兵庫県南部地震記録紙 1995年1月17日午前5時46分 M7.2−この経験を今後に生かすために−
社団法人兵庫県放射線技師会 平成7年1月 P154〜P161


阪神・淡路大震災における大学病院での緊急医療と
災害時医療体制の問題点とその整備について

神戸大学医学部附属病院救急部  石井 昇  中山 伸一

1.はじめに

 瀬戸内海に面した神戸市は、海と山とが近接した風光明媚な風土に恵まれ、かつ地震や台風などの大きな災害の少ない町で、多くの人々は大地震などは神戸には起きないと安心して生活をしていました。
 しかし、平成7年1月17日未明に、M 7.2の都市直下型の兵庫県南部大地震が発生し、死者5、500名、負傷者33、000名を越え、家屋倒壊数約18万棟、避難民30万人以上と、筆舌に尽くし難いような大被害が一瞬にしてもたらされました。神戸市は、中心地がほぼ崩壊し、情報網、交通網、ライフラインが完全に寸断され、陸の孤島という状態になってしまいました。かかる状況下において、多くの医療機関では満足な緊急医療を行うことが出来なかったというのが実情です。今回、震災地に位置した神戸大学医学部附属病院救急部で行った震災時緊急医療の実態を報告し、今後の大災害時に対する救急医療体制の整備などについて述べます。

2.大学病院における緊急医療の実態

 (1)地震発生当初の救急部の体制と救急診療状況について

 地震発生時(1月17日午前5時46分)の救急部は、休日当直体制で外科、内科の医員(卒業5〜6年目の医師)各1名と研修医(卒業1年目)4名が待機していました。
 地震発生直後、本院救急部に最初に患者が運び込まれたのは午前6時5分頃でした。その後、午前6時30分頃から、自家用車やパトカーでDOA( Dead on Arrival)患者が次から次へと運び込まれてきて、救急受付前の駐車場は車が数珠繋ぎになりました。当初、DOA患者に対して心肺蘇生( CPR)を行いましたが、DOA患者以外にも、次から次へと負傷者が殺到してきたため、一時パニック状態を来したようです。しかし病棟当直医や近隣在住の医師、看護婦らが直ぐさま駆けつけてくれましたので、大きな混乱を招かずにすみました。また、一般の外来診察室を開放して治療スペースを確保し、トリアージとトリートメントがスムーズに行くように配慮しました。

(2)病院の被災状況と緊急診療体制の確立

1)病院のライフラインと診療機器について
 大学病院においても、地震発生直後、停電となり自家発電に移行しました。その後、電気は5時間後に復帰しましたが、給水については、夕方まで給水タンクの水にて供給されましたが、それ以降は断水状態に陥り、復旧したのは1週間後でした。ガスは地震直後から止まり、復旧したのは約1カ月後となりました。
 しかし、震度7に遭遇しなかったことも関連し、幸運なことに病院の建物自体には大きな損傷はありませんでした。電気の復旧と共に、中央放射線部では技師らの並々ならない努力により、X線単純撮影とCT撮影が可能となり、中央検査部では緊急の血液生化学検査一式が可能となりました。また、医薬品についても約1週間分の在庫がありましたので、特に不足するような事態とはならず、また不足しかかった輸液剤などについては薬剤部の迅速な対応により順次供給されました。
 さらに、中央手術部については、手術室3室が何とか使用可能ということでした。従って、当病院は本災害時の救急患者の初期診療を行うことができると判断し、地域の基幹病院として出来る限りその役割を果たすべきと考えました。 (表1)

2)救急本部の設営と、コンピュータによる患者管理

 地震直後には事務部職員が少なく、負傷者やDOA患者が殺到したために、救急患者の受付やカルテ作成業務がスムーズに行われていませんでした。そこで、救急受付前に長テーブルと椅子を並べ、電話を移動させ救急本部を設置することにしました。また、病院全体のコンピュータが機能停止していましたので、携帯用コンピュータを救急本部に置き、救急患者のコンピュータ登録を開始しました。
 その結果、夕方頃にはDOAや入院患者の登録がある程度でき上がっていましたので、負傷者の家族や知人らがその安否確認のために続々と押し寄せて来られましたが、ほとんど混乱なく対応することができました。この間救急患者のトリアージや診療体制のスムーズ化に努めながら、地震災害の被災状況の情報収集を行っていたことから、いずれ負傷者などの安否への問い合わせが来るものと予測していたことによって、それらの対応が非常にうまくいったのだと思います。

3)救急部への全診療科支援体制の確立

 当初の予測をはるかに越えた大災害であることが当日の午後にははっきりしてきましたので、当病院の多くの職員も被災者であり、どれだけの人員が翌日以降の救急診療に動員可能であるか、ライフラインや診療機器の機能状況などについても再確認しておく必要性がありました。そこで、1月18日午前9時に緊急診療会議を開催することにしました。全診療科、中央診療施設、薬剤部、看護部および事務部の代表者に集まっていただき、各部署の職員の安否確認、診療機器の損傷程度と稼働状況、医薬品の在庫状況、空床ベット数およびライフライン(電気、水、ガスの供給状況と復帰の目処)について報告を受けました。そして、本災害での救急患者を出来る限り多く受け入れるために、当面、通常の外来診療は中止し、各診療科から救急部へ応援医師を出して頂けることとなり、救急部の支援体制が整えらました。さらに、各診療科や看護部の協力と了解を得て、救急本部で空床べット数を確認し、入院病棟の診療科に固執せず、入院させることができる体制をとることができました。そのため、各病棟には各専門診療科とは異なる患者が入院することにもなりましたので、入院患者への診断、治療上の問題が起きないように、内科や外科および整形外科チーム、さらに今回問題となりました挫減症候群患者に対応するために腎不全、MOF対策医療チームを編成し、救急本部を連絡窓口として対応しました(表2)
 看護婦さんについては、通常勤務の70%位が出勤されてきていましたので、何とか対応可能ということでしたが、不眠不休で働いた人も多かったように思います。
 給水については、夕方以降、断水状態となりましたが、給水車の依頼と共に、被災地外の関連病院からの救援物資(飲料水、食べ物など)が震災当日の夜、早々に届けられたことにも恵まれ、入院患者並びに職員の食事は何とか最低限度賄われたように思います。
 診療検査機器は前述の通り、単純撮影、X線CT検査および超音波や内視鏡検査も可能でした。
 手術については、断水となりましたので、緊急手術が必要なときには、ヒビスコールでの手洗いで2重手袋をはめて手術をするということになりました。しかし原則として、負傷病態と重症度に応じて、他病院への搬送が可能となれば、ライフラインに支障のない病院に搬送し治療を行ってもらうことにしました。

(3)震災1週間の救急患者の概要

1)震災当日の救急受け入れ患者数は、約 400名以上(コンピュータ登録前には、受付やカルテ作成が間に合わなかったため、数10名以上の脱落があるものと思います)。1週間の救急患者総数は、約1200名で、そのうち入院を必要とした患者は191名、DOA患者41名、緊急手術件数10件、入院後の死亡が11名、という結果でした。(表3)
 DOA患者の死因の多くは、家屋倒壊による上半身の圧死、あるいは外傷性くも膜下出血でした。入院後の死亡例が1例あり、その原因は、多臓器損傷を合併したCrush‐syndromeでした。
 1週間の救急受け入れ患者を外傷と疾病とに分けて見ますと、外傷によるものが 487名(46%)、疾病によるものが 576名(54%)でしたが、入院患者191名でみますと、外傷によるものが131名(68.6%)、疾病によるものが60名(31.4%)となり、入院を必要とした患者では、当然の結果として外傷患者が多くを占めました。(図1)
 次に救急患者の日毎の推移を見ますと、当然の結果として、外傷患者は、震災当日が 253名、83%と圧倒的に多く、2日目から4日目にかけては43%、36%、33%と暫減し、5日目以降は約20%程度となりました。(図2)
 外傷の受傷部位では、整形外科的な骨盤、腰部、脊椎および四肢が約半数を占め、顔面を含めた頭部が26%、2部位以上の多発例が15%であり、胸部9%、腹部1%と胸部、腹部の外傷が予想外に少なく、その一因として、地震発生時、多くの人が就寝中であったことが関連しているのではないかと推察しています。(図3)

2)挫減症候群症例への対応と転送について

 今回の大震災時の負傷病態として、挫減症候群(Crush‐syndrome)の発生が注目されました。その発生については、当日の午後に多臓器損傷(特に下半身の圧挫損傷合併例)の重症患者に濃い茶褐色のミオグロビン尿を認め、次第に乏尿から無尿となり急性腎不全に陥り死亡した症例に遭遇したので、かかる症候群の病態に気付きました。そこで、前述しましたように腎不全対策医療チームを編成し、対応することにしました。筋挫減が疑われた症例は70例で、そのうち、挫減症候群と診断した症例が32例あり、多臓器損傷の重症2例が早期に死亡しました。重症の13例には血液透析を必要としましたが、当日の夕方以降は断水状態となりましたので、血液透析療法を行うことができません。色々と知恵を寄せ集めた結果、その代用手段として、血液濾過法(HDFなど)や腹膜潅流法で対応しました。軽症の17例は、輸液やUrinastatinおよびDopamimを使用した保存的療法を行いました。残念ながら3名を死亡させましたが、12名は改善、退院しました。また、急性期を乗り越えた15名の患者は1月19日から22日にかけて、順次被災地外の病院へ転送しました。(表4写真1)

 以上のように、被災地に位置した基幹病院として、震災当夜より、水、ガスの供給が断たれた状況下ではありましたが、病院の建物と診療機器の被災が比較的少なかったことが幸いし、かつ各診療科の医師を始めとして、看護部、中央診療施設、薬剤部、事務部ら多くの協力と支援を得て、災害時救急医療の肝要な点である、3T、すなわちトリアージ(負傷者の選別)、トランスポーテーション(転送)、トリートメント(治療)については大きな支障を来さず、十分なる機能は果たしえたと考えています。

3.教訓と災害救急医療体制の整備について

(1)教訓と反省

 救急部長に就任後1カ月半、救急医療に足を踏み込んだばかりのところで、今回の大震災に遭遇し、立場上災害時の救急医療に直面することになりました。速やかに救急本部を設置し、情報収集と状況判断、予測される事態への対応などを迅速かつ的確に行うと共に、人的支援の人員確保(マンパワー)が得られ、幸運にも診療機器が稼働しましたので、地域の基幹病院として機能を果たすことができました。
 X線撮影及びCT撮影が可能であったことについては、当院の放射線技師の皆様の並々ならぬご努力には心より感謝の気持ちで一杯です。
 診断、治療上においては、非常に貢献したことは疑いのない事実です。しかしながら、人的、物的資源の備蓄が豊富な大学病院であれば、かかる大災害時においては、病院内だけでの救急医療のみに止まらず、被災地現場や避難所などへの医療団の派遣や大きな被災を受けた関連病院への医師の派遣をより速やかに行うべきであったと考えます。

(2)大学病院以外の医療機関の状況

 阪神・淡路大震災においては、当院のようにマンパワーが確保され、医薬品の在庫もあり、診療機器も最低限度稼働したという状況であった医療機関は少なく、被災地の大部分の医療機関では、たとえ倒壊を免れてもライフラインの寸断と診療機器の破損や診療器材、医薬品の不足などのため、適切な緊急医療を行うことが出来なかったと思います。
 また、マンパワーの少ない一部の医療機関に負傷者が殺到し、最悪の条件下の救急診療が行われたと後日お聞きし、大変な御苦労があったものと推察いたします。

(3)災害救急医療体制の整備について

 今回の災害時の救急医療での問題の第一は、行政面での災害の実情把握や、情報収集の遅延並びにその対応の遅延でありましょう。本来、地震を含めた天災列島である日本国において、大災害発生時に速やかにかつ円滑な災害、救急医療が行われるためには、何といっても災害による被災状況の把握と情報収集が迅速に行われ、その正確な情報が各関連医療機関に速やかに伝達されるという医療情報システムの確立が急務であります。電話のみに頼らず、災害時においても機能しうる情報収集、伝達手段を平常時より何通りか設置しておく必要性が再認識されました。
 また、患者搬送についても多くの問題点が指摘されましたが、地域内及び広域の医療機関のネットワークシステムが確立されておらず、個人的な繋がりのみに頼らざるを得ないのであれば、患者搬送がスムーズに行われなかったのは当然の結果ではなったかと考えます。従って、平常時より地域内医療機関の連絡網が整備されていれば、災害時の連携プレーも速やかに行われるのではないでしょうか。
 さらに、大災害に対する災害、救急医療の専門家の育成と共に、災害発生時の広域の医療コーディネータや、小単位での医療コーディネータを育成することも必要です。そして、行政、消防等多くの関係各機関と合同で、大災害発生時を想定した医療情報収集、伝達方法、緊急医療展開の方法や、ボランティアなどの支援、救援方法などについて広域の訓練を定期的に実施して措かなければ、今後も同じことを繰り返すことになるでしょう。
 また、災害時の基幹病院となる病院(震災地であっても機能し得る救急救命センターもしくは大学病院など)があらかじめ救急隊員、医師、看護婦はもちろんのこと、一般市民にも周知徹底されていれば、たとえ情報網が絶たれた状況となったとしても、緊急事態発性時には、ボランティア医師や看護婦らを含めた救援医療チームが速やかにいずれかの病院に連絡もしくは駆けつけ、負傷者の選別、治療に当たることが出来、かつ救出された負傷者の被災地外への搬送もスムーズに行くのではないでしょうか。今回、災害現場でのトリアージは救急隊員の方がされた場合が殆どではなかったかと思いますが、救急救命士制度の発足と共に、救急隊員の意識や知識の向上により、比較的混乱のないトリアージがなされたように思います。
 さらに、災害時医療体制の大事な考え方は、行政面において災害時のプロ・アクティブ(事前対応を取ること)ということを徹底させ、災害が発生し被害のはっきりしない初期段階でも、一定の被害が出ている可能性があると推察されたときには先回りをして対応していくという「災害時の即応体制」を確立することでしょう。

4.まとめ

 阪神・淡路大震災で被災した神戸市の中心地に位置した大学病院救急部において、ライフラインなどが不十分な状況下であったにも拘わらず、各診療科医師、看護婦、技師らの協力と支援を得て、行った災害時の救急医療の実態を報告し、災害時救急医療体制の整備の必要性について私見を交えて述べました。


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