兵庫県南部地震記録紙 1995年1月17日午前5時46分 M7.2−この経験を今後に生かすために−
社団法人兵庫県放射線技師会 平成7年1月 P208〜P210


震災と赤十字

姫路赤十字病院 松井 寛

 今回の地震の際、私の勤める病院からは、当日正午に救護班と呼ばれるチームの第1陣が出勤、続いて同日中に2班、翌18日に1班が送られ、神戸市内で救護活動を行った。恥ずかしながら、私はこの時初めて赤十字病院には救護班というものがあり、災害時に派遣せれるということを知った。そこで私自身知らなかった赤十字の生い立ち、活動などを含め自分自身の体験を報告する。

《歴史》

 「赤十字の父」といわれ、今日の赤十字を創設したのはスイス人アンリー・デュナン(1828〜1910)である。よくフローレンス・ナイチンゲール(1820〜1910)が赤十字の創設者と紹介されているが、これは2人とも同時代に生きていたこと、そして2人の生涯の類似点があまりにも多いことなどが誤って伝えられた要因であったようだ。
 さてアンリー・デュナンという人物は裕福な家庭に生まれ、両親の深い愛情とキリスト教の教えによって育まれ、心の優しい人間に育っていった。成人してからは、フランス領アルジェリアでの事業に着手し、その後事業拡大のためフランスのナポレオン3世に直訴する目的で北イタリアへ向かった。折しも1859年6月、オーストリア軍とフランス・サルディニア連合軍とによるイタリア統一戦争の幕が切って落とされていた。
 19世紀最大の激戦「ソルフェリーノの戦い」があった翌日、デュナンは戦場近くを通りかかり、そこであたり一面打ち捨てられ置き去りにされ苦しんでいる負傷兵を黙って見ていられず、駆け寄って手当をした。この時、敵味方の区別なく手当をしたという。
 その後、デュナンは 「ソルフェリーノの思い出」という本を出版し、その中で戦場で見たこと、聞いたこと、また自らの体験をまとめると共に「国際的な救護団体の創設」「神聖な協約を定めること」という2つの提案をし、全世界の人々に訴えた。この「ソルフェリーノ思い出は」は、ヨーロッパの各国で大きな反響を呼び、多くの支持者たちがデュナンの構想を実現するための協力と援助を約束した。
 やがて、デュナンの構想は今日の赤十字国際委員会の前身である「負傷軍人救護国際常置委員会」(通称「5人委員会」)として具体化(1863年)し、ジュネーブ国際会議の印として、スイス国旗の色を逆にして“白地に赤十字”を記章とすることも決められた。
 翌年の1864年には、別名赤十字条約ともいわれている最初の「ジュネーブ条約」が調印された。1949年にはジュネーブ条約(1、陸の条約 2、海の条約 3、捕虜の条約 4、文民保護の条約)が作成され、1965年のウイーンでの第20回赤十字国際会議では、赤十字基本原則が定められる。これは世界各国の赤十字に共通である。
  【赤十字基本原則】
      〜赤十字の普遍的な7原則〜
  1.人道
  2.公平
  3.中立
  4.独立
  5.奉仕
  6.単一
  7.世界性

 次に日本赤十字の歩みはというと、赤十字の前身は、今から120年ほど前に、佐野常民(さのつねたみ1822〜1902)という人物よって作られた。彼は佐賀藩(現在の佐賀県)に生まれ、若い頃から論語、孟子、経史などに親しみ、後に儒学、蘭学、外科術、化学を修得し、当時の佐賀藩の藩主に重く用いられた。佐賀海軍の要職につき、明治維新後には海軍の創設に尽力し、元老院(明治時代の初期に設置されていた今日の国会に相当するもの)議官でもある。
 1867年(慶応3年)と1873年(明治6年)の2回にわたって、ヨーロッパを旅行する機会を得た佐野は、各国に赤十字社が設立され、活発な赤十字運動が行われていることを知った。そこで彼が学びとったことは“本当の文明とは道徳的行動であり、赤十字社の行動でなければならない”ということだった。この考えは、日本古来の「博愛の精神」に根ざした“人の痛みを自分の痛みとし救済する”ことにも通ずるものである。
 彼の心を突き動かすきっかけになった出来事に戦争があった。それは1877年(明治10年)に起こった「西南の役」である。明治政府の政策に反感をもっていた鹿児島の士族たちが西郷隆盛と推したてて反乱を起こし、熊本城や田原坂(たばるざか)を中心に明治政府と反乱軍との間で激しい戦闘が繰り広げられた。彼は、この戦いの際に両軍の負傷者を救護することを目的とした団体として、今日の日本赤十字社の前身である「博愛社」を設立するために、元老院議官の大給恒(おおぎゅう ゆずる)と共に政府に願書を提出した。しかし、それはすぐには認められず、奔走した結果、明治10年5月ようやく「博愛社」が創立された。
 その後、1886年(明治19年)6月5日、日本政府はジュネーブ条約に正式に加入した。たとえ目的や事業内容が他の国々の赤十字社と同じ趣旨の救護団体であっても、その国の政府が正式にジュネーブ条約に加入していなければ国際レベルでの赤十字活動を行うことはできず、赤十字社という名称を使用することはできない。我が国の政府が条約に加入したことで、これらに必要な条件はすべて整った。
 1887年(明治20年)5月20日、それまでの博愛社は日本赤十字社へと改称され、そして9月2日、世界の赤十字の仲間入りをするための赤十字国際委員会への申請が承認され、ここに公式に国際赤十字の一員となることができた。
 この時に作られた最初の社則で “平時”“戦時”についてとり決めているが、このことが実は日本赤十字社と国際赤十字との発足時点における救護活動に取り組む姿勢の違いであり、後にさまざまな救護活動を行う上での、日本と世界との大きな相違点となった。
 当時の国際赤十字に参加していた10数社の各国際赤十字がそうであったように、日本赤十字社も戦時のおける救護機関として国際赤十字の1社として発足したのには違いないが、1888年(明治21年)7月に発足した福島県の磐悌山の噴火に際して、日本赤十字社が取り組んだ死傷者の救護活動は、世界に先駆けて実施した戦争以外の救護活動として赤十字の歴史上にその名を残す画期的な出来事であった。
 また、日本赤十字社は、皇室に保護され誕生し、育ち、活動しているという点でも各国の赤十字と異なるところである。現在でも、皇后陛下が名誉総裁、皇族が名誉副総裁にあたっている。

《日赤のしくみ》

 日本赤十字社は、国の公的機関ではなく、日本赤十字社法に基づいて設置された特殊法人であり、あくまでも民間の団体である。そして赤十字の目的や精神、事業を理解し、毎年一定のお金を出して赤十字を支えてくれる個人及び法人を「社員」といい、納められるお金を「社費」という。また事業資金として寄せられる「寄付金」と「社費」を総称して「社資」といい、この社資によって日本赤十字社の事業は成り立っている(これは本社の事業をいっているのであろう)。
 赤十字社の仕事を全国的に展開するために東京に本社があり、各都道府県の所在地に支部がある。病院や血液センター、社会福祉施設、教育施設は一部の本社直轄を除いてそれぞれの支部に所属している。私の勤務する姫路赤十字病院は、兵庫県支部に所属することになる。
 兵庫県には5つの赤十字病院があるが、それぞれ独立した病院として独立採算性で運営は行われている。これは全国的にも同様である。したがって各施設間に職員の待遇面などにおいて格差ができてしまう。基本的には転勤はない。

《今回の震災》

 今回の地震における救護は、最初に書いたように、地震当日の午後からおこなわれた。これは兵庫県支部(神戸市中央区)からの要請のよるものであるそうだ。また各都道府県支部は本社からの要請があってから行動を起こす。この救護を行う救護班は医師1名、看護婦3名、事務員2名で編成されている。残念なことに我々放射線技師は救護班に含まれていない。
 しかし我々は救護班とは別に神戸赤十字病院の要請により18日より1名ずつ応援に行くことになり、私は1月20日と28日の2日間神戸に入ることになった。実は神戸赤十字病院は日赤兵庫支部と隣接しているために、支部の前は元より、病院の前にも全国各地から物資を運んで来たトラックで一杯であった。北は北海道から南は九州のナンバーをつけた車が止まっていた。
 病院の建物は外観は何事もなかったようだが、内部はかなりの被害を受けていた。水道、ガスは寸断されていたが電気は使用できた。X線装置、暗室は無事であったので撮影は可能であったが、自動現像機の具合が悪く強制処理で現像している状況であり、すぐにでも修理をと思ったが、メーカーとは連絡が取れなかった。そこで日赤兵庫県支部から日赤本社、そしてメーカー本社という経路で連絡してもらい30分ほどで他の営業所から電話が入ってきた。その時には日赤本社の力も結構凄いものだと感心し、驚きもした。
 CTが使用不能だったので、本社に「なんとかしてくれ」と言うと(別に私が言ったわけじゃないですけど)、そうです、テレビでも大きく報じられたあれです、なんと千葉からはるばるCT検診車がやってきてくれたではありませんか。
 しかし、今回のようなことが起きると、日赤の力だけでは賄いきれないことも多々でてきたことを痛感させられた。個人1人1人の心の持ちようも非常時には大切になってくるであろう。
 京阪神は地震が少ない地域であるがために、災害時の対応も不十分であったと思われるが、災害に備えての行政単位でのシステムの確立を強く望み、又私自身も問題意識を持ち、日々の業務に取り組みたいと考えている。

《参考資料》

人道 〜日赤のてびき〜
     「日赤のてびき」刊行委員会編
              蒼生書房


(c)1996社団法人兵庫県放射線技師会(デジタル化:神戸大学附属図書館)