新聞記事文庫 企業(1-014)
日本産業経済新聞 1943.5.22-1943.6.4(昭和18)


財閥の重工業進出 (1〜11)


(1) 総論 国家資本との提携へ 明日の檜舞台は共栄圏

世界恐慌の嵐の吹き荒れていた頃、国内では「財閥」と云えば国策に反する存在と考え国民の一部から仇敵視されたが、今日では生産力拡充と云う至上命令のためには、財閥も中小業者も凡てを総動員しなければならぬ、財閥と云う用語の印象が若し悪ければ、生産団と云ってもいいが、ここでは財閥と云う従来の用語を用いよう、如何にして財閥の持つ人材と設備、技術経験とを活用するかは大きな問題であり、官民の財閥に対する期待は極めて大きい、変貌する財閥の最近の動きを見るに生産力拡充政策と云う大潮流に如何にして乗るかと云う努力である、既に時流に棹さしているものは、これを更に強化することであるここに三井、三菱、住友、安田、浅野、野村、大倉を俎上に乗せるが、先ず財閥の動向を鳴瞰する

子会社への支配強化

世間から誤解を受けていた当時の財閥は、如何にして世間からの風当りを弱くするかと云うことに腐心し、その結果(一)財閥の中枢部における人事の更迭(二)子会社に対する支配権を弱めること(三)現在同族間だけでかためていた株式を大衆に公開し、財閥の持つ秘密性を切開し、明朗性を持たせたことであった、当時の財閥の代表者は多く金融部門の利け者達であった、これらが第一線を退陣し、今日では多く生産部門に於ける練達堪能の士が、財閥を代表するようになった、ここに時代の変遷と財閥の変質とをみることが出来るであろう、そして嘗ては本社の子会社に対する支配権を弱化することに努めたが、今日では逆に如何にして子会社に対する支配権利を強化するかに努力している
 例えば三菱社が三菱本社となる際の三菱の意見は、三菱の関係子会社が急激に膨脹して行って三菱社の支配力は弱くなる一方であり、三菱社としては人事は勿論資材、労務、資金等の各面に亘って統制力を強化したいと云うにあり、そのため定款にも「関係会社を統理助長するため」と一句を挿入している、三菱社が三菱本社になって間もなく、三井が三井本社を創設しようとする動きを示した、三井は三井合名から三井総元方となり子会社に対する支配力は弱くなった三井総元方の性格はハッキリしないので之を三菱本社の例に倣い株式組織にしようと云うのである、三井物産が関係子会社に対する発言権を握っているのであるが、物産自身が交易営団の活動と共に何等かの飛躍を余儀なくされているので、三井物産の関係会社に対する支配権を三井本社に統合しようと云うのである
本社組織は住友、三菱の場合に見る如く子会社に対し漸次強力なる発言権をを持つ機関としつつある

財閥と統制会の調和

財閥の持つ特色は、関係子会社が巧に連絡すれば、他の会社のお世話にならずとも、結構物をつくる事が出来る、原料部門から製造、販売に至るまでを財閥の手に握っている、例えば三菱製鋼が鉄を造り、これを三菱重工や三菱電機が使用し、製品の販売には三菱商事が当っている、この一貫したルートが確立しているところに財閥の強味があった、然るに統制会組織は財閥の一貫的活動を解体させるものであり、前例で云えば三菱製鋼の製品でも三菱重工が全部を自分の手許で勝手に処分する訳には行かない、ここに財閥の持つ悩みの一がある、統制会の方式による戦時統制が現下の不動の政策である以上、財閥の縦の統制方式と、統制会の横の統制方式とを如何に調和するかが大きな課題である

資本と機構の変移

嘗ては金融部門で集めた金を工鉱業部門に導入して利潤を挙げ得たのであるが、銀行業資金運用令及びこれを運営する全国金融統制会の誕生によって財閥金融機関と雖も独自の立場に於ける資金運用は不可能となった、残った資金調達法としては増資或は株式公開による大衆資本との握手又は興銀或は戦時金融金庫との提携による国家資本の導入である、株式公開は屡屡行い、三菱本社は増資新株の全部を公開して新に二万人の新株主を迎えた、三井鉱山も三井物産所有の四十万株を開放した、かくて財閥株公開と云うことが時代の一つの傾向となっている、国家資本に頼ると云うことは嘗て非常に嫌ったことがあるが、今日では各財閥とも国家資本に依存していないものはない
 財閥は今日では戦時金融金庫、産業設備営団、興銀の利用者になった、幾何級数的に膨脹する生産拡充資金を算術級数的にして増加しない手許資金では賄い切れるものではない、仮令賄い切れても、国家資本に依存した方がいい場合も多い

子会社の分離独立

月満ちて子が生れ、その子が生長してまた子を生むように、財閥も内部の事業もその規模が大きくなると、再び子会社を生むことになる、三井から生れた鐘紡や王子製紙が各々子会社を持っていることは改めて述べるまでもない、嘗て財閥内の一企業であったものが子を生みつつある傾向は最近特に目立つ
 即ち三井物産から三井造船所、三菱商事より三菱船舶、三井鉱山より三井化学の分離独立、三菱重工業の長崎製鋼所と三菱鋼材の合併による三菱製鋼の設立等であり、この他にも多くの例があるが、それらは個々の財閥についてみることとする
決戦段階に突入せる現在の日本経済会に於いては弱小企業は可成り経営困難である、これらの中小企業は保身策として大資本と提携する傾向があり、財閥は自己企業拡張の捷径として既設工場の吸収に乗出したり、株式投資の形で、中小企業の経営権を掌握しようとする動きがある、三井は重工業部門では三菱、住友に比し立遅れの感があり、い今進出に秘策を凝らしているようにも見受けられる、最近昭和飛行機に手を延ばしているのも、三井の航空部門拡充への希望の表現である
 三井、三菱等が財閥の老舗であるのに対し、嘗て新興財閥の名の下に華々しく登場した多くの中小財閥がその放漫膨脹のために中挫し今やその傘下の事業を大財閥に渡しているのは一寸気の毒な恰好である、然るに今や日曹も理研も起死回生の途上にあり、今後に期待をかけていいであろう

生拡と財閥の将来

財閥の内地に於ける主要役割は重要国策たる生産力拡充政策の遂行にあるが、外地に於ける仕事には未だ多く活動分野がある、満洲には各財閥とも進出しているし、支那にも南方にも既に大活躍をしている、支那に於いては目下のところ商業活動が主流をなしているが追々生産活動をも行うようになるであろう、南方に於いては既に資源開発の重要役割を果しつつあり大陸及び南方こそ今後の財閥活動の檜舞台である、内地に於いては財閥がその私的性格を公的性格へと脱皮し、更に突き進んでは財閥の国家機関化へと進むであろう
 (つづく)

(2) 三井の巻 転換へ燃ゆる熱意 「物産」関係の躍進顕著

三井と云えば直に三井物産を想い出す程、三井物産は三井の代表的存在であり、大東亜戦勃発前までは多年売りこんだその顔と□廉で世界を舞台に活躍した、然るに大東亜戦を契機として物産の貿易機構は半身不随に陥り三井としては大きな転換を必要とするに至った、その転換の方向は云うまでもなく軍需鉱業へである、三井物産が余りにも華やかなる存在であったがため三井の重工業関係会社の影は薄かったが今日にして見れば既存の重工業会社を拡大強化することが三井の軍需工業進出の捷径であり、また従来傍系会社であったものに対する発言権の強化も明日の三井への大きな課題である、尨大なる資本と設備と人材とを持つ三井、その重工業転換が如何に行われるかは財界当面の注目の的である

三井の重工業陣を担う人々

[写真(昭和飛行機会長向井忠晴氏)あり 省略]

[写真(三井造船会長鵜飼宗平氏)あり 省略]

[写真(三井鉱山会長川島三郎氏)あり 省略]

重工業の陣容

三井の重工業は立遅れたと世間一般は云う、重工業と云う言葉の内容を金属工業と機械工業に限定するならば、この観方も一応当っている、即ち機械、金属量部門への投資を見るにと径昭和十七年末現在で、三井は一億三千二百万円で財閥内の投下払込資金割合は僅に九分二厘にすぎず三菱の四億三千五百万円(三割)住友の二億七千四百万円(三割八分)に比し、確に少額である、だが、この外に鉱業部門をも含めると、三井はこの比率をグンと高める、即ち鉱業部門の投下払込資本は三井が四億五千三百万円で財閥内に於ける投資百分比率は三割一分、三菱は二億九千四百万円で二割、住友は四千九百万円で六分に過ぎない、前記の金属、機械の純重工業と鉱業を合すれば三井は五億八千五百万円で財閥内の投資百分比率は四割、三菱は七億二千九百万円で五割住友は三億二千三百万円で四割四分となる、これでみても三井は三菱、住友より幾分劣勢に見えるが、これは従来の三井の行き方が鉱業、貿易、軽工業を中心に発展したに対し、三菱は機械工業を枢軸とする重工業に主力を注ぎ、住友は金属、機械の両部門の拡充に専心したそれぞれの立場の差異であって三井の重工業進出は今後に多くの期待をかくべきであろう、次に三井の重工業分野を要約して見ると左の通りである

[図表あり 省略]

 【以上物産直系会社】

[図表あり 省略]

 【以上物産傍系会社】

[図表あり 省略]

 【以上鉱山の子会社】
以上の如く各方面へ進出しているのは三井物産及び三井鉱山の特色ということが出来る

物産の支配網

三井財閥の分析を為すに当って一寸混乱し易いのは三井総元方と物産の関係である、三井総元方は三井財閥の最高司令部であり、これに直属する会社は次の七社である、即ち

[図表あり 省略]

右七社の中資本金に於いて、また関係会社を多く持つ点に於いて、物産が第一である
 三井物産は昭和十五年八月三井合名を合併して三井財閥の中枢機関となり、同時に持株会社としての性格を強くした、三井物産の投資会社は昭和十八年五月二十日現在で四百十九社、金額にして七億三千万円に達している
いま物産の出資内容を見ると左の通りである、即ち

[図表あり 省略]

物産の機械工業への投資は二十七社一億三千万円、金属部門は九社一千三百万円である

関係会社の膨脹

三井の関係会社の最近の動向を見るに三機工業は東洋鋼材と合併して三機工業に鋼材供給を円滑ならしめ、以て三機工業の飛躍に備え東京芝浦は東京電気と東洋耐火煉瓦を合併して七月一日には資本金三億円の会社となり、また五月末には第一新株の払込二千四百万円を徴収する
 三井鉱山は昭和十七年八月には昭和飛行機の平壌工場(二百五十万円)の買収に成功し昭和十六年十二月に創立した東洋軽金属と共に飛行機部門への進出の足場をつくったが、更に今回小和飛行機が現在資本金三千万円未払込千五百万円を変態増資して六千万円とする場合、増資新株の半分を手中に入れ昭和飛行機を三井の傘下に収めることに成功し、昭和飛行機会長には三井物産会長の向井忠晴氏、常務取締役には工藤峻氏を送る事に内定して居り五月三十日の昭和飛行機総会に付議決定する筈である
次に時局の要請たる木造船建造のため、新に三井木船建造を創立して造船部門へ船出した、又今後増資態勢にあるのは湯浅蓄電池(資本金八百万円)大同製鋼(資本金六千六百万円)日本パルプ(資本金五百万円)等であり物産関係会社の今後は注目に値する
 【三井の巻】つづく

(3) 三井の巻 技術者養成に腐心 傘下の持株を開放

[写真(写真は右より三井総元方議長三井高公男、日本製鋼会長島田勝之助氏、三井物産常務伊藤与三郎氏)あり 省略]

敵産株の肩替り

三井物産の従来関係していた会社の中敵産株のあるのは東京芝浦電気、東洋汽缶(旧東洋パルプコック)東京昇降機の三社である
【東京芝浦電気】

昭和十七年十二月二十一日に同社所有敵産株を分譲する筈であったがその処分価格が市価価格に比して高値であったため一時処分を延期し、十八年四月になって改めて敵産株を分譲することになった、その価格は十七年十二月は一組千九百二十円であったのを、千七百二十円に修正し、昭和十七年十一月十日現在の株主に分譲するのであるが、敵産株は旧株二十株及び第一新株二十株を以て一組とし、同社株百十株につき敵産株一組を分譲すると云うのであり、この結果三井の東京芝浦電気に対する持分は従来の一割四分から一割七分九厘と三分九厘増大することになる
【東洋汽缶】

その株式は従来英国系の会社が資本の三分の二を所有し、三井物産が三分の一を持っていた、現在は三井物産が同者の資本金の四割五分を握って居り、これを全部三井物産の手に収めようと云うのである
【東洋昇降機】

その資本は米穀のオーチス昇降機会社が大部分を持っていたが、今回そのオーチスの持分を肩替りし全額を三井物産の所有に移さんとするものである

以上の措置は三井物産側の一方的希望によって実現するものでなく、大蔵省の許可を要するのであるが、大体の見通しとしては、会社側の生産力拡充に邁進せんとする熱意を買って当局も会社の希望を容れるようだ

主力会社の素描

 数多い会社関係のうちで、主力会社は三井造船、三井精機、三機工業、三井鉱山、東洋軽金属である、以下これらについて素描して見よう
【三井造船】

元三井物産造船部であったのを昭和十二年に独立して玉造船とし、更に昭和十七年一月に三井造船と名乗ったもので資本金三千万円(払込二千万円)であるが、やがて一億円程度に増資して三井の重工業の代表たらしめんとする希望に燃えている、十六年下期に七分配当をしていたが、十七年上期の六分に減配した、今後は造船事業の重要性に鑑み発展必至であり、現行配当維持も可能である
【三井精機】

三井工作機と東洋精機とが合併して誕生した会社であるが精密機械と工作機械とを製作する、同社は今後拡充を図ると共に他の会社をも合併して膨脹して行く方針の如くで過般池貝鉄工所との提携が一部に伝ったが、結局物にならなかった
【三機工業】

昭和十七年九月に東洋鋼材と三機工業が合併したもので鋼材を材料とする特需品製作に進んでいる
【三井鉱山】

その中心事業は石炭部門と金属部門とに別れ、金属部門は亜鉛、鉛、金、銀、銅等に分れる、石炭は同社の弗箱で三池を始め九州の田川、山野、北海道の砂川、美唄、珊瑠、樺太の川上、西棚丹等の炭鉱が支柱である、以上の直営炭鉱の外に九州の山門、釧路の太平洋、台湾の基隆、北支の中興、中支の准南を経営し、更に南方の最大炭鉱にも乗出すと云う活動振りである、金属部門のうち、神岡鉱山は大日本の亜鉛生産高の○割、鉛は○割近くを出し増産に万丈の気焔をあげている
【東洋軽金属】

元東洋アルミと称し、これに日曹系の西鮮化学を合併して出来たもので、洋南アルミがパラオでボーキサイトを採掘し、三池工場(旧東洋アルミ)でアルミナをつくり、朝鮮の揚子工場(旧西鮮化学)でアルミニュウムを製造するのである、かくして三井の軽金属部門に対する足溜りが出来た訳である

重工業への隘路

三井が今後積極的に重工業進出を図ろうとする場合の隘路は第一に技術者であろう、貿易にかけては世界一を誇る物産も重工業進出となると一寸足踏みの態である、その原因は優秀なる技術者の不足で三井精機にしても三機にしても堂々たる技術陣をもってはいるがこれだけでは更に大重工業会社を経営するには不足の観があり、そこで最近物産では従来販売部門に活躍していた技術員を直接現場に派遣して技術の錬磨に当らせている販売部門から生産現場へ―これが三井物産の技術員対策である、次に三井が重工業へ進出する方法としては

(一)新しく事業を興すことであるが現在の情勢では一寸困難であり、三井も今日まで随分努力したにも拘らず実効を挙げ得なかった
(二)従来株を持っていたのみで直接経営に当っていなかった会社への関心を深めて、経営にまで乗出す方法、これは比較的実現可能である
(三)従来全然関係のなかった時局会社の株式を持つことであるが相手が優秀な会社であればある程株を持とうとしてもなかなか困難の伴うことを予想しなければならない
(四)そこで結局従来発言権のある会社を消極的に拡充することである、併し今日では拡充するにしても資材に制約があるが、三井が国策に協力しようとしての熱意でやり出す以上必ず三井の意図する所は実現するであろう

重工業進出につき三井の某重役は語る「三井が重工業に進出する以上三井でなければ出来ない仕事をやりたい、利益を度外視してお国のために役に立ちたい、これは僕一人の意見ではなく、全三井人の抱負であり、希望である」と、三井重工業の今後に関しては総元方議長三井高公男、物産の筆頭常務伊藤与三郎氏、日本製鋼会長島田勝之助氏等の胸中に如何なる構想を描いているか注目に値する
今日までの三井は国家資本に依存することが比較的薄かった、今後は重工業の拡大と共に否でも応でも国家資本に依存することになるであろうが、その前にまず傘下企業の持株開放ということになるであろう

三井本社の行途

三井は今後重工業へ進出するための準備として三井物産の持株関係を担当する部分を以て三井総本社を設立し、これに総元方を発展的に解消せしめんとした、この総元方は資本金一億円を以て設立せんとし、資金調整当局と交渉を開始したが一時中絶した、本社制は三菱、住友等が既に採用しているところであって、その狙いは関係会社への発言権を強化し、三井を打って一丸とし生産戦に捧げんとする意図であり、重工業進出への具体化と共に本社問題も遠からず再び話題に上って来ることであろう
【三井の巻終り】つづく

(4) 三菱の巻 他を抜く機械工業 目醒しい綜合生産

[写真(写真(右上)三菱本社長岩崎小弥太男(右下)三菱重工業会長郷古潔氏(左上)東洋機械社長元良信太郎氏(左下)三菱鉱業社長小村千太郎氏)あり 省略]

[図表あり 省略]

[図表(主要関係会社)あり 省略]

 【備考】○印は直系会社を示す▽表は昭和十八年二月現在

方向転換の綱領

昭和九年三月発表した三菱精神綱領に曰く

一、株式の公開、直系(但し三菱財閥では直系会社を分系会社と呼ぶ慣習になっている)傍系会社の株式を順次全般的に公開し企業の大衆化を尊重し今後他会社の合併吸収を行わない、また合資会社はこれを純粋の意味の持株会社とし直系会社の一が他の直系会社の株式を所有するが如き互換関係を整理統一する
二、事業の経営には人材第一主義を採り岩崎家一族は合資会社を除いて他の会社から漸次引退し今後は普通の株主に止まる

この綱領は当時の反財閥気運の中に三菱が発表した歴史的な方向転換声明で「企業の大衆化」という辞句を使用している点に見る如く、未だ従来の財閥的性格を脱し切っていなかったものの、注意すべきはこの時他の諸財閥も夫々新方針を表示した中にあって三菱の方向転換はその従来の行き方と合せて最も着実であり時勢に対する鋭い着眼の下に行われた、即ち三菱の家憲に言う「一度着手した事業は必ず成功を期せよ」また「決して投機的事業を企つる勿れ」とする精神の下、当時に於ける国防産業確立の気運に対しても創業には大胆、小心なれの原則に立って自信豊かな見通しをつけているのである、当時諸財閥は昭和四年の世界恐慌、五、六年のデフレーション時期を経て蓄積した産業支配力を擁する一方、巨大な地位をかち得て居り旧来の行き方は正に転換期にあった
 かかる中に三菱財閥が三菱精神綱領を転機として昭和六年の満洲事変勃発以来漸く澎湃として湧き起らんとしていた国防産業確立の要請に、逸早く応えてこれに配するに従来の伝統を活かし新しい進み方を定めたことは根本的な通見しを裏書するもので、その後の飛躍発展が時運に乗じたものといえこの創生の着眼に与かるところは少くない

尨大なる生産網

三菱の今日に於ける重工業への進出状況は、航空機、造船その他兵器に於ける三菱重工を中心とする一連の戦時生産力と合せてその他の直系、傍系関係会社に想到すればまさに尨大なものとなる、巷間素朴な見方の中には三菱財閥は今日の生産拡充即ち戦力増強の○割を担当しているとの観測があるがこれは現在に於ける日本重工業の総体的、飛躍的発展を見落しているもので、固より皮相の見解たるを免れないが、こと程左様に三菱財閥系の戦時生産は尨大である
 航空機に於ける名古屋航空機製作所、造船の長崎造船所、神戸、彦島、横浜の造船設備は遍く知られているが今日では更に幾つかの新鋭○○を加えているのである、その進出業種を眺めても所謂重工業と称せらる中の鉄鋼業、造船渠業、機械工業をはじめ、重工業と綜合一体をなす金属鉱業、石炭鉱業、石油鉱業、化学工業等凡ゆる時局産業部門に目覚しく進出しつつある
しかしその特徴とするところはやはり所謂加工製造部門―機械工業であって造船、航空機、電気機器、兵器工業その他の綜合生産量は重工業界に於いて完全に一頭地を抜いて居りこの点住友財閥の金属工業、所謂素材工業と共に東西の双璧と呼ばれるがその生産額からすれば比を絶しており、さらに三菱財閥の時局産業進出は益々顕著となっている

重工業関係の全貌

ここで一応三菱財閥の時局産業への進出支配の概要を見ることとするが但しここでは金属工業、機械工業、金属鉱業と時局産業支配の基礎状況を主とし資本支配の上から末枝の関係会社は省略、純三菱財閥系に範囲を局限して三菱本社及び直系会社の持株割合五〇%以上のものとし、それ以下のものは経営の実権を掌握すると認められるもののみを加えその他は関係会社中最も重要なものとして日本アルミ、日本郵船を掲げた(別表)

財閥の性格転換

 大東亜戦争が長期生産戦の様相を濃くするとともに、劃財閥共通の現象であるが三菱財閥も既に自己資本による支配の限界を超え、国民経済の中に融け込んで時局産業の推進に大なる貢献して居り所謂既成財閥の性格を根本的に打破した、これは昭和十二年三月住友財閥の改組、続いて三菱財閥の改組から昭和十五年四月の三菱財閥の改組等財閥が関係事業の支配権強化の方針を改めて単なる投資家に止まろうとする傾向を示して来たことに発祥する
 即ち高度国防国家確立に於ける時局産業の育成強化に当っては既に財閥が自己資本に立□っていたのでは到底解決すべき術はないわけである、財閥は今日、日本経済再編成に於ける根本要請に立ち至上命令たる生産力拡充即ち戦力増強の遂行に当りその巨大な資本と、伝統によって培われた実力に対し大きな役割を課されているのである、この国家と財閥、国民経済と財閥の産業支配の抱合関係なしに財閥―ここではその典型的な地位にある三菱財閥を眺めることは困難である
これを単純に従前の如く財閥のみを抽出して云々するならば三菱財閥は「華かさ」の一語に尽きるし、またそのような見方をしたのでは殊に国家の方針を体して進みつつある今日の財閥の本質は到底理解し得ぬであろう(三菱の巻つづく)

(5) 三菱の巻 政商の面影を払拭 一路拡充へ突進む

[写真(写真(右)日本化成工業社長池田□三郎氏(左)三菱電機社長宮崎駒吉氏)あり 省略]

三菱財閥の人的組織の内容を見るに三菱は謂わば明治以来の新興財閥で当然新進気鋭の行き方を示すべき筈であるが事実は全く逆の傾向をとってきた、これは三菱事業の中心が軍需関係産業であり政府の特別保護を必要とする性質のものであっただけに市場の競争は第二に置き政府との密接な関連が最大関心事となる結果幹部の資格要件もここに置かれた、また三菱の大事業たる地所部は謂わば貸家、貸地業で確実な人間を必要とした、こうした環境に三菱財閥が保守的であると呼ばれた由因が伏在していた
 尤もこれは従来の日本経済界全体が政府の保護下に成長したものであることを想到すれば決してとりたてた三菱財閥の批判の条件とはならないわけであるがそれは兔に角として今日の三菱重工業の総帥(会長)郷古潔氏の明朗さと氏によって代表される豪宕不穏な性格は今日の三菱財閥の行き方を示唆してまさに今昔の感を新たにせしめるものであるがこれは更に財閥の現在の先進的行き方を或る意味で代表しているのである
そこには所謂政商と呼ぶ昔の面影はさらになく寧ろ国家組織の一環とさえ見るべき内容を多分に包蔵して居り、本紙所報の三菱財閥の重工業部門拡張計画を覗いてもこの間の消息が如実に裏書されている、傍系東洋機械に三菱電機の工作機械部門を合体した直系の三菱工作機械(資本金二千万円)のに新設をはじめ三菱製鋼(資本金五千万円全額払込)三菱化工機(資本金五百万円全額払込)の夫々倍額増資並に化学工業部門の日本化成工業(資本金七千五十万円、六月一日最終払込千五百万円徴収の予定)の二倍強(一億五千万円)への増資がそれで、この他日本アルミニュウム製造所(資本金六百九十万円全額払込)の千五百万円への増資、日本建鉄の増資が伝えられている、此内容を瞥見するに工作機械は一時超重点産業に加えられんとしたものであり、十八年度には生産倍加が強く要請されている際であって斯工業の拡充は極めて緊切なるものがある、化工機の○○部門への供給は益々強化されねばならぬし、また製鋼部門の拡充、日本化成工業のアルミナ、マグネシウム増産等その要は今更贅言を挿しはさむ筋のものではなかろう、この拡張計画には三菱財閥の強靭な発展性と共に三菱財閥の綜合的重工業進出、即ち重工業に於ける業種別進出の動向を示唆するものとも観測されているが、ともあれ、戦局下斬新な怪□さえ感ぜられることは心強いところである

三菱傘下の重工業

 以上三菱財閥のよって来れるところ及びその将来を主として三菱財閥の重工業進出を述べた、また重工業への今後の進出に就いては結局その伝統と今日の傾向から割出すことになるのであるがここで三菱財閥の主要重工業関係の直系会社の一部を素描して三菱財閥の時局産業支配を補足して置こう
【三菱重工業】

航空機、造船、造機兵器等生産拡充即ち戦力増強に直接何パーセントかを占めて居り其生産状況から半工廠の称さえある九州、中国、中部其他の新規工場設置は順調に具体化しつつある、また既設の造船造機部門等も夫々合理的拡充が行われている
【三菱電機】

その事業品目は交流機、直流機、変流機、直結機電機、計器、電機機関車、特殊電機機器等で業績は順調に進捗している
【三菱鉱業】

わが国に於ける金属石炭部門に跨る綜合的鉱山会社の代表的なものであり事業品目は鉱業、化学及び金属加工業、製塩業等で業績また安泰の感がある
【日本化成工業】

本拠黒崎工場はコークス及び同副産品硫安、アルミナ、曹達等の綜合経営を行い、又昨年の朝鮮化学工業、新興窯業及び新興人絹の各合弁でカーバイド工業化学繊維を又朝鮮重化学工業の支配権を得て金属マグネに進出せんとしている
【三菱製鋼】

圧延鉄材、鉄鋼品、発条磨鋼を事業品目とし当社は三菱財閥の製鋼界に対する本格的進出を示しているので、三菱重工業の製鋼部門と三菱鉄材を合体したものである、目下の倍額増資後も更にその膨脹が予想されている

国家的性格へ脱皮

終りに今日に於ける金融資本に対する国家統制の強化は必然なものであり、既に大銀行の合同となって現れているが、現在諸財閥は従来の莫大な実績から此面に於ける幾多の問題を残している、既に資本の径路は生産力拡充即ち戦力の増強に単純化されているのであって、或る観点から見れば国家の方針という線に統一され既にその過去の妙味というものは逸散し機械的性質と化していると言うことも出来る、しかもこれは商業資本が工業資本に転換したというだけでは□い切れない、緊迫せる戦局下にあっては徹底的に従来の利潤を追求するという資本の基本性格が発展的に解消されるのである、併しこのような明確な事柄にも拘らず過去に於いて複雑多岐な網を張り廻らした財閥の金融資本は最も進歩的建設的態度に於いてもなお今迄の行懸かりを一挙に抹消することは実際問題としてなし得ない、これはいうまでもなく要請と現実の問題である、時局産業への進出拡充は既に軌道に乗っているが此金融資本からの完全な転換は実際に於いて三菱財閥と雖も今日なお背景的な最も重要案件としてその解決に苦心しつつある

重工業部門の将来

三菱では上は重役から下は一工員に至るまで大東亜戦争に対し必勝の意気高く生産戦に奮闘している従って労務者の「戦争の一翼を担う三菱」と云う誇りは絶対的だと云っていい、三菱の重工業進出は今後もいよいよ拍車をかけるであろう、と云うのは
 (一)三菱は比較的に技術陣に恵まれていること(二)従来三菱が三菱重工業を大拡充しようとした場合の隘路は基礎資材たる鉄鋼の不足であったが、今回三菱製鋼を倍額増資して鉄鋼部門の大拡充を断行し三菱重工業の必要資材の供給を円滑ならしめる方途を講じたからである、(三)三菱重工業は飛行機部門を分離して独立の会社とすると云う説が巷間に出ている位で、三菱重工業の発展は必至の形勢を示している【三菱の巻終り】(つづく)

(6) 住友の巻 "浮利"を戒める家憲 専ら素材工業に注力

住友は三井、三菱とともにわが国三大財閥の一つにあげられ、常に三井、三菱と対比されているが、その経営方針には三井、三菱と比べて著しい特徴がある、それは三井、三菱が三井、三菱でなくともやれる各種事業にまで進出しているのに対し、住友は「住友でなければやれないような事業」にだけ専念し、住友でなくともやれる底の事業、例えば貿易一般商事中小企業の受持つ分野などへの進出を避けている点である、之を譬えていうと三井、三菱はその四二粍級の主砲を以て敵主力艦を攻撃するのみならず、水雷艇、駆逐艦などの小艦艇をも攻撃するが、住友は飽迄敵主力艦だけを攻撃しているが如きものである

[写真(住友本社社長住友吉左衛門男)あり 省略]

[写真(住友本社常務理事吉田俊之助氏)あり 省略]

住友の持つかかる特徴を列挙すると

一、三井の「物産」三菱の「商事」のような独立した商事活動を全く行っていない、住友本社は販売店を経営しているが、扱品は何れも住友系統の商品に限られている
一、住友は可及的に中小企業や大衆生活と関係の深い農業、商業に投資しない方針で、百貨店、商事、証券、ビール、製粉、製糖、セメント、ゴム、水産などの分野には関係会社を持たない連系会社(子会社のこと)といえども孫会社を持つことを極力控え、以て中小企業の分野に進出することを避けている
一、政府関係の特殊会社、特殊銀行等に対しては率先して他の財閥よりも多数の株式を引受けている、例えば満洲航空機、中支振興、北支那開発等諸会社の場合が好い例である
一、大阪財閥の共同事業的性質を帯びた企業に対して、住友は常に最大の投資者である、その代表的なものに大阪商船がある、大阪商船の創立にあたり、当時住友の大番頭広瀬宰平は発起人代表となっていた、しかも住友の住友たる所以は、大阪商船の事業が軌道に乗り、同社が繁栄の道を進むや、自己の資力により之を支配することを控え、むしろ極力大阪商船をして独立の会社たらしむることに努めた、現在住友の商船持株は僅かに一・七%である
一、その結果、住友の事業は、住友でなければ出来ない事業、即ち高度重工業と、それに附帯する金融事業だけである

この特徴は何れも住友家に古くから伝わる「家憲」の精神に基くもので、家憲には「浮利」を追及することを固く禁ずるとともに、国家の利益と合致するよう住友の事業を経営せよと戒めている、住友では重工業と金融業以外に手を染めていないが、重工業に於いては素材工業に専念し、また傘下の金融機関で吸収した資金はなるべく外部へ放散し、中小企業を資金的に圧迫しないように努めてきた点など、何れも住友らしい経営方針である、なお嘗て政党政治時代他の財閥が政党との間に密接な関係をもったにも拘らず、住友が何れの政党にも偏せず、不偏不党の方針を堅持したのも住友らしい行き方であった

現在の事業内容

扨て、住友の現在の事業内容はどうであるか、住友は昭和十二年三月その中枢機関を合資組織から株式会社へ改組し、株式会社住友本社を創立した、同社は三井の「物産」三菱の「三菱本社」に匹敵すべき住友財閥の持株会社であり、その参謀本部であるが、内容は次の通りである
 設立 昭和十二年三月▽資本金一億五千万円(全額払込)▽社長 住友吉左衛門▽目的 鉱業林業、農業、工業、物品販売業、有価証券及び不動産の取得利用諸事業投資並に貸付其他上掲各事業の附帯事業▽出資者内訳(単位千円)住友吉左衛門一四七、五〇〇、同義輝一、〇〇〇、同寛一一、〇〇〇、同元夫五〇〇
住友はこの親会社たる住友本社の統轄の下に十六の直系会社を持っている、之等直系会社を住友では「連系会社」と呼んでいるが、連系会社は何れも歴史的には別子の銅山(住友鉱業)から派生的に生れたもので、その名称並に資本金は左の如くである(単位千円、括弧内払込資本)
 住友鉱業五〇、〇〇〇(払込済)▽住友金属工業四〇〇、〇〇〇(二五〇、〇〇〇)▽住友化学工業八〇、〇〇〇(六〇、〇〇〇)▽住友電気工業五〇、〇〇〇(四五、〇〇〇)▽住友アルミニュウム製煉二〇、〇〇〇(一五、〇〇〇)▽満洲住友金属工業三〇、〇〇〇(三〇、〇〇〇)▽住友機械工業二〇、〇〇〇(二〇、〇〇〇)▽住友共同電力二〇、〇〇〇(払込済)▽住友通信工業五〇、〇〇〇(払込済)▽住友銀行七〇、〇〇〇(五〇、〇〇〇)▽住友生命一、五〇〇(七五〇)▽住友信託二〇、〇〇〇(五、〇〇〇)住友海上火災一〇、〇〇〇(二、五〇〇)▽住友倉庫一五、〇〇〇(払込済)▽住友ビル六、五〇〇(払込済)▽大阪北港三五、〇〇〇(払込済)(右の中住友共同電力及び住友通信工業は夫々旧中国四国電力ならびに日本電気が改組改称したものである)
なおこの外に住友本社の傍系会社としては日本板硝子、大日本鉱業土肥鉱業、熱河蛍石、北支産金などがあり、住友本社及び同金属工業の共同の傍系会社としてステンレスがある

繁栄の基は銅

住友家は今から三百年程昔京都で書物と銅の販売を行っていたということであるが、今から二百五十三年前別子の銅山を発見、銅の採掘に着手した、この別子銅山の発見とその採掘が住友家繁栄の基礎であった、銅の販売から両替屋を開業するようになり両替屋から発展したものが今日の住友銀行、住友信託等各種金融事業であり、銅から直接または間接発生したものが各種重工業である
 今各連系会社を重工業系と金融系とに分類すけば、鉱業、金属工業、化学、電気、アルミ製煉、満洲住友金属、機械、共同電力、通信工業等は重工業系であり、その払込資本総額は五億四千万円に達し銀行、生命、信託、海上火災、倉庫、ビル、大阪北港は大体金融系であり、その払込資本総額は一億一千四百七十五万円で払込資本に於いて重工業系は金融系の約五倍である

多彩な重工業陣

住友の各重工業会社の中で巨大なのは払込資本二億五千万円の住友金属工業で、次に住友化学(払込資本六千万円)であるが、前者は軽合金、製鋼等、後者はアルミナ等の製造により何れも時局的色彩の強い事業であり、今後益々膨脹を約束され、住友の事業の中心は両者にあるといっても過言ではない
住友鉱業

資本金五千万円(全額払込)昭和十二年六月住友別子鉱山が住友炭鉱を合併し、同時に社名を住友鉱業と改称したもので、同社の事業は別子銅山の銅採掘を中心に、金銀、ニッケル、硫化鉄、石炭など各鉱業及び之に附帯する農林業、海運及び鉄道業などである、鉱業所としては別子のほか福岡県に忠隈鉱業所、長崎県に北松浦鉱業所、北海道石狩に歌志内、奔別、奈井江、赤平の各工業所を経営している
住友金属工業

資本金四億円(払込二億五千万円)
 同社はもともと別子で採掘した銅を原料とし、大正十五年住友伸銅鋼管として創立、その後昭和十年住友製鋼所を対等合併し住友金属工業と改称したが、当時資本金僅か五千万円(全額払込済)であった、創立以来順調な成長を遂げ、特に昭和十二年支那事変勃発するや、軍需品就中航空機の需要増大につれ、同社も一路拡充を行い、増資、払込徴収、増資の経過を繰返し現在に至っている、住友財閥の中心事業である点で、三菱の「三菱重工業」に匹敵するものであるが、三菱重工業が船舶、航空機などの完成品を生産しているのに対し、住友金属では航空機用軽合金を始め、主として素材乃至素材に近い製品を生産している、即ち同社の営業種目は、銅其他非鉄金属材料軽合金、一般並に特殊鋼品、各種鋼管等である、主なる工場及びその製品は次の如くである
 住友伸銅所 製品=銅、真鍮軽合金の鈑、管、棒、鋳物等▽住友製鋼所 製品=鋳鋼品、鍛鋼品、圧延鋼品、特殊鋼品等▽住友鋼管製造所 製品=涼間引抜、熱間仕上継目無鋼管、鋼竿類等▽住友プロペラ製造所
 なお以上のほか、当局の要請に従い神崎(大阪市外)にプロペラ、名古屋に軽金属の夫々巨大な工場を設置した

 また現在和歌山に製鉄所を建設中で既に一部運転を開始しているが、原鉱石から製品まで一貫作業を行うもので住友の資本と技術と人と信用とを以てこそ建設可能な大規模の工場といわれ、完成の上は世界的製鉄所が出来上るものとみられている
住友電気工業

資本金五千万円(払込四千五百万円)
 同社の事業は電線電纜の製造を中心に、硬質合金、蓄電器、特需品の製造であるが、電線電纜は古河電工とともに業界の横綱であり、又硬質合金は東京芝浦とともに殆ど独占的地位をしめている、同社の硬質合金は炭化タングステンで、その切削能力は高速度鋼を遥かに凌ぐので将来性が期待され、同社としても之が生産拡充を行う方針である、大阪、伊丹の両工場のほか新たに名古屋に建設計画中、なお同社事業は別子の銅を原料とする裸電線の製造に由来する
住友機械工業

資本金二千万円(全額払込済)
 別子の鉱山機械の修理工場として発足、現在では大型の鉱山用諸機械、器具及び艦船用機械など軍需品の生産を行っている、目下新居浜の本社工場は拡張中
住友通信工業

資本金五千万円(全額払込)
 同社は旧日本電気株式会社を改称したもので、主として電話交換機、無線電話装置、ラジオ器械、その他高級電機類を製造している
住友共同電力

資本金二千万円(全額払込)
 別子銅山及び新居浜にある住友系各事業に電力を供給するため設立されたものでもと中国四国電力と称したが、昭和十八年四月改称したものである、日本発送伝及び配電会社の統制外にある
満洲住友金属工業

資本金三千万円(全額払込済)
 住友金属の在満別働隊というべく、その事業内容も同じである

 以上住友の各重工業会社を一覧したが、製品の主たるものは何れも素材又は素材に近いものであるため、世間的華々しさはないがわが国航空機工業、金属工業の母体をなすもので、国家的にみて極めて重要な事業である【住友の巻続く】

(7) 住友の巻 多岐に亘る軽合金 製品は斯界の最高峰

[写真(写真は上から住友鉱業社長三村起一氏、住友通信社長梶井剛氏、住友金属社長春日弘氏)あり 省略]

住友重工業の将来

住友の今後の行き方は如何?
住友本社総理事古田俊之助氏はこれに関し次のように語る
 「住友の経営方針は従来通り、住友の家憲に従ってゆく、飽迄国家本位で仕事をする、国家が若し必要とすれば不可能をも可能としなければならぬ、従って住友の安泰を第一義とし、住友の安泰という見地から事業を眺めるようなことはしない、但し住友の力を以てしてもなお成功の自信のない分野には今後とも進出しない、自信のない分野に進出し、失敗することは国家の利益に反する」
住友は各種の拡充計画を目論んでいる、時局下当局が住友の人と技術と資金と信用とに期待する所は大であり、且住友の特徴が軽合金を始め、各種素材、機械の製作に於いて我国の最高水準を示し、他の追随を許さないものであるだけに、時局の重大性の加重につれ、国家が住友に期待するところも益々増大する
 従って住友は今後もその特徴を発揮し「住友でなければ出来ない仕事」に邁進し、素材工業の完成、軽合金の増産、大型機械生産の拡充などに努めることになろう、その他の「住友でなくとも出来る事業分野」への進出は企図しない、住友の当事者も次の如く言明している「住友は過去に於いても利益を得るために群小企業を強制吸収する如きは避けてきたが、今後ともこの方針は変らない、国家的観点に立って合併が必要と認められる場合には合併する、しかし住友としては能う限り他会社を吸収しない方針である」

余りふえぬ子会社

従って企業再編成の課程を経て大財閥のコンツェルン的独裁的色彩が益々強化されんとする現象が一部にある時、所謂「経済原則」に反し、住友の子会社網拡充は世間が想像する程増大しない筈で、これは明治以降住友の辿ってきた道を振り返れば瞭かである、しかして又住友が「経済原則」に背いてかかる特色を維持出来るのは住友の各産業が各業界に於いて最高のものであることにも由来し、住友なればこそ出来ることである、拡充計画に伴うべき住友の今後の資金需要とその調達に就ては持株の開放による方法もあるが、興銀からの借入、社債の発行、戦時金融金庫からの融通等種々の手段がとられる筈である、しかしその資金需要は巨額に達するので拡充に要する資金は大半国家資金によって賄われ、従って状態の推移により計画が中途で不必要となる如き際もそれによって住友の信用が揺ぐごときことは考えられない

世界に誇る軽合金

大東亜戦下住友の名を重からしめているのは航空機材料として同社が大量に生産しているヂュラルミンである、同社ヂュラルミンは殆ど航空機用にあてられているが、軽合金としては世界に卓越した優秀品で、わが国航空機性能の優秀性は一部其機材に基くものである
 ヂュラルミンはアルミニュウム、銅、その他特殊金属からなる軽合金で、もともと独逸人の発明である、独逸では列国に魁けて既に前大戦当時ヂュラルミンを実用に供し、しばしばロンドンを襲撃して世界を驚愕せしめたかのツェッペリン号の一部にこのヂュラルミンを使用していた住友では或る機会にそのヂュラルミンを入手したが、之が住友ヂュラルミンの研究改善に着手した動機であった
それより先大正三年、住友では伸銅所内に研究室を設置し、銅に関係ある各種の研究を進めていた、同研究室は工場に附属したものとして我国では当時珍しいものだったが、銅、アルミニュウム合金も研究課題の一つだった、同研究室ではヂュラルミンを種々試験の結果一般金属に比し複雑な特徴を持っていることに着目、本格的にヂュラルミン研究に乗り出すことになった、それから幾十年の月日が流れ、精神的、物質的多大の犠牲が払われた、そして遂にヂュラルミンの製作に成功したのみならず、超ヂュラルミンの製作にも成功し世界の水準に達するに至った
住友では当初ヂュラルミンが現在の如く航空機用に使用されることを予想しなかった、前大戦当時、金属製飛行機をつくることは考えられていなかった、しかし他日何かの役に立つべきを考え、住友では費用を惜まず、これが研究をすすめた、住友の重工業は銅から出発し途中からアルミニュウムの製錬に着手した、軽合金の生産にも乗出した、現在ではその製品は極めて複雑になっている
 しかし同社製品中でヂュラルミンは特に注目さるべきもので、住友金属工業、住友アルミ製錬住友化学等の拡充計画は何れも之に関係を持つものである、銅から放射状に発展した住友の各重工業は、今後に於いては、ヂュラルミンを中心として眺めることも出来る

総て家憲に従う

住友には資本がある、技術がある信用がある、人がある、経験を積んだ多数の労務者がある、その一つを欠いても事業の経営は成功を期することは出来ないが、しかも之等総てを律するに住友の家憲がある、国家が住友に期待する所大なるものがあるのは当然である
 住友は目下アルミ及び金属工業が元山及び和歌山に夫々大々的拡張計画をもっている、将来とも各種工場の新設拡充が行われるであろう、事業内容もそれに伴って膨脹するであろうしかも住友のなさんとする各事業は何れも「住友でなければ出来ない仕事」であり、その独壇上である
 【住友の巻終り】つづく

(8) 安田・野村の巻 分野の開拓に全力 増強へ揺籃期を脱却

金融資本勢力の後退は従来の財閥的観念を解消しつつあるが、他方決戦国家が至上命令として要請する軍需生産力の飛躍的増強を速かに達成する企業体として財閥的組織体の確立を不可欠としている、これは産業の基礎としての資金、技術及び人材を組織的に統一し企業の合理的生産体制を確立する意味に於いてであり、この組織的統一体を端的に財閥と称し得るのであって、戦力増強の要請が強化されるに従ってかかる財閥的存在の不可欠性は加重されて来るのである、而して従来の銀行資本、事業資本の連鎖たる資本的有機関係の構成体としての財閥も、漸次その保有せ人る、物及び金の全機能を動員して合理的産業経営体としての財閥への移行を迫られているのである

[写真(写真右は安田保蓄社総長安田一氏、左は野村合名社長野村義太郎氏)あり 省略]

安田の連鎖資本

歴史は金融資本勢力即ち商業資本勢力をして重工業分野への転換を不可避としたのである、斯かる見地に於いて安田及び野村両財閥と重工業との関連を瞥見してみよう比較的重工業分野への進出が遅足と見られる安田財閥の連鎖資本の構成は、先ず

(イ)金融資本として、銀行資本信託資本及び保険資本が鼎立しこれは他財閥に比し量的に圧倒的大きさを占めている
(ロ)次に事業資本として、軽工業、重工業資本及び土建資本等があるか現状は金融資本に押され勝ちである
(ハ)最後に安田が直接経営するものでは無いが、関係金融機関に於いて「投資」(株式)又は「融資」(社債、貸出金)を通じて重役を派遣し金融援助の関係にある一連の重工業会社がある

現在のところ安田財閥に於ける資本構成に於いて事業資本就中重工業部門の占むる割合が極めて低位にあるのが目立つ、この事実は安田が経営的自覚に於いて重工業部門への進出乃至経営を殊更に回避し、世上の所謂「金融一本槍」を標榜して来た故ではなく関係事業の歴史的発展の然らしむるところであると見るべきが妥当であろう

重工業へも関心

安田財閥は初代善次郎の銀行創設に端を発し、我国に於ける周期的恐慌の襲来を克服しつつ数十にのぼる弱小の都市又は地方の諸銀行を救済し、現在の大規模の銀行資本の形成を完了したもので、専ら金融業の確立に尽力した結果、勢い事業部門へ進出し、これを直接経営するの時間的余裕に乏しかったことが工業部門への立遅れの直接の原因であろう
 例えば、初代善次郎が晩年北海道の硫黄山経営に乗出す外、製釘所、製鉄所の経営、又電力鉄道会社の経営を試みている事実に徴しても明かに云える、特に大陸投資に非常な関心を持ち銀行の設定経営他事業投資の第一歩として明治三十五年には外相小村寿太郎候の慫慂を受けて張之洞の経営する紡績、製紙、鉱山等の諸事業を視察しているが、唯惜しむらくは不幸途中で倒れ、これらの抱負経綸を実現すべき機会に恵まれず、その企画せる事業が総て開花結実を見ずして終っている
併し乍ら最近に於ける国際情勢の変移は安田をして再び重工業への積極的関心を誘致した

機構再編で前進

我国経済が満洲事変の勃発を転機としての準戦時体制に移行し、軽工業から重工業への編成替を断行し日支事変の勃発を見るに及んで遂に戦時体制の確立に突入、爾来この傾向は日毎に強化され、今次大東亜戦争の拡大に至ってその極点に到達した、この経済機構の大転換期に即応して安田に於いては積極的に重工業の経営を創設すべく十六年に保善社機構の改革を行い、又最近に至って安田興業の改組が発表された
 斯の如く内部機構の再編成は重工業進出の素地を強固にする目的でなされたのであるが、具体的に事業経営を推し進めるには資金、技術及び人材の三者の確保が先決であり、この外資材、労務、下請関係等の深刻な問題もあるが茲では触れない、ところで安田は前述の如く歴史的発展の過程から見て資金と人材の二つには比較的恵まれているが技術に見るべきものがない、差当り優秀な生産技術を獲得し、これと密接な関係を保有せねばならぬのであるが、人・物・金の三方面に亘って国家統制の施行されている現段階に於いては生産条件を早急に確保するは容易の業ではない
このように窮屈化されている現状にあって積極的に重工業経営を遂行せんとするところに建設的な苦悩が存するわけである、而して又事業進出の具体方策としては新規に計画するとか、既存事業を買収するとか、又は合併するとか種々な手段が考えられるが現在のところこれら総ての方法をもって進出が企図されていると見るべきであろう、現に安田が経営する重工業会社を列挙すると、先ず直接経営中の重工業会社は次の通りである
【安田興業】

(資本金二千万円、払込五百八十四万四千円、配当八分)最初釘の自給を行うため八幡に各種釘の製造を開始したもので、長く我国製釘高の大半を占めて来たが、改組後は安田の事業経営の指導担当の中心機関となろう、歴史的にも最古である
【日本光機工業】

(資本金五百万円、全額払込済、現在無配)は経営者より引継いだもので、製造種目は各種光学レンズ、光学機、照明器、造船並に製鋼及び鋳物の製作等をあげ得る、最近に於ける重工業経営の試みとして出発したものであり、内容の充実に努めた結果、近来業績に見るべきものあり、目下拡張計画中
【東洋内燃機】

(資本金三百万円全額払込済、現在無配)は○○関係へ納入の○型○○○馬舶用用内燃機関数種を製造しつつあるが、関係方面の慫慂に基き、目下拡張中
【高雄製鉄】

(資本金五千万円)台湾高雄に○○瓲炉○基の製鉄会社を建造中、設立の暁は現発起人総代田中直通氏が社長を就任するであろう、これは各種の立地条件より見て将来台湾重工業発展に大きな役割を果すものと見られる
【米子造船所】

(資本金十九万五千円)東洋汽船の関係会社にして目下海上輸送機関として造船界に脚光を浴びて発場して来た木造船の建造を行っている

直接経営するものでないが、傘下金融機関の投資(株式)融資(社債、貸出金)を通じて常務又は平重役を派遣し、所謂融資先として金融的に緊密な関係にある重工業会社中、その主要なるものは次の通り(単位千円)

[図表あり 省略]

野村も新分野へ

野村に於いても安田と同様比較的重工業分野への進出は遅れており現在野村直系としての重工業部面は
【野村鉱業】

(資本金一千万円、全額払込済)北海道に於いて本邦最優秀な水銀鉱区を有する我国最大の水銀会社にして目下拡張計画中
【野村製鋼】

(資本金二百五十万円、全額払込済)市川及び船橋に工場を有し高速度鋼、特殊工具鋼、ニッケルクロム鋼、パルプ鋼、航空機用部品その他特殊鋼及び鋳鋼の製造を行い、近く七百五十万円に増資の予定
【日東精工】

(資本金百五十万円全額払込済)呉公害川尻町に工場を有し航空機部品、鈑金及び工具の製造を行い、近く三百万円に増資の予定
【奉天金属】

(資本金三十万円、全額払込済)奉天重工業地帯の中心にあり、釘鋲及び鍍金作業を行う

又傍系として見るべき重工業には昭和特殊鋼があるが、未だ野村の旗幟となる如き事業は見られない、併し乍ら野村に於いては規模は小なりと雖も先人の跡を踏まぬ特徴を有しており、かつての仏領ニューカレドニヤに鉄鉱採掘事業として創設したヌベルカレドニヤ鉱業及びラ・ソシエテ・ル・フェル等の経験は今後地下資源開発事業に新分野を開拓しここに野村の重工業分野の新生面が存すると見られる【安田、野村の巻終り】
 (つづく)

(9) 浅野の巻 共同投資で事業網 鋼管、洋灰に不抜の地歩

浅野財閥の関係事業は証券、保険、商事、セメント及びセメント加工、鉱業、石炭、鉄鉱、金属工業、化学工業、電力、機械、爆薬、製紙、土地建物、土木、鉄道電鉄、自動車、船舶、運輸、其他と凡ゆる部門に亘り、直系、傍系会社は九十四、公称資本金七億円に及んで居る、その内重工業部門はセメント及び加工十二社、鉱業石炭十一社、鉄鋼金属化学工業十七社、電力機械十四社、爆薬二社合計五十六社で、鉄道電鉄輸送関係会社がこれ等会社の運輸機関として設立された経験を考えると浅野財閥の関係会社は殆ど重工業に集中されていると云い得る、他財閥が競って重工業部門に進出、支配権を獲得せんとしている折柄、事業主先代浅野総一郎氏の絶倫な事業慾が大東亜戦下華々しく開花している訳である

[写真(浅野良三氏)あり 省略]

[写真(浅野八郎氏)あり 省略]

小額資本で牛耳る

浅野事業の主柱は浅野セメント、日本鋼管、浅野物産であるが、洋灰界に於ける浅野セメント、鉄鋼界に於ける日本鋼管の地位は何れも業界の代表的巨大会社で前者は小野田セメント(三井財閥)磐木セメント(岩崎清七)と共に本邦三大洋灰会社と称され、その内生産額は最高を占め、後者は日本製鉄の国家資本に対し民間資本を以てする国策会社として急激に膨脹を続けている、この二大会社を直系会社として擁するだけでも浅野財閥の地位は高く評価される、浅野財閥を資金の面で見ると其基幹事業でも浅野自身の投下資本が低く浅野セメント二割四分、日本鋼管一割三分七厘、浅野物産でも三割七分に止ままっている、これは先代浅野総一郎が自己資本に比し事業網を尨大なものとした結果で、この点三井、三菱、住友などの財閥が豊富な自己資本を以て傘下事業を支配しているのと相違している、依って浅野財閥の傘下事業掌握の仕組みとしては資本を大体他財閥との共同投資に依って得、その経営を浅野一族が掌ることとしているが、傘下会社は又夫々証券保有会社を持ちこれを通ずる資本投下と浅野自身の資本が合して孫会社の支配を行い、斯くして浅野財閥の少額資本に依る尨大な支配網が形成される訳である
 その典型的な例としては浅野セメントの株主資本は安田、大川渋沢、田中、尾高、徳川家を以て構成され、日本鋼管が白石、大川、沖電気が安田、渋沢、徳川の共同資本に依って殆んで全株を持っている、また孫会社支配には小倉製鋼が小倉築港株式の九割九分を東洋鋼業の一割を持ち、関東電気興業が関東製鋼の七割を、日本鋼管が鉄鋼証券九割九分、東京シャ七割、日本鉄道七割、日満鋼管五割五分、日本高炉セメント四割、鋼管鉱業九割、日鋼満俺五割七分等を持ち、浅野セメントが同様子会社の株を持つなどに依って示されている、重工業部門で浅野財閥の時局的代表会社をみれば別表の如くである
重工業が如何に時局の波に乗っているとは云いながら、又時局重要産業であればあるだけ自己企業の整備、拡充が要請されるが、浅野財閥傘下会社も最近種々微妙な動きを見せている、浅野セメントは昨年日本、土佐、日東、東亜の四セメントを合併し、一層鞏固な基礎を確立し、関東水力と浅野カーリットが合併して関東電気興業となり、近くは小倉製鋼と浅野重工業の合併が進んでいる、これ等は素材から製品への一貫体制確立にのためで、財閥縦の関連と統制会横の統制と云う最近の八釜しい論議に対する一つの例を示している又事業の転換としては順安砂金の○○に於ける錫、浅野物産の○○事業進出等が挙げられる

日本鋼管の飛躍

茲で注意を要するのは日本鋼管であるが、同社は浅野同族の長老である白石元治郎氏を会長に浅野良三氏が社長に就任して居り、浅野としての所有権は浅野一族個人株を加えても一割五分を出でないとするも浅野財閥傘下会社支配の例からして典型的な傘下会社である
 然るに最近日本鋼管に対する浅野財閥の支配権は非常に稀薄となって来ている、それは日本鋼管が従来の一民間製鉄会社と云う地位より飛躍的に上昇し、日鉄と併んだ国策会社となって来たことに依る、近く倍額増資で五億円となるが、増資内容は明確にこの点を指向している、既に今日では鋼管は鋭利を考えては経営の出来ない程驚くべき大規模な拡張、建設が要求されている、秋田製鋼の支配権を確保する一方特殊鋼のマスプロ工場が○○に建設が急がれている、朝鮮に小型鎔鉱炉の建設、特殊鎔鉱炉創業の華北製鉄(北支開発と共同出資)設立○○の木炭銑、○○の現地製鉄、子会社日満鋼管の拡充、さとは船舶機械製造のための朝鮮機械の確保等何れを見ても戦う国家の事業である、一財閥の支配からは遠く離れたところに来た、この意味に於いて白石からバトンを受継いだ浅野良三、浅野財閥の代表としてではなく、天才事業家先代浅野総一郎氏の後継者として如何に鋼管を国家事業として運営強力化するかに期待が掛けられる

浅野同族の改革

浅野財閥の持株会社たる浅野同族(資本金三千五百万円全額払込)は最近その機構改革を行うべく目下準備中でこれが清算事務を行っている、その方途としては三井合名が三井物産に合併した如く傘下事業会社との結び付きであるが、なお具体方策は決定していない、同族会社の構成は次の如くである
 代表清算人浅野総一郎、清算人浅野良三、同浅野八郎、同浅野義夫、同白石元治郎、監査役馬杉禿、同穂積重威、支配人藤堂大蔵、副支配人山形晴助
 【浅野の巻終り】つづく

[図表あり 省略]

(10) 大倉の巻 転換の軌道に乗る 期待に膨らむ再発足

動乱と混沌の幕末時代の江戸を背景に、大胆不敵な商魂に物を言われて鰹節問屋の一奉公人がら身を起した大倉喜八郎が、その一生に於いて天下の大倉財閥を築き上げた直接の契機を採れば、その悉くが戦争にあったと言っていい、影義隊が上野の山に立籠って江戸八百八町に血なまぐさい風が漲る真中で、彼は鉄砲屋として産を成した、抑々これが大倉財閥の生れる動機であった、その後も台湾征伐や征南役の際、軍需品輸送に当り、日清戦争では軍需品供給で儲け戦後支那に利権を拡大し大陸発展の基礎を築いたし、日露戦争でも軍需品の輸入と輸送で巨利を得たのみでなく満洲に進出の機会を掴んだ、大倉と言えば戦争成金、戦争財閥と言われる程に、その飛躍ぶりはめざましかったのである、然るに満洲事変この方大東亜戦争の現在に於いて一般の印象として大倉の活躍は決して華やかなものではない、それには先代喜八郎に代って今日の大倉を指導する首脳者の資質、その歴史に裏付けられた企業形態の特殊性その他主観的な条件も勿論あるが、それより大きいものは何と言っても自由経済から統制経済へと移行した時代の力である、鶴翁の自由奔放な事業創造慾も強靭無比な商魂も所詮過去のものである、ここでは凡ゆるものに国家目的が優先し全体のために個は制約される、こうした大きな条件を基底に置いて考えるならば今日の大倉は矢張り財閥としての貫禄を持しつつ堅実にその役割を果していると言い得る、そして重工業はじめ時局産業への進出もそれ相応に注目すべきものがあるのである

[写真((上)大倉喜七郎男(中)門野重九郎氏(下)大倉粂馬氏)あり 省略]

大倉財閥の特質

財閥としての大倉は、由来産業資本家的特色を最も鮮かに示して来た、僅かに資本金二百万円(五十万円払込)の大倉火災海上保険を除けば金融関係とは全く無縁であると言ってよく、その精力を悉く事業にばかり注ぎ込んで来た、それについて先代喜八郎翁は常に
 「事業家と言うものは金を借りて事業をするもの、借金で仕事をしたら金貸が出来るか、貧乏人と金持の使い分けが一人で出来る筈はない、俺は銀行は真平だ」
と言ったという、その経済観の古さは兔も角として今日の産業資本の活溌な時代にあっては一見先見の明のあったようにも聞えるが、事実は寧ろその反対であった、産業資本と言っても大倉の事業の主なものは貿易と土木で、大倉商事は日本で最古の対英貿易を誇るものであるし、大倉土木の仕事も日本一の評判を背負っている、土木は別としても過去の貿易重点主義は今日の大倉に取っては却って大きな転換の悩みを課するものである、その点で三井財閥の悩みと多分に相通ずるものがある、この制約からの脱殻が当面の最大の課題であるとさえ言えよう、そのために大倉では極めて最近機構の大改革を行った

重工業重点へ転換

今回の機構改革の主眼は先ず第一に長い間大倉財閥の総本部として傘下諸会社に君臨して来た合名会社大倉組(資本金五千万円)を解散して大倉鉱業に合併した、これは大倉組が同財閥中唯一の持株会社らしい性格を有するものであっただけに、これを払拭して大倉鉱業を強化したことは産業資本財閥としての特色を更に進めたと共に鉱工業への深甚なる関心を表明するものと見ていい、これと同時に大倉商事を大倉産業と改名したこともその傘下に中央工業、立川飛行機、大倉機械、大阪製鋼、日本無線等があるだけに、単なる改名に留まらず重工業重点主義への移行を示すものとして見逃せない、処で大倉組の解消によってこれに代って大倉財閥の司令部の役割を果すために新に大倉総本社が設立された
 併しこれは法人格を有せず、いわば純然たる委員会形式によるもので傘下諸会社の資金、人事、経営の一切に亘る最高命令機関である、当事者はこれを以て高度の国家観念の下に急テンポの時局に即応し公正なる判断を誤まらぬため上意下遂、下情上通の機関たらしめると共に事務の簡捷に資すると称しているが、一時統制経済の新理念として論義の的であった資本と経営の分離というような観点から言って直接狭隘な資本の制約を受けずに財閥全体としての大所高所の立場から自由な裁断を下せるわけで、新しい強力な推進力を期待していいであろう
この改革によって現在大倉財閥を形成する枢軸会社を表示すれば次の如くである

[図表(【大倉総本社】)あり 省略]

重工業大倉の概況

この枢軸四社を中心として大倉財閥の直系傍系乃至支配会社は内外地に於いて実に八十余社(南方占領地域を除く)の多数を数える、そのうち重工業関係の主なるものは別表に示す通りだが直系事業として大きいのは本渓湖煤鉄公司、本渓湖特殊鋼及び中央工業の三社である

【本渓湖煤鉄】は古く明治四十三年の創立で経験豊かな製鉄技術も優秀だし満洲国建国以後は満洲重工業、満洲国政府の共同出資に依り基礎も益々固く、殊にその製品は低燐銑として極めて良質で専ら高度の軍需資材として供給していることは周知の通りである
【本渓湖特殊鋼】は昭和十三年の創立で、その宮の原工場の完成の如きは極く最近のことに属するが技術にも機構にも煤鉄公司と密接な連絡を有するだけに、日なお浅きに拘らずその成果は注目に値するものがある
【中央工業】は内地に於ける大倉直系の殆ど唯一の重工業会社というべく事業目的は一般兵器、一般機械器具及び部分品、付属品の製造修理、諸材料の製造加工となっている

その他注目すべきものには大浜炭鉱、西戸崎炭鉱の両社があるが、その何れも開坑未だ間もなく今後を期待されるものである、又傍系乃至支配会社の中には立川飛行機、帝国マグネシウム、日本無線、入山採炭等の時局の脚光を浴びる会社が少くない、運輸工業に於いても汽車製造、日本自動車工業等がその支配下にある、更に大倉の投資の特色として小資本会社の経営が多いが、それらを加えると重工業関係の傘下会社の種類別数字は次のように多数を数える
 鉄鉱及び金属製錬四▽石炭鉱業五▽自動車工業九▽機械工業一五▽航空機工業一
併し乍らその投資が少額で分散的であるため一貫した体系的な部門を確立し得ないのがその弱点だと言われる、僅に自動車工業部門が部分品製造販売から車体の製造組立更に運輸事業そのものに至るまで一貫的経営をしているのが目立つ位のものである、なお重工業の範疇には入らないが本渓湖セメント、日清製油、日本電池日本皮革、日本製靴、秋田木材、中央ゴム工業等の窯業、化学工業製革製靴、製材、ゴムの如き時局産業に占める地歩もこの際見逃されない

首脳陣と今後

従来大倉財閥を指導するものは組織でなくて人であると言われた、先代喜八郎翁の専制独裁に引続いて門野重九郎、大倉粂馬の人と腕が大きな存在を示した、併し時の勢いはこの大倉王国にも「人より組織」の時代を訪れさせた既に述べた今回の機構改革に依る大倉総本社の出現がそれである、勿論その決裁権は頭取大倉喜七郎、副頭取門野重九郎、監事大倉粂馬の三氏が依然として掌握わしているが、今後の大倉を指導する実権はその下の六理事にあると見ていい、彼等は何れも人格、識見、経歴に於いて大倉陣営の第一流揃いである、その顔触れは在社三十三年支那通で前大倉組理事を勤めた最古参速水篤治郎を筆頭に、大倉鉱業、本渓湖煤鉄、入山採炭の重役として腕利きを謳われ現に帝国マグネ社長の大崎新吉、生え抜きの大倉人で近代的大倉商才の塊りと言われる皆川多三郎、天下一の大倉土木を切って廻す原孝次、本渓湖煤鉄の経営の衝に専ら当って来た満洲通高橋岩太郎、それ□□老大倉粂馬の御曹司という門地に恵まれる商事出身の大倉彦一郎、以上六名で、速水を除く五氏は第一線に活躍する気鋭の働き盛りとて、その合力は現在の大倉では他の如何なる強力者をも凌ぐ実力を発揮する、今後の大倉を指導するものは従来の門野重九郎、大倉粂馬、大倉喜七郎の三頭政治に代って理事制の組織の力となるであろう、その意味から稍停滞気味のこの財閥にも新方向が期待出来るのである
 併し新方向と言っても南方進出とか新企業の開拓とか表面的な華々しさを言うのではない、寧ろ過去の実績なき南方進出の如きを取らず先代喜八郎の遺業たる満支の地盤を確保してこれを更に伸張し、又現下国家の当面する緊急産業たる重工業乃至重要産業への一層の挺進がこの財閥の現在志向しつつある進路であることが言い得る
 【大倉の巻終り】(つづく)

[図表(資本金百万円以上の大倉直系重工業関係)あり 省略]

[図表(資本金百万円以上の大倉傍系乃至支配の重工業会社)あり 省略]

(11) 古河の巻 鬱勃たる新興機運 創始の精神、着々実現

古河の財閥としての歴史は決して長いものではない、時代は希望に燃える近代日本の黎明期、一介の豆腐屋から志を立てた古河市兵衛が明治七年新潟県草倉銅山の経営に着手したのが発端である、それから七十年、今日の古河は総資本金四億五千万円、古河鉱業、古河電工の商社を二大支柱として十五の直系、五十の傍系支配会社を擁し一大産業王国を現出している、その企業部門は鉱業、金属製錬、電線製造、機械工業の重工業を始め時局産業たる化学工業、ゴム工業等に及びその何れにも一流会社を経営し全部門が殆ど戦争遂行の戦略物資に関係して生産決戦の巨大な基地を形成しているのである、併し乍らこのような古河の大を成したものは市兵衛翁の処世信条であった「運鈍根」に発する堅実にして周到なる経営法によるもので決して偶然に時局の脚光に照射されたものではなかった、それを知るためには簡単乍らその沿革を辿る必要があろう

[写真(古河従純男(中)中川末吉氏(下)吉村万治郎氏)あり 省略]

重工業古河の沿革

古河の重工業進出は既に明治十年足尾銅山を買収し、これが開発の着手に始まったと言っていい、当時の産銅が粗銅塊又は原料銅のまま海外に輸出していたのを旺盛な事業精神に燃える古河市兵衛が産銅事業本来の目的たる国内の加工消化に着目、本所に鎔銅所を増設精銅事業に手を染めたのが本邦近代的銅加工業の濫觴である、更に二十二年には電気分銅に成功、越えて二十九年に銅線製造に着手した
 この間電灯事業及び電気通信の興隆があり電気精銅と銅線製造との大規模な拡張をするため当時夢想だもしなかった華厳の滝を利用する六千馬力の一大発電所を日光町に建設、この完成なった三十年、日光電気精銅所の新設を見た、これによって在来独逸に依存していた電気銅を国産化することとなった、のみならず当時急速に膨脹した電導体の国内需要を充すべく古河鉱業が大株主となっていた山田与七の経営する電線製造工場を買収、拡張して新たに紙絶縁電線の製造を開始し資本金五万円の横浜電線製造会社を設立してここに初めて産銅から最終製品に至る一貫作業を実現した
大正に入ってからは経済上その自給が焦眉の問題となった海底電線の製造を完成、更に電線類一切を網羅して外国輸入の防遏に尽し大正九年日光電気製鋼所を現物出資して資本金二千万円の古河電気工業会社が生れた、ここに古河の重工業進出は足尾経営の長い困苦時代を漸く脱して当時全国的に急速な発展を見つつあった銅、金、銀亜鉛等の非鉄金属並に石炭の諸鉱山稼行と併有してその多角的な触手を伸ばすこととなった、即ち鉱業経営では古河合名として明治三十八年に古河個人経営から会社組織の変更となりその間金属の加工、機械類の製造、化学工業、ゴム工業に進展し、下って大正七年古河合名から分離した古河鉱業は二千万円の資本金を以て設立したのである

古河の事業網

大正末期アルミ製煉へ対する関心は原鉱石ボーキサイトの採鉱となり古河合名は南洋ゴム園を中心とする広大地域の採鉱を行った結果スマトラ島ビンタンの発見となったが当時蘭印政府の鉱業鎖国主義に禍され採掘権は得られなかったのでヒリトン錫会社と特約を結んで採掘物の一手輸入に成功、遂に我国最初の軽金属製錬及び軽合金製造に発展した
 昭和九年古河合名会社の直接管理下の日本伸銅及び尼崎伸銅を合併し更に十三年両工場を合体して大阪伸鋼所となし日光電気精銅所と共に金属工業の両翼を伸ばし、一方前述のボーキキイトを製錬する為三井、三菱、住友を糾合して日本アルミニュウム会社を創立、台湾高雄の新工場で出来たアルミを日光で加工することとなったが更に、東京電灯と提携してその直営する富士川電力と電気工業に卓抜な地歩を占めて来た古河の技術の協力によって資本金一億円の日本軽金属会社を創立、□□□□□□□□□□三工場を合せて年産○○瓲世界屈指の大アルミ生産会社が茲に現出した
蓋し大東亜戦争以後古河鉱業が軽金属方面に他の進随を許さぬ生産力を誇示するのはその裏に市兵衛翁以来の伝統と絶えざる努力が物を言っているのである
 アルシ製錬事業の外軽合金鋳物専門の秋田工場も時局に応えて飛躍的増産に邁進して居り、その他投資会社としての主なるものは富士電機製造、横浜ゴム大日電線、日本電線、千代田電線、太陽電線、帝国電線、日本海底電線、特殊軽合金、日本弗化鉱業、東邦金属、南方鉱業等があり鉱業に於いても銅、鉄、亜鉛の六鉱業所、石炭の三鉱業所がある

課された新使命

古河市兵衛翁以来の歴史と多年の研鑽せる技術に加えてその積極的経営方針によって直営工場と傍系諸会社を運営して全古河事業圏内の金属工業、電線製造及び金属加工部門を代表する古河電工こそは市兵衛翁の夢を実現したものだが時勢は単に一企業家の夢の結実に留まることを許さず、更に大きな使命に立向う厳しい現実に直面して居り、その超克のための試煉が課されつつある、五大重点産業の中軽金属、石炭、電力の主要分野に強力な一翼を担う古河財閥が既に○○方面の建設に向って嘗ての市兵衛翁がそうであったように蔭の力として資源の開発に早くも数歩を踏出し現地に於ける金属精煉、加工の技術的な数々の成果と共に投資の進出を着々として見つつある

機構と首脳者

古河のかかる鉱工業への全面的躍動が現在如何なる機構と経営首脳者によって運営されているかというに古河従純男の統轄する古河鉱業会社□□□□□□□□を中心として先ずその直系会社の古河電工社長中川末吉氏は古河財閥の子飼として市兵衛翁が天塩にかけて来た人で同氏の持つ積極的経営手腕は古河鉱業副社長吉村万治郎氏の所謂古河型の手堅い手腕と共に古河陣営の双璧である
 この両氏に続く部将の面々には青工関係諸会社の経営に当る腕利として富士電機専務及び富士通信機社長の和田常助氏、大日電線の長谷川鉄太郎氏、秋田工場の木村豊吉氏、横浜ゴムの萩原参吉氏、日本軽金属の常務上島清蔵氏等何れも人格、識見、経歴に於いて粒揃いである、又鉱業畑には大正鉱業の佐藤□氏東亜化学製錬の兼本与継氏、旭電化工業の磯部愉一郎氏等あり単に古河財閥の重要人材たるに留まらず日本鉱業界の推進になくてはならぬ人々である
而して之等は何れも古河市兵衛翁の創業当初からの念願であった「銅鉱から電線へ」の一貫産業の遺志を体して支那事変以来日進月歩する複雑精緻な需要各部門に生かし、その規模も共栄圏全般に亘る鉱物資源を活用して最終製品を仕上げるまでの一貫作業の達成へ古河魂を躍動させつつある、更に古河の誇るものにその有能な技術陣がある、即ちその包括する凡る部門に何れも我国科学技術界の一流人士を擁していることは古河の強味であるが、特にこの技術陣によって最近その結実を約束された低品位銅鉱の湿式精煉及び満洲、朝鮮にある良質マグネサイトになるマグネシウムの回収並に海水苦汁よりのマグネシウム回収の成功は二大収穫として近い将来に大きな期待を抱かせるものである

[図表(【古河の親会社】(単位千円))あり 省略]

[図表(【鉱業直系の重工業会社】)あり 省略]

[図表(【電工直系の重工業会社】)あり 省略]

【古河の巻終り】(完)


データ作成:2008.5 神戸大学附属図書館