大地震の被災動物を救うために : 兵庫県南部地震動物救援本部活動の記録 / 兵庫県南部地震動物救援本部活動の記録編集委員会編. - 発行:[神戸] : 兵庫県南部地震動物救援本部, 1996.12. 請求記号:震災-7-156,318,319. p12-22

初期の動物救護活動と獣医師

動物を助けるのが獣医師の仕事

 地震発生から4日後、兵庫県南部地震動物救援本部が設置され、さらにその5日後(地震発生から9日後)神戸動物救護センターが仮設された。以後、三田動物救護センターも仮設された。しかし、神戸および三田動物救護センターの活動が始まり、その施設の存在および活動が周知されるまでの被災動物の救護、特に負傷動物の治療および保管等は、県内獣医師会々員の主要な仕事となった。
 ここで、再び兵庫県南部地震による神戸の被害地図を見てみよう。最大の被害を受けた東灘区、灘区、中央区、兵庫区、長田区、須磨区に在住する開業医師の大半もまた全壊など多大な被害を受けた。人も『動物』も被災した。森内利郎(『被災地の動物と私たち』)はその状況を次のように述べている。「‥‥‥明るくなってから作業が一段落する。その頃から次々と動物たちが運びこまれてきた。骨折したもの、裂傷を負ったもの、打撲傷で動けない犬、まぎれもなく、動物たちもまた被災者だったのだ」。
 こうした動物たちを救うために、大きな被害を受けた獣医師も、また幸いにして比較的被害の少なかった獣医師も、地震の直後から活動を始めた。
 この実態を把握するために、平成7年6月1日から約1カ月をかけて、アンケート調査をした。その概略を述べてみよう。(詳細は資料編に掲載)

神戸市内の開業獣医師


被災地の動物と私たち

はじめに

 1月17日の朝、私は診療室のある建物に居た。賃貸マンションの1階が診療室と住居に分かれている。既に私は5時には目覚め、ぼんやりと「NHKニュース」を眺めていた。
 何となく予感めいたものはあった。家の犬も落ち着きが無かった(後日、たくさんの患者さん達から、直前の動物たちの様々な「異常行動」の話を聞くことになる)。
 しかし、5時46分の衝撃は唐突だった。地響きとともに断続的な突き上げが襲ってくる。その度に私の腰が浮き、ビルが確実に北へ傾いていくのがわかる。テレビが眼前に飛んでくる。一瞬のうちに部屋は真っ暗になった。
 幸い私にはかすり傷ひとつ無かったが、恐る恐る見た外は悪夢のようだった。裸足で歩きまわる人々。1階の無い木造家屋。あたりはかすかにガスの臭いがした。
 病院に入ろうにもドアが開かない。真っ暗な中で輸液ポンプのランプだけが点滅している。どうやら傾いた犬舎の中の動物たちは無事のようだった。
 助けを求める人達の声がする。近隣の若者たちと共に、私もその家に入って行った。
 明るくなってから作業が一段落する。その頃から次々と動物たちが運び込まれてきた。骨折したもの、裂傷を負ったもの、打撲傷で動けない犬。まぎれもなく、動物たちもまた被災者だったのだ。
 こうして震災後の私の生活が始まる。生き残った喜びと不安の中で、「また今日も獣医師であらねばならない」と思った。
 しかし、何もない。さてどうするか。
 そんな大きな戸惑いの中で、人間として獣医師として私が出来たこと、出来なかったことのありのままを報告したい。

何もないところから

 それでも治療しなければならない動物たちはいる。病院は開けなければならない。鍵がこわれ、ドアはゆがんでいたので、枠ごと外し、病院内はアンプル等で足の踏み場も無いので外に置き、そのドアを処置台とした。骨折に際してはレントゲンは使えない。電気も無い上に、後で分かった事だがそれは壊れていた。水が無い。外傷に対してはまず洗浄せねばならないから1%ヒビテン液の作りおきが役立った。縫合糸及び針は散逸していて、当時探しようがなかったので引き出しの針つきのディスポの糸を使用。手術器具等は前もって滅菌していたスペア用のものを使えた。
 震災当日思い出したことがある。10数年前、共済で勤務していた頃のことだ。
 牛の出産に立ち会った時、産道裂傷を見つけた。出血は激しいし診療所へも戻れない。手持ちの針と糸で、野外で縫合した。そうしなければ死んでいたことだろう。この日、私は獣医療の原点に帰ったような気がした。
 入院中のカリシウイルス感染猫2頭は重症だった。少なくとも保温と輸液を必要とした。電動のポンプとヒーターは使えないので、使い捨てカイロで暖め、点滴は従来通りの方法で行った(翌日18日午後から、実家大阪堺市まで搬送した)。

物資調達及び入院動物の搬送

 当時、私は多少の現金を除き、あらゆる物の持ち合わせがなかった。水、食糧、ポリタンク、カセットコンロ用のボンベ、灯油、石油ストーブ(停電の際、ファンヒーターは何の役にも立たない!)等々。防災への意識は微塵もなかった。翌日、同じ身の上の友人と入院の猫たち、それに愛犬を伴って実家まで車で脱出しようと決心した。無人の病院を放置することと、おそらく病院を訪ねて来るだろう患畜達のことを思うと心が痛んだが、私にとってはギリギリの選択だった。
 「出来るだけ早く戻って来よう」と思った。
 灯油やストーブ、カセットボンベはすぐ手に入った。しかしポリタンクが不足していた。店頭の20リットル用はあっという間に消えていた。近所の酒屋でいくつか譲り受け、必要数を予約し入手に至ったのが、1月23日の夕方6時だった。
 実家への10数時間の間にやっとセルラー電話が通じた。両親はもとより友人に連絡が出来た時、日付けは既に19日になっていた。病院の電話が復帰したのは実に26日の夕刻だった。私がラッキーだったのは、その間に全国の友人達と連絡し合えた事だ。機材の発送、メンテの依頼を友人の獣医師に託すことが19日の深夜から可能だった。彼らは快くそれを引き受けてくれた。
 ある友人などは、東京からトラックをチャーターし、様々の物資を積み、19日の早朝、出発する手はずを整えていた。

病院の復旧

 1月23日、東京の先輩が私の実家に着いた。神戸に共に行くという。有り難い援軍に感謝して、24日私は神戸に戻った。午後2時に元気になった猫たちと共に戻った我々は、病院の片付けを少しした。しかし容易に戻るものではなかった。
 先輩の助言もあり、私は一つの方針を決めた。人手を確保することだ。薬剤が散乱し、機材が転倒した病院を私たちだけで、復旧することは不可能である。少なくとも1日や2日では無理だった。避難所へ、大阪から運んだペットフードを届ける際に、病院復旧の為のアルバイトを募集した。たまたま患畜の家族の大学生が名乗り出た。遠慮なく私は彼に仕事を頼んだ。病院の跡片付けと力仕事。25日に出勤してきたA.T.Hと彼とのコンビネーションは素晴らしかった。
 26日に北区へ行き、ペットフードを運んできた私は、数ケ所の避難所へバイクでそれを届ける事をその彼に頼んだ。病院に居なければならず、またバイクの無い私には本当に有り難いことだった。26日には京都第一科学が「スポットケム」の検査に訪れ、即日、代替機の提供を申し入れてくれた。翌日には機械が届いた。レントゲンの発注は友人の獣医師を通して済ましていたが、実に28日夜にはポータブル型を届けてくれている。全ての関係者は、驚くばかりの誠意と勤勉さで私の気持ちに応えてくれた。いや「私の為に」というのは不正確だろう。動物医療の為に、また彼らの仕事に対する誇りの為に。

救い出される動物たち

 人間の救助、並びに遺体の収容が落ち着いてくるほどに、今度は飼われていた動物たちの救助が目立ってきた。2月2日の17日目に猫が消防庁レスキュー隊により、また19日目、大阪府警機動隊の手で、ゴールデンレトリバーが民家より救出された。また、2月10日の25日目には柴犬が、31日目の2月16日には猫が同様に様々の人々により救出されている。それらは全て、地理的に近いという理由から私の病院に収容された。
 犬2頭は、いづれも今に至るまで元気だが、残念ながら2頭の猫は1週間から2週間の入院後、共に息を引き取っている。餌も水も、数週間にわたり口にしていなかった猫たちは、どのような治療を望んでいたのだろうか。私には今もってそれがわからない。
 ともあれ、私の知る限り、この東灘区で救出された動物たちは、今までのどの時代のそれ以上に、生命の大切さを教えてくれた。
 幅の狭い道を、東京消防庁の大型車がサイレンを鳴らしながら走ってくる。前後して自衛官と警官が走る。事の重大さを感じて近所の人が私に尋ねる。「誰かを助けに来たのですか?」私が「猫です」と答えた時、「一緒に助かった命やから、元気やったらええね」と、その女性が言った。その言葉は重く、また優しかった。

人と動物、復興への希望

 私は、震災の日のある光景を想い出す。その朝、いつも通りに朝10時頃シーズー犬を散歩させている老女。足の悪い彼女は私の前を通りながら、「何があっても散歩してやらんとね」と言った。彼女の家と店は全壊していた。異常事態の中で、日常性を失うまいとするその姿に私は驚く。動物と私たちとの絆の深さを、今更ながら改めて知る一方で、我々獣医師の存在意義もそこにあるような気がしてならない。まさしく我々も、この街の復興の一翼を担う者なのだ。

 今回のような災害に際して、獣医師として最も重要な事は、とりあえず病院を開けている事であろうか(勿論、その前に家族や隣人の救出や安全確保に全力を尽くさなければならないことは言うまでもない)。
 開院していて何が出来るというのではない。おそらく大したことは出来ないだろう。しかしそれでも良いと思う。一軒の商店が再開して我々はどんなに心強かったことか。我々も業種の違いこそあれ、人々の眼(ことに動物を飼う人々)には同様に写る。それはまた、本人にとっても精神衛生上好ましい。おそらく人間は(生意気のことを言わせて頂ければ)、そんな時こそ自分の存在意識を見つけたくなるものだ。
 言い換えれば、極限に於て、人の性は善であるのかも知れない。我々の友人、見ず知らずの人々、ボランティアの若者、マスコミの人々、警官・自衛官等々。本質的には皆、そうであると信じる事からしか誰もが出発出来ないと思う。
 ともあれ、どうやら我々獣医師にも存在意義がありそうである。今回の震災はそれを教えてくれた。

獣医師・森内 利郎(神戸市東灘区在住)

アンケート調査

 調査が行われたとき:平成7年6月1日から6月25日まで。
 調査の対象:小動物診療に従事している(社)神戸市獣医師会々員74名ならびに(社)兵庫県獣医師会々員202名の、合計276名を対象とした。対象者はその被害の程度に応じて、全壊(重度)、半壊(中程度)、一部損壊(軽度)等に分けられた。
 調査の方法:動物を犬、猫、およびその他に分け、来院の目的と施した処置を、(1)震災直後(1月17日)から三田ならびに神戸動物救護センター設立までの期間、(2)動物救護センター設立から救護センターの存在が概ね周知される(2月10日)までの期間、および(3)動物救護センターがフル稼働し、罹災動物の多くをセンターで扱うようになった期間、の三つの時期について詳細に調査した。なお、この3つの時期は、混乱を極めた頃、やや落ち着きを取り戻した頃、および冷静さを取り戻した時期と考えてもよい。したがって、厳密に区切ったわけではない。
 調査の回収率:(社)神戸市獣医師会および(社)兵庫県獣医師会に所属している会員のそれぞれ70.3%および42.6%であった。

被災地の獣医も大きな被害を受けた

 次の図は、アンケート調査の対象者のうち、回答を得た(社)神戸市獣医師会員および(社)兵庫県獣医師会員の被害状況を円グラフで示したものである。被害状況を大きく、全壊、半壊、一部損壊および被害なし、の4段階に分け百分率で示した。神戸市内開業獣医師の半数以上が、全壊あるいは半壊の被害を受けていたことがわかる。
 しかしながら、持ち込まれる被災動物を治療するのが獣医師の仕事であり、生き甲斐でもあった。獣医師の被害の程度と治療した被災動物の頭数の関係を調べてみた。

神戸市(52名) 神戸市を除く兵庫県全域(86名)
調査回答者の被害の程度
調査対象者のうち回答された方々の被害状況を、全壊、半壊、一部損壊および被害なしの4段階に分け、百分率で示した。各個内に回答者数を示した。

被害別診療状況

 神戸市内の開業獣医師(表):犬では、地震直後から間もない時期に、半壊の被害を受けた獣医師が全体の74.4%の被災犬を診察していたのに対し、地震から約1カ月を経過した時期には、全壊の被害を受けた獣医師が61%を診療していた。一方、猫では、いずれの時期でも全壊の被害を受けた獣医師が全体の半数近くを診察していた。
 これらの結果は、大きな被害を受けた地域ほど被災した動物が多く、彼等の救護には被災地の獣医師が当たらなければならないことを示している。

神戸市内開業獣医師の被害別診療状況(犬)
戸数
骨折
切り傷
打撲
火傷
嘔吐
下痢
食欲不振
合計
第一ピリオド
全壊
17
8
10
0
0
48
58
65
17
223
 
半壊
13
53
59
14
1
405
411
417
32
1405
 
一部損壊
15
7
15
10
3
27
36
34
13
160
 
被害なし
7
7
9
6
0
28
23
18
3
101
 
第二ピリオド
全壊
17
0
4
5
0
18
18
26
3
91
 
半壊
13
0
0
0
0
5
4
7
4
33
 
一部損壊
15
1
7
3
1
4
13
12
11
67
 
被害なし
7
0
2
0
0
16
22
9
8
64
 
 
第三ピリオド
全壊
17
0
6
0
0
51
61
67
0
202
 
半壊
13
3
0
0
0
7
1
1
0
25
 
一部損壊
15
1
0
1
0
4
8
8
2
39
 
被害なし
7
1
0
0
0
26
31
0
0
65
獣医師の被害別診療状況(犬)を見ると、初期(第一ピリオド)では半壊の被害を受けた獣医師が全体の74.3%の被災犬を、後期(第三ピリオド)では全壊の被害を受けた獣医師が61%を診療したことがわかる。

神戸市内開業獣医師の被害別診療状況(猫)
 
 
戸数
骨折
切り傷
打撲
火傷
嘔吐
下痢
食欲不振
合計
第一ピリオド
全壊
17
4
11
6
0
27
19
28
12
124
 
半壊
13
1
3
0
1
3
9
6
1
37
 
一部損壊
15
5
17
6
2
12
15
19
0
91
 
被害なし
7
2
3
1
11
7
10
6
0
47
 
第二ピリオド
全壊
17
1
2
3
0
15
15
28
10
91
 
半壊
13
1
1
0
0
4
10
5
4
38
 
一部損壊
15
1
1
2
1
1
4
5
0
30
 
被害なし
7
0
0
3
0
1
7
8
7
33
 
 
第三ピリオド
全壊
17
1
3
1
4
38
37
30
30
161
 
半壊
13
1
2
1
0
15
17
20
6
75
 
一部損壊
15
0
0
4
0
2
4
12
1
35
 
被害なし
7
0
0
0
0
10
31
0
0
48
獣医師の被害別診療状況(猫)を見ると、何れの時期においても全壊の被害を受けた獣医師が全体の半分近くの被災猫を診療していたことがわかる。すなわち、第一ピリオドで41.5%、第二ピリオドで47.4%、第三ピリオドで50%であった。

神戸市を除く兵庫県内の開業獣医師(表):宝塚市、芦屋市、川西市、西宮市、伊丹市、尼崎市など神戸市を除く兵庫県内の主要な都市も大きな被害を受けた。これら地域の開業獣医師から得た調査結果もまた、被災動物の救護には、被敷地の獣医師が診療に当たったことを明らかに示している。すなわち、犬では、すべての時期で全壊の被害を受けた獣医師が多くの被災犬を診察していた。特に、復興の目処が立った第三ピリオドで顕著であり、この傾向は神戸市の場合と全く同様であった。一方、猫でも、地震直後の時期にこの傾向がはっきり見られ、今後の災害時の救護体制を考える上で貴重な記録になる。

神戸市を除く兵庫県内開業獣医師の被害別診療状況(犬)
 
 
戸数
骨折
切り傷
打撲
火傷
嘔吐
下痢
食欲不振
合計
第一ピリオド
全壊
13
13
41
50
4
33
39
46
36
275
 
半壊
15
17
16
26
0
13
12
22
8
129
 
一部損壊
16
15
45
37
1
28
31
50
1
224
 
被害なし
42
4
11
4
2
32
25
21
4
145
 
第二ピリオド
全壊
13
0
0
0
0
7
15
16
5
56
 
半壊
15
1
2
2
0
10
6
9
3
48
 
一部損壊
16
5
0
1
0
9
7
10
3
51
 
被害なし
42
0
1
0
0
11
6
2
0
62
 
 
第三ピリオド
全壊
13
1
1
1
0
35
39
4
28
122
 
半壊
15
0
0
0
0
4
6
6
0
31
 
一部損壊
16
2
0
2
0
3
8
7
0
38
 
被害なし
42
0
0
0
0
6
5
7
1
60
獣医師の被害別診療状況(犬)を見ると、全般的に全壊の被害を受けた獣医師が多くの被災犬を診察していたことがわかる。
特に、復興の目処がたった第三ピリオドで顕著であり、この時期には一獣医師当り9頭以上の被災犬を診療したことになる。


神戸市を除く兵庫県内開業獣医師の被害別診療状況(猫)
 
 
戸数
骨折
切り傷
打撲
火傷
嘔吐
下痢
食欲不振
合計
第一ピリオド
全壊
13
6
17
9
6
25
47
18
0
141
 
半壊
15
2
12
9
0
4
9
12
4
67
 
一部損壊
16
4
18
19
2
15
15
14
0
103
 
被害なし
42
3
7
4
2
16
14
14
0
102
 
第二ピリオド
全壊
13
0
0
0
0
2
8
10
0
33
 
半壊
15
0
1
2
0
2
9
9
4
42
 
一部損壊
16
0
0
1
0
7
6
5
0
35
 
被害なし
42
0
0
1
1
5
3
4
4
60
 
 
第三ピリオド
全壊
13
0
0
4
0
1
2
0
1
21
 
半壊
15
1
0
0
0
5
1
8
0
30
 
一部損壊
16
1
0
0
0
0
11
10
0
38
 
被害なし
42
0
1
1
1
0
1
1
0
47
獣医師の被害別診療状況(猫)を見ると、獣医師の被害程度に関係なく、被災猫が持ち込まれたことがわかる。

どのような被災動物が動物病院に持ち込まれたか(1)

 治療のために、動物病院に持ち込まれた被災動物は、単に自らの飼育動物に留まらず、知人から依頼された動物あるいは所有者不明のものが3分の1を占め、人とともに室内で被災し、負傷しながら飛び出していたことがわから。同時に、人々はこうした所有者不明の動物を見捨てることができず、手当てしようと思い、動物病院に運んだことがわかる。地震直後の混乱期だからこそ、人々は「命」を愛しく思ったに違いない。この人々の動物を労る優しい心があったことが、この後の本格的な動物救護活動に繋がることになる。

神戸市を除く兵庫県内の開業獣医師が治療した被災動物

被災動物はどのような治療を受けたか

 犬猫とも外科的治療を要した動物に比べ、内科的治療を要した動物が明らかに多く、食欲不振、下痢、嘔吐などを主徴とした。特に、大きな被害を受けた神戸市内では、地震直後から約10日間の間に、外科的治療を受けた被災犬229頭に対して、内科的治療を受けた犬は、その7倍(1635頭)にも及んだ。この傾向は時間経過とともに顕著となり、長期にわたる徴候であったことがわかる。また、全般的に咬みつくなど常日ごろでは観られない神経質な患畜が多く見られ、上記の結果と併せ、震災によるストレス兆候が明らかに推察される。

外科的治療を要した被災動物

内科的治療を要した被災動物

震災直後から動物救護センターが設立される(1月26日)までに神戸市内の開業獣医師が診察した被災動物の総数

外科的治療を要した罹災動物

内科的治療を要した罹災動物

震災直後から動物救護センターが設立される(1月26日)までに神戸市以外の兵庫県内開業獣医師が診察した罹災動物の総数。
 上段に外科的治療を要した犬および猫が、下段に内科的治療を要した動物が示してある。神戸市内の結果と比べ、その差は大きくないものの、内科的治療を要した動物が多いことが分かる。



1月26日、兵庫区内神港高校避難所に保護されていた被災猫。重度の火傷を手当、約1ヶ月半の入院後しばらくして里親に引き取られる。

どのような被災動物が動物病院に持ち込まれたか(2)

 さまざまな程度の障害を負った動物たちが動物病院に持ち込まれたが、今までならば、決して動物病院には来院しないような軽度の障害を持った患畜が目についた。下の図は、地震直後から救護センターが設立されるまでの間(第一ピリオド)に、どの程度の病状の被災動物が運びこまれたかを「下痢」と食欲不振について示したものである。下痢と食欲不振は、この時期に多く診られた内科的疾患であるが、犬でほぼ半数、猫ででも約3分の1が軽度な症状であり、この地震がなければ、恐らく動物病院に来ることはなかったであろう。このことがどのような意味を持つのか、後掲する資料集の詳細な結果と合わせ判断する必要があるものの、きわめて興味深い。
  下痢 食欲不振

(c) 1996兵庫県南部地震動物救援本部活動の記録編集委員会 (デジタル化:神戸大学附属図書館)
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