1995年平成7年5月15日作成 1/1
| 電話 | 被災直後、送信不能、仙台.東京など遠距離から一部受信可能。公衆電話からの送受は一部を除き通話可能だった様子。3日後から芦屋市を除いて送受回復。 10日後27日より全域回復。 | |
| 電気 | 被災振動時停電。2日後の夕刻16:30送電回復。被災当日の夕刻以降、気温1度、停電で周辺は真っ暗で家の中で、カイロを4ケ入れても寒くて震えていた。石油ストーブは2台あったが、頻繁に余震があり家屋倒壊の恐れがあるので、点火せず布団毛布にくるまった。 商用電源回復に伴い、無線通信.ガス供給停止のため電気炊飯器.電気コンロ.電気ポットをフル活用した。照明がつきTVで災害全体の状況がつぎつぎに判明してきた。 日頃、移動通信に愛用している川崎重工製の発動発電機1,200Wと800Wを2台所有しているが.重量の都合で1,200Wは納屋に収容、散乱した家具の下敷きで取り出し不能。800Wの発動発電機は、すぐに車載できるように玄関に置いてあったため、被災当日即時発電できた。 電気釜、電熱コンロ.工事用電灯.ケーブルリール.水用ポリタンク等々、移動通信用に保管してあった器材で、日常家内より邪魔になると厄介物扱いされてきたが、非常事態に大活躍することになり、家内へ『役に立つ物ばかり、それ見たか』と鼻高々! ただ残念だったのは、発電機用の燃料のガソリン携行タンクが3本も有るのに、通常の火災危険予防のため空タンクにしていた。 発電機のタンクには満タンにしていたが、給油不能のため発電による燃料消費が心細かった。 | |
| 水道 | 避難所には2日後の昼か3日後には給水が始まった。被災2日後、私と妻の二人で指定避難所の六甲小学校へ行ったところ、既に2,500人が入り満員。後の人は離れた山の中腹にある長峰中学校へ行けと張り紙があった。自宅に戻り給水を待っていたが、5日後の午後やっと陸上自衛隊が給水車を派遣してくれ、並んで給水を受けた。 100米離れた大谷産婦人科病院入口右サイドの水道栓が水が出ることを近所の人に聞き、山行き用のポリタンク20リットル1ケ、10リットル1ケをそれぞれ旅行カバン用キャリヤーに固縛、風呂.鍋.釜.バケツに貯水した。飲料水.炊事用.洗浄用.トイレ用に節約して使用した。とても洗濯用には勿体なくて洗濯はできなかった。 入浴と洗濯は、唯一走行できる六甲トンネル.北有料道路を走って神戸市北区の長男宅へ4回訪問東条町のとどろき温泉へ2回入湯した。 1ケ月ぶりの2月17日自宅近くの銭湯高羽温泉へ並んで入浴制限時間20分間の入湯。次回21日に以降4〜5日間隔で入湯、着替えした。 25日ぶりの2月8日17:00給水回復。それまで水の搬送に疲労した。 | |
| ガス | 震災直後ガス供給ストップ。料理の加熱調理.風呂沸かし.洗面所の給湯NG。 約2ケ月後の3月13日15:30応援に来ていた京郡ガスによって、やっと供給回復。 地中周辺のガス漏れがないか恐々とした思いで使用開始。 我が家の風呂に手足を伸ばして入れる嬉しさを実感する。 | |
| 郵便 | 灘郵便局も被災しており、郵便物が配達されてきたのは10日後の26日書留便が地震後初めてで15日後頃から、まとめて配達されてきた。同じ人から安否を気遣うハガキが4通もあった。見舞い品のゆうパックも10日後以降からであった。→(電話不通のため郵便利用) | |
| 宅急便 | 発送者から後刻聞いたが、神戸方面は受付ないとのこと。郵便のみ取扱。 |
| (4) | 1)JR3JBQ(誤)→JR3RUB鈴木氏(正)と訂正(コールサイン誤記) 8)3.JA3YRLop斎藤氏の個人コールサインはJO3KXBです(コールサイン追記) |