新聞記事文庫 司法および警察(1-014)
法律新聞 1915.1.15(大正4)


司法権の独立に関する上言書


 司法権の独立を危ぶまるるや久く我法曹界並に議政壇上に於て屡々問題となれるが遂に一般私人の間にも其独立を疑う者あるに至れり即ち去る十日浅草諏訪町九番地福島〆作氏外百八十六名より司法大臣並大審院長に上言するに至りたるが其全文左の如し
司法大臣閣下並大審院長閣下
立憲治下の一市民福島〆作等謹みて上言す
謹で案ずるに本邦の諸邦律範を文明先進に取り萃を抜き萃を摘む趣意に於て又条章に於て固より間然する処あるを見ず只少しく実行の上に於て遺憾の点あるを覚うるのみ実行上の遺憾や元と多端なりと雖ども一言にして掩えば曰く、未熟然れども未熟に属するものは年を追うて漸次練達の域に進むべく憂うるに足らず唯憂うべきは法律の独立ありて裁判の独立不足するやの感なき能わざるの点に存す不肖等頃日躬親ら実際に遭遇経歴して痛切に此の感を深くせり惟うに是れ立法者の罪にあらずして司法者の貴なり而して司法者を監するに閣下等の職責なりと信ず之れ閣下に対し本上言書を奉る所以に有之候
一、抑も犯罪あるに当り必ずしも起訴所罰するを要せざるは刑事政策として当然のことに属すること司法当局の昨冬の議会に於ける弁明を須たす不肖等の了承する所たり然れども刑法以外の法律、人民に平等なるべき法律即ち民法、同施行法、不動産登記法、登録税法等に於て政策を加味し其の適用を二、三にするものあるに至らんか其影響如何而して滔々風を為すに至らんか其結果如何今閣下の聞に達せんとするは漠然たる抽象的問題にあらずして極めて狭隘なる法律の適用問題なり而かも其影響する処は華族の財産上の特権に対し帝国諸法律の適当に行わるるや否や云わば法律の消長に関する重大なる案件なり故に其関係する処は独り華族五爵のみに止まらざるなり
二、夫れ華族勲胃は国の胆望なり五爵有体は国民の華なり栄爵を用て寵光を示させらるるの聖旨は臣民の感戴措く能わざる処なり之に伴うて発布せられたる華族世襲財産法の趣旨、負債償却の義務ある財産は世襲財産とするを得ずとの主旨を始め厳密なる手続及び其後号布せられたる民法等の規定に至りては一層聖旨の難有き節の窺わるるものあり何ぞや此等の法や範を独逸に取りて而かも其短所を踏襲せす即ち独逸民法及び施行法に於ては独逸皇室及び独逸最高貴族に関する特権を認め封建領土世襲財産家族信託財産を保護しあるに拘わらず我民法施行法不動産登記法等には何等除外の規定を設けず仮令華族の身分を有するものの財産殊に世襲財産に於ても登記を対抗条件と為したる一般の規定の外に置かず等しく登記を要することとせり華族の不動産なるが故に登記を要せずして特権ありとするが如きは沿革上の理由なき我日本国には不通の事柄なればなり
今本邦の之に関する法草を挙示すれば実に左の如し
 世襲財産法執行手続(明治十九年五月二十二日宮内省達第七号)
第十条 家督相続者世襲財産を相続したるときは地方庁へ銀行若くは会社に於て地券公債証書又は株券の書換若くは裏書を受け速に其旨を届出べし民法第百七十七条、不動産に関する物権の得喪及び変更は登記法の定むる所に従い其登記を為すに非ざれば之を以て第三者に対抗することを得ず
 不動産登記(三十二年二月二十三日法律第二十四号)
第一条 登記は左に掲げたる不動産に関する権利の設定保存、移転、変更、処分の制限又は消滅に付き之を為す
 一、所有権(下略)
第百四条 不動産を華族世襲財産と為すことを認可したるときは当該官庁は遅滞なく世襲財産の創設の登記を登記所に嘱託することを要す
 民法執行法(三十一年六月十五日法律第十一号)
第三十七条 民法又は不動産登記法の規定に依り登記すべき権利は従来登記なりしを第三者に対抗することを得べかりしものと雖ども民法施行の日より一年内に之を登記するに非ざれば之を以て第三者に対抗することを得ず
 登録税法(明治二十九年三月二十七日 法律第二十七号)
第二条 不動産に関する登記を受くるときは左の区別に従い登録税を納むべし
 一、法定の家督相続に因る所有権の取得、(下略)
三、以上の諸法章に昭々たる通り世襲財産たるが為め納税の義務を免れざると一般世襲財産たるが為め登記義務に影響なきこと洵に明白なり
而して又家督相続に依る不動産取得の場合に於て不動産登記法第一条登録税法第二条民法第百七十七条の適用を受くるは極めて明白にして大審院の判例(四十一年(オ)第二七四号同年十二月十五日判決)に於ても其旨判示せり
然るに華族子爵堀秀孝対株式会社千代田銀行破産管財人不動産強制執行異議事件に付咄々奇怪に堪えざるは斯界俊英の選たる名誉の裁判官の集合なる第一審東京地方裁判所は判決して曰
「上略、登記制度の施行せらるるに及びては登記の効力が右世襲財産法の規定の企図するところと同一なるよりして解釈上右公示の手続に代うるに登記を以てすることを許したるは何れも第三者保護の目的を達せんとするものにして従て特定の財産に付き苟も右何れかの手続を了したる以上右公示方法の内容として該財産現時の所有者は必ず該世襲財産創立者の家の現時の家主に限り其他の者に於て其所有権の取得する者なき事実は一般に公示せられたるものにして而も当該華族家の現時の戸主が何人なるやは輒く了知し得可き事項なるが故に該財産の所有者は常に第三者に知られたるものと謂う可く従て戸主の交替ありたる際新戸主に於て相続による所有権収得に付き登記又は其他の公示方法を為さずとも毫も第三者に不測の損害を加う可き謂れなし果して然らば此の如き財産所有権移転に付特に第三者に対する対抗要件を設けて第三者を保護する必要なきものと謂わざる可らず(中略)華族世襲財産創設の登記ある不動産の家督相続による所有権取得を第三者に対抗せんには之が登記を要すとするの不当なるを知るに十分なりと放言断定し以て臆面も無く立法論を以て成文を抹殺無視するの判決を下せり」
第一審判決の如きは言うに足らずとするも更に驚くべいは東京控訴院に於て(大正三年(ネ)第二五六号)判決して曰、
「家督相続者に世襲財産を相続せしむることは華族世襲財産法第二条に明記する所なるを以て被控訴人(堀秀孝)にして堀親篤の家督相続人たる以上右不動産に付家督相続に因る所有権取得の登記を為すと否とに関せず家督相続人として世襲財産たる不動産に付き所有権を取得したることを当然第三者に対抗し得べきは固より其所なりとす己に係争不動産が被控訴人の所有に属し且つ之を第三者に対抗し得べき以上は該不動産を堀親篤の財産なりと認めて強制執行に及びたる株式会社千代田貯蔵銀行破産管財人の所為は失当にして被控訴人の異議は理由ありと云わざるべからず」
との判決理由の如何に曲解なるかは多弁を要せざるべし
四、先是宗伯爵家世襲財産の登記せられざる故を以て債権者の差押うる処と也競売に付せらるるや世襲財産の故を以て登記なきも不融通物なりとして争う処ありしも其抗議は斥けられ結局登記は対抗条件として必要なることと確定せり宮内省爵位寮に於ては其影響尠少ならずとし其後本件の起るや裁判所に向って交渉する処ありたるやに側聞す事実の有無は保し難きも惟うに当に然るべき歟曰初め民法及び施行法並に不動産登記法の施行の当時、司法当局よりして華族世襲財産の不動産に付ても、可成、登記せしむることにとのことなりしなるべくとのことに付必ずしも要せざるものと心得其取扱いなし来れり然るに登記せざれば対抗力なしとのことにては意外なりと云うに在りと
又曰、華族中財政豊かならざるもの多く随て相続の場合に相続税登記税等の関係上登記の励行に困難なるものありと意うに此等の事情絶無にはあらざるべし然れども之が為め法律の明文を如何とすること能わず況んや裁判官の法律解釈を二、三にする理由とはならざるなり裁判官の法律の解釈固より自由無碍なるには相違なし然れども解釈は法律の制定にあらず不備を補充するは可なるべきも確たる明文を左右するは断じて解釈の範囲に非ず名を解釈に藉り範囲を逸脱するものは独立の名ありて其実独立を害するものなり
夫れ東京地方裁判所及び東京控訴院は天下の模範にして其判決は天下の愚胆する処なり此等法院にして如此俑を造るとせば其影響恐るべきものあらぬ
五、聞くが如くんば、初め子爵堀親篤の千代田銀行頭取として方針を誤り破綻を呈するや親篤の実家細川家に於ては事容易ならずとし且自家の出なる親篤の善後の策を誤り重ねて養家堀家の名を毀傷せんことを慮り旧藩士出身弁護士尾越某をして堀家に対し慰問且其意を致さしむ、堀家旧藩士退職大審院判事柳田某代って接見す、細川家の使命を聴了って冷然尾越弁護士に問うて曰、爾は華族世襲財産法なるものあることを知れりや、答曰、承知せり、此法は華族の行為能力に制限せずして結果のみを制限せるもの本来不自然の法律なり
之を善用するは可之を悪用して正当の義務を免脱せんことを図るは却って華族名家の体面に関し該法の精神にあらずと柳田某色然辞色を励まし細川家の使者尾越弁護士の意見を斥け既に負債賞却の義務の発生せる不動産に対し急遽世襲財産の登記を了し親篤を隠居せしめ堀家財産を不当に保護し数百人の千代田銀行預金者を究途に泣かしむるに至れり
六、大審院長閣下(司法大臣閣下)やんごとなき辺りに奉仕せし大官の犯罪に起訴不起訴に付衆議院の公査に於ける司法当局の弁明は当さに其要を得たるものならぬ、憂うべきは他の点にあり質問者の意も蓋し言外にあらん本案件は元と一子爵家と千代田調金銀行預金者間の執行異議事件に基因す事件は言うに足らず勝敗亦意とする処にあらず且又今繋って大審院に在り大審院判事諸公の明鑑に任かせて可閣下に持出すべきにあらず案は即ち然り然れとも前陳司法省の風気を奈何是れ由々敷大問題に非すや之れ閣下の明鑑を仰ぐ所以なり尊厳を冒涜恐懼無已


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