KSKQ障害者救援本部通信, No.12(1995.10.27号)

兵庫県南部地震障害者救援本部

1996.2.10. - 16p

請求記号:震災-7-z27


ようやく動き出した(?)JR西日本!次は当事者参加だ!!

[写真あり 省略]

 10月18日、障害者救援本部全障連関西ブロック連名のJR西日本交渉が行われた。
 今回の交渉は、震災時における障害を持つ乗客への対応、並びに復興事業に関する方針を明確にさせていくことが目標である。
 当日は、被災地からも多くの仲間が駆けつけ、総勢50名の参加、熱気にあふれたものとなった。JR側の出席は、広報室2名・工事課1名・経営1名の計4名、これまでの広報室のみの出席ではなく、少しは具体的な回答が引き出せるかなあと淡い期待を抱くが、2時間ということもあり、要望項目を以下の3点に絞って行われた。

 (1)震災時における障害者への対応、特に「代替バス」の問題など
 (2)復興計画方針の明確化と、六甲道・新長田,新駅についてのエレベータ、人員配置
 (3)障害者の人権に配慮した職員研修

これに対するJR側の回答を要約すると、

(1) 1月23日からJRが全面開通する4月1日まで、お客様の足を確保するためJR西日本系列のバス会社、42社に要請し代替バスを走らせた。しかし、その中にリフト付パスや超低床バスなどがほとんどなかった。可能な限り職員を配置し、障害者の方々の対応に努めた。
(2) 復興に当たっては、エレベーター整備指針や福祉の街づくり条例に基づいて、できるかぎり使いやすいものにしていきたい。新長田駅についてはエレベーターを設置、六甲道(復旧時にエレベーター設置スペースを確保している)並びに新駅に関しては、エレベーター設置の方向で地元の自治体と協議を進めている。(エレベーターは解放型、既存駅についても順次検討)
(3) 当社では、接客・サービスに関する研修を毎年行っている。その一環として駅員を対象に障害者の皆さんへの対応についても指導しており、職場全体の向上を図っている。設備面においては、点字ブロック・案内板・トイレ・改札口・駅員の配置など、できるかぎり分かりやすいもの、使いやすいものにするよう努力していくが、構造上無理なところもあることはご理解頂きたい。

 以上のような不十分なものであったが、これまで数年にわたってJR交渉を経験し、そのつど机上の空論をたたかわせ、苦い思いと脱力感を味わってきた経過から言えば、少しは実のある回答だったといえる。特に(2)においては、えっ?ホント?あの頑なな姿勢を崩さなかったJRはどこに行ったの?と耳を疑うほどだ。しかし、だからと言ってシャンシャンと手を打つわけにはいかない。
 (1)について、要請した42のバス会社にリフト付きや超低床バスがなかったといわれるが、障害者や高齢者も「お客様」ということであれば、その足を確保するために具体的にリフトや低床バスを何台出してくれと要請されたのか?ただ単にバスを出してくれというのとでは意味合いが全然違ってくる。緊急時・災害時におけるマニュアルのなかに、リフト付きや低床バスを確保するということを当然入れるべきで、早急な見直しが必要であると追及。
 JR側は、最初、とにかくバスを確保するだけで、リフトや低床に関しては念頭になかったようだが、我々の追及の結果、“バスの担当ではないので具体的に要請したのかどうかはわからない。報告を受けたのは「42社に要請し、その中にはほとんどなかった」ということなので、これについては事実確認を行い、皆さんに報告する。マニュアルに関しても、見直しは随時行っているが、その内容の詳細は知らないのでこれについても調べておく。”と回答。
 (2)においては、ただ単にエレベーターをつければいいということではなく、本当に使いやすい、利用しやすいもの、乗客として快適に使えるものにしていかなければならない。例えば尼崎にエレベーターがついたが、タイルが敷きつめられているので滑り、特に雨の日などは危険である。やはり設計段階から当事者の参画が重要であり、今後予定されている駅についてはぜひ、障害者団体と協議を積み重ねた上で進めていくことが必要だ。また設備面で言えば、最近タッチパネル式の券売機が導入されているが、これは車いすや視覚障害者にとって、極めて使いにくいもので、どんなメリットがあるのか?と指摘。
 JRとしては、地元自治体との兼ね合いもあり、できることとできないことがある、と当事者参加には消極的な姿勢を示した。券売機については、すべてをタッチパネル式にするのではなく、全体の2割と考えている、と発言。
 最後に、職員研修の問題は時間がなく、具体的に詰められなかったが、参加者から同じように料金を払っているのに30分も待たされたことや、強制的に車両を指定されて乗せられたこと、駅員にホームで放ったかされたことなどが次々出された。
 今回の交渉は、これまでの経過から見れば大きな成果を得、ようやくJR西日本もエレベーター設置をはじめとする改善計画策定の作業に動き出したという手ごたえは得られた。
 今後、エレベーター設置はもちろん、我々の側が、快適に安心して乗れる交通機関の内容やイメージをどれだけ具体的に提起していけるかにかかっているのではないか。
 拡幅改札やホームと電車の段差、視覚、聴覚、盲ろう者等への情報保障、そして、駅員だけではなく、設計関係者も含めた研修やマニュアルづくり等々、どこまで当事者が参加して進めていけるかが重要なポイントである。
 その意味から、新聞紙上でも取り上げられた「福祉モデル駅にする」と言われている阪急・伊丹駅をめぐる動きには注目し、その中に当事者を参加させていくよう、働きかけを強めていかなければならない。
 本当に、使いやすい、住みやすい、快適な「生きたまちづくり」の創造にむけて、今後も共にがんばりましょう!
全障連関西ブロック 筒井 純子

JR交渉に参加して

野橋順子(六甲デイケアセンター)

[写真あり 省略]

 私は日頃JRの電車をよく使っています。でも車イスに乗っている障害者だという事でいつも特別扱いをされて、普通のお客さんだと見られていない事が多いです。だから交渉の中で少しでも私の気持ちをJRの人にわかってもらえたらいいなあと思いJR交渉に行きました。
 JR交渉には障害者の人がたくさん来ていました。JRの電車に乗る上で、障害者と言ってもいろいろな人がいるので困っている点はいろいろ違っていたけれど、全体的に電車に乗る上で、不自由な点がたくさんあるという事で、JRに対しての日頃障害者のみんなが思っている不満がぼんぼんと障害者本人からの声で出ていてすごいよかったと思います。もっとこういう障害者の意見を聞く場というものを作ってほしいなあと思いました。
 私で言えば、ほぼ毎日のように乗っているという事で、階段で行くのは人が六人ぐらい必要で大変なので、横のスロープのある所から行く。それで行ったらかなり時間がかるのに行かざるを得ない。しかも駅員さんについて来てもらわないと行けないので、頼むと駅員さんが来るのに、かなり時間がかかるという始末。障害者の時間をなんだと思ってるんだという腹立たしさをいつも感じる。私はそれを交渉の場で言う事ができてかなり胸のつかえがとれたような気がする。でもそれは一時しのぎであってJR側が本当に障害者の気持ちをわかってくれて、障害者が気持ちよく電車に乗れるようになれないといつまでも障害者の不満は消える事はありません。消えることがない限りJR側はたえず交渉の場をもたないといけないと思います。
 交渉を何回も続ける中で障害者が気持ちよく電車に乗れる事を願っています。


速報 兵庫県交渉10.20
  これが要望への回答? 目を覆う認識のズレ

 被災地センターと障問連が5月に提出していた「阪神・淡路大震災『復興計画』に関する要望書」通信7〜8号に掲載)への兵庫県からの回答が10月20日に行われた。提出側から54人の出席。大阪からも6人が参加した。県側の出席は復興本部、生活文化部、土木部、保健環境部、都市住宅部、労働部、教育委員会、福祉部。
 予定された時間が4時間と少なく、回答も確認も不十分なまま、12月のオールラウンド交渉に持ち越す形で時間ぎれとなった。
 この日明らかになったことは、被災障害者側と行政との認識のズレの大きさだ。
 今回提出された要望は、被災障害者が災害のただ中で直面した深刻な問題点を整理し、それに基づいて、こんな人災は二度とあってはならないとの切実な思いで出されたもので、その重さをどう受け止めるか少しは期待していたが、空振りに終わった。
 指摘された様々な問題点について、担当者は「これもしている。あれもしている。こういうことになっている・・」と列挙するが、地域で日々悪戦苦闘する障害者にとっては、あくまでも机上の紙に書いてあることでしかない。「今そこに在る現実」と余りにもかけ離れているのだ。それが端的に表れたのが保健環境部の回答だ。「『地域医療、福祉のシステムがなかった』と指摘された点についてお答えします。地域医療についてはかかりつけ医制度があり、老人・障害者訪問看護サービスがあり、県下39箇所の訪問看護ステーションがあり、難病相談センターも設置しました・・」と、とうとうと述べる担当者には、それが地震直後にしっかり機能して地域医療の本来の責務を果たしたかどうかの実態に基づく評価すら念頭に無いようだった。「それについてはこういう制度があるから大丈夫」という姿勢なのだ。これにはさすがに抗議の声が挙がった。地震直後から神戸市内の障害者の安否確認に走り回った「えんぴつの家」の松村さんが、「わしら避難所から障害者の家からだいぶ廻ったけど役所から誰も来てなかったぞ。来たんはずっと後になってからや」と指摘すると「え?行ってませんか?保健所は6月末までに計611件の安否確認と訪問をしましたよ。」との返事。それに対して、「それはいつからの話や?」との質問には答はなかった。災害時での要援護者の安否確認や訪問は直後でないと意味がない。混乱の中で指揮系統も失われ、担当者も被災して動けなかったのなら、現行のセンター方式をどう見直すかが問われないといけないのに、実態把握とそれに基づく総括すらしていないのではとすら思える答弁だった。
 復興本部の回答も同じだ。「復興については県民主体で取り組む。復興計画の推進はノーマライゼーションの視点に立ち当事者参加で取り組む。〈すこやか兵庫障害者福祉プラン〉もつくる。教訓を生かして地域防災計画を見直す・・」等々、今ひとつ具体性に欠けるものばかり。何をもって県民主体や当事者参加というのだろうか。「その推進組織に障問連も入るのか?」の問いに答はない。防災計画の見直しについても、どこをどう見直ししているか明らかにしない。今回、高齢者も含めた在宅重度障害者の安否確認が遅れたのは、そのような安否確認、救援の考え方がそもそも無かったからだと指摘される。障害者、高齢者のデータを把握している福祉職が、従来の防災計画では本来の業務でなく救援物資の管理業務などに配置されているのだ。ホームヘルパーの訪問も1ヵ月後だったという報告も数多くある。それについての反省もなかった。
 生活文化部からは、一般仮設住宅の改造や車いすでは移動しづらいじゃり道の一部舗装化や一部バス路線設置などの住環境の改善について市町を通じて行っているとの回答があったが、障害者向け仮設住宅の改造については明言を避けた。
 都市住宅部。復興住宅の1%は障害者向けにつくるとのこと。「1%で足りるのか?必要としている障害者の数はつかんでいるのか?」との質問には、「30から40ぐらい」とのこと。
 住宅管理課。復興住宅の入居については、他の障害者と同じく精神障害者の優先入居及び知的障害者の単身入居も認める、との回答があったことはわずかな救いだったかも知れない。
 教育委員会。避難所となった学校に滞在する避難者については格段の配慮をするようにとの県教育の通達が出されたにもかかわらず、調理室や教室を使わせない、など、避難者の切実な要請に応じなかった事例が指摘され、「調査する」との回答があった。
 福祉部についても時間ぎれであまり収穫はなかった。「できるだけのことはやった。防災計画の見直しにしても市町と連携していくことだから・・」等の発言のように、県として主体的に今回の教訓をどう踏まえて今後どう対処しようとしているのか、といった一歩踏み込んだ答はついに無かった。「今回の震災で小規模作業所、デイケアセンターなどの地域拠点が安否確認、救出、緊急時の生活確保に果たした役割を行政はどう評価するのか?」との問いにも答はなかった。
 兵庫県、神戸市のホームヘルパー派遣数、デイサービス利用者数など在宅福祉サービス内容は、全国平均を下回っていた。それも被害を拡げた要因の一つではないのか?まずそのことの謙虚な反省から始めるべきだろう。「できるだけのことはやった」という開き直りともいえる態度がどうしてとれるのか。怒りを覚えながらもむなしい。行政批判を繰り返しても行政職は痛くもかゆくもないのだ。それはどの地域でも言えることだろう。こちら側の力量にもかかわってくることだ。全国や海外の福祉先進地域の情報を集め、自分たちの望む街づくりについて具体的ビジョンを提言していかないと、行政に任せていてはいつまで経っても進まないのだ。  (橘高千秋)

[写真あり 省略]


尼崎REPORT(れぽーと)

みんなの労働文化センターの第一作業所『雑居工房』にメンバーの村上さんを訪ねました。
M:村上さん K:かわぐち(10月17日)

K: はじめまして。尼崎はどうかな?って、話を聞きに来ました。村上さんのとこも写真(センターの通信『ぽれぽれ』に掲載)見るとすごかったですね。
M: はじめから古いアパートだったから。地震がなくってもつぶれてたかも。
K: ほんま?透き間風が吹いてたとか?
M: そうですね。
K: 今ここ(雑居工房)はあたらしいとこ探してましたよね。見つかりそうですか?
M: あちこち、ぼくらだけじゃなくて、普通の家庭の人も土地を探してるから。
K: う〜ん、むずかしいね。
M: むずかしい。だけど、雑居工房、危険。今でも揺れる。
K: 揺れがひどくなったそうですね。...そうか。なかなか見通しが立たない訳ですね、まだ。
M: ぜんぜん!!
K:

ぜんぜん、ですか。仮設の話を聞かせてください。村上さんのところは何軒くらいあるんですか。

M: ひゃく..
かつだ: 150軒。まわりに誰が住んでいるのかわからない。
K: 障害者用住宅に住んでるの?
かつだ: 普通のうち。
K: 改造して住んでるの?
かつだ: そう。裏から出入りしたり。入り口の段差が高いでしょ、普通の仮設住宅ね。お風呂も入りにくくて、手すりとか段作ったりしたいんやけど、福祉って言ったってどこが受け付けているかわからんから、「待ってください」言うだけでなかなかいかなくて、現に私が住んどるからな、待って待って言われても。知り合いに頼んで日差しよけとか作ってもらったりしてる。
K: 村上さんはひとりぐらしですか?(M「うん」)何が今いちばん楽しみ?
M: ここにいて、みんなで働いたり、遊びに行ったりすること。
K: そうですね。前は家がこの近くだったんですか?
M: はい。
K: 遠くなっちゃったんじゃ、大変ですね。
M: ぼくはまだ恵まれてるのかも知れんけど。
K: うんと遠く行っちゃったひと、多いですもんね。
M: 神戸で問題になってるけど、ぼくらはなんにもせんと、行政の世話ばっかりなってる気がする。自分でなんにもせんと言うとるけど、ぼくがやることって言っても知れてる。どうしても、ある程度生活するんだったら、行政の世話にならんと生きていけんから、だから、お年寄りや弱者のひとは、どうしても誰かに頼らんと生活できへん。行政にぼくらはなんにもせえへんと行政の世話ばっかりかけて、と言われたらどうしょうもない。どうしようもないから、サボルことと、できないことは違うから。(はっきり言って、サボっているひともおるけど、楽じゃない。)だから、基本的に違うことを、もうちょっと話す場を作ってほしい。行政と。お互い突っ張ってるところがあるから。あそこまで言われて何でこっちから頼まにゃあかんねんて。ま、向こうにしても仕事やから、きちんきちんと切ることだけやったらいいと思っているから、行政側が、もう少しみんなに付き合ってくれて、もうちょっとお互い協力できることあるんじゃないか。できること考えたらあるだろに、もうちょっと前向きに、お互い、やらんと。行政も初めてのことやから、わけわかんないと思うけど。もうちょっと、お互い、協力して、普通の生活に戻りたい。
[写真あり 省略]
K: 尼崎市では行政交渉やってるとこないの?
M: やってるとこ、あるよ。あるけど、ほとんど自分の生活を守るのがいっぱいいっぱいやから。昼間ここで働いてると、集会とか行政交渉とかあるねんけど、行く暇がない。自分のことで手一杯。
K: 仮設では、まわりのひととうまくいってる?
M: 棟あるでしょ、1棟1棟固まっているところ、8軒ずつ。時々話するけど、はっきり言って知らんひとが多い。
K: あっちこっちから集まってるでしょう、尼崎の。村上さんはこういう場があるからいいけど、ほとんど閉じこもりのとか多いでしょう?
M: ひとり、お年寄りが死んでいる。
K: 死んでる?近所のひと?
M: ぼくの隣で死んだよ。
K: いつ?
M: 8月。
K: 夏の暑い時やなあ。
かつだ: 心臓かどこか悪くて、救急車で運ばれて、間に合わなくて死んだって。
M: そのひとは、病院行くのに遠いて言うて、病院にはタクシーで通ってたよ。
K: お年寄り多いの?
M: ぼくのとこは、始めの時だったから、お年寄り優先で入らしてくれた結局それが、あとから考えると、そのひとにとってはあかんかった。1ヵ月くらい避難所で延ばしとったら、もしかしたら病院の近くの仮設に入れたかもわからんしな。始め、どうしても、ぼくはひとりでおって、落ち着いて考えられんかった、地震の直後は。確かにこっちも、悪いとこがあるけど、もう少し行政の方は、このことを特別のことやから、もうちょっと規則にこだわらんと、考えてほしい。落ち着いてみると、もうちょっとこちらの意見を聞いてもらったら、よかった。
K: 全国のみなさんへ何か言いたいことは?
M: どうしても、ぼくらの場合は、生きてゆかれへんから、誰でもいいからつかまえといて、いっしょに動いてもらったらいいと思う。全国の障害者に誰でもいいから動いてくれるひとをつかまえといて、各自に行政を動かしてほしい。
K: 被災地だけの問題じゃないものね。
M: わかりやすいことがあるねんから、話をしやすいと思うから、各地の行政にこの問題を持って行って、今までの行政の規則規則で動いていることを変えていってほしい。

 この後、村上さんの仮設に案内してもらった。村上さんは脳性マヒだが、大抵のことは自分でやってしまうし、運転もする。月曜から金曜まで、自分で運転してリサイクル用の牛乳パックを集めて回る。何度もぶつけたよ、という彼の車に乗って、ちょっと冷や冷やしながらも無事到着。車の中で、地震の時一度死んだようなものだ、と話してくれた。もう一揺れ来たら死んでたと。村上さんはひとりぐらしで、生活保護を受けている。食事はほとんどコンビニ。洗濯は週に1度民間のヘルパーがやってくれる。なまじ自分でなんでもできるから、行政からは絶対来てくれないのだそうだ。風呂はやはり使いにくく、大体シャワーで済ます。浴槽の栓のチェーンでケガをしたことがある。クーラーは6月に行政が取り付けに来た。前の家のほうが、古くて狭いけど生活しやすいと言う。生活するということは、ご近所や回りの木々などの全ての環境とともにくらすということなのだ。仮設を出て、通信の前号で紹介した浜根さんの菜来軒で2人で食事をして(マーボー豆腐の作り方を教えてもらい、おいしいモヤシまでいただいた)、村上さんには駅まで送ってもらって帰った。ありがとうございました。

[写真あり 省略]

笑顔いちばんの勉(べん)さん<左>、働き者の村上さん、ユーモアあふれる児玉さん<右>(インタビューに出てくれたかつださん、宴会がかりのみちしたさん、ほかの雑居工房のみなさん、写らなくてごめんね!!)


問い合わせは“雑居工房”まで 電話06−497−3010


西宮たずねある記

 10月14日土曜日、汗ばむほどの快晴のもと、“らくだはらくか?”(西宮・阪神障害者解放センター)のテント村で「手作り青空市」が開かれた。門戸厄神の駐車場は、鮮やかな色彩でショールやTシャツを染めるワークショップやアコースティック・コンサート、インドネシア焼き鳥(カレーとココナツミルクで焼いたやつ、うまかった!)や本場インド料理などのいいにおいを漂わせている屋台、無農薬野菜八百屋エスニック雑貨屋リサイクル衣服などの出店でいっぱい。車イス仲間はもちろん、近所のひとも訪れて、大変なにぎわいだ。
 この会場は、門戸厄神のご厚意で12月まで借りることになっている。地震の後、西宮市教育会館の1室を解放させて西宮対策本部を設置して活動してきた阪神障害者解放センターだが、追い出されて5月にここに移動、それから地域とつながってゆく活動のベースとして、バザーやワークショップやコンサート、青空市などを行ってきた。
 なにしろ足元はアスファルトである。今年の夏の暑さたるや想像を絶した。イベントならば人目を引くティピやパオなどのテントも、灼熱の砂漠の上に立つサウナのようだった。その暑さの中を代表の福永氏は新しい事務所になる物件や移動する土地を捜し回ったが、予想されるとおり容易なことではない。みんな、疲れ切っていた。よく夏を乗り切ったと思う。
 最近になってついにマンションを借りられることが決まった。またも引っ越しだけれど、とにかくひと安心である。例の素晴らしいパワーでまわりが驚くような展開を見せてくれるに違いない。
 「ここもあと2ヵ月か」と思うと、なんだか寂しい。「名残惜しくないですか?」と福永さんに尋ねたら、そや、とうなづいた。引っ越すまでにあと2回のイベントを企画していると言う。読者のみなさん、どうぞおでかけあれ。

[写真あり ゴーカイな福永さん!! 左・松本くん 省略]
[写真あり 省略]

11月11日(土)
第3回手作り青空市

ガラス器の製作体験、ガラス器食器販売、

12月3日(日)
“らくだはらくか?”さよならコンサート(仮題)

出演:ソウルフラワーユニオン(楽団)
両日とも各種出店、屋台等あり
交通:阪急電鉄今津線「門戸厄神」より西に徒歩3分(三角のテントが見えるよ!)

“らくだはらくか”を後にして、西宮北口駅周辺を歩き廻ってみた。地震直後は倒壊した家々がなだれ出て通行止めだったという駅前商店街は、今は左右にプレハブの店が並ぶ。住宅街は空き地だらけだ。9カ月も手をかけないとこんなになるものなのかと驚くような雑草の天下になっている所もある。グラウンドかデパートがすっぽり入ってしまいそうな巨大なさら地。運動公園の中に立ち並ぶ仮設住宅のまわりは雨のときにぬかるんだ砂が固まってぼこぼこだ。海に近い仮設を梅雨に訪れた人か「田植えができる(ほどの水たまりがある)」と言っていたのを思い出した。
 想像以上だった。
 この空き地に住んでいた人々は、今どこでどうしているのだろう。死者五千五百余という数字が改めて重くのしかかって来た。黄昏の街を、ぽつぽつ歩いて帰った。  [Kee−shey]


被災地からのたより

【被災地障害者センターのニュースより抜粋】

絶対許されへん≪第56信≫

 〜三宅氏 六甲病院と市役所へ〜
 当センター通信・救援本部通信(No.10)でも幾度も紹介された三宅淑夫氏が、去る10月5日、抗議文をもって、六甲病院と市役所とに乗り込みました。
 1月17日の六甲病院「入院」直後から、飲まず食わずのまま待合室のソファーに4日間もまさに物のように放擲された挙句、療護施設への強制入所、その入所を理由とした生活保護打ち切りの、この許しがたい人権蹂躙、障害者差別に敢然と反撃ののろしを上げたのです。
 センター、本部の4人の支援を受け、また「はとの家」避難生活時から面識のあった朝日新聞記者を同行し、氏は「抗議文及び要求の書」を六甲病院院長、市民生局障害相談係長に手渡しました。両者とも、信じられないこと、あってはならないこととしながらも、事実を調査することを確約しました。
 氏は、地域で自立して生きることを20年以上にわたって実践して来た人物です。交渉後仮設に帰ってきた氏の姿を見て、同じ棟に住むおばあちゃんたちや脳卒中で倒れた夫と精神薄弱児を抱えるおばあちゃんが、「病院や市役所はどない言うとった?」と声をかけてくれたり「遅かったなあ、おなかすいたやろ」と暖め直した関東煮を持ってきてくれたりするのです。これだけでも氏のひとがら、生活ぶりが窺い知れるでしょう。氏は、身近な人たちに、自らの生い立ちからこれまでの歩みを自らの思いとともに語り、時には人の悩みや愚痴にも耳をかたむけ、多くの共感を生むのです。
 六甲病院、行政との交渉は始まったばかり。氏は、この差別、人権侵害を徹底して糾弾していくとのこと。氏と共にたたかう意志のある人は、JR六甲道駅近く、高架の浜側に沿って東へ歩いて5分、大和町の仮設に氏を夜に訪ねてください。抗議文(控)を読んでください。そうして氏の話にじっくりと耳を傾けてください。[永尾]

 1週間後、三宅さんと永尾さんが再び六甲病院を訪ねた。院長は「学会のため不在」。対応に現れたのは看護婦長と事務の職員2名。「調べてみたがこのような事実はなかった」と言うので、「ではそのことを文書にして出してほしい」と言うと、それはできないと答える。話にならない。
 地震直後の体験を思い出すと、怒りがわきあがってきて「絶対許されへん」と、こぶしを固める三宅さん。“あってはならないこと”が実際にあったのだ。それは、どこででもあらゆる弱者に起こり得ることだ。この事実は見逃せない。

ボランティアたちの熱い冬≪第57信≫

 まだまだプレハブ拓人(地震の後、障害者の生き延びる場として神戸市兵庫区・須佐野公園に建てられ、現在はボランティア・ベースになっている)には10数人のメンバーが生活を続けています。
 皆さんの心暖まるご支援によってお米他、食べる物に不自由のない生活を送ることが出来ています。時々に差し入れられる旬のくだもの、その地その地の特産物、本当にありがとうございます。間仕切りもなくプライバシーなどという言葉が寄付く隙も見せない、困った空間ですが、時々もがきながらも日々の活動を続けています。
 近ごろはなかなか楽しげな動きも出てきています。拓人1階食堂においての「持ち寄り映画会」(ちなみに19日は「さよならCP」上映)、障害者問題連続講座を開催するにあたり、あやしい劇団の結成、人生を一歩半くらい踏み外した人たちが奮闘する「人生ゲーム大会・ボード編」、毎週日曜日開催の「ハズレる馬券講座」などなど、あと拓人文庫もできました。今度一日企画として「泊込み淡路で釣り大会」も企画倒れにならないかぎり実行する予定。(とはいってもこれはもしかしたら小手先のごまかしに過ぎないのでは…と思うこと多々あり)
 なにはともあれ皆さんのご支援があってこそ現地での活動が今まで、そしてこれからも継続出来るわけです。これからもよろしくお願いします。

被災地障害者センター主催
障害者問題連続講座『宝物を探しに』
11月23日(木)14:00〜16:30
◆兵庫県教育会館(JR「元町」下車、北へ徒歩10分)
◆被災障害者か障害者を取り巻く神戸の状況と地震をテーマに話し合います
◆交流会、創作劇、ビデオ上映会あり
◆問い合わせ 078−531−9511(担当福原)


わたしにもできる被災障害者の応援

お店紹介 PART2

 今回は震災の爪痕が痛ましい長田区で奇跡的に無事残ったくららベーカリーを紹介します。

 くららベーカリーは,1994年6月4日よりはじめました。震災後はお客さんの数は減りましたが,近くのYMCAや美容院他に売り込みに行ったり,注文を頂いたりしながら,毎日200〜300個位のパンを焼いています。
 みんなが計算しやすい様,ほとんどのパンは100円です。(50円,200円,300円が少しあります。)
 今はボランティアさんが毎日手伝いに来て下さって,とても楽しい毎日をすごしています。

神戸市長田区水笠通4−1−12 山吉市場内
電話078−612−1929
ご注文承ります!!

福町伸二(19歳)[左の帽子]
 パンの袋づめ,機械のふきそうじ,そして計算が得意NGを出すと自分で大変反省する。

佐藤栄男(20歳)[石倉さんの後]
 くららの営業担当.電動車椅子でJRに乗って一人で通ってくる.話も上手でいろいろ販売ルートを広げている.

平山光博(38歳)[イスに手をかけた]
 えんぴつの家で食パンを焼いていたのでパン材料の準備から焼くまで一人でする.“グループホームたろう”で生活.

石倉泰三(43歳)代表[中央]
 脱サラし、パン店で3ヵ月間修行.40種類以上のパンを焼く.娘が重度障害者.義姉も知的障害で同居.

小西徹(19歳)
 最近電動車椅子の運転も慣れて来て,外商に出るのを楽しみにしている.夜は高校に通う.

大西幸二(21歳)[後方右ピース]
 パンをまるめるのがとても上手になり,ボランティアにも上手に教える.洗い物を一生懸命したり鉄板を磨いたり,エプロンが一番早くいたんだ.

神山哲雄(20歳)[前右]
 パンの袋づめ,外商にいくのがとても楽しみ.大きな声を出してパンを売る.小西君と同じ高校へ通う.

石倉悦子(46歳)
 “グループホームたろう”の世話人.昼間はくららで影の働きをしている.夜はくららの経理や“たろう”の人達とおしゃべりをしたりして過ごしている.

[写真あり 省略]


一七市(いちなないち)

地震の起こった日17日にちなんで
毎月17日にバザーをします。
あの日に起こったさまざまなことは、
決して忘れてはならないことばかりです。
 恐怖・悲しみ・苦しみ・うれしさ
 喜び・ありがたみ・すなおさ
 寒さ・熱さ・温かさ・やさしさ・・・・・・

バザーをします。商品をください。
連絡くださればうかがいます。
17日には店へ来てください。
買ってください。
お話ししましよう。

第一回11月17日(金)
山吉市場内洋服店「パセリ」にて
(兵庫県神戸市長田区水笠通)
連絡はライフデイケアへ
電話078−631−7514


事務所の窓から no.2  「北国からの訪問者」

少し前の話になるが、5月のことだ。そよ風のように北国から一人の訪問者が現れた。
 北陸で陶器を創作する素敵な女性だ。震災の後請われて仏像を作陶したが「仏さまでいただいたお金を自分のことに使うわけにはいかない」と製作費100万円全額を懐にはるばる大阪までお持ち下さったのだった。「さっき着いたばかりで・・」とほほえみながらさりげなくお札の束をドサッと机に置かれた時は本当に驚いた。その後も地元で被災地センターのTシャツを広めて下さっていてもう300人以上の人たちの手に渡ったと聞く。“幸島の百番目のサル”にちなんで付けられた『百番目のTシャツ』らしい広がり方ではないか。
 ほかにもバザーや学園祭で集めたから、カンパボトルがたまったからとわざわざ足を運んで下さる方もいる。一様に「被災地のことをマスコミはもうあまり書かなくなったから、救援本部からの通信が数少ない情報源です。」と言って下さる。マスメディアに比べるとどこから見ても巨象と蟻ほどの力の差があるが、それこそ虫の目で被災地に密着した情報を伝えていければと思う。
 全国各地からお電話もよくいただく。秋になって、高校生や学生からの問い合わせが一段と増えた。文化祭や学園祭で震災をテーマに出展するので話を聞かせて欲しいという。電話の向こうで緊張した高校生が一生懸命言葉を紡いで、たどたどしく「あのう・・こんどお・・」とか言われるとそれだけでももう嬉しくて目先がうるうるしてくる。
 こんなこともあった。表の扉に「被災地センターにお米をください」と書いて貼り出していたら郵便配達にきた人が「僕の家、米作ってるから送ったげる」と送り先を書きとめていたり、5000部の通信発送作業へのSOSを新聞に出せば10人を越える方からの申し出が、等々、とにかくメッセージを発すれば必ず反応はある。救援本部は被災地に対しては「いつまでも忘れへんよ」と、そして全国には「忘れんといてね」と言い続けよう。

(意外と涙もろい事務所のねずみより)

救援本部総会のお知らせ

救援本部の総会を行います。今回は交流を中心しますのでお気軽にご参加ください。ご予約はお早めに!

と き 11月11日(土)17:30〜20:30
ところ 総合福祉センター(芦原橋) [JR環状線「芦原橋」下車すぐ]
内 容 17:30〜19:00 本部及び被災地障害者センターの活動報告
19:00〜20:30 交流(会費¥1500−)
準備の都合がありますので、11月8日(水)までに参加お申し込みください。
申し込み先 TEL 06(965)7968 FAX 06(965)7967
障害者救援本部事務局



お知らせ その2
障害者救援本部から震災1周年目の提起シンポジウム

『障害者のくらし再生は見えてきたか?〜震災2年目を前にして』(仮)

◆日 時◆ 1996年1月13日(土) 14:00〜17:30
◆会 場◆ アピオ大阪(大阪市・森ノ宮)小ホール
◆内 容◆
  1. 体験に基づく問題点の指摘
    ○身体障害者の立場から 加藤作子さん(伊丹ドリーム・ポップコーン副会長)
    ○知的障害者の立場から 桜田厚子さん(神戸えんぴつの家)
    ○聴覚障害者の立場から (兵庫草の根ろうあ者こんだん会)
    ○視覚障害者の立場から 車谷美枝子さん
    ○精神障害者の立場から 高瀬建三さん(ニューカトレア会)
    ○内部障害者の立場から 新明進さん(内部障害者の福祉を守る会連合会)
  2. シンポジウム
    〈テーマ〉
    1. 救援活動の中で見えてきたこと
    2. これまでのまちづくりの問題点
    3. 復興に向けた課題と行動提起
    ○コーディネーター 楠敏雄&尾上浩二
    〇シンポジスト 福永年久&大賀重太郎(被災地障害者センター)
    松場作治&八幡隆司(障害者救援本部)
    田中直人(神戸芸術工科大学)
    シンポのあとで交流会もあります。被災した障害者たちの貴重な話が聞けますよ。
    スケジュールを空けといてくださいね。
 

ピア大阪に集まった皆さんへ
同窓会&桜井浩二氏コンサートのお知らせ

救援本部から その3

 阪神大震災直後、被災障害者の避難所となったピア大阪。
 その中で、しんどいけれどもおもしろい、そんな数カ月を一緒に過ごした皆さんと、被災者支援のお礼も込めて、同窓会を開きたいと思います。当日には、早川にボランティアとし駆けつけて下さった桜井浩二さんのコンサートも行いますので、皆さんお誘いあわせの上ふるってご参加ください。
日時: 11月26日(日)
会場: 東住吉区民ホール(地図参照)
内容: 11:00開場
11:30〜13:30 交流会&報告コーナー
14:00〜15:30 コンサート
主催: 障害者救援本部(同窓会実行委員会)
後援: ピア大阪
費用(協力金):3,000円
  (収益が上がった場合、被災地障害者センターへカンパ)
問い合わせ先:おおさか行動する障害者応援センター TEL06−357−5797

[地図あり 省略]


いんふぉめいしょん 紹介1

アカルク・タノシク… ソシテ、シタタカニ

兵庫ろうあ情報

1月18日震災の翌日に、
 『西宮北口』から
 西宮市を、芦屋市を、東灘区を横切って、
 灘区まで歩いた。
 あの光景を、私は一生忘れまい。
『兵庫ろうあ情報』縮刷版より

 聴覚障害をもつ永井哲(ナガイアキラ)さんは、被災地の聴覚障害者救援のために『兵庫ろうあ情報』を発信し始めた。1月23日発のVOL.1から4月15日までに32信をFAXで送り、縮刷版にまとめた。33信からは雑誌スタイルにして幅広く情報を掲載し、内容を充実させている。貴重な情報誌だ。
お勧めする。

購読料
  被災地の方は無料
  被災地外の方は 年3,000円
申し込み方法
  住所、指名、FAX番号明記の上連絡を
連絡先
  『兵庫ろうあ情報』編集委員会
  FAX 075−712−1709 TEL 075−781−6602
カンパ・購読料振り込み先
  郵便振替 01090−6−1306
  『兵庫ろうあ情報』

 永井さんは訴訟を起こしてたたかっている。当然もらえるはずの福祉の手当、そういうものがあることさえどこからも教えられず、広報誌にも書かれていなかった。多くの障害者が本当はもらえるはずの手当の存在すら知らずにいる。誰でも必要な時に制度が利用できるようでないと何が福祉なのかわからない、と国や京都府の責任を問うているのだ。現在、最高裁で審理中である。応援したい方は上記に連絡を。年内に一次集約の著名も集めている。


仮設  からだ・こころ・ほぐし隊 in 東灘

 西宮を歩き回った10/14の午前中、東灘区・瀬戸公園内仮設住宅のふれあいセンターにからだ・こころ・ほぐし隊が行くというので、初めて参加してみた。からだ・こころ・ほぐし隊は、「被災した方々もボランティアのひとたちもご近所の方も、みんなでいっしょにからだの疲れや心の傷を癒せたら」と、からだほぐしやリンパマッサージなどを被災地の避難所やテント村で行ってきたボランティアグループである。
 ふれあいセンターには20人くらいのひとが集まっていた。2人組になって「脱力」をやる。手、からだ、足とていねいに触れたり揺すったりして力を抜いていくというものだ。自分で余分な力が入っているなあと気づくようになれば、日常生活でも少しずつ楽にやってゆけるようになれるんじゃないかな。地震の後、多くのひとが心労と疲労を重ねている。被災の傷は深く、そう簡単に癒えるとは思わないが、ここで参加者の方がわずかな時間でもゆったりとしたひとときを過ごせてもらえたら、と願う。
 2時間足らずのあいだだったが、固まっていた表情に赤みが差したひと、楽になったと手足を伸ばすひと:お昼がおいしくいただけるわと話し合うひと、ゆるんで涙ぐむひと、さまざまである。2人組のあいだでも話がはずんできて、わたしがペアを組んだ初老の女性は、地震で家が全壊し、腰の骨を折ったがしばらく医者にもいかずにいたこと、仮設のご近所はいいひとが多くて恵まれていると思っていること、震災後脳梗塞で倒れて現在リハビリ中の夫にからだほぐしをしてあげたいことなどを話してくれた。家族にやってあげると話すひとの中で、「私は一人暮らしだから...」と言った女性に、近くの参加者が「私の家は○○の○○番だから来て。いっしょにやりましょう。」と声をかける場面もあった。こんな風に自分の住んでいる所から、癒しの輪が広がってゆくのは素敵だと思う。
 “からだ・こころ・ほぐし隊”は、東灘区のほかに伊丹地区、長田地区、須磨区名谷(みょうだに)地区でもやっている。近くの方も遠い方も、ぜひ参加してみることをお勧めする。ガンバっているひとは、自分へのご褒美のつもりで。[Kee−shey]

[写真あり 省略]

からだ・こころ・ほぐし隊 11月の予定
◆名谷地区 とき11月5日(日) 午後4時〜6時
  ところ アルティック須磨 ボランティア集会所[仮設・西落合第1住宅わき]
  あ し 神戸市営地下鉄「名谷」(みょうだに)下車徒歩10分
◆東灘地区 とき11月11日(土) 午前10時30分〜12時30分
  ところ 瀬戸公園ふれあいセンター[仮設・瀬戸住宅わき]
  あ し 阪神「青木」(あおぎ)下車徒歩10分
お気軽に!06−308−6224 大阪からだとこころの出会いの会


いんふぉめいしょん 紹介2

じゃりみち 仮設支援情報

創刊号  発行日 1995.8.31
仮設支援連絡会 阪神大震災地元NGO救援連絡会議
TEL 078−362−5951/FAX 078−362−5957
E−mail ngoteam@mb.osaka.infoweb.or.jp

 月に1,2度、“じゃりみち”はFAXで送られてくる。各地の仮設住宅の状況、仮設のイベント案内、仮設の救援物資募集の情報などを発信している。仮設について知りたい方は連絡を取ってみてください。


救援本部会計報告『忘れない心』が『わたしたちの心』

みんなの力を合わせて、ともに生きるまちをつくりろう。

メッセージより

95.10.16現在 カンパ総件数 3211件 /カンパ人数  2900件
★支出について補足

人件費…介助派遣・情報発信・物販・企画etc再生めざして常時17名が有償で活動中。(兵庫14名・大阪3名)
救援金…義援金11グループに計714万円・避難生活経費・拠点確保等
お見舞金…42団体分、1260万円
救援物資…プレハブ3件設置と移転内装設備費・車3台・バイク5台・印刷機・ワープロなど
★収入について補足
街頭カンパは救援本部主催以外の、各地の街頭カンパも含まれています。また、雑収入は、立替金の返金分などです。

 通信No.11の会計報告で、5月の「個人カンパ」の金額を¥893,686−と間違って記載しました。本号11ページ『事務局の窓から』でご紹介した、北陸の方のカンパを「団体カンパ」に計上していたためです。お詫びとともに訂正させていただきます。Nさん、ごめんなさいね。


THE・街頭カンパ

大阪編

市民のみなさん、変わらぬ応援ありがとう!

10月1日(11:00〜18:00 天王寺)
◎参加者/枚方・障害者労働センター、マッサクぐる〜ぷ・バオバブ、アド企画、つばさフレンズRUN、応援センター・よ〜い・ドン、日本てんかん協会、ポッポ、東部大阪障害者労働センター、全障連本部、被災地障害者緊急避難所「拓人」の住人、全国盲ろう者の会、ライフネット、救援本部事務局・・・・・・延べ46人!!
◎募金総額・・・・・・¥302,354−
◎募金累計額・・・・¥4,946,811−
(10月28日現在大阪市内 計14回)

[写真あり 省略]

次回は11月5日(日)11:00〜18:00天王寺
(地下鉄・御堂筋線「天王寺」西口改札前)
◎通信No.9で11月12日と掲載しましたが5日に変更になりました。ご注意を!

天王寺駅はハンドマイク使用禁止のため、参加者全員が可能な限りの「肉声」で募金を訴えました。肉声だけというのもいいもんです。〔東牧〕
おつかれさまでした!!


署名のおねがい NHKのTVニュースに通訳・字幕設置を!!

 阪神・淡路大震災のときに多くの聴覚障害者が苦しんだことの一つに、「情報保障」の問題があります、TVニュースでも、ほとんど通訳・字幕保障がありませんでした。
 この聴覚障害者を無視した状況を少しでも変えていくため、全国聴覚障害者連絡会議の呼びかけで『ニュース番組(とりわけ、地震などの非常時に)に必ず、通訳・字幕を設置することを要求する』署名運動を開始することになりました。多くの方にご理解・ご協力をいただきたく、今回の通信に署名用紙をはさみこみますので、よろしくお願いします。
●ご協力いただいた署名用紙は、用紙に記載してある「全聴連」に直接送って下さい。


編集後記


(c) 1995兵庫県南部地震障害者救援本部 (デジタル化:神戸大学附属図書館)
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