兵庫県南部地震記録紙 1995年1月17日午前5時46分 M7.2−この経験を今後に生かすために−
社団法人兵庫県放射線技師会 平成7年1月 P215


終わりにあたり

震災調査および被災者支援委員会
委員長 今井方丈

 今から1年前、1995年1月17日午前5時46分、兵庫県南部に震度7(マグニチュード7.2)の都市直下型大地震が発生した。この地震により、6,308名もの尊い人命が奪われ、負傷者は4万人を越え、ライフラインは寸断され、建物をはじめ多くの形あるものが破壊された。住家被害はおよそ40万棟(倒壊家屋約18万戸)、医療施設も2,670施設が被害を受けた。一部では、『壊滅状態』という言葉が使われているが、決して大げさな表現ではないだろう。各方面では、まず復旧、そして復興へと全力を注いでいるのが現状である。神戸近郊には多くの鉄道が走っており、それらの全面復旧が3ヶ月から半年以上も経ってからであった。唯一営業できなかった神戸高速鉄道の大開駅は、1年経った本日、ようやく営業再開できた。道路状況はさらに悲惨で、阪神高速道路の復旧は今年の10月であり、復興物資輸送のため東西方向には2本しかない国道が両方とも規制(通行時間)を受け、未だ通常には走行できない。
 街をみれば、ビルの多くは姿を消し、以前の街並みは見られない。人が暮らしていた町をみれば、空き地が増え、寂しさを覚える。これらを見れば、どれほど大きな、そして希有な地震であったか、分かるであろう。これが、わずか20秒間の揺れのしわざであった。
 医療機関そのものも大きな打撃を受け、スタッフも多くは被災者であった。しかし、災害発生時に医療機関の果たすべき役割は大きく、しかもこれらは即応せねばならない。今回の地震発生時に兵庫県の医療機関の状況はどうであったか、放射線検査の機器や設備を中心としたアンケート調査の結果を集約、解析した。また、我々放射線技師が、医療人として、社会人として、また家庭人としてどう動いたか。現在も残る後遺症にどう対応すべきか。今回の震災から学ぶべき点は多い。
 本誌は、兵庫県南部地震が医療施設や医療人に残した、数々のデータを記録したに過ぎない。しかし、これを記せるのも我々しかいない。今回は、記録誌としての内容から脱しきれないが、これが、今後の災害対策や緊急医療対策に生かされれることを切に願うところである。我々も今回の震災を教訓にして、防災マニュアルを各方面と協議しつつ作成する予定である。
 ただし、マニュアルがあれば良いものではなく、防災訓練を常日頃おこない、しかも一人一人があらゆるシチュエーションにおいて、それぞれどう行動すべきか認識しておかねばならない。
 本誌の発行予定を昨年11月に設定し努力を続けてきたが、施設被災調査の集約・解析および作表作図にかなりの時間を要したため、3ヶ月遅れの本年2月発行となった。委員会の呼びかけに応じ、早々に原稿や資料・写真等を提供頂いた方々には、この場を借りてお詫び申し上げる次第である。
 なお、本誌の表紙に使用した写真は、神戸新聞社写真部より提供を受けたものである。
 終わりにあたり、多くの犠牲者の冥福を祈り、また壊滅的な打撃を受けた都市の一日も早い復興を祈っております。
 さらには、住居を失した会員、失職した会員、精神的打撃を受けた会員の皆様には、一日でも早く元の生活に戻れますよう、祈念いたします。

1996年1月17日


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