新聞記事文庫 経営(1-097)
東京朝日新聞 1925.11.15-1925.12.14(大正14)


蓄音機

芸人の争奪戦

経営百態


自動車で世界に名を博したのは米国のフォードで蓄音機も矢張り米国のビクターである。ビクターとフォードはニューヨークの十仙商店で成功して、ウルオース・ビルヂングを建てたウルオースと共に、三大成功者と称えられて居る。日本にもビクターのレコードは可なり輸入されているが、しかし家庭の愛用品としては日本ものがその大部分を占めている。

一体素人が見てはそうでもないが、蓄音機のレコード位簡単に出来るものは他の工業にはない。唯需要家が好む芸人の選択が蓄音機業者の苦心とする処で、この芸人さえうまく手に入れて世の趣向に投じたならば、一種のレコードで五千枚や一万枚売るのはそう難事ではない。現在日本では米国人の経営している日本蓄音機商会のワシ、オリエント、地球、ラクダの四印、合同蓄音機会社の富士山、ヒコーキ、象の三印、日東蓄音機のツバメ印、内外蓄音機のカイガラ印その外鶴印、ハト印等の各□あるが、要するに日本では日蓄と日東の二社が競争で、レコードに吹込む芸人の争奪がこの二社の間において激烈である。

吹込む芸人には専属と臨時雇とがあり、専属の中にも月給と鉛板一枚の売れ高に対し五銭の割戻しの二規定がある。日蓄専属には現在歌右衛門、梅幸、幸四郎、勘弥、新派では、花柳、藤村、浪花節では楽燕、小円等で、日東には延寿太夫、延若等の斯界の親方株がついている。俳優ならば専属で一ヶ月に二種位吹込んで、一千円から三千円位支払う。こうなると蓄音機は芸人の内職として時に本職よりも収入の多い事がある。

一二ヶ月前日蓄、日東で非常な競争をした清元の延寿太夫の如きは縁日のせり呉服屋ではないが、両社で意地になってせり上げた結果、驚くなかれ十万円で大阪の日東にかかえられる事になった。左団次の丸橋忠弥も思い切った争いの果、大枚二万円で日蓄の手に帰した。こんな馬鹿なまねをしては、会社の経営など成り立たないと思われるが、矢張りそこは商売人だ、損を承知で商売するものはない。

ざっと計算してもワシ印やツバメ印が一枚小売で一円三十銭、それが宣伝費事務費、原料から一割三四分の利益を加算しても、一枚四十五銭から六十銭、それを二倍半から三倍で売るのだから、数が沢山売れれば芸人の払いなどは直ぐとり返す。それで各種類合計して日蓄が四十万枚から五十万枚、合同が十八万枚、日東二十万枚、内外二十二万枚位、一年間に製造し、一種の最初の製造がざっと五千枚から七千枚、売高によって書籍の出版のように再版二版を重ね、原板一枚でいくらでも生み出せるから、売行きさえよければ吹込が高くても割に合うわけである。

一体蓄音機のレコードは米国あたりでは、家庭工業式に田舎の小都会や村で、その土地の方言や田舎芝居などを吹込んでは商売にしているものが沢山ある。日本でも最近信州や秋田県あたりで盆おどりや、おばこ節を吹込んで、その土地で売出して居るが、機械、工場等で一万五千円もあれば十分である。ただ日本の各工場では技術を自己の特許の如く心得て極めて秘密に付して置くから、地方にその技術が発達しないが、実際は吹込から

ろ営業として芸人の選択と販売上に苦心を要するという。
レコードになるまでの道程は、化学的作用と機械力であって寧


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