「阪神大震災記録写真集」・緒言
『阪神大震災記録写真集』の4枚のCDに収録されているのは,神戸大学の大学院生である私が撮影した阪神大震災の一部の被害と復旧の様子の写真である。
私は以前からカメラおよび写真撮影に関心があったので,一生に一度しか体験しそうにない(そして一度しか体験したくない)今回の大地震に関する様々な光景を撮って,後世への記録として残したくなったのは当然であった。しかし同時に,あの地震に生活を破壊され,あるいは家族・知人を奪われた多くの人々の心情を思うと,報道関係者でもプロ・カメラマンでもない私が,あのような時に写真を撮ることの是非について,疑問も感じたのである。地震発生後2日目か3日目に、外部の者数人が車で神戸に乗り込み,観光客気取りで全壊家屋の前で「記念写真」を撮って,そこの被災者を激怒させた,との報道に接して,この迷いは一段と強くなった。
いろいろ考えたあげく,結局は自分なりの下手な写真記録を後世に残すことが,今回の大地震の犠牲者に私が捧げうる最大の供養であると判断し,撮影活動に踏み切った。ただし,単なる野次馬にならないように,次の方針に従って撮影することにした。
1.被災者個人をできるだけ撮影しない。
2.他の用事で行った場所の写真だけを撮る。
(つまり,撮影のために何処かへ行くようなことはしない。)
以上の方針に従ったため,この写真集は網羅的な記録ではない。淡路島,神戸市東灘区および芦屋市の被害が非常に大きかったにもかかわらず,淡路島および芦屋市の写真は一枚もない。また,東灘区の写真も数枚しか収録されていない。神戸市内の写真は主に,明石市から神戸大学に通学する途中で撮ったからである。従って,須磨区,長田区および三宮の写真も,1月25日以降,それらの地域を通って通学を再開したあとで撮ったものである。さらに復旧が進み,JR神戸〜灘が開通した2月20日以降は,六甲(神戸大学の所在地)まで電車でいけるようになったので,撮影の対象も主に鉄道関係(仮設ホーム,列車の行き先案内の変更等)になった。そして,4月1日のJR完全復旧に伴い,私の日常生活もほぼ完全復旧したので,写真撮影も基本的にその日で打ち切ったのである。
このように,網羅的な記録にはならなかったが,私が自分自身の日常生活を取り戻そうとしていた過程で見た様々な光景の記録にはなったと思う。撮影の腕が下手な上,ごく一部の地域しか写っていないので,あの大震災を経験しなかった人々にとってこの写真集がどれほど参考になるかは分かりませんが,これらの写真を見て,1995年早々に明石市および神戸市の人々が体験したことを少しでも理解していただけたら幸いである。
進藤 裕之
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