新聞記事文庫 水産業(10-024)
神戸新聞 1934.2.26(昭和9)


神戸で育った共同漁業生立の記

江戸で生れてから二十年

遂に日産に合併、嫁ぎ行く


共同漁業は既報の如く愈々日本産業と合併されることに決定し、その本社も既に神戸から東京に移転して仕舞ったが、斯界の先覚者田村市朗翁らの努力で大正三年二百万円の資本金で創立されたものが現在公称資本一千五百万円となりその事業も生産、加工、運送、販売に亘り日魯漁業と共に我国漁業の二大分野を劃するに至っているが、今回の合併によりこの神戸に育った日本的花形事業会社を失うことは一脈寂寥の感に堪えないが拡大発展の門出でもあるから茲にその生立の記を記して祝辞ともし又送別の辞ともしよう

資本金二百万円から一千五百万円に 田村汽船、日本、北洋水産等合併 本店の東京神戸間往復今度で四回

本邦トロール漁業は明治四十二年から同四十四年頃までが所謂新興黄金時代で大正元年から二年にかけては又その反動時代であった、共同漁業はこの反動期に当って当業者の窮境を救う道は、同志を糾合してこれに新たなる人材と資本を加え経営方法を根本的に刷新するより他ないとして、大正三年十一月資本金二百万円を以て星野氏らに依って創立され、同氏が社長となって東京に本社を、支店を大阪、下関、長崎に設け、二十五隻のトロール船を以って遠洋漁業を開始することになった、然るに世界大戦が勃発すると間もなくトロール船が掃海用及び潜水艇見張用としての有効性が認められ、連合国は争ってこれを購入したので船価は暴騰して経営難に呻吟しつつあったトロール業者はその持船を売却することに依って巨利を博したが、同社も亦これに倣って奇利を博し大正六年三月には十四割配当をする有様であった、然るに斯くの如くその持船の殆ど全部を売船したために営業方針の大変革、株主の大移動を生じた、即ち田村市郎氏が大正六年にその株式の大半を手中に収め本店を東京から神戸に移し下関、長崎の両支店を廃し翌七年三月には資本金を三十万円に減資して星野社長辞任して再び本社を東京に移し爾来本邦トロール漁業の確立に努力していたが、大正七年末世界大戦休戦条約の成立したころから造船費稍低下し始めて復興の機運に際会、大正八年資本金を一躍三百万円に増加し新たに主務省から十数隻の企業認可を受けて、六甲丸を第一船に続々進水せしめた、一方田村汽船漁業部も亦新造船を加えつつあったが遂に同年九月これを合併して資本金は五百万円に増額され本店は再び神戸に移され下関に営業所を設置し、元農商務省水産□長松崎寿三氏(現相談役)が社長に、斯業に経験深い国司浩助(現専務取締役)故林田甚八氏が常務取締役となって陣容を一新した而して同年末の所有船数は二十八隻となりこれを一のフリートとして専ら企業的組織経営をなすことになったがこれから同社も全然面目を一新して斯界に更正したわけで、その創立は大正三年であるけれども実際上の同社は大正九年から存在するといった方が適切であるかも知れぬと同社の幹部はいっている、大正十五年十一月には日本水産株式会社及び北洋水産株式会社を合併して払込済五百七十四万円に、更に昭和三年四月千五百万円に増資し、昭和四年十二月にはその根拠地を下関から戸畑に移して多年の経験に基き漁業の工業化と経営の組織化に依って、本邦有数の大漁業会社として世界に雄飛するに至った

行届いた機関の配備 生産、加工、運輸、販売すべて至れり尽せり

共同漁業の沿革は大体上述の通りであるが、かくの如くして成長した同社の現在事業関係は如何というに、生産、加工、販売とあらゆる方面に亘っている、即ち研究機関としては早鞆水産研究所を持っており、此処では漁業及び魚類の研究水産物の科学的加工製造及び冷凍法の研究、漁網、漁具及び漁法の研究などあらゆる漁業関係事項の学術的及び実際的研究が行われて居り漁業用品供給機関としては合同水産工業及び日本漁網船具の二社を有し、生産機関としては左の諸会社に投資している、即ち
 日本合同工船 資本金七百万円本社東京、工船十九隻、蟹工船事業を行う、博多トロール 資本金二百万円本社福岡、共同漁業委託経営、南米水産 資本金百万円本社東京、南米ブエノスアイレスを根拠として大西洋岸の漁業に従事す、豊洋漁業 資本金百万円、本社神戸、手操船二十八隻で機船底曳網漁業を営む、蓬莱水産 資本金百万円、本社基隆手操船十二隻、トロール四隻で台湾近海の漁業に従事蓬莱漁業 資本金三十万円、本社基隆、トロール四隻で香港を根拠として南支南洋の漁業に従事、興洋水産 資本金二十万円本社朝鮮麗水面、運搬船十数隻で鮮魚の処理運搬売買を行っている
更に製造加工業としては
 大阪に本社を置く資本金三百五十万円の合同水産工業株式会社があって戸畑、大阪、高雄、漁大津(北鮮)に工場を有し竹輪、蒲鉾、各種缶詰、ミーキン魚粉末ベースト等を製造し戸畑工場の如き竹輪一日十万本の生産能力を有している
次に運送機関としては高速冷蔵汽船が運搬船七隻を以て大阪戸畑間の鮮魚運搬に従事しているが販売輸出機関としては左の諸会社をその傘下に集めて断然斯界を風靡している、即ち
 日本水産 資本金百万円本社大阪、全国各地に販売所十ヶ所、出張所二十を設け水産物の販売に従事、共同水産 資本金百万円、本社東京、戸畑魚市場 資本金三十万円本社戸畑、三共水産資本金五十万円、本社東京、冷凍魚介を欧米各国に輸出
而して同社現重役は左の諸氏である
 取締役社長田村啓三、専務国司浩助、常務岩本千代馬、今井直城、取締役鈴木英雄、植木憲吉監査役鷺野平九郎、山岡千太郎相談役田村市郎、松崎寿三

水産業大成のため 田村啓三氏談

なお今度の合併について田村啓三氏は左の如く語る
 日本の水産業を大成せしめるという意図から単に漁業会社は漁業会社の殻の内に籠っていたんではそれが到底達成出来ない寧ろ日本産業の如き日本的に各種産業と関係あるものと合同することが共同漁業を一層大きくするものだ、日本の漁業水産工業を本当に発達せしめるとの信念から今度の合併を決定した訳である、本社の移転も出来得れば今迄の関係もあり神戸にそのまま存続させたいとは考えたがこれも大局的に観て東京に設ける方が万事に好都合であり従来とても単に神戸には本社があるというだけで本当の仕事は神戸になかったのだから一部株主には御迷惑であったが移転した次第である


データ作成:2010.4 神戸大学附属図書館