KSKQ障害者救援本部通信, No.16(1996.2.26)

兵庫県南部地震障害者救援本部

1996.7.25. - 12p

請求記号:震災-7-z27


震災から1年たっても
  なんでこんなに涙もろく
    なんでこんなに腹立たしい

被災地障害者センター 大賀 重太郎

96.1.16→1.17
メモリアル・イベント『いやしと点検・大いどう』で新しいエネルギーを見た


[写真あり 省略]

 あの大震災から1年、私たちは「いやしと点検大いどう」と名づけたメモリアル・イベントを開催した。「あの時のことは思い出したくもない」と語る被災者の声もあったし「しんどい時にそんな大きなことをせんでも」と渋る仲間の声もあった。「どこも目一杯行事をやるのにわざわざやらんでも」とさめた見方もあった。しかし、亡くなった仲間をみんなで追悼し、忍ぶ機会もなく過ぎた1年だったのだ。支え合い、支えられながら、とにかく立ち上がろうとがむしゃらに動き、非日常の世界にいて、自らをかえりみる間もなかった。「私たちは、私たちの悲しみがあり、いたみがあり、そして苦悩があった。地震があってからみんながいっしょに集まる機会も作れなかった。行政点検と、そして顔を合わせてお互いにいやそう」、そう語り合ってこのイベントは準備された。
 16日午前中、尼崎市・西宮市・明石市・淡路島の淡路町で申し入れ書に基づく要望と話し合いが行われた。尼崎と西宮市役所前では、市民にアピールする企画も取り組まれた。午後・神戸市役所前では、仮設住宅の風呂を想定した入浴場面を現出させ・障害者が介護者といっしょに入浴するのがいかに困難か、そもそも仮設住宅が障害者や高齢者の生活を考慮されていない現実を訴えるとともに、さまざまなアピール行動が展開された。
 そして3時、神戸市役所前に各地で取り組んだ仲間が合流する。姫路・加古川の仲間も、芦屋からも、伊丹や川西、宝塚からも。大阪から、東京から、そしてかつていっしょに活動したボランティアの再訪もあった。300人を超える「大いどう」が、声を上げ(注1)音を鳴らし、のぼり旗に思いの言葉を書いて掲げ、兵庫県庁まで続いた。
 兵庫県障害福祉課長と代表団の話し合いの間は、庁舎前で各地の取り組み報告が行われた。6時からは兵庫区の須佐野公園(被災地障害者センターのボランティア拠点)に場所を移し、炊き出しの再現、コンサートと劇。隣の仮設住宅からも、また近所の方々も参加していただき、700人は集まっただろう。一晩は語り合おう、朝5時46分をいっしょに黙とうしようという、寒さとの戦いのサバイバル。キャンドル、黙とう、そして「上を向いて歩こう」を歌った人々は170名はいた。
 やはり、この1年の一人一人の思いはきつく、強い。ほんとうにきつく、強烈過ぎるほどにいまだに生々しい。だが集まってくれた人々、準備をしたスタッフ、各地での取り組みに関係団体が協力し合ったこと、被災地障害者センターとしては初めての全体企画が成功したこと、そして各方面から大きな注目をいただいたなど、新しいエネルギーが見えたように思われる。地面に、建物に、心に、それぞれの関係に、生活に入ったヒビに、一つ一つの草の根が伸びてつながり、つむぎ合い、埋める力になってきたように思うのだ。

●この1年、それは戦後50年

 被災地障害者センターは兵庫県内被災地の40グループと連携して「障害者による救援・復活活動」を展開してきたが、神戸を中心に私が行った活動を大まかに振り返ってみる。
 最初は、情報収集と状況把握、安否確認、緊急物資の搬送だった。この時に、障害者の日常生活で連絡がとれないことの恐怖、緊急時において行政が助けてはくれない現実、避難所で生活できない実態、生活物資・医療・情報…いっきょにあらゆる問題への対応が迫られる緊張に直面した。地震前には、運動の広がりと成果もあって何とか生活できるようになってきたのではないかという幻想があったが、それは見事に崩壊し、被災実態は社会の差別構造を露骨に指し示していた。
 西宮市で亡くなられた三矢さんのことは忘れることができない。兵庫県で、最初に親元を離れ自立生活を始めた運動のリーダーの一人だった。生活保護をとって街中で自立生活を送ろうとすると、どうしても家賃の安いアパート暮らしになるが、この震災でそのアパートは全壊し、埋もれて命を奪われた。私たちが生きている社会、生活している地域は、障害者が自立生活を送ろうとすると大災害時には死をも覚悟しなければならないのだ。この悲しみを埋めることができるものは何か、そのテーマはこれからも長く問われ続けるだろし、私も心に深くとどめたい。
 緊急時に在宅や自立生活を障害者の命と生活を確保するのに大きな力になったのは、小規模作業所やグループホーム、デイケアセンターなど自主的な活動をしてきた地域拠点だった。メンバー、関係者、友人、知人を一軒一軒回って安否や行方を確認し、必要な物資を提供した。ライフラインが切れ、また介助体制がとれなくなって生活が困難になった仲間を地域拠点で引き受けて自ら生活を確保していった。地域拠点どうしが、被災地内でも、被災の中と外でも、被災地の外でも、支え合って救援活動が作られた。その地域拠点を日ごろから関係を持っていた住民が支え、市民運動が支え、その広がりと活動は障害者の地域拠点が住民みんなの救援地域拠点の姿と発展していくことになった。

●障害者の自立と解放をめざす20年の運動を再現した確かさと感謝

被災地障害者センターの活動拠点を作ってからは、家庭訪問と生活確保のためのあらゆる相談・物資提供・介助派遣等、そして関係団体への支援と行政への要求行動だった。私たちは生活の確保を最優先するために、そのためには重度障害者の生活介助やガイドヘルプといったマンパワーの提供が一番大きな活動になることを予想し、顔の見えるつながりで草の根の活動をすることにこだわった。全体状況への責任をとる救援活動は本来行政の任務であり、その肩代わりをすることでは、もっと言えば行政のシステムやこれまでのパターンによる活動では生活の確保ができないという実感があった。ボランティア・スタッフで回った家庭訪問件数は850軒に及んだ
 3月に入ってからは、避難所での生活を継続できない障害者・ライフラインや介護の状態で在宅生活ができない障害者の「緊急生活の場」(サバイバーズ・エリアと銘打った)を建設した。これも、行政が生活が困難な障害者は施設へのショートステイでしか対応しないため、地域にこだわる障害者たちと共に、自分たちの力だけで建設せざるを得なかった。そこで生活を確保し、介助体制を作り、地域ボランティアを募集しコーディネイトしながら新しい生活を作っていった。いわば、緊急の地域拠点を作り、障害者と共に生活作り、地域作りを行ったといえる。
 この「緊急生活の場」は8月末で終えたが、生活介助・ガイドヘルプ活動は今でも約30人の障害者に続けられており、その一人一人について地域ボランティアの紹介とコーディネイト、地域ボランティアともいっしょになった生活作り、地域作りを続けている。地域拠点に対する支援についてもマンパワーの提供が続けられているが、現状はほぼ落ち着いてきたといえる。加えて、12月には神戸市長田区で新しく小規模作業所「ピータンハウス」が建設され、1月には兵庫県精神医療人権センターの事務所が再建される。3月にはもう一つ小規模作業所が作られようとしている。
 今考えてみれば、私たちがやってきた活動の道のりは、障害者が地域で自立生活を作る、自立と解放をめざす運動の20年の道のりをなぞっていたのだ。行政への要求、政策提言もまた、20年の実績がそのまま生きた。それに気づいた私は、障害者運動に参加させていただいていたことに感謝し、今、障害者運動関係者がこの活動を支えてくれたことに感謝するばかりだ。

●2年のたたかい、その後のたたかい

 12月、全半壊世帯等に認められていた医療費の一部負担免除の特別措置が切れた。1月、失業保険に関する特別措置が切れる。仮設住宅は2年という原則は崩さず、復興住宅計画は3年だというと、じゃあ1年のタイムラグがどうなるのかの不安は募る。そのニーズ調査は仮設住宅入居者を対象にしたもので、障害者家庭の多くが親戚・友人宅に避難しそのまま生活している実情を無視している。
 仮設住宅での生活は、この寒さでいっそう厳しい。暖房設備が役に立たず、体調を壊す障害者も多い。さら地に建つプレハブ住居のかたわらで、なぜか今も焼けただれたビル、傾いて倒れた家屋が残る。
 「復興」といわれるこの時期、社会的に力の強いものと弱いものの格差は確実に広がっている。課題は深刻化し、時間と共に新しい課題が浮かび上がる。リストラを宣言する行政は差別を拡大している。このままでは戦後50年の差別構造を再生産することになるだろう、いや「復興」をこのままで急ぐとより強化されると思わざるを得ない。被災地の風景、一人一人の生活実態が何よりもそれをよく物語っている。
 でも、というべきだろうか、いや、生きていけると思う。被災地を支えた障害者の救援全国ネットワークのすばらしさ、力強さに出会っているからだ。運動の20年というが、やはりマイナーで、ややこしくて、なかなか力を寄せ集めることができなかった。そういう雰囲気があった。だが今回は全然違う。大阪の「障害者救援本部」、東京の「被災障害者支援実行委員会」がキーステーションとなって、人・もの・金、そして勇気をこれ程までに集めてくれた。若きボランティアたちのあのエネルギーもすばらしかったではないか。
 戦後50年の総括の時に、戦争を思わせる震災に遭い、人権から遠ざかる行政と人権の実現をめざす仲間たちに行動で再会した。「仮設住宅の2年の戦い」「まちにもどるその後の戦い」、新しいまちを作るのだから、共に生きることができるまち、人権の確立したまちを作っていきたい。新しいエネルギーが被災地の障害者たちにも作られているのだから

(注1)シュプレヒコール

私たちは死んだ仲間のことを忘れへんぞ!/
行政は、障害者の24時間介護を保障せよ!/
みんなにやさしい、交通機関を作れ!/
だれもが住みやすい、まちを作れ!
空港に税金を使うな、人権を守れ!/
生きる場、働く場を作る土地をよこせ!/
県知事さんも、市長さんも仮設住宅に生活してみろ/
/仮設住宅は寒いんだぞ、生活できるように改善しろ!/被災地を離れへんぞ!/
みんなで助け合って生きてきた力が一番だ/全国の仲間の支援を忘れへんぞ/
みんなで共に生きる社会を作っていこう!/行政の障害者差別を絶対認めへんぞ/
地域での自立生活を保障しろ!私たちは共に生きていくぞ!私たちは地域で生き抜くぞ!

[写真あり 省略]


障害者救援本部2度目の春の総会ご案内

震災から1年が経過しましたが、障害者の暮らしの再生はいまだ見えてきません。救援本部のこれまでの活動をふりかえり、被災障害者支援2年目の課題をみなさんと探っていきたいと思います。被災地障害者センターからの状況報告と提起もあります。多くのご参加を期待します。
◇とき 3月27日(水)午後6時〜8時半
◇ところ 大阪府総合福祉センター(JR芦原橋下車)
◇連絡先 電話06−965−7968 FAX06−965−7967


紙上再現
シンポジウム 障害者のくらしの再生は見えてきたか?

1996.1.13森ノ宮アピオ小ホール

仮設に入って一番先にぶつかったことはトイレ・風呂が全く使えないということ。

[写真あり 被災地障害者センター 福永年久 省略]

それから、この冬、はっきり言って大変でね、なんぼエアコンの暖房をかけても一つも部屋がぬくくなりません。隙間が会って温めても温めてもぬくい空気が出ていく。恒久住宅に移らんかったら、とうてい本人の体が持たんというところも出てきておって、年末にかけてずっと家探しをやっていますけれども、やっと見つかっても契約を結ぶことが出来ない。「法人契約でなかったらあかん」と言われて、見つけても入ることが出来ない。
この地震で、障害者とか老人とか、低所得者が最後まで困った生活をやる。一年たっても去年の二月段階とあまり生活に変化がない。体も心もクタクタになっているから、一年たってもしんどい状態でおる。この地震ではっきりしたことは、また差別が生み出されている。僕らはどないかしてその差別を跳ね返していこうという気があるから、地域づくり・街づくりを僕ら自身が展開していき、市民との連帯を探る運動を創りあげんかったらあかん。
二年、三年、十年かかるかもしれへんけど、地道な活動がいると思います。

大阪の場合は、やはりこの20年間の障害者運動の積み重ねが救援本部の活動につながっていくのです。

[写真あり 障害者救援本部 松場作治 省略]

実際に地震が起こった3日後に、既に大阪の地では、府下の各障害者団体、生きる場や作業所が集まって救援会議を開きました。それが「障害者救援本部」という形で、この一年間皆さんが頑張ってきたたわけです。救援本部で何が出来たんかということなんですが、やはり運動のつながりがフルに動いた。電話作戦、FAXを流す、そういうネットワークの中で「あれはないか」「これはないか」という形で各団体を通じて、また地域、地域の場所に「今度カンパやで」「今度いくで」「こんなものないか」という形でどんどん流れました。それが本部を通じてまとめられてそれぞれの連絡がスムーズに進んでいくわけですね。「トラックないか」「こたつはないか」「ストーブはないか」と、いろんなことがありました。それらが救援本部を通じて各場に流れていくような回路が、20年の蓄積で作られておりました。非常に素晴らしいことだと思います。

私たちはこれまで「地域で一緒にやっていこうよ」と生活の場や働く場をどんどん作ってきたけれども、そういうことが人間関係を作り、町の構造を作り、地域の人間関係を一つ一つ変えてきた。それが20年を経た今、大きく力になってきているのだと思います。

私たちは亡くなられた三矢さんのことを決して忘れることはできない

[写真あり 被災地障害者センター 大賀重太郎 省略]

生活保護で、やはり木造アパートに住まざるを得なかった。障害者が地域で自立する場合、大震災には死ぬ事を覚悟しなければならない状況なのか。そのことを何度も何度も問い返しています。この住宅問題については、私たち運動側の取り組みも弱かったという反省とともに、あまりにもお粗末な福祉施策に対する腹立たしさを忘れる事は出来ない。
この1年、私たちは、色々な事をやり、また、皆さんに色々とやっていただきました。それは、本当に、この20年間の運動の蓄積が活かされたのだろうと思います。まず、私たちがやったことは、家庭訪問、掘り起こしをニードを聞き、当座の生活を応援することでした。そして、地域拠点をつくり、相談し、行政とやりあい、施策をつくらせ、一つひとつ生活を、地域を、そして、今まちを創り出そうとしている。

私たちの予想以上に行政は何もしてこなかったと思うのです

[写真あり 障害者救援本部 八幡隆司 省略]

例えば、安否確認し、ここに、これだけ困っている障害者がいるということを示していけば、地震直後は無理でも半年後くらいにはホームヘルパーが派遣されるということを想定していましたが、それがいつまで経っても派遣されない。被災地の中で、活動を広げれば広げるほど、ニードが増えていく。そうしたニードは生活そのものですから、今月も、来月もずっと続く。先程の住宅の問題でも、他の問題でも、行政が何とかすれば、もうそろそろ要らなくなるのではないか、秋には何とかなるか、新年を迎えたら何とかなるかと、先送りで予想するのですが、先程の話にもありました通り、何ともならん状況だけが延々と続く。私たちのやっている活動というのは、ある種、地震で起こった問題と言うよりは、地震で鮮明になった日常の問題を追っかけ続けるわけですね。それは、神戸、西宮だけでなく、大阪をはじめ、どこでも共通したことです。だから、よけい、地震からの復興で神戸・西宮だけがよくなるということはありえない。全体的な福祉の底上げがないといけない状況があると思います。

地震後、福祉部局の人達は全然動けなかった。福祉部局は大体物資搬入の担当になっていたからです。やっと物資搬入の手が空いたから、「福祉」をやろうかというような、そういう「福祉」でしかないということを、ちゃんと見つめておかなければなりません。

被災地の様子を聞かせてもらいながら全国に情報を発信して、皆で忘れていない、こういう情報があるということをちゃんと伝えることで支援してくれる人が増えればいいなと思います。

◇シンポジウム報告集お分けします。1部100円。郵送できます。事務局(06−965−7968FAX06−965−7967)までお申し込みください

いくつか確認しておかなければならない重要なことが明らかになったと思います

[写真あり 神戸芸術工科大学 田中直人 省略]

一つは、ライフライン、電気とか、ガス、水とかです。二つ目は、まずもって情報です。何がどうなっているか分からない。誰かがどうこうしているといつも分からない。情報が非常に大事だなということです。三つ目は、人間です。やはり、どんな人間関係、コミュニティがあるか、その大切さが明らかになったのではないかと思います。四つ目は、地域です。地域は、まちづくりの中で忘れていた部分があったのではないかと思います。五つ目は、住まいです。
福祉の根源は、住まいにあるのではないか。まちの中での住まいは本当に大切です。
単に丈夫というだけでなく、どのように作っていくかが大事だと思います。六つ目は、足です。環境が変わって動けなくなる。日常から重要な課題ですが、非常時においても、交通アクセスの問題は非常に大事だと思います。

行政にあまり期待してもだめだと思います。行政の役割はありますが、行政には自ずと限界があると思います。その行政にやらせるのは市民の力です。途中であきらめては実現しません。その意味で、当面の課題とともに、長期的なプログラムを、皆さんの夢として提言していくことが必要だと思います。これをあきらめると、行政は絶対にしません。発信し続けることが重要です。

私たちはこの1年間被災地の痛みには及びませんができる限りの支援をしてきました

[写真あり 障害者救援本部 楠敏雄 省略]

今後、連帯・支えあいを、より一層大事にしながら、運動・地域づくりネットワークづくりを進めていきたいと思います。行政を変えるのも、健常者の意識を変えるのも、私たちの連帯の力だと思います。それは単なるスローガンでもなく、握り拳を振り上げるだけでなく、一人ひとりが自分のできることを担いながら力を結集することだと思います。また、同時に、私たちの持てる力を地道に息長く発揮し続けることも問われていると思います。今日の集会を、ステップにして、さらなる連帯・支援の輪を広げていくことを確認して本日のシンポジウムをおえていきたいと思います。

シンポジウムを通じて仲間の苦闘と全国に広がった草の根の支援活動の意義が確認できたのではないかと思います

[写真あり 障害者救援本部 尾上浩二 省略]

まだまだ、障害者を排除した、差別構造を再生産するようなまちづくりも進みかねない状況です。情報を発信し続けること、私たちは、こういう意見・アイデアを持っているという提言を発信し続けることが重要だと、あらためて思いました。

◇以上の編集責任は救援本部事務局にあります◇


作業所ピータンハウス被災から立ち上がる

昨年1月17日地震のあった日がオープン予定だったピータンハウスが被災地障害者センターや救援本部の支援で長田区のプレハブ「はとの家」によみがえった。2月18日にオープン・パーティがあり地元の人たちや関係者が集まって再起を祝った。メンバー10名で陶芸作業所として地域に根差す活動を続ける。


阪神淡路大震災 被災障害者支援通信 56

兵庫・草の根ろうあ者こんだん会/事務局 1996.02.12
大阪・事務局FAX06−969−2544 現地・尼崎(稲葉)FAX06−429−9392

仮設住宅に7ヶ月…。希望をもって日々を生きる!

永江 隆・眞樹さん(兵庫草の根会員・神戸市東灘区)

仮設住宅に入って7ヶ月の永江さん夫婦。
2階建ての障害者や老人が使いやすい仮設住宅ですが、やっぱり不便なことが多いそうです。
台所やトイレや風呂は共同で、何かと気をつかうことが多いそう。
「他の部屋の人たちとのコミュニケーションは?」と聞くと、必要なこと以外はほとんどしないとのこと。手話ができる入もいないし、茶話会などにも、共通の話題があまりないので出席することはほとんどない。必要な情報や連絡は、貼り祇を見たり、管理人(ただし、土・日曜日は休み)に聞いて…。
隆さんは、自分で仕事をさがして1月から働いておられます。子供さんは2人で、今、上の子は中3、下の子は小6。「大変だけど、がんばる」とのこと。
震災から1年以上たっても、やはり、こういう生活があります。草の根の方も連絡をとりあって、できるだけ支援していきたいと思います。

草の根ろうあ者こんだん会発行月刊「草の根」3月号を希望者に無料でお送りします。震災救援関連記事も掲載。希望者は3/20までに同会まで連絡を。
☆連絡先☆草の根ろうあ者こんだん会
大阪市城東区東中浜2−10−13緑橋グリーンハイツ
アド企画気付FAX06−969−2544 06−969−2580


西宮からのたより

あの震災から一年が過ぎたけどあの頃のように来てほしい!

 皆さん、こんにちは。早いものであれから一年と一カ月が経とうとし、寒さが一段と厳しくなりましたが、皆さん風邪などひいていないでしょうか。
 震災直後から早川福祉会館でお世話になっていた太田祥一さんや、後藤千代子さんらが所属しているのが阪神障害者解放センターです。
 太田さんは、西宮市内の市営住宅で一人暮しをしています。週に1回から2回のホームヘルパーだけで、介護者がいないのでいつも寂しく生活をしていますので、もし時間があれば一緒に“カラオケ”に行ったりしてください。
 後藤さんは、西宮市内の仮設住宅に一人で生活をしています。一日24時間介護が必要で3〜4人の介護者が交替で介護をしていますが、震災からつきあいがあった人や、震災ボランティアに来た人とでがんばっています。が、まだまだ介護者が足りないので、介護に来てください。
 後藤さんと太田さん以外に阪神障害者解放センターには、仮設住宅や一人暮らし、また家族と一緒に生活している人が計15人も介護を必要としていますので、時間があれば気軽にご連絡ください。

問合せ先 阪神障害者解放センター
兵庫県西宮市甲風園1−9−8睦ビル502号
TEL/FAX0798−67−0046
担当 行岡か愛甲まで

◇阪神障害者開放センターとは◇
 阪神障害者解放センターは、約9年前に西宮市内に設立。地域の人との交流の場『自然食品店きんとーん』がオープン。地域の人たちとの関係を作りながら“地域で共に生きる”という活動を続け、あの震災で「きんとーん」が全壊し、一人の仲間の命を失い、5割近くの家を失いましたが、避難所でボランティアを募集した結果、全国から(約800名の)ボランティアが(‘95年12月現在)集まりました。
 震災当時から4月ぐらいまで、避難所での炊き出しや避難所訪問などの活動を行なってきました。5月以降は、仮設住宅などでの障害者・高齢者のサポート活動やイベントの開催や参加をしてきました。今後も介護活動やイベント活動等を続けたいと思いますので、参加や協力をお願いします。


〜各地の支援活動から〜

奈良では支援コンサートが行なわれました

[新聞記事あり (朝日新聞2,18) 省略]

街頭募金とともに手渡された奈良・天理市北中学校の生徒の皆さんの感想文から

「今、私たちにできること」を考えてこの活動を決めました
募金の合計を計算しておどろきました。ああやってよかった、本当に心からそう思いました
たしかに一年という時間が過ぎたけれど、まだまだ震災のつめ跡は消えてはいない募金してくださった方の思いもこめて、被災地の皆さんに贈ります
もとの明るい神戸・淡路になるように!

☆ボランティア募集☆
尼崎市内の知的障害者と毎週(月)の半日を共に過ごせる方を求めています。
明くんは電車が大好き。毎週(月)朝10時ごろから、家を出発して神戸方面に電車に乗ってでかけて、神戸でお昼ごはんを食べるという小旅行をとても楽しみにしています。
 彼の月曜の小旅行を一緒に楽しめる人、お電話ください。06−489−0565(菜来軒(さいらいけん)・浜根)

☆介護者募集☆
尼崎・西宮・神戸で介護者が切実に求められています。連絡を!
電話06−965−7968(FAX7967)

☆救援本部の通信発送お手伝いのお願い☆
少しでもかまいません。60年代を思わせる事務所見学も兼ねて来ませんか?
ご連絡をお待ちしています。


救援本部会計報告 2年目も支援は続きます

いつも心のこもったメッセージありがとう。元気のもとです。

 年始に「もちつき大会で」「こども会から」「スポーツ大会で」「新年会のとき」カンパ箱をおいて下さったり、参加者で集めたお金が、届けられています。ありがとうございます。
 2〜3月には、公園にあるプレハブの移転や、全壊した精神障害者グループの事務所再建に救援金を支出します。只今、4月以降1年間のお金と活動について機会あるごとに検討中。ひとつの方法として、通信を購読して下さる方を広く募っています。ぜひご協力をお願いいたします。

※メッセージより

96.2.19現在カンパ総件数4003件 カンパ人数2877人
★支出について

救援金…義援金11グループに計714万円・避難生活経費・拠点運営費等
お見舞金…42団体分、1260万円
人件費…介助派遣・情報発信・物販・企画etc再生めざして常時17名が有償で活動中。(兵庫14名・大阪3名)
救援物資…プレハブ3件設置と移転内装設備費・車3台・バイク5台・印刷機・ワープロなど
電話料…被災地に携帯電話5台と毎月の通話料金など
★収入について
 街頭カンパは救援本部主催以外の街頭カンパも含まれています。雑収入は立替金返金などです。通信購読カンパ(年間千円)は個人・団体・企業のどれかに含めています。多数お申込みありがとうございます。


THE・街頭カンパ

大阪編

◇2月4日(天王寺)の報告◇
■参加者数→参加7団体 延べ10数人
■募金総額…¥170,774 ■募金累計額…¥6,295,750
カンパ当日、大阪は本当に寒い一日でした。1月に比べて参加人数が少なく、ほとんどの人が一日とおしで参加しました。さて3月のカンパはどうなるでしょうか?
■次回の日程 3月3日(日) 天王寺駅地下鉄天王寺駅駅長室前

催しのご案内

3月3日(日)救援本部街頭カンパ(上記)11時〜6時天王寺
3月9日(土)Beすけっと(078−531−9538)連続講座『宝物をさがそう』講師牧口一二さん「共に生きられない社会」1時〜5時兵庫県福祉センター(王子動物園から西へ8分)
3月16日(土)兵庫96障害者春闘〜復興みんなが生きる街へ〜
◆1部◆シンポジウム 1時〜3時半 県立中央労働センター(JR元町阪急花隈下車)
 『どうする地域の福祉ビジョン』
 パネラー ・相良二朗さん(県立福祉まちづくり工学研究所)
・西岡務さん(自治労)・尾上浩二さん(救援本部)ほか
◆2部◆デモ行進〈障害者雇用推進行動〉
 主催/障害者問題を考える兵庫県連絡会議(078−321−1970)
3月27日(水)救援本部総会 午後6時〜8時半 芦原橋総合福祉センター (JR芦原橋)


事務所の窓から no.6  そんな!

 「逃げる」2月もあとわずか。今、シンポジウム報告集とこの通信の作成が同時進行中で、頭の中を文字たちが泳ぎ回っております。陽のささない事務所でワープロ画面を見つめ紙に埋もれる日々。全国のまだ見ぬ支援者たちと何かしらつながっていると思えるのが支えです。
 震災から1年。「2年目に入ったら世間の関心は薄れる」というのは当っていないと思いたい。
 最近また写真パネルの問い合わせが増えた。「被災者はまだまだ大変だ。ひとごとではない」という気持ちが受話器のむこうから、お手紙の行間からビンビン伝わってくる。草の根市民の気持ちの寄せ具合はあまり変っていないのではと思いたい
 被災地障害者センターも2年目を迎え、活動の整理を行っている。泊まり込みスタッフ12人と地域ボランティア50人とで続けている障害者の生活と行動を支える介助活動は区切りのつけられるものではない。福祉行政の底上げがないことには解決つかない問題ばかりだ。その上、この3月で引き上げる他の支援グループの引き継ぎもありそう。行政の受け皿はない。「そんな!」と誰しも思う。でも、この1年間、いったい幾度、悲鳴にも似た「そんなあ!」が発せられたことか。二の句がつげない程のあぜん・ぼうぜんの思いが、被災した人々の胸にこれ以上押し込められない位詰まっている。もう「そんな!…」で途切れるのはやめにしよう。その次の言葉を紡ぎ出そう。その次の言葉が一人一人から、熱く力強く次々と飛び出てくるに違いないんだ、きっと。
 思いよ、言葉よ、高く舞え。


おしらせ

◆この2月号から、東京の障害者団体などによる被災障害者支援実行委員会を通じてカンパや物資、ボランティア等支援をいただいた個人・団体各位にも、救援本部通信を送らせていただいています。送付してよいか等ご確認をいただく余裕がなく、突然で申し訳ありません。震災後の現地の情報が広く伝わることを願ってお届けします。この件でのご連絡は、救援本部(右記)までお願いします。
◆学校にエレベーター設置を求める署名用紙を入れています。ご協力をお願いします。


(c) 1996兵庫県南部地震障害者救援本部 (デジタル化:神戸大学附属図書館)
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