その日・その時 : 阪神・淡路大震災ボランティア緊急救援活動の軌跡 : よろずかわら版縮刷版. - 発行:[神戸] : SVA(曹洞宗国際ボランティア会)神戸事務所, 1996.7. 請求記号:震災-7-131,146,371. 後付1-4


その後の神戸 500日目の被災地

まちは、暮らしはいったいどこへゆくのか?

 阪神大震災が起こって、救援活動が行われた。やがて4月になり、もう被災地は被災地でやっていけるのではないか?学生は帰らねばならない、活動資金もない・・・。
 被災地外のボランティアは徐々に引き上げていった。
 被災者の中にも「仮設住宅」も建ち始めるし、何とかなるのでは、何とかしてゆかねばという気持ちが強かったであろう。
 しかし、その後様々な問題が、次々とおこり、被災地での支援活動や支援政策の必要性が明らかになっていった。

避難所・テント村

 夏になっても秋になっても、そしてまた冬を迎え、もう一度夏を迎えようとしている1年半後の現在も、公的施設やテント村など避難所(現在は「旧避難所と呼ばれている」)で暮らす世帯は213世帯430人にのぼる(96.5.10、神戸新聞)それぞれに事情を抱え他に移ることができない人ばかりが残っている。

仮設住宅

 昨年の2月以降収容所を思わせるという、仮設住宅群が郊外に、またポートアイランドや六甲アイランドにたてられた。
 しかし被災者の多くが地場産業に就いていたり、高齢になってもわずかな年金と内職で生計を立てていたようなものばかりであった。市街地を離れることは経済的な基盤を失うことに等しい。遠くの仮設住宅にはいることを選択せず、借金をして民間賃貸を借り、苦労している人もいる。
 そして仮設住宅での生活上の困難さは予想を上回り、仮設住宅を出るめどもない中、相次ぐ孤独死(これまでに60人を超えている)や衰弱死、体調の悪化、アルコール中毒者を生んでいる。
 そして、今年の神戸市長田区御蔵通5月7日の兵庫県の発表により、あらためて仮設住宅生活者の実状は浮き彫りになった。現在約5万戸の仮設住宅に現在7〜8万人の被災者が暮らしている。そのうちの42%が高齢者世帯で、主な収入源も約4割が年金で、年収100万円以下の世帯が3割である。

仕事

 仕事を探そうと思っても見つからない。失業者の状況は深刻である。また、多くの中小企業が痛手を受け、再興しても、まち全体の経済活動が停滞している。さらに、地域住民あっての商店や市場も、家がなかなか建たず、買い物客も減った現在、ゆとりはない。
 自立し始める方もいる中で、生活保護者世帯の増加、負債を抱えてゆく者、精神的に参ってしまう者、様々な状況が進行している。

生活

 家財道具を一切なくした方たちは、はし一本から購入、すべてを自分でまかなわねばならない。安い借家は軒並みつぶれ、新しいところを借りることは難しい。
 土地を持っていたとしても狭いところが多く、現在の建築基準法では住宅が建てられないなどの困難さ、再建資金を用意することができない、というような状況を抱えている。
 しかし阪神大震災に対する補償は皆無に等しい。全焼しても24万円の義援金しか。負債を抱えて苦労している人がとても多い。

まちの復興(まちづくり)

 市街地は戸惑ったように更地が広がっている。自己再建のための個人補償もなく、住民はまちの再生を語り合おうにも離ればなれとなって、それぞれ生活を支えることにぎりぎりの状態である。
 そんななか、まちは単にきれいに整備されてゆき、下町の良さや人間関係が大きく変わってゆく可能性がおおきい。

県外避難者

 兵庫県の人口減少から推計して、兵庫県外への避難者は、少なくとも10万人、約5万世帯に上る、とみられている。住み慣れた土地離れることは、通常でも大変なことであるが、被災者という特別な条件が加わり、自ずと心理的な孤独感が生まれる。しかも、避難先での親戚・家族との行き違いによる別居・離婚など苦労も多い。にもかかわらず、県外に避難しているため、被災地で進む復興プランの対象から、抜け落ち、取り残されている。

 このような状況のなか、のこった、また新たに被災地でできたボランティア団体は大なり小なり、手探りで支援の方法を考え、必死に被災した方を支えてこざるを得ませんでした。
 被災後500日以上経って、今起こっている問題は、単に被災地だけでなく日本社会が内包していた構造的な問題であり、みなさんの足元の問題でもあります。
 これは日本の社会的な制度や個人を支えるシステムが、たいへんもろく弱いものであることを示しています。
 私たちみんながここから学び、この社会を考えていくことが、私たちに今必要なことではないでしょうか・・・?


SVA神戸 活動のあしあと

1月 17日 午前5時46分、阪神地区においてM7.2の大地震が発生
  18日 被災地における緊急救援活動を行うことを決定
  19日 スタッフ2名を調査のために現地へ派遣
    この間、直接曹洞宗関連の大学への呼びかけや、新聞によるボランティアの募集を呼びかける
  26日 兵庫区八王寺に対策本部を開設・ボランティア第一陣派遣
      【救援活動開始】
2月 1日 タイのプラティープさん来日・スラムで集まった義援金を頂く
  15日 兵庫区真光寺に拠点を移転
  17日 震災より一ヶ月、避難所生活者数21万2千人
    この間続々とボランティアの動員が増え様々なプロジェクト の立ち上げが行われた。
    ボランティアの受入は一日100名以上にのぼった
3月 5日 透析医療施設MSW研究によるソーシャルワーカー(SW)が交代 で派遣される
    機材や食材の提供、炊き出し指導へ(17日まで)
  17日 仮設住宅への訪問活動開始
4月 7・8日 長田区菅原商店街で「花まつり」を行う
   

ほとんどのプロジェクトが活動を終了しボランティアも激減。
これより「仮設住宅」と「市営住宅」の支援、「子どもの遊び 場づくり」の3つのプロジェクトに活動をしぼる。

    【緊急救援活動終了、復興支援活動へ】
    <体制:スタッフ4名・ボランティアスタッフ2名>
  17日 震災より3ヶ月、避難所生活者数5万2千人
6月 8日 訪問先の荒田仮設住宅で孤独死者が出る
  30日 南駒栄公園「子どもの遊び場」プロジェクト終了
7月下旬〜   夏休みボランティア受入
    (事務所移転のため、ライフライン・ボランティア復活)
    仮設住宅支援連絡会(96年4月より「阪神淡路大震災「仮設」支援NGO連絡会」に改組)にスタッフ派遣・運営協力を開始
8月 2日 事務所を長田区御蔵5丁目に移転
9月下旬   透析医療施設MSW研究会よりSW常駐派遣(96年1月まで)
10月 1日 「アジア秋祭り」In菅原市場を地元と共催
    タイ民族舞踊団“イサーン・ポン・ラーン”を迎える
  中旬〜 長田区御蔵通5・6丁目まちづくり協議会の側面支援を開始
11月   荒田ふれあいセンター完成、協議委員を派遣し運営に関わる
12月 25日 お正月体制(1月4日まで)
1996年    
1月 17日 「阪神大震災犠牲者一周忌御菅地区合同慰霊祭」側面支援
2月 15日  
  〜17日 「地域活動者の集い」In神戸受入
3月 17日 新年度体制確立のためボランティア受け入れ一時停止
    仮設住宅・市営住宅の訪問活動一時終了
4月 6日 第2回御菅地区「花まつり」協力参加
  中旬〜 通いボランティア活動再開
  26日 ゴールデンウィークボランティア受け入れ(5月11日まで)
5月 19日 SVA神戸東京報告会

これからも全国の方々へ神戸の声を届けながら、
みなさまとともに様々な問題について
考えてゆきたいと思います。


編集後記

すったもんだの中でなんとかかんとか出ましたこのよろずかわら版縮刷版の意味が、これからじっくり醸し出されて行けばと思います。
私達はまだまだ神戸から学ばねばならないと、この全焼した地域で住民の皆さんとの語り合いの中で、感じるのです。

さいごに今回のよろずかわらばん縮刷版発行に当たっての横河グラフィックアーツ(株)様の多大なるご厚意とご協力に感謝の言葉を述べて締めくくらせていただきたいと思います。ありがとうございました。


(c)1996SVA(曹洞宗国際ボランティア会)神戸事務所(デジタル化:神戸大学附属図書館)
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