言った風に新旧両暦が混淆して使われている丁度我国の明治初年頃の状態である。

民国における商人の貸借決済勘定は旧暦の端午節前と中秋節前と年末前と、年三期に行うことになっている、この中、年末前の決済が最も重んぜられている。
この旧暦年末の決済を約一ヶ月ばかり前の新暦年末に繰上げる事は久しき間の商習慣上、各地の銀行および銭荘を始め民国商人全般にわたって容易ならぬ一大変革である。彼等はこれに対して猛烈に反対している。

 彼等の或者は「奥地との取引特に四川省、湖南省等遠隔地との取引は相当の時日を要するから新暦による年末決済は不可能である」と反対し、是等奥地との取引を見合せているのもある、又或者は「二月十七、八日頃(旧暦正月二十六、七日頃)に「春節」と称する一つの節を設け、これを決済期にするよう」主張している。
しかし国民政府としては是非とも新暦によって年末決済を励行せしめようとしている、これがため商人側は年末の決済困難を考慮して一般に取引を差控えている、今月十二日上海駐在横竹商務参事官発電によれば、新暦決済のため問屋筋の手許も苦しく新規商談は殆ど見送り姿であると。

我国の対支貿易には目下新関税率問題と銀安とが大きな材料となっているが、この外に新暦による年末決済励行の問題も注意を要する材料と観られている。
今後いよいよ新暦による年末決済が行われることになれば、対支貿易の繁閑も今までとは自然変ることになるであろう、即ち従来の取引は十月、十一月ごろが盛んで、旧正月前一月は閑散であったが、今後は十一月、十二月が閑で、年が明けてから忙しくなるだろうと思われる。


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