KSKQ障害者救援本部通信, No.9(1995.7.17号)

兵庫県南部地震障害者救援本部

1995.10.16. - 12p

請求記号:震災-7-z27


SOS!! 全国の心よ 飛んで来て! 被災地に

 1月17日の大地震から6ヵ月が経ちました。
 阪神・淡路大震災と名付けられたこの地震は、戦後最大の被害をもたらしました。
 地震により亡くなった方は5,480人、負傷者34,900人、倒壊192,706棟(406,337世帯)、全半焼7,456棟、避難した人316,678人(以上兵庫県調べ)。こうして「被災状況」を数字としてだけ見ても、あの地震のすさまじさに改めて絶句します。まして数字には表すことのできない、どれほどの哀しみや怒り、絶望、辛さ、やり切れなさ、そしてくやしさがあったことか。いや、それは今もあるし、これからもあり続けるでしょう。
 取材される方に度々尋ねられることがあります。「障害者の被災状況は?死傷者は?家屋の損害は?作業所は何ヵ所つぶれたか?…」
 データが大事なことはよくわかります。しかし、数字に示唆されるまでもなく、このような大災害の只中で障害者が危機的状況なのはわかりきった話なのです。障害者の生きる場・働く場は例外なく安普請で、震度7にはひとたまりもなく全・半壊。集合住宅に入居していた車椅子障害者の家は必ずしも一階ではなく、エレベーターが止まれば脱出できない。やっとたどり着いた避難所も段差だらけ、車椅子用トイレもなく障害者が生活できる場所ではない。避難所で聴覚障害者に情報を伝える配慮がなく、食事がとれなかったこともあった。「障害者が入れる小規模避難所の設置」を何度要望しても放置。障害者本人が役所にSOSを発しても「あなただけが困っているのではない」というリアクション。
 ハード・ソフト両面において貧困な政策のもとではわかりきっている障害者の困難。それを放置・黙殺したのは誰なのか?

 今こそ、本当に誰もが安心して暮らし、自分らしさを発揮することのできる「まち」を住民が主体となって作っていかなければなりません。障害者の自立生活があたりまえにできる社会を作っていかなければ。

 地震から半年経ち、作業所やデイケアセンターの活動も大半が復旧し、家を無くした障害者も仮設住宅に入居し、全壊の作業所も仮設作業所が建ち、ひとまず人心地ついたといったところでしょうか。しかし、それは何の解決でもありません。

 現在、被災地の障害者と支援者は疲労困憊しています。人手が足りません。
 被災地障害者センターの介護者派遣件数は増えています。センターから遠い北区の仮設住宅に住む障害者の入浴介助などの要請もあります。仮設住宅の風呂場は狭いので、介助が必要な障害者は入れまぜん。歩いて行ける所に銭湯はなく、被災地障害者センターに送迎介助を要請してこられたのです。このような例は他にも多数あると思われます。被災地は今も非常事態です。そんな中で地域のつながりを断たれた障害者や高齢者の困窮は計り知れません。第3次災害との指摘もあります。
 西宮対策本部(阪神障害者解放センター)でも同様に人手が足りません。常時動ける人は6〜7人。それでも地域の被災者との連帯を求めて、引っ越しの手伝い、仮設住宅訪問、集会、仮設住宅バザーなどを精力的に行なってきました。彼らは今後も、仮設住宅で困難な生活を余儀なくされている障害者・高齢者の生活支援に重点的に取り組もうとしています。
 とにかく人手が必要です。
 みなさん、どうかご協力をよろしくお願いします。

 最後に、阪神障害者解放センター代表の言葉を紹介します。

ボランティア、Come back! 特に地元で支えあっていける組織を作ることを手伝ってほしい。私たち障害者ががんばってきましたが、もうくたくたです。来い!人よ、来い!みんなががんばれば、がんばらなくて良くなる人も出てくる。私はもうがんばりたくありませんので、ご協力をよろしく!
 だって、がんばる心はつぶれるよ…
 

救援本部会計報告メッセージありがとう!元気づけられてます!!


仮設はどうだい?

 現在移転工事中の『はとの家』(もと神戸市・長田区・二葉公園内)で避難生活を続けていたMさんが、地元六甲の大和公園にできた高齢者・障害者用の仮設住宅で生活を始めた。
 2階建て、トイレ、風呂、台所、洗濯機共同、クーラー付き、福祉相談員在中の、街の中の野球場にできた仮設である。生活を初めて1週間ほどたった、Mさんに聞いてみた。
 「僕は困ってないけど、車イスの障害者は暮らせない。これでは絶対ダメだ!でもいいとかダメとかじゃなくて家がないんだから入るしかないよ。」
 1階入り口にはスロープがついている。1階のいくつかある台所やトイレの中、1つづつは車イスを使う人を考慮していたりする。しかし、段差を低くしてある1階の風呂でさえ、狭すぎて介助者が必要な人は入れないし、ましてや2階は非常ベルとクーラーぐらいしか、体の不自由な高齢者や障害者への配慮がされていない。2階に住む人の中には、階段の上がり下りが困難な人や、段差が高すぎて浴槽に入れない人、蛇口をひねれない人がいるという話だ。
 各部屋には呼び出し用のベルがついている。最終的に216軒入るこの仮設住宅には福祉相談員が常時3人ついて、見回り訪問などをしながら対応している。土日祝日と平日17時以降・相談員はおらず代わりに民間の警備会社が待機している。
 基本的に介助者の必要な人の生活は考慮されていない。それどころか構造や設備次第では何不自由なく一人で暮らせるはずの人々への考慮でさえ足りないと言わざるを得ない。
 なぜ一般仮設とは全く別に高齢者障害者のためだけの仮設住宅をつくるのか。誰のための高齢者、障害者用の仮設住宅なのか。当事者の立場に立たない保護、ケアは隔離である。ただ心強いのは住み始めた人々の気持ちであった。夕方になるとそれぞれの棟でこんな声が響きあう。
 「お風呂わきましたよ。よかったら先にどうぞ。」
 「ありがとうございます。」
<FUJITA>

[写真あり てすりは付いているが、狭くて車イスでは入れないトイレ 省略]

[写真あり 風呂は狭すぎて介助の必要な人は入浴できない 省略]

仮設住宅ひとりぼっち

みんなと集まって話がしたい。
みんなひとりずつになってもた。
地震があってから3ヵ月ピア大阪(◎大阪の避難所)におった。
毎日買いもん行ったり、カラオケ行ったり、日曜日はカンパ、
大阪に避難してきて何でカンパするんかなとおもた。
一緒に避難している障害者もカンパに来てた。
バーにも行ったよ。
◎仮設住宅の生活のこと、聞かしてよ。
今の仮設には4月に入った。
ひとりで寂しーなーとおもて、誰か来んかなーとおもて、寂しいてたまらん。
AやFが何でここ来んかんなーておもたり、みな来んのはウチ好かんかーとおもたり。
◎地震の前はみんな来よったん?
Aいつも来よったよ、「太田君、飲ませて〜。」てな。
地震の前はキントーン(◎共同作業所、地震で全壊)の横で6畳一間に住んどった。
みんな、すぐそばにおった・・・・
<7月3日西宮市高畑町の仮設住宅にて、SYOUICHIさん口述、◎→松本in“らくだはらくか?”>

強くなければ「弱者」、は生き残れん・・・

 Hさん、3?歳。車椅子使用の脳性マヒ障害者。彼が住んでいた住宅は地震で全壊しました。約4ヶ月後の5月12日に仮設住宅に入居しました。4ヵ月の間彼は友人宅を転々としていたのですが、なぜ優先されたはずの障害者が入居するまでこんなに時間がかかったのか、被災地以外の方々は不思議に思われることでしょう。
 仮設住宅の構造は、障害者や高齢者には意地悪なくらい不便にできています。特に入り口やユニットのトイレと風呂はキツイ。あくまで仮設ですから仕方ないのですが、しかし、ちょっと手を加えれば十分住めるのです。厚生省はとうの昔に仮設の改造を進めると発表しており、県や市から改造費用が出ると聞きました。Hさんは、入り口にスロープをつけて欲しいと尼崎市役所に何度も頼みに行きました。ところが、各部署をタライ回しされた上どこも確たる返事がないまま1カ月が過ぎてしまいました。いつまでも入居しないと仮設の権利を返上させられるので、彼は知り合いに頼んでスロープを作ってもらい、やっと入居したのです。
 領収書を持って再び行政に補償してくれと交渉しましたが「そんなことを言うのはあんただけや」とか言われて彼はプツンと切れました。新聞やテレビではいいことばっかり言っているのに、現実にはお年寄りも障害者もみんな困っている。「僕だけの問題じゃない。仮設の改造についてのみならず、いろんなことでほったらかしにされている。僕ががんばらんと、お年寄りは遠慮してよう言わん。」と、県の窓口にもアタックしました。結果、ついに勝ち取りました。現在は、仮設住宅の自治会にも積極的に参加し、粘り強く闘っています。

[写真あり 省略]

 震災後の仮設住宅の建設について私たちが思い知らされたことがある。とにかく、たくさん早く建てようというのは分かるが、神戸でも西宮でも尼崎でもケア付きの仮設住宅が建てられたのは一番最後だった。避難所で寝たきりになってしまったお年寄りも多い。何より最初に建てるべきがケア付き住宅だった。まず一番にお年寄りや障害者や病気の人を保護して、その後希望によって一般の仮設に移転させれば良かったのではないか。その証拠にケア付き仮設住宅はできたものの全く人気がなかった。このことでも、この国の「福祉」のうすっぺらさが見えてしまった。
<みんなの労働文化センターだより『ぽれぽれ』No.9より>
 

LIFE REPORT

 ライフ・デイケアセンターは、養護学校卒業後の行き場のない若者達が地域の中でごく当たり前に生きていくように、彼らのくらしをサポートする場です。地震で周囲の民家が壊滅し、道路がふさがれてしまったため、ここに通っている障害者とスタッフたちは垂水養護学校に避難していました。ライフの建物は全壊判定されたものの、ボランティアの宿舎として使われていました。6月25日、垂水障害者支援センターは閉鎖され、メンバーたちは、いまだ瓦礫の散在する長田区の街へ戻って来たのです。

[写真あり 省略]

 見慣れた町が一瞬にしてその姿を留めることなく崩れ去り、猛烈な炎に舐め尽くされてしまう。避難所は人で溢れ返り、水も電気もガスもない過酷な状況の中に放り出される。障害を持つ人達にとっては想像を遥かに越える生活を強いられ、重度障害者にとっては健康を維持していくのが困難な状態下に置かれる。
 壊れかかった家に母親と残ったままの仲間、避難したいのだが子供が沢山の人の中ではパニックになってしまうので傾いた家にいる仲間、行くところがなくて車の中に篭もっている仲間、水と食べ物を求めて車椅子の子供と共に長い行列に並ぶ親子、その為に肺炎にかかる子供達、冷たい風の吹き抜ける廊下で毛布にくるまる仲間。
 2月2日、私は過酷な状況に置かれ、命さえも危険にさらされている障害者達の事を学校に伝え、垂水養護学校の教室を障害者支援センターとして開放してもらう。
 2月3日−3名、4日−5名、5日−8名と次第に避難する障害者の数は増えていく。初めは多少不安だったボランティアの支援体制も10日を過ぎる頃から次第に組めるようになっていった。岩手、山梨、栃木、岐阜、東京、静岡、埼玉、奈良、滋賀、岡山、広島、福岡、鹿児島、そして地元、明石、加古川とセンターを閉じるまでの5ケ月間に、延べ400名程のボランティアが支援し続けてくれた。この間仲間が体調を崩して寝込んでしまうときも時々あったが、その都度、誰かが支えていてくれた。もしかすると「自立」というのは、困難な状態になっても、常に支えてくれる仲間の数の多さによって可能になっていくのかもしれない。  
避難センターでの生活は、様々な人達の個性が溢れていていつも笑いが絶えることがなかった。食事の準備をする人、テーブルを出す人、食器を運ぶ人、隅のほうで本を読む人、毛布にくるまって休んでいる人、洗濯物をたたんでいる人、外でなにやら真剣に話し込んでいる人達。「御飯の準備ができたよ!」という声に、集まってきて「いただきます!」の挨拶とともに食べ始める。
 まるでどこかの大食堂に入り込んだように賑やかになるのだが、食事介護の必要な仲間の回りにはボランティアがきちんと付いて、何やら楽しく話しながら食べ始めている。少し時間がたてば、食べ終わった人が、まだ食べていない食事介護をしている人と交代する。
「ヤックンのおかずはもう少し小さくしてください!マイさんはもう少し体を起こしたほうが食べさせやすいです。」と、電動車椅子に乗っているS君が言う。
 その言葉を聞いて、料理ハサミを持ち出したり、身体の位置を動かしたりする。マキさんの鼻に付いたマヨネーズを見て皆が笑い出す。私は窓越しにこの光景を眺めている。教室にいる仲間たちに、ここでの生活を通して家族のような、いや!それ以上の絆が生まれてきたような気がする。もしかしたら、私達がここで学んだことの中に、障害者の「自立」「共生」のあり方が見いだせそうなきがしてならない。
 対策本部や民生局との話し合いの中で、何一つ具体的な支援のないまま、6月25日、垂水障害者支援センターを閉じることになった。何も問題がなくなったから閉じるのではなく、被災した障害者がこれから抱えるであろう問題は積み残されたままだ。高速道路、ビル、車道等は驚くほどのスピードで再生していく。なのに私達が毎日踏み締める歩道は、あちらこちら大きな凹みのため車椅子では危険を伴い、未だに手つかずのままだ!
 その事をこれから先、私達は注意深く見ていく必要がある。今ある問題を自らの問題として・・・・
鞍本長利

[写真あり 省略]


神戸の街は

被災障害者センター『障害者による復活・救援活動』より

障害者の声はどこへ≪第49信≫

 6月30日神戸市が「市復興計画」を発表した。全211ページにもわたる計画書で「目標別復興計画」「安全都市づくり」「市街復興計画」など6つの章で構成し、事業数は一千。被災地障害者センターでも近く全文を入手する。
 まだ目を通したわけではないので7月1日の新聞情報でしかないが、正直言って「わたしたちの復興計画要望書、障害当事者の視点に立った復興計画はどこへ行ったの?」と思わざるをえない内容だ。やはり経済、産業最優先の計画、「近代都市を再生することが正である」と言っているようにしか写らない。
 仮設住宅・復興住宅どちらにしても具体的に障害者市民が望んでいる具体的な施策はどうしても伝わってこない。例えば「良質な住宅の確保」の施策では「高齢者に対する住宅支援」としか書いていない。わたしたちの欲しいのは障害者、高齢者も含めて全ての人が安心して住めるように対応できる住宅をつくることである。
 「障害者、高齢者が地域で当たり前に暮らせる街づくり」を掲げながら具体的な施策となるものは、施設の増加と強化。個々の「生活」と向き合った柔軟な指針ではなく、いわゆる目に見える「事業」でしかない。本当に地域で生活できるために今実在する壁を認識し変えていくための具体的な方向を今だからこそ示せるはずではないだろうか。
 とにかく全文を入手しないことには、はっきりしたことも具体的な指摘もできないが、神戸市に対してわたしたちは要望書を提出したことは確かで、それに対しての返事もないままに計画を打ち出してしまうことに不信感をおぼえる。当事者の声を謙虚に受けとめる姿勢が感じられないことに腹が立つばかりだが、とりあえず、これからもじっくりと復興計画なるものを読み、行動していきたい。
 障害者市民が望んでいるのは、震災前と同じ神戸ではないのだ。
 これからもひとつひとつの問題点について情報を発信していきたい。

市民福祉復興プラン発表≪第51信≫

 神戸市より7月19日『市民福祉復興プラン』が発表され、被災地障害者センターではそのプランを入手しました。
 中身ですが、大枠は今まで実施していた制度の充実や、施設の増設などをあげていることが目立ちます。ホームヘルパーの増員など「新ゴールドプラン」の中で打ち出されている施策をそのまま使ったものも多く、独自の施策があまり見当たりませんでした。
 その中で特に目についた計画は、

あと、まちづくりに関しては、

と、強気のようでどうも弱気を垣間見させてくれる内容でした。
 これはあくまでも計画であって実行できるかは今からです。少しでも障害者の立場、視点に立った計画が実施されるためにもこれから声を発信していきましょう。
 この「市民福祉復興プラン」を詳しく知りたい方は被災地障害者センターまでご連絡ください。お渡しできます。(▼救援本部でもお渡しできます)

被災地障害者センター
 神戸市兵庫区湊町4−2−12 リピース湊川202号
 TEL 078−531−9511
 FAX 078−579−0213

それぞれのはやさで≪第48信≫

 被災地障害者センターに関係している神戸のグループの活動は、3月はじめからそれぞれのペースで再開されました。震災直後、行政より何より小規模作業所やデイセンター、グループホームが本当によく動き、いち早く一人一人障害者のニーズに合わせた救援活動を展開したことは言うまでもありません。その後も地域に根ざし、炊き出しや物資提供などを行ない、わたしたち被災地障害者センターのボランティアも少しだけお手伝いさせていただきました。本当に頭が下がります。今も被災地障害者センターからお手伝いにいかせてもらっているグループを少しだけ紹介します。

 シティライトには、K君の定時制高校通学のガイドヘルプを含めてNさんとMさんの二人が専属的にお手伝いしています。お店の方は震災の影響で固定客が減ってしまい、やり繰りが大変そうですが、全国的な繋がりをフルに活用し「ガッツやKOBE」のTシャツ販売を積極的に行なっています。作業所のほのぼのとした雰囲気が一度行ったらやめられないみたいです。

 六甲デイセンターには、毎日お手伝いに行っています。六甲デイを利用している人が個人的にボランティアを求めていることも多く、六甲デイはボランティアも交えていつも賑やかです。利用者一人一人が介助者を募るために頭をひねり、ビラ配りなどを積極的に行なっています。それにしても職員さんは毎日忙しく動いていて、「なんとかしよう」という熱意を感じます。

 いち早く地域で炊き出しを行ったくららベーカリーは、それで名前を知られたこともあり大繁盛しています。新長田の一帯はあいからわず焼けた跡が痛々しく残っています。その辛うじて焼け残った市場の中にあるくららベーカリーは区画整理の対象地域でもあります。いつ市場を出なければならないか分からない不安を抱えながら活動しています。しかしそんな不安をよそに毎日楽しく新しいパンの開発に励んでいます。地域のボランティアも定期的にお手伝いさせてもらっています。

 グループホームたろうは、週3回のナイトケアに入っています。たろうに住む人たちとワイワイガヤガヤ食事をつくり、ゆっくりした夜を過ごさせてもらっています。また土曜日と日曜日はボランティアの宿舎として提供していただき本当に助かっています。風呂もあるし。現在三宮の専門学校に在学中のS君(被災地センターで2カ月間ボランティアを続けています)が週一回定期的に泊まって、たろうから学校に通っています。

 「作業所が、障害者が地域で暮らしていることをアピールしよう!」を合言葉に様々なかたちで地域へ打って出た成果が、少しづつだけれども着実に見えてきたような感じがします。何よりもわたしたちに元気を与えてくれるそれぞれのグループが、ゆっくりとしたペースでなにか作ってくれそうです。被災地障害者センターもセンターの色を出しながら応援し続けていきたいと思っています。

ボランティア大募集!!

正直言ってこのが最後のチャンス。ボランティアが殺到することを切望する。ほんとうにひとりひとりの生活をつくっていくのはしんどい。今のままでは人的にも圧倒的に不足している。特に、地域のボランティア。地震によるボランティアをきっかけにしながら、時間をかけて、長期的な障害者の自立生活支援に移行していこう。県外のボランティアは能動的なつなぎとして後方支援に徹してくれる方2週間以上で大歓迎!!
神戸・西宮・尼崎へ連絡してください。

復活をめざす障害者たちはあなたを待っている! 被災地にエネルギーを!!
(ブームで終わらせたくない!)
(つながりをひろげてネットワークをつくろう!) 


西宮の近況と今後

半ば専従の僕の立場から

 阪神障害者解放センターの久保です。僕は震災後2月初めから、ここの震災ボランティアとして避難所で活動してきました。現在はそこを離れ、門戸厄神第2駐車場のテント村で福永さんをはじめ、他の障害者のメンバー、僕と同じように地震後に集まった仲間たちと試行錯誤の毎日を過ごしています。僕自身は大学の方もあるので週の半分ぐらいテントやプレハブで夜を過ごしています。
 僕らの組織の活動も当初と比べれば大きく様変わりをしました。ティピィやパオをはじめとするいかにも人目を引く、しかし正直手間のかかるテント生活の中で、楽しくもありしんどくもある毎日。以前は700人以上も来てくれた(そうなんだよねえ)ボランティアも、今では固定メンバーごく数人とたまに来てくれる懐かしい顔や新たな息吹との出会い。福永さんたちの目指す活動のサポートやその他日常生活の介護に追われながら、何か満たされない気持ちが心の中に残っている。もう地震から半年も経ったというのに未だに地震前の生活を取り戻すことのできない仲間や町の人々。全壊後、仮設ながらスタートし始めた作業所の再開に関わる仲間たち。避難所を離れて、ここで直接被災者の方を目にしなくなった分緊張感が薄れたとは言わないが、少しまわりを見渡せば遅々として良くならない状況を実感できる。もう少し自分自身パワーが欲しいし、みんなの協力や積極的な他組織との関係作りなしではすぐ消えてしまいそうな火がここにはあるように感じる。
 多くのことを僕らができる訳はない。僕らは障害者や高齢の方に特にスポットをあてながらこれまで援助をやって来たし、多方面の協力を得ながらいくらかの貢献もできた。これからも僕らだからできることを探してどんどん実行していきたい。夏休みになって多くの人がまた集まってくれたら、介護派遣サービス先の呼びかけと救援活動を含めた仮設住宅訪問をみんなで実施できるだろうか。イベントで言えば、今は市内の大規模な仮設住宅をまわっての月1回のチャリティバザーが精一杯だけど、ここの地の利を生かした活動を中と外バランス良く展開していきたい。

土地をさがしています

 阪神障害者解放センターでは、門戸厄神のご好意を得て、駐車場にテント村“らくだ はらくか?”を建てて活動していますが、梅雨と曇さでもう限界です。何十件もの不動産回りをして、事務所兼障害者の住居にする物件をさがしもとめましたが見つかりません。メンバーはくたくた。頭は真っ白。
 どうか、こころあたりのある方、ご協力ください。
 西宮市内事務所兼住居あるいは土地をさがしてください!
 2年間ほど土地・物件を貸してくださる方 ご連絡、お待ちしています。

阪神障害者開放センター らくだはらくか?
西宮市門戸東町2−59−1
TEL&FAX
 0798−53−9449
 0798−53−9426


今こそともに生きる社会を作りましょう!
ボランティア、再び募集!!

皆さん、こんにちは。最近雨が降ったり、蒸し暑い日々が続き嫌な気候ですが、いかがお過ごしでしょうか?私達、阪神障害者解放センター・らくだはらくか?のスタッフは、ぼちぼちやっています。阪神大震災があってからの3〜4カ月の間に、西宮災害対策本部、大阪障害者救援本部にボランティアとしてご参加誠にありがとうございます。

(中略)

 今、次のような問題が出て来ています。例えば、地震前は家族の人達に生活介護をやってもらっていた人で、この地震で母親を亡くし、お姉さんもケガで介護できない状況になり、どうしても、家を出て介護者と共に生活をすることが必要とされている人や、地震前は介護者と共に銭湯に行ったり、自宅でお酒を飲んでいたのに、今は仮設住宅に入りなかなか介護者が見つからず、いつも独り寂しく仮設で生活している人などの介護ニーズが増えつつある状況になっています。

 今後、次のような活動を展開していこうと考えていますので、ご協力お願いいたします。
(1)西宮市内の仮設住宅訪問・ニーズ調査
(2)(1)の調査結果からの障害者・高齢者に対する介護者派遣
(3)西宮市内での復興イベント・バザー等の計画、実施

(1)など詳しい内容については、阪神障害者解放センターに問い合わせてください。


尼崎だより

みんなの労働文化センター通信『ぽれぽれ』より抜粋させていただきました

民間の賃貸住宅に「弱者優先」はない

 尼崎市内には2250戸の仮設住宅が建っています。その内の4戸にうちのメンバーがいるわけですが、市内のほとんどの公園(40数箇所)が仮設住宅で埋まっています。ブランコと砂場しかない小さな公園に8戸だけ建っているという所も5カ所ほどあります。尼崎南部の公園には、野球場もテニスコートも全部つぶして約460戸が建てられ、異様な雰囲気のエリアになっています。
 尼崎市でひどい住宅被害があったのは、ほとんどが築20年とか30年の古い家でした。特に文化住宅(2階建の長屋)やアパートがひどかった。うちのメンバーはそこに住んでいました。仮設住宅の第1次募集の時優先入居ということで高齢者や障害者、生活保護世帯、母子家庭、失業者などの条件がつけられたのですが、第1次の決定は1027軒。約半数です。仮設住宅の入居期間は2年。その間に、手の届く家賃の家が再建されるのでしょうか。すごい競争率になりそうです。うちのメンバーは地域に戻ってこれるのでしょうか。すごい不安があります。
 復興していく街のニュースが流れたりしますが、私たちには実感がありません。周辺は、解体されていくかつての住居ばかりです。私たちには、今後少なくとも7軒の家が必要です。親と同居しているメンバーも親の高齢化にともない、いずれ自立しなければなりません。2LDKとか3LDKのマンションは要りません。一人暮らしのできる狭くても安くて優しい家がほしい。

一刻も早くここを出たい

 雑居工房は、’89年の不審火による火災で焼け出され半年後に苦肉の策でたどり着いた橋の下にあります。地面と道路のすき間(2メートル足らず)を、ベニヤ板とトタンで囲っただけの仮設の作業場です。仮設のままでもう5年半がたちました。これまでも、頭上の道路を大型車が走るとガタガタと壁が揺れていました。ところが今回の地震で橋の連結部が切れ、段差ができたために、今では小型車が通っても地面ごと揺れます。

大胆な夢を見て大胆に生きるのが私たちの役目

 八方ふさがりの状態を一挙に解決できる大胆な夢を追及してみることにしました。
まず、50〜60坪の土地を借りる。もちろん、小中島に。
そして、1階が作業所とテナント、2〜3階には1LDKくらいのバリアフリーのアパートが10軒ほどの低家賃の賃貸住宅を建ててしまい、その管理運営を作業所の仕事の一つとする。
もちろんエレベーター付きで各戸は独立した住居である。同じ建物の近所同氏としてそれぞれに生活するわけで、いざという時には心強い。
さらに、作業所は障害者の自立センターの役割も果たす。
どなたか土地貸してください。

みんなの労働文化センター・雑居工房
 尼崎市小中島1−10−8地先
 TEL 06−497−3010
 FAX 06−497−2105


街頭カンパ、まだまだ続けます。(応援に来てね!)

大阪編 

ご支援ありがとうございます。

今までの経過報告します
2月5日 なんば ¥1,174,992−
3月5日 なんば ¥622,349−
12日 天王寺 ¥743,630−
19日 なんば ¥491,149−
26日 天王寺 ¥625,647−
4月16日 天王寺 ¥485,605−
5月14日 京 橋 ¥288,330−
6月4日 京 橋 ¥230,176−
25日 天王寺 ¥352,147−
7月2日 梅 田 ¥102,908−
 
募金総計 ¥5,116,933−

■6月25日(11:00〜18:00)
参加団体/がらくた馬力(しよう会)、ポッポ、めざし(しよう会)、応援センター、Tハウス、枚方・障害者労働センター、つばさグループ、マッサク・・・計26名

■7月3日(11:00〜16:00) 参加団体/茨木しよう会・どかどか、ポッポ、応援センター、枚方・障害者労働センター、川西あかね、東部障害者労働センター、大東フレンドハウス、マッサク・・・計29名
大雨のため、PM4:00で打ち切りました。おつかれさま!!

■大阪市内の救援カンパ活動は、なるべく無理をせずに、だれでも永続的に賛同・参加できる支援活動として位置付け、8月以降も月1回ずつ続けていくことにしました。今後の予定は
8月6日(日)No More HIROSHIMA!! 場所は検討中 お問い合わせください
9月3日(日) 未定 10月1日(日) 天王寺 11月12日 天王寺
12月3日(日) 天王寺 12月24日(日) クリスマス・イヴ!未定
'96年1月14日(日) 天王寺 2月4日(日) 天王寺 3月3日(日) 天王寺

 


(c) 1995兵庫県南部地震障害者救援本部 (デジタル化:神戸大学附属図書館)
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