命を支える食生活を守るために 兵庫県栄養士会 平成9年5月 p58-63


1.栄養士会活動の概要

はじめに

 平成7年1月17日の震災から2年たった今でも、まだ夢のように思えてなりません。神戸・芦屋・西宮の美しかった町並みが浮かんでくる。交通機関や、建築物などは復旧したが、被災者の生活は、まだ問題が残されたままの部分が多い。
 私達兵庫県栄養士会は会員数1,800名ですが、そのうちの約1,000名が被災地に居住しているか、又は勤務しているかであった。そして、その多くが栄養士として給食施設で食事を給与している。
 震災当日から、栄養士として患者や、施設の人達に食事を提供しなければならなかった。米や魚・野菜類があっても『ガス』『水』『電気』のない施設では、調理することが困難な状況だった。
 被災地以外の会員が支援しようと思っても、電話・交通などの『マヒ』で対応できなかった。あまりにも巨大な震災で、今考えると、どのような対応を、どうすればよいか、とまどった面が多かったと思う。
 県庁近くの私たちの栄養士会事務局の入っているビルが、使用禁止となり、業務は日本栄養士会と大阪府栄養士会に依頼した。転居先を探しつつ、支援活動を始めた。しかし、集まることはできず、電話はマヒ、連絡もままならず周りからみれば栄養士会は、なにをしているか?と思われたことも度々だった。
 このような状況の中で、会員は精一杯、がんばり、支援活動を続けた。自分たちの仕事と、支援活動を両立させることは、言葉では言い尽くせぬ苦労であり、記録や調査などできなかった。今、会員が当時を思い、少ない記録を集積し支援活動の状況と、体験から得た、今後の食対応について報告する。

(1)栄養士会会員の安否と支援

 まず、会員の安否を最優先として、被災地以外の会員が電話やハガキで尋ねたが、避難先不明などで、把握には時間がかかった。連絡ができ、声を聞いた時の喜びと感激は、今も忘れられないことである。お互いの無事を喜びあい、励ましあった。しかし、残念にも病院勤務の住古道子さんが二人の子供と共に亡くなられた。
 全国都道府県栄養士会と兵庫県栄養士会の会員からの温かい援助で、ささやかながら支援することができた。
 家屋が全壊・半壊した会員は221名(会員の約12.4%)だった。この会員に会から見舞金と、平成7年度の会費を免除し支援した。

  ……2月11日兵庫県栄養士会は、
    すぐ近くの古河ビルの一室に
    引っ越し、業務を再開……

☆ 震災で事務所内は書類戸棚など倒壊…県庁職員の援助によった。感謝

(2)保健所が実施する被災地巡回栄養相談への支援

 保健所が、被災者の健康状況を調査し、健康相談を実施することになったので、保健チームの一員として、大阪府栄養士会会員・兵庫県栄養士会会員が、2月1日から3月31日までの2ヵ月間、保健所栄養士とともに被災地の巡回栄養相談に従事した。
 しかし、1月末に厚生省・日本栄養士会・兵庫県庁から連絡を受け、すぐ2月から支援できる栄養士を、1保健所に多いところで4〜5人・1日平均、15人ぐらいを毎日確保して依頼することは、非常に困難だった。
 また、保健所へ行く交通機関がなく困った栄養士も多かった。このような状況の中で、ボランティア活動にたいする施設長の理解を得て、勤務しながら多くの栄養士が参加した。次のような内容の栄養相談を行った。くわしくは、P.120で行政側から報告している。

 なお、栄養相談時には栄養士会賛助会員の協力により、栄養補助食品を必要に応じて配布した。

  1. 乳幼児用ミルク
  2. 濃厚栄養食品
  3. ハチミツ
  4. ビタミンC配合飲料
  5. 総合ビタミン
  6. 副食の缶詰
  7. ビタミンB群錠剤
  8. レトルト食品
  9. 離乳食食品
  10. ビタミンA・カルシウム

 なお、西宮保健所への支援は、神戸市・芦屋市の間が交通機関の遮断箇所が、多かったことと、阪神間の栄養士のほとんどが被災者か勤務先が被災を受けて、支援活動が不可能な状態だったため、大学及び大阪府栄養士会に全面的に依頼し多大の協力をいただいた。

(3)一般住民(被災者)にたいする支援活動

 交通機関が寸断されたままの1月30日、栄養士会では会員の支援とともに、被災された人達への支援活動の相談を行った。
 効率よく支援活動を展開していくため、会の中に震災対策部を設けることとした。食の専門性を生かして、被災地で不足しがちな食品、特に野菜や蛋白質の多い食品(卵・魚・肉類・緑黄色野菜など)を可能な限り組み入れた料理の炊き出しをすることと、各地域で炊き出しをする地区(神戸市の中央区など)を決めて、対応した。
 東播磨・西播磨地区は神戸市へ、丹波地区は宝塚市へ、但馬地区は全地区へ、淡路地区は淡路の被災地へと、それぞれの地区を決めて炊き出しの地区が片寄らないようにし、各市町・区の災害対策本部と場所・料理の内容・時間・量・方法などを充分打ち合わせて実施してきた。
 幸せなことに、調理には会員の勤務する調理施設を、施設長の了解を得て使用することができたが、交通機関はまだ回復せず、車は交通まひで使用できず運搬には本当に苦労した。電車を利用し、携帯コンロ・使い捨て食器・料理・食材料などを手で運んだことが多かった。そして、それ以上に苦労したのは、勤務者の多い栄養士会として栄養士の業務に差し障りのないようにすることだった。
 また、できるだけ多くの会員に参加を呼びかけ、非常に多くの会員の協力を得ることができた。当時、阪神間へは交通機関が寸断され、行くことも難しく大量の料理を運ぶことはできなかった。地元の栄養士は職場の対応と家庭の被災処理に精一杯で、支援できる状況ではなかった。施設内や近くに泊まり込みで対応した栄養士も多く、10日も入浴できない者も多かった。そこで、西宮市へは大阪府栄養士会・芦屋市へは栄養士養成施設の大学へ依頼して炊き出しの支援をしてきた。

 1. 炊き出しの支援

 内容・回数・方法などは、各地区等から別途報告している。

 2. 栄養補助食品などの紹介と配布

 賛助会員の援助で保健所栄養士に協力し巡回指導するときに必要に応じて配布。また、配給弁当に強化米を混入できるよう協会に依頼し、2月から配布。3月からは芦屋市・宝塚市で配給弁当に使用する米に源泉混入できるようにし、ビタミンB1の補給を図った。

 3. 二次避難所の給食サービス

 高齢者などで避難所ぐらしが困難な人を対象として、西宮市ではかぶと山荘に二次避難所を設置したので、4月17日より栄養士会が食事作りを担当した。毎日会員2〜3人が支援。5月中旬より市内大学管理栄養士専攻の学生、6月以後には、他府県栄養士会会員の協力を得て、6月末の施設閉鎖まで食事づくりを続けた。

(6)仮設住宅居住者への支援

 家を無くした人達のために、多くの仮設住宅が建設された。入居者達は周囲に知人もいない、知らない土地で日常の買い物の場所もわからない。そして、まだ充分精神的に立ち直っていない状況だった。私達は、コンロ一つでもできる簡単メニュー表を作成するとともに、調理実演を実施。栄養的な食べ方と、皆が楽しく、親しくなれることを願って支援した。現在も続けている。

(7)給食施設での栄養士の働き

 収容者のいる施設では、震災当日から大量の食事を給与しなければならなかった給食施設での個々の栄養士の活動及び対応については、第2章でくわしく報告している。

(8)活動を通して感じたこと

 震災体験の度合いによって、個人個人の感じたことは大きな格差があると思うが、あまり巨大すぎてどうすればよいか、戸惑いがあった。関西地区は、今まで被害が少なかったので、準備や対応・訓練などあまりできていなかった。支援体制も十分とは言えない。このような中で支援活動を始めたので困ることが多かった。ネットワークも作成していなかった。今、当時を振り返ると、もっと異なった対応の方法があったのでは?と思う。しかし、ほとんどの会員が、積極的に支援活動に参加し、無我夢中の数カ月を過ごした。
特に困ったこととして1.行政相互の連携が不十分だったこと。2.ボランティア保険などの事故の対応方法。3.支援活動に要する経費4.ガレキ運搬優先で、交通停滞。5.被災者への自立と支援6.長期支援の対応。
 良かったこと1.会員相互の協力体制が強まった2.ボランティア活動にたいする関心が高まった3.施設内での支援・協力が想像以上に得られた4.物の大切さ・考え方が変化した。

(9)まとめ

 栄養士会としての支援活動は微々たるもので、十分とはいえなかったが、全国の栄養士会の皆さんから温かい支援をいただいたことに励まされ、精一杯がんばってきました。私たち会員は今も、そして今後も被災者が自立されるまで、ささやかですが支援活動を続けて行きたいと考えています。
 今後は、支援のためのネットワークづくりも行政の協力をいただきながら進めたいと計画している。
 最後になりましたが、皆さん方のご支援・ご協力に心より感謝申し上げます。


(社)兵庫県栄養士会の震災に関する経時別活動記録表

 平成7年1月17日より現在まで組織として歩んできた2年4か月の活動と主な内容を表にしたが、今更ながら、災害時の適確な対応と復興の必要性を感じる。

震災直後からの兵庫県栄養士会の動き

月 日
行政関係・関係団体
栄養士会・その他
1月17日〜
21日
県健康課に連絡し医療機関での食事提供状況の把握と支援について協議 被災地以外の病院(副会長)に連絡し支援態勢をきめる状況把握・事務局との連絡等(20日)
23日
養成施設卒業生の栄養士免許の取り扱いの依頼
栄養補助食品の活用
大塚製薬KKと支援について(依頼)
副会長、事務局員と事務所について
(すべて電話)使用不能のため事務所をさがす。
28日
保健所活動への支援(厚生省・日本栄養士会・県・保健所)協議 (社)栄養食糧協会と強化米について
兵庫県栄養士会対策本部長梅谷副会長とする。
30日
保健所巡回指導について協議
神戸市へ訪問、支援を相談
(厚生省より支援の方法等の通知・依頼により各ブロックごとに支援体制に取り組む)
事務所が決まる(古河ビル)
理事会・委員会を開催(明石土山病院において肥塚顧間出席)
(会員の支援・ボランティア活動)
大阪府栄養士会へ協力依頼(特に西宮保健所)
2月4日〜
保健所での支援体制について(県と打合せ) ボランティア活動開始
会員の状況把握(電話・ハガキ)
11日
  事務所を近くの古河ビルに移転
13日
芦屋市役所・保健所へ支援 今後の事業について検討
18日
西宮保健所へ指導状況の把握 理事会の開催(24日)
20日
西宮市対策本部へ支援の相談 (日栄会長会への報告・具体的会員への支援・今後の市町への支援等)
27日
芦屋市への支援(保育所とする。13日から31日まで) 神戸市へは各区の対策本部と地区理事が連絡をとり炊き出しの計画をすることとした。
3月4日
芦屋市・宝塚市の配給べんとうへの強化米混入を県農林部等と協会と協議のうえ実施  
6日
津名町へ(淡路)支援状況と打ち合わせに(梅谷部長) 大阪府栄養士会会長・副会長と義援金の協議(来所)
13日
芦屋市内の保育所へ給食配布
(400人分)始める
近畿会長会で今後の協力を依頼
20日
西宮市二次避難所の給食支援を西宮市と協議 保健所へ派遣していた栄養士の業務が3月末で終了。
延べ256人
 理事会開催今後の支援計画について協議
 会員の実態会費免除者221人
食生活改善推進員協議会会長(兵庫県いずみ会)と相談し実態調査をすることにする。
31日
保健所への支援(巡回栄養相談)が3月31日で終わる  
3月
西宮市と協議のうえ、兵庫県栄養士会として昼食の給食を実施。(6月30日まで。) 75日間227人(内学生59人)県外からも多数支援。
仮設住宅居住者に、地域に定めて栄養相談・指導・調理実習を、実施。現在に至る。
3月
『栄養日本』に震災の状況・支援活動について、特集などで報告。(9月まで)  
4月1日
行政と連携をとり、仮設住宅住居者への支援を実施 西宮市二次避難所、かぶと山荘の食事提供と栄養相談の計画
 『栄養日本』で支援者の依頼
 近畿地区栄養士会へも依頼
7月29日
  震災の初期対応を考えるシンポジウム(第1回)
中央労働センターで開催。参加者168人
7月〜
報告書の作成を計画 職域・地区別に栄養士の震災時の実態調査を実施。
9月
神戸市と共同でパンフレットを作成
(仮設住宅への指導用)
10,000部
10月
栄養・食糧学会近畿支部において、栄養士会の活動を発表。 震災時の給食を考えるシンポジウム(第2回)
県民会館で開催。参加者247人(10月31日)
8年1月
震災一周年記念行事
 講演とシンポジウム  
 備蓄食品の展示
『震災と食Hyogo・KOBE栄養士からのメッセージ』
神戸文化ホールで開催。参加者800人
2月
県に災害時のネットワークづくりの対応を依頼する。 1月17日事務所が1年ぶりに林業会館へ戻った。
3月
兵庫県から災害時食生活改善活動ガイドラインを作成 8年度の予算総会を開催。
4月
仮設住宅居住者支援用のパンフレットを神戸市と共同で作成 10,000部
7月
  報告書編集委員発足
7年7月から実施したアンケート調査結果がまとまる
10月
県会本会議で岡やすえ議員が災害時(O157も含め)の食対応でネットワークの必要性がいわれているが、その対策を提案。県は保健所単位の給食施設の組織化をきめた。 栄養士会が希望していたネットワークの実現へ向けての対策
栄養士会でも自主的に計画・実施する地区もでてきた
9年3月
保健所単位で研修会を開催し保健所を核とした災害時のネットワークの構築へ向けスタート 地区によっては、組織化し、実際に実行したところもある。
4月
災害時ネットワークについてNHKで番組を組み呼びかけと必要性・現状などを取り上げて協力
(4月17日PM6:45分から)
NHKに働きかけ取材に協力
5月
 

報告書の編集完成

  1. 報告書の発行後、長期支援についてのあり方の検討
  2. ネットワークづくりのへの取り組み(栄養士養成施設学生も)

(c)1997兵庫県栄養士会(デジタル化:神戸大学附属図書館)