兵庫県南部地震記録紙 1995年1月17日午前5時46分 M7.2−この経験を今後に生かすために−
社団法人兵庫県放射線技師会 平成7年1月 P152〜P153


震災に思う

阪神支部支部長  田辺 不二男

 あれからはや半年が過ぎ、となり近所もやっとガレキのかたづけが終わり、更地となってかつての面影のかけらもない殺風景な町に変わってしまいました。
 その日、私は何が起きたか理解できず、何から手をつければ良いのかわからず、混乱するばかりでした。夜が明けるまで不安感でいっぱいでしたが、とにかく家族の安否確認、そしてマンションの住人の安否確認とけが人の手当てを行いました。
 幸いにも家族にはけがもなく、マンション内も落ち着いたので職場に向いましが、その道すがらの住宅はのきなみ倒壊し、倒れた電柱が道をふさいでいました。
 病院は患者であふれ戦場の様なありさまでした。      
 その救命処置の現場の中で、ソファーで仮設ベットを作り、患者搬送、遺体安置、家族の安否確認への情報提供、などの活動に従事しました。
 一方、放射線機器はライフラインが停止したことで何の役にも立たたなくなってしまい、装置を利用して医療活動に参加している私達にとっては、歯がゆさともどかしさを痛切に感じさせられた時でもありました。
 それでも、撮影復旧に向けて懸命の努力を払い、翌日にはポータブルでの撮影が実施できるようになりました。しかし、ホールを埋めつくした仮設ベットの患者に対して治療処置が行なわれている横で、防護をほとんど施さない状態でのポータブル撮影を実施せざるを得ませんでした。
 このように仕事と身の回りのかたづけで無我夢中に過ごすなかで、自分がどう行動すべきか悩まざるを得ない事がありました。
 それは地域での救助活動に参加すべきなのか、それとも職場である病院に向うべきか判断に迷ったことです。他の中小医療機関への応援や救護所等の派遣業務に参加すべきでは、と考えたりしました。しかし、どのように対応すればよいのかわかりませんでした。
 私達は、大規模災害に備えての日頃の訓練や医療機関としてのマニュアルがあれば、もっと効果的な対応が実行できたかもしれません。たとえば、交通途絶等により職場に行けない職員は近くの医療機関で活動することが考えられます。
 しかし、神戸は地震と無縁であり住みやすいという思い込みからか、ほとんどの人はなんら準備をしていなかったのが実情のようです。
 それでも懸命の対応をするなかで、多くの教訓と課題を得ることができました。
 今回、この教訓と課題を生かすべく阪神支部の21施設の参加を得て、震災報告・検討会を持ちました。
 震災のなかで感じたこと、迷いや悩み、業務上の障害となった事とそれに対する工夫、 そして医療人として何をすべきであったか等を話し合いました。そのなかで、状況や立場は異なっていましたが、各々の会員が困難や障害を乗り越えて、人間として、医療人として、立派に責務を果たされたことを知りました。
 私達はこの報告会の要旨を「阪神大震災への対応報告」としてまとめました。
 今回の報告が災害医療活動への第一歩として、会員の皆様に役立てていただければと考えています。
 最近では、
『放射線機器等の地震対策』
       日放技雑誌93年2月号
『釧路沖地震を考える』
       日放技雑誌93年5月号
『カルフォルニア州地震調査』
       日放技雑誌94年6月号
等が報告されています。
 このような地震は二度と起きてほしくありません。しかし、災害に備えて十分な対応ができるよう心構えを持つことは必要です。
 真夏日が続く今日この頃、いまなお仮設住宅やテント生活で大変な方が多数おられますが、一日も早い復興と被災された皆様の健康を心より願っております。そして、この震災で亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
 最後に、全国の会員の皆様から寄せられたご支援に厚くお礼を申し上げます。


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