兵庫県南部地震記録紙 1995年1月17日午前5時46分 M7.2−この経験を今後に生かすために−
社団法人兵庫県放射線技師会 平成7年1月 P211
伊藤病院 江原 美佐子
まだ、夢の中にいた。
突然、今まで感じたことのない殺気に襲われた。目覚めていたかどうかはわからない。
夢中で、「章人!」と息子の名を叫んだ。いつもなら、運動会の如く、上や下や右や左や、と川の字の真ん中にいたことのない息子が、運の強さか、その日その時にかぎって、おとなしく真ん中で寝息をたてていた。
章人をかばうようにして私が、そして私をかばうようにして多聞さんが、章人をまもった。
「ゴォー」という響きが聞こえた。
今まで聞いたことのない低く、不気味な響き。
大きな揺れの中で、突然、体をしめつけられるように抱かれた章人が泣き出した。小さな体には、何が起こっているのか把握できない。
ただ、私たちの腕からのがれてハイハイしようと前進する。
激しい揺れと赤ん坊の泣き声。
しかし、頭は妙に冴えていた。そうすることで、冷静さを保とうと思った。
ひとつの波が終わった。
起きようとする私を「もう一度来る。」と多聞さんが制した。
「死」は考えなかった。が、あの時まさに直面した。
大地の怒りがおさまった。起きようとするが何かが変だった。
体の上に何かがのっている。屋根かと思った。冷静に考えれば、屋根などのれば、それこそ下敷き。命があるはずがない。それが判らなかった。
固くて重い。ひとりの力では退けられない。考えたあげく多聞さんに聞いた。どうやら主人の体の上にも同じものがのっているらしい。
「箪笥だ」と聞き、信じられない思いがした。
多聞さんの指示に従い、章人を多聞さんに預け、箪笥とおもちゃ台の隙間から脱出した。力を振り絞って、多聞さんの上の箪笥を上げた。
2人とも、軽い打撲だけで、章人は無傷だった。
大地震のとき、途方もなく大きな力が、私たちを包囲した。
あとで、気がついたことだが、神棚の下に置いてあったストッカーが箪笥の下敷きになっていた。
まるで、私達の身代わりの如くに。
平成7月1月17日の日に・・・
(兵庫医大 安政氏 撮影)
(c)1996社団法人兵庫県放射線技師会(デジタル化:神戸大学附属図書館)