兵庫県南部地震記録紙 1995年1月17日午前5時46分 M7.2−この経験を今後に生かすために−
社団法人兵庫県放射線技師会 平成7年1月 P163〜P164


兵庫医科大学救命救急センターにおける震災後医療活動について

兵庫医科大学救急部  吉永 和正

 兵庫医科大学救命救急センターで経験した震災後の医療と、その中から浮き彫りになってきた問題点について述べる。

1.震災発生直後の病棟

 地震と同時に停電となり、約20〜30分続いた。当時、ICUには6名の患者が収容されていた。停電の間、心電図や観血的血圧測定を行っていたICUのベッドサイドモニターがすべて停止したため患者の状態の把握ができなくなった。そこで、看護婦が頻回にバイタルサインをチェックすることでどうにかこの状況を切り抜けた。人工呼吸器が4台稼働していたが内3台はガス駆動式であったため停電の影響は少なく、どうにか動き続けた。他の1台は電動式のため機能が停止したのでバッグによる用手換気を行わねばならなかった。ICUでは多数の微量注入ポンプが使用されており、これらにより循環維持に必要な薬剤が投与されてる。短時間の中断でも大きな影響を与えるが、幸いにしていずれの機器もバッテリー内蔵型であったため作動を停止することはなかった。
 地震発生直後よりICU洗浄室の水道が破損し、ここから水が噴き出してICUの床は水浸しとなった。水はICUのみならず医局にも天井より流れ込んでおり、廊下は一時的に滝のように水が流れた。これは後に判明したところでは建物の屋上にある高架水槽が地震で破損し、その中に蓄えられていた水が流出したものであった。

2.救急患者の来院

 地震発生から約30分を経た頃より近隣の受傷患者が救命救急センターに来院するようになった。来院患者は短時間の内に急増し、廊下には長い列ができた。診療には救急部の当直医4名が当たったが、そのうち院内各科や、病院近くに居住する救急部で研修を受けた若手の医師が応援に駆けつけてくれた。
 来院した患者のほとんどは外来処置のみで帰宅できる軽症患者であったが、混乱した状況の中で、カルテを作ることなく診療のみで帰った患者が多数あった。そのため、来院患者の正確な数や病態を把握することができていないが、午前9時頃までに約100名の患者が来院したと推定される。
 当初は来院患者のすべてを救命センターで診療していたが、軽症患者のほとんどは整形外科的なものであり、午前8時30分頃には整形外科外来が受け入れ体制を整えたので、これ以降は軽症患者はそちらへ誘導し、救命センターは重症患者の受け入れに徹することとなった。
 当初の来院患者は軽症であったが、午前7時頃より脊髄損傷、胸部損傷などの重症患者が自家用車で搬入されるようになった。救命センターはこれらの重症患者の収容に努めた。震災当日には救命センターで23名の重症患者を受け入れた。

3.救急患者の診療状況

 震災当日に搬入された重症の救急患者の内訳をみると、頭頚部損傷4、胸腹部損傷10、四肢損傷9であった。頭頚部損傷では頚髄損傷の1例を除いては比較的軽症であった。胸腹部損傷は最も多く、しかも、このうち腹部損傷の3例で当日から翌日にかけて開腹手術が行われた。腹部の開腹手術の適応を決定する上では画像診断が最も重要である。震災により放射線部門の運営に大きな支障を来していたが、幸いにして一部のCTが稼働できたこと、水不足によりフィルム現像の制限を受けたものの救急患者の診療に積極的な協力が得られたことにより、診断上は大きな問題を残さなかった。四肢損傷の大部分は、今回の震災で問題となった挫滅症候群(crush syndrome)である。挫滅症候群の診療に最も重要なのは緊急血液検査である。幸いにして救命センターの検査室は被害を受けなかったので救命のために必要な、最小限の検査は行うことができた。
 震災の翌日からは近隣と連絡がとれるようになり、初日に収容した患者の転送を開始した。死亡した2名を除いて12名が転院した。

4.初期活動の問題点

 今回の震災で水不足が病院の診療に大きな影響を与えたことは広く指摘されている。しかし、水が不足する前に水のあふれた時期があったことはほとんど知られていない。水がICUの床にあふれたことは述べたが、救命センターの廊下にも水はあふれており、初期に来院した患者の中には素足の者もおり、冷たさのために足の損傷に気づかなかった。医局にあふれた水は散乱した書類や書籍を濡らし、多くの物が使用不能となった。さらに、天井から降るようにあふれた水は医局の多くの通信機器を使用不能にした。このためFAXが使用できなくなった。後に判明したところでは、震災当日に震災地外の多くの施設から連絡が入っていたが、結局受けることができなかった。このように、溢水は初期に大きな問題を残していた。
 震災当日の県立西宮病院の状況と較べるとわれわれの施設の受け入れ患者数が少ないことが分かる。兵庫医大では入院31名に対して、県立西宮病院80名、DOAに至っては3名と41名である。このように受け入れ患者数に大きな差が出た最大の理由は災害状況の違いである。県立西宮病院は西宮でも最も被害の大きい西部地区に隣接しており、兵庫医大は比較的損害の少なかった東南部に位置している。それにしても、兵庫医大と県立西宮病院は直線距離にしてわずか4kmしか離れておらず、救急医療では常に連携をとってきていた。兵庫医大は人的な面では比較的恵まれていたにもかかわらず、来院患者はそれほど多くなかった。一方、県立西宮病院は、患者が殺到し混乱を起こしていた。このように震災当日にはわずかに離れた狭い地域の中で医療資源(特に人的な)の不均衡が発生していたと言える。これは通信網の輻輳によりお互いに連絡がとれなかったことが最大の理由である。災害発生直後の通信をどのように確保するかが今後の大きな課題である。

 神戸直下で大地震というこれまでに想像もしなかったような経験をした。救急医療の現場にある者は日常より集団災害への対応は考えてきた。しかし、自分たち自身が被害者となる状況までは予想していなかった。このような未曾有の災害の経験からは学ぶものも多くあり、これを今後の救急医療に役立てねばならないと考えている。


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