KSKQ障害者救援本部通信, No.11(1995.9.27号)

兵庫県南部地震障害者救援本部

1995.12.23. - 12p

請求記号:震災-7-z27


速報!! 神戸市交渉

言い訳に終始 オールラウンド交渉で具体的な追及を!

 被災地障害者センターと障問連(障害者問題を考える兵庫県連絡会議)が5月末に神戸市長と神戸市教育長宛に提出していた、「阪神・淡路大震災『復興計画』に関する要望書」に対する回答と交渉が9月18日にこうべ市民福祉交流センターでおこなわれ、神戸市・西宮市の被災障害者を中心に40名弱が参加した。(「要望書」は通信No.8&9に掲載)
 交渉は、要望書の3『「復興計画」への要望』を中心に行われ、各項目について心身障害相談課長・育成課長が回答し、その後質疑・意見交換という形で行われた。
 細かい各項目に関する回答はここには書かないが、おおまかに言うと「ご立派な行政的回答」であった。
 例えば(2)5.小規模作業所・グループホーム・デイセンターなどの地域拠点の社会的役割の評価の見直しと長期的な特別措置による援助、に関しては、「震災後行政の手の回らなかったことの活動に対して評価している」としながらも「ごくわずかではあるが作業所に対しての家賃補助(月に1万円らしい)をしている」だの「全身性介護人派遣事業の時間枠を96時間に増やした」だの、もうひとつこちらが要求していること・言いたいことと回答がかみ合わない。
 行政的にはそれ以上言えない部分もあるのだろう。が、「機械的に美しい」回答かもしれないが「やる気やエネルギーを感じる」回答ではなかったのは確かである。
 (7)「新長期計画」の策定、見直しについても、「平成7年(今年?)実態調査をすることになっている。その際はまたご協力をお願いします。」・・・本当にちゃんとやってくれるの?どうせアリバイ的にちょこちょこっと聞いて終わりじゃないの?と、うがった見方をしてしまう。「徹底的に意見を聞いて反映に努力します」ぐらいの回答はできないものなのか?と思ったのは私だけではないだろう。
 その辺の「イライラ」が質疑・意見交換になると噴出した。
 阪神障害者解放センターの福永さんからは「震災後行政は障害者に何をやってくれたか!避難所のことは!介護者のことは!その間がんばっていた作業所等の項目に対して、家賃補助や時間を増やしたとかよう答えたな!」…etc.
 「イライラ」は市側も感じている。例えば「本来、仮設住宅は市町村の管轄だが、今回は県の担当になった。避難所や仮設について手を打とうにも、すりあわせに時間がかかった」「(相談課長自身)震災後4週間、救援物資の担当になり、本来の仕事ができなかった。災害時に民生局の人間が応援部隊になっているところは神戸市に限らず多い。マニュアル自身を今見直している。」
 しかし、その辺を考慮したとしても、やはり行政の動きは遅かったし、また障害者・高齢者などに関しては「上からの考慮」の対象であり、決して「同じ高さの視点からの提起」ではない。もちろんそれがわかっているから、このような交渉を設けたのであろうが…。
 その「ズレ」を埋めるためにも、障害当事者の計画段階からの参加ということを実現しなければならない。そのことも含め、次回のオールラウンド交渉でもう1度じっくりやりましょう、ということでこの日の交渉は終わった。
 交渉後、司会を務めた被災地センターの大賀さんから、「被災地の民生の予算はのきなみ削られるであろう。部局の予算の取り合いで非常に苦しいだろうから、1つでも何か取りたいと民生局は思っている。運動の圧力も借りたいと思っているのが本音ではないか。しかし私たちの運動の反省も含めて、いかんせんまだ声が小さいのが実情である。オールラウンドは予算の決まる前、11月に県と市と両方やりたい」とのまとめ(?)があった。
 圧力をかける意味でも、また次回の交渉で何を勝ち取るかが、今後起こりうる災害時の「障害者の生活」を左右するかもしれないという意味からも、オールラウンド交渉には被災地・兵庫県内はもとより、大阪を中心とする他府県からの大動員が必要なのではないか。

全障連関西ブロック 西尾元秀

 住まいを失い、余儀ない理由で共同避難所に身を寄せた避難者たちは、一月以来のショックに加え、厳寒、酷暑の長い時間を劣悪極まりない環境に耐えることを強いられた。心身の疲労は極限に達している。
 いまそのとき、神戸市は、一片の張り紙で避難所閉鎖を強行し、食料供給を打ち切り、テント村・公園からの立ち退きを通告した。
(略)

 この間、避難者救済に当たるべきはずの行政は、避難者を指して「公共の施設に居座る厄介者」「道理の通用せぬわがまま者」「自助努力しようとしない怠惰者」など、歪曲されたイメージの増幅に一役買ってきている。
 マス・メディアを介して伝えられる神戸市幹部らの言動は、避難者が放置された環境に対する無理解にとどまらず、市民社会を敵視する挑戦的言辞に満ちていた。
(略)

 以上のように、神戸市の行政当局は、救いを求める避難者に対するに、救済でなく、排除と追放と棄民政策をもってした。
明らかな「人権侵害」の日常が被災者を囲い込んでいる。
(略)

『世界』10月号“人格再興のまち・神戸をつくろう”より一部抜粋
 

本が出たよ!!

[本の写真あり 障害者たちの144日 省略]

 ものすごくインパクトのあるタイトルにまず引き付けられる。
 この本は、“LIFE REPORT”として前々号の通信No.9で記事を寄せてもらったえんぴつの家・ライフデイケアの所長をつとめる鞍本さんが、避難所に避難したくてもそこでくらすことのできない障害者たちのために、垂水養護学校(神戸市垂水区)のA教室を解放させて『垂水障害者支援センター』を開いてから閉所するまでの、センターを支えで来た人々の記録である。
 ここに集った延べ400人のボランティアと、職員と、障害者たちは、1つの大きな家をつくってゆく。ただ障害者の介護をしながらいっしょに暮らす、というのではなく、枠を超えた、まさに共生というものが、かかわったみんなの手で、育てられていたのだ。
 こんな本はほかにはないぞ!
B5判・190ページ
頒価 1,000円(送料別)

救援本部に連絡ください!!


事務所の窓から no.1

救援本部事務所は大阪城の東側に位置する城東区にある。北東4kmには花博会場だった鶴見緑地が広がる。一番近い駅は地下鉄中央線「緑橋」。
 周囲は小さな家が肩を寄せ合って建っている。懐かしい路地裏、車の入らない通りがけっこうあり、家の前には丹精の植木鉢が列をなして並べられていたりする。近所に保育園があって朝になるとママチャリの荷台の上で大きなあくびをしている子どもたちに出くわす。
 事務所は中華料理屋の裏手で、窓を開けると鳥の空揚げやニラレバのかぐわしい香りが漂ってくるのだ。
 建物の形としてはいわゆる「文化住宅」の一階。遠来のお客様は「救援本部」の大層な名称からして五階建以上のビル内に違いないと誤解なさり、地図を片手にしきりと目線を高く看板を探されるので、なかなかわが救援本部事務所には辿り着かず、隣の白山飯店前の公衆零話から「一体どこにあるのか?」との救援発信が出されるのだ。目線を下ろせば即座に「救援本部」としるされた厚紙利用の表札が目に飛び込んでくる。
 事務所の広さはドアを開け足を踏み入れてから約七歩で隣との境界線を踏むという位のもので、そこにコピー、印刷機、パソコン、事務机、書棚、点字プリンター、スタッフ、及びねずみたちが各自の専有権を主張し合っている。まあ一度お越しあれ。できれば毎月末に繰り広げられる通信発送作業の喧噪のただ中に!
 これから事務所をゆきかういろんな話題をお伝えします。
 ではまた…。

(事務所のねずみより)


 
9月26日、JR西日本に要望書を提出します。
 今回の大震災で、阪神間の鉄道の駅や線路が大きな被害を受けました。復旧のスピードは速いですが、残念ながら障害者に配慮したものとはなっていません。
 障害者は復旧ではなく「復活」を望むのです。
 今こそ障害者の声を鉄道各社に強く届けましょう。
 
1995年9月26日
西日本旅客鉄道株式会社
社長 井手 正敬 様
兵庫県南部地震・障害者救援本部
代表 楠 敏雄
全障連(全国障害者解放運動連絡会議)関西ブロック
代表 石橋宏昭

要望書

 貴社におかれましては、「阪神・淡路大震災」からの復興にご尽力のことと存じます。
 私たち、障害者救援本部と全障連関西ブロックは、去る1月17日の兵庫南部地震以降、被災障害者の救援と復興への支援活動を行ってきました。
 ご存じの通り「阪神・淡路大震災」は未曾有の被害を市民にもたらしましたが、障害者・高齢者は、より一層の困難・労苦を強いられることになりました。特に、交通機関が寸断される中、運行された代替えバスはリフトやスロープの設置など障害者の利用を配慮したものとならず、そのため、障害者にとっては何一つ「代替え」足るものではなかったのです。
 今回の震災の教訓の第一点として災害時・緊急時において、障害者等に配慮した方針・対応の不備があげられます。
 震災後半年以上が経つ中、鉄道は復旧してきておりますが、私達障害者にとっては「元の状態」に戻すことではなく、今度こそ障害者や高齢者など誰にとっても利用できる鉄道・駅になることが肝心なことなのです。つまり、もう一つの教訓として、復興の過程で障害者の利用に配慮した方針で事業を進めていくかどうかが問われているわけです。これらは、いずれもJR西日本の基本方計に関る事項に他なりません。

 ご存じの通り、震災以前から、貴社の各駅においてはエレベーターやスロープの設置、人員の配置等が十分行われておらず、障害者にとっては利用しづらい状態が続いていました。今回の震災の被害は本当に痛ましいものです。しかし、その痛みを乗り越え、駅舎を建替え・改築を進めていく機会と捉え、エレベーターやスロープ、拡幅改札、車イストイレの設置、駅員の配置等を積極的に行っていくことが必要です。
 ご存じの通り、運輸省のエレベーター整備指針では「新築又は大規摸改造を行う駅でスロープにより段差を解消できないもの」には、ホームから改札、通路までのエレベーター設置を義務づけています。また、同様に、今回被災地域となった兵庫県・大阪府ともに、「福祉のまちづくり条例」が既に制定されており、いずれも「垂直移動が必要な鉄道駅舎についてはエレベーター設置は整備基準(必要な設備)」となっております。
 これらの指針・条例からしても、今回の震災の被害を機に建て替えを進めている駅舎については、当為エレベーター設置が社会的に要請されています。
 すでに、同じ震災の被害を被った阪急電鉄では伊丹駅等ではエレベーター設置の方針を明らかにしてきており、さらには単にエレベーター設置に留まらず、アメニティ(快適さ)をも追究したモデル的な駅舎づくりを進めていく計画であると伝えられています。
 JR西日本におかれましても、こうした例にならって、今回の震災からの復興事業を、今後のモデル足りうるような方針を策定して進めていかれることを、私たちは期待するものです。
 以上の認識に立ち、以下、要望いたします。

要求事項

1. 「阪神・淡路大震災」で問われた緊急時・災害時における障害を持つ利用者に対する貴社の方針・対応を明らかにすること。
 とりわけ、代替バス等の運行に当たってはリフト付きバスやノーステップ・超低床スロープバス等、障害者をはじめ誰もが利用できるものとすること。
2. 「阪神・淡路大震災」からの復興事業に関連して、設備や駅員の配置など障害者の利用の配慮についての貴社の方針を明らかにすること。
 その際、運輸省エレベーター整備指針や兵庫県・大阪府の「福祉のまちづくり条例」を順守すること。
3. 現在、復興工事が進められてきている、JR神戸線・六甲道駅・新長田駅、並びに芦屋駅−摂津本山駅間に建設予定の新駅についてのエレベーター、並びに人員配置の具体的方針を明らかにすること。
4. 緊急時・災害時に障害者に対する避難誘導など適切な対応が取れるようにすることはもとより、障害を持つ乗客・利用者の人権に配慮した対応を平時から行うべく、職員研修を行うこと。
5. 今後、新築駅・大規模改造駅はもちろん、既存駅の改善計画策定に当たって、以下の項目について障害者団体等との協議に応じられたい。
(1) 電車とホームの段差の解消のため低床車両の導入、車内の段差解消、出入口の拡幅等、車いすでも利用しやすい車両の研究・開発を行うこと。
(2) 駅舎内の段差解消、点字ブロック敷設、駅の構造がわかる点字案内版設置。券売機と料金表の位置を下げ各々に点字案内設置などを行うこと。改札口は一般改札口すべてを車いすで利用できるようにすること。知的障害者にとっても分かりやすい設備表示の開発・設置を行うこと。
(3) 一般男女トイレ内に各々車いすで利用できるトイレを設置すること、視覚障害者に男女トイレの区別ができるようにすること。
(4) 視覚障害者、聴覚障害者、盲ろう者に対して駅構内・ホーム・電卓・バス内において文字(点字を含む)および音声による行き先案内表示、特に緊急時、トラブル発生時の説用・誘導を徹底すること。
(5) 障害者や高齢者などすべての利用者に対するサービス向上のために、駅のホームに駅員を配置し、乗客として障害者や高齢者の人格を尊重する対応をすること。
(6) 路線バスのリフトバス化を進め、停留所の整備を進めること。

伊丹REPORT

あの震災からあっ!という間に過ぎた数カ月!!

[写真あり 省略]

 あの想像もつかない、大震災から半年以上が過ぎ、あっと言う間に1年も過ぎでしまうでしょう。
 震災のあの日はハンディがあるないにかかわらず、全ての人々がパニック状態だったと思います。あの震災の日を振り返ってみると、一番冷静に行動できたのは、障害を持った私たちではなかったでしょうか。日々の生活が、常に不便で、がまんの生活で、耐えて生活していた私たちだったから、ライフラインや、アクセスがストップしても、一般の人々のように騒ぐこともなく行動ができたのです。
 私自身も、自宅が半壊するという被害を受け、震災直後より、避難生活が始まりました。約5ヵ月を避難所で過ごしました。2日間は、友人宅に居候し、3日目より、行政と交渉し障害者センターに避難しました。
 しかし障害者センターは市の指定の避難場所ではなく、市の指定避難場所指定にしていただくように交渉するのは大変でした。どこの行政も縦割行政で、上の指示がなければと、数日に渡る交渉で、6日目より、障害者センターが指定避難場所になりました。行政の動きに常々からも不満はいっぱいありましたが、この時だけは、腹が立ち、大声で文句を言いました。火事場のバカ力ですネ。
 この震災で私たち障害者に何が必要だったのかを、この数カ月を振り返っで考えてみると、与えていただく迄、待つのではなく、自分自身を守るためには、自らが動きを持つということの大切さを感じました。自力で動けない人も、声をあげられない人も、自分自身の考え・意思表示は何らかの方法でできるはずです。その思いを、誰かに頼んでもいいから動いてもらうことです。避難所生活をしていて思ったことですが、自分で動ける人であっでも、人任せで何もしないという人が多かったことです。どんな時も自分の思ったことは、だめで元々と考え、やらずして諦めるのではなくやって見るということが必要なんだと今迄以上に感じたことも確かです。この体験をきっかけに、どんなことにもぶつかって行こう、やって見ようと思えるようになった。ただ転ぶのではなく起きた時につかんだ宝物のように思います。今迄の自分自身の活動に対する反省もできました。
 あの震災で倒壊した阪急伊丹駅の新設という、目を背けることのできない問題に、障害当事者としての大きな役割があるのではという思いを持ちます。行政も阪急もバリアフリーの駅造りと謳っていますが、全面的に任せて与えていただいたものをガマンして利用するのではなく、障害を持つ当事者として意見を出していこうと思っています。同じような思いを持った仲間数人が集まって、行政、阪急に交渉して行こうと現在話を進めています。このような交渉も震災体験と同じく初めてですが、勉強をしながら少しづつしっかりと私たちの思いを固めて行こうと、わたし自身もですが、数人の仲間も燃えています。途中でその炎が消えないようにしっかり意見を出して行きたいと動いています。日本一の、誰でもがあたりまえに利用できる駅に向けて、仲間と力を合わせ前進しています。第1歩として、行政と阪急の交渉を平行しながら進行しつつあります。
 これから様々な壁があるでしょう。しかし、妥協せず、また諦めず根気よく動いて行きます。困った時には支えてください。がんばります。この震災で被災された皆様、あせらずに、ボツボツと元の生活に戻れるよう、支えあいがんばりましょう!
ドリームポップコーン
 副会長 加藤作子
 

救援本部からのお願い

被災『障害者の声』を集めています

 酷暑が通り過ぎ,風が秋の気配を運んでくるようになりました.あの阪神・淡路大震災から8カ月以上経過し、街の様子もずいぶん変わりました.復興計画や災害に強いまちづくり等々,各方面でいろんな動きがありますが,依然として厳しい生活環境の中で苦労されている方も数多くいらっしゃいます。
 この度,有志で『阪神・淡路大震災障害者の声』という記録の編集を始めました.この趣旨はとかくこのようなまちづくりの中で声の届きにくい障害者の人たちの阪神・淡路大震災による生活環境の変化と現実の生活に対するさまざまな意見を多くの人々に正確に伝え,今後のまちづくりの中で災害に強いだけでなく,真に人にやさしく,すべての人にとって住みよい環境を実現するための基礎資料として活用していただこうとするものです。
 大震災のために,多くの障害をもった人たちが,自分の生活する地域を離れ,親類・知人宅に身を寄せていらっしゃいます.その数はいまだ行政でも把握できないほどです.そのような被災地から離れて暮らさざるを得ない障害者の声を伺いたく,ご本人あるいはそういう方をご存じの皆様の参加・協力をお願いする次第です.内容や形式にあまりこだわらず、自由にありのままに人に語りかける「阪神・淡路大震災についての障害者の声」としてお聞きしたいと思います.身体的,あるいは知的障害によってご自身で記録できない方からの声の聞き取り・書き取りや絵なども,ぜひお寄せください。
 このお願いはより多くの方に参加していただくことを基本にしており,紙面の都合上必ずしも全文が載らないことや収録されない場合もありますが,提出していただいた文章や絵や写真はできるだけ忠実に掲載できるよう,またご意見の趣旨が伝わるような編集をめざして努力したいと思っています。
 以上の趣旨をご理解いただけましたら,原稿作成方法等をお伝え致しますので,救援本部までご連絡ください。

救援本部のリーフレットを置いてください

 地域で自立生活を復活しようと奮闘する被災障害者の状況をより多くの方に知っていただき,息の長いご支援をお願いするために,被災障害者の窮状と救援本部の活動を載せたリーフレットを作りました.全国の公民館,図書館など人の集まるところへ置いていただき,たくさんの方が関心を持つきっかけになればと思います.置いてくださるところをお知らせください.その他被災障害者のためのさまざまな活動のためにお使いになりたい方もご請求ください.まとめてお送りします。
1色刷り B4 4つ折り 写真入り!

[写真あり 省略]


わたしにもできる被災障害者の応援

 秋です!気持ちのいい風が吹いて来て,どこかへ出掛けたくなりますよね。出会いと優しい品々を求めて,被災地へいらっしゃいませんか。
 これから,阪神間の被災した作業所やお店を少しずつ紹介して行きたいと思います。電話すれば,商品を全国発送してくれるところもあります。気軽に声をかけてみてください。

この街の灯りとなるように
みんなのお店 共同作業所 シティライト

 就職の道を閉ざされ,住宅か施設かをせまられる障害者が,この街であたりまえに生きていくための仕事づくりを目指しています。お店では自然食品や無農薬野菜などの販売を通して地域の人々との関係を深めています。作業所では牛乳パック・アルミ缶のリサイクル,牛乳パックを再生して作った手漉きはがき,さをり織りなどをやっています。
 今回の震災で,お店・作業所の建物は無事,メンバーも無事顔を合わすことができました.しかし,倉庫が全壊,シティライトを支えてくださったお客様やボランティアが被害にあわれ,以前のようには仕事ができなくなってしまいました。けれど,私たちはへこたれません。障害を持つ者も持たぬ者も共に生きていくことを目指して,これからもがんばっていきます。
 みなさまのご支援,おねがいします。
 お店作業所へぜひお越しください。
メンバー一同お待ちしています。

◆問い合わせ◆
〒652 神戸市兵庫区荒田町2−18−23 パークサイドマンション1F
電話 店:078−521−7213 作業所:078−579−1470

[写真あり 被災を乗り越え、宅配業務を再開したシティライト(6月21日毎日新聞) 省略]


ラーメン食べたぁい!!

 前号の通信No.10でお知らせした故・浜根賀津子さんのお連れあいがやっているラーメン屋さんです。
 わたし(K.K.)が訪れたときは定休日で,ラーメンを食べそこなったのですが、いっしょに夕食をごちそうになりました。(焼き肉,おいしかったわあ!)

ぜひみなさんも出掛けてみてね。

賀津子さんが亡くなられたので浜根氏は大忙しで体調も悪くなっています。人手が足りないのでご自身のなさっている活動も滞っています。元気を出して!と力いっぱい応援したい!!
そこで・・・

菜来軒(さいらいけん) アルバイト募集します

男子1名 原付きに乗れること
時給700円 夕食付 交通費支給
月曜定休 火〜日 17:00〜21:00
仕事は主に出前配達
調理補助もしてくれると助かるよ

◆問い合わせ◆
兵庫県尼崎市常光寺1−12−5
電話06−489−0565 菜来軒・浜根


被災地からのたより

神戸 被災地障害者センターの通信 第54信より抜粋

つながっていこう 〜ボランティア団体の連帯を〜

 神戸には被災後に沢山のボランティア団体ができ、そして消えていきました。しかし、今でもいくつかのボランティア団体が残り、息の長い活動を続けています。現在は主に仮設住宅を訪問しニーズの掘り起こし、情報の往来などが中心。やはり個々で違った要望にできるかぎり答えているようです。
 特に西区、北区と自分の地域から離れたところに仮設住宅は建設されており、そこに引っ越しをするしかすべのなかった人は、まったく知らない土地であるが故に買い物や病院に苦労をし、はたまた狭い風呂に入れないなどどうしょうもないしんどさもあり、これからも続いています。
 障害者は私たちの知らない所でひっそりと、しんどさを訴える手段もなく生活を続けています。私たちの活動のなかで仮設住宅や避難所を一軒一軒訪問しながら多くの要望に答えていきたいという気持ちはあるのですが、現在の活動と同時進行で新しい活動に取り組むのは「これから」のことを加味しても力量不足でそこまでやれていないのが現実です。
 仮設住宅支援など活動しているボランティア団体も一つの団体だけでは全てを網羅できるわけではなく、個々の地道な活動が結集してこそ様々な問題が明確になっていきますし解決の方法も生まれてきます。そこでそれぞれが自分たちのスタンスを保ち、日々の活動を行いながら、別々に活動している団体との情報交換をしていく試みがぽつりぽつりと始まっているのです。
 私たちも、仮設住宅で生活している障害者の状況を知り応援していくためにも、様々な団体とゆるやかな関係を持ちながら情報を収集し、地元のボランティア団体とも共同して、個々の生活状況が改善されるように、仮設住宅での生活はこれからもずっと続くわけですからやはり出来るだけそこに住む人たちの中で支えあえるような繋がりづくりのアプローチをしていきたいと考えているのです。
 私たちボランティアの活動はあくまでも「地域をつくるお手伝い」です。障害者が地域で暮らし易くなるための潤滑油。しゃしゃり出ることなく謙虚に後方支援を、様々な人たちと共に実践していきましょう。

西宮 【阪神障害開放センター『らくだはらくか?つうしん』第3号より抜粋

24ケ月の1年

阪神障害者解放センター代表 福永 年久

 今年の夏は冷夏と言われていたが、なんの、なんの、真っ赤なうそ!毎日35度以上。テント村は45度以上、非常に暑い。そんな夏も終わろうとしている。
 兵庫以外は楽しい夏であったと思うが、我が夏はしんどいだけ!恋愛もないが、恋もないわ。そんな夏が終わろうとしでいる。
 私は去年の末から3週間中国に行っていたため、正月はなかった。年を越えた感じがいっこもない。帰って来てすぐアレがあった。アレがあったから、わけのわからんまま7ヶ月が過ぎたアレは何だうたんだ、人の生き方を変えてしまった。私の生活もなくなり、趣味もなくなり、遊びもなくなった。私の新しい生き方を見つけたんです。これからの取り組みは非常にシビアになってくると思うが、人も増え、楽しいことを計画しながら、みんなの生活を勝ち取っていきたいと思う。
 24ヶ月の1年を早く終わりたいものですね!来年こそ、自分の趣味を復活させたいですね。
みんな、協力をしてくれやぁ!


救援本部会計報告 ご支援ありがとうございます!

あたたかい気持ちの輪が広がっていますよ。

カンパはこのように使われています

 「カンパ合計だけ見ても、毎月の手応えや流れがわからないヨ」というご意見があり、月ごとのカンパ額を上右の表にしました。
 表のとおり、2月がピークで減る一方かと思われたのですが、8月は、個人の方々からのカンパが4月に迫る勢いで寄せられ、月間の総額も約500万円と前月より伸びました。街頭カンパも、炎天の日も南の日も、写真パネルを並べ、マイクでアピールしながら続けられています。被災者支援コンサートなど企画の主催団体各位からも、ご寄金いただきました。カンパ件数は3081件となりました。
 全国の皆様のご支援のおかげで、再生のために常時活動する人の人件費を来年3月まで17名分(つまり、9月までと同じレベルで)支出するメドが立ちました。予想以上の額となり心配していたプレハブの工事費支払いも、どうにかクリアできそうです。住宅問題地域での介助態勢など、震災以前からの問題がいっそう重くのしかかっている中で、兵庫県との交渉もやっと実施されることになり、力を集めていこうとしています。感謝とともにご報告致します。


8月中旬から最近までに届けられたメッセージからご紹介しました。たくさんのメッセージをありがとうございます。
 ニュース発送名簿などはパソコンで管理していますが、各種名簿の完全な統一化・連動ができていないため、住所変更のご連絡をいただいたのに訂正がいきわたらず、ご迷惑をおかけするということがありました。注意はしておりますが、字の間違い等を含めてお気付きのときはご連絡いただけましたら幸いです。(係)

 11月26日(日)AM10:00〜PM3:00 大宮市民会館の西隣りの山丸公園(埼玉県)で 第12回『おおみやリサイクルマーケット』が開かれます。さまざまな障害者団体が参加しており、とても元気が出そうです。第11回の時、「ガンバレ! 阪神大震災コーナー」を特設して、売上金の一部を救援本部に送っていただきました。ここでは、家庭、会社、団体からのリサイクルできる品物や、リサイクルや環境、福祉に関心のある方々の協力を求めています。お近くの方、おでかけください。
 お問い合わせ/おおみや福祉バンク事務局 電話048−687−2173


THE・街頭カンパ

大阪編

街角で今もなお応援してくださる方々に励まされて続けています。ご協力に心より感謝します。
9月3日(11:00〜17:00ナンバ高島屋前)
◎参加者………枚方・障害者労働センター、マッサクぐる〜ぶ、全障連本部、ポッポ、被災地障害者緊急避難所「拓人」住人、Beすけっと(被災地障害者センター)、東部大阪障害者労働センター→延べ12人  とても蒸し暑い日でした。おつかれさま!!
◎募金総額……¥124,898−  ◎9月17日現在 募金累計額……¥5,644,457−
次回は10月1日(日)天王寺 11:00〜18:00 短い時間でもいいから、声をかけ、ビラを手渡し、ぜひ応援に来てください!


発送V(ボランティア)れでぃーす見参(デビュー)!! もちろん男性も大歓迎!

かつては一週間ほどもかかっていた『救援本部通信』の発送作業も、新聞などで呼びかけたところ、たくさんの方がボランティアに来てくださるようになり、とても助かっています.深刻な被災地域を抱える大阪ですが、やはり日々の暮らしに地震のことは埋もれゆくかのように見える中で、毎日自分にできることはないかと新聞記事に目を凝らしているという皆さんの声を聞くと、じーんとうれしくなります。地震の記憶は埋もれているのではなくて、深いところで人々のこころを動かしているのですね。2時間もかけて来てくれる方、他県から訪れてくれる方、自身が被災された方や難病とともに暮らしている方も、何かできることをとやって来てくれます。ここ数カ月はメンバーも定着しつつあり、今月は休みます、じゃまた来月よろしく、などの会話が交わされています。先月は平均年齢…えっ?ないしょ?・・・・の女性ばかりで華やかに(?)に作業をしました。段々慣れてくるとすごい集中力で黙々と手を動かし、なんと2日ほどで全ての発送を済ませることができました。感謝、感謝。みんなのパワーと祈りをこめて全国に送った通信が更に輪を広げて、被災した仲間を支えるエネルギーになりますように。

[写真あり 省略]


編集後記


(c) 1995兵庫県南部地震障害者救援本部 (デジタル化:神戸大学附属図書館)
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