KSKQ障害者救援本部通信, No.20

兵庫県南部地震障害者救援本部

1996.6.26. - 8p

請求記号:震災-7-z27


センターいつまでもおってな。頼りにしてるから。

 待機所。神戸市の説明によると「居住先の決まらない被災者が、自立または仮設住宅に入居するまでの間、暫定的に生活する場所。」今も市内5カ所に100人が生活する。仕事場や通院の関係で遠い仮設住宅では生活できない人ばかりだ。大むね教室などの空間を90センチ高さの段ボールで間仕切りして4畳半の大きさが1所帯に割り当てられている。

[写真あり 省略]

 神戸市では8月20日に災害救助法が打ち切られ避難所は閉鎖された。市内にはまだ7千人もの被災者がそこで生活していた。打ち切りに伴い食事の配給は終了、旧避難所は統廃合され被災者たちは何カ所かの「待機所」に集められた。救助法打ち切りを示す市の「お知らせ」文は被災者の神経をおろし金でこするに等しいものだった。「一日も早いみなさんの自立をお祈り致しております。」

避難所は弱肉強食の世界やった

 中野健市さん(68)みつみさん(67)さん夫妻も待機所で暮らす被災者だ。
 健市さんは18年前、フォークリフト操作中の事故で下半身が不自由になり、車いすで生活する1種2級の障害者だ。以来、妻のミツミさんが土木作業などで生活を支えてきた。
 新開地駅そばの湊川町の自宅(文化住宅2階)で被災。建物は全壊した隣家に押し潰され隣のホテルに倒れかかった。中野さん夫婦は家具の下敷きになった。なんとかはい出たが出入り口がふさがれて閉じ込められてしまった。近所の人に助けられたのは4時間後。近くの避難所である兵庫中学に行ったときには既に満杯状態。2千人もの被災者が体育館、教室、廊下にひしめきあっていた。なんとかあいていた場所に身を横たえたものの、とても車いすで移動できる余裕はなかった「トイレにも行けず紙おむつをつけることにしたが、間仕切りもない雑魚寝状態で交換に苦労したという。
 みつみさんの話によると「お年寄りが何人も肺炎になって救急車で運ばれていったけど誰も帰ってこなかった。」という。健市さんも肺炎になり巡回の医師に入院を勧められたが、戻れなくなるのではとの不安、避難所での居場所がなくなるとの不安で避難所に残ることにした。高知から救援にきていた医師が「ここで治そう」とバスケットゴールに点滴装置をつけて治療してくれた。配給の弁当をもらいに並ばなくてはならないのだが、健市さんが寝たきり状態のため「2人分ください」と頼んでも「並ばないと渡せない」と言われくやしい思いをした。寒さに震えても暖房は許されなかった。

被災者をのけものにするのが教育か

 (95年)6月に入ると学校側は学校教育への影響を理由に体育館の明け渡しを求めてきた。被災者と学校側との話し合いの席上、卒業生だという一人の被災者が「僕らの時は体育館なんか無かった。体育館でバレーボール出きないのがそんなに困ることか。被災者を追い出してまで守らないかんもんか。」と抗議した。「私も勇気を出して言うた。」とミツミさん。「私ら戦争中学徒動員でろくに勉強も運動もしなかったけど生きる力はついた。ここで私らが行くとこなくて暮らしてるの見るのも立派な教育や思う。」でもあのころから先生らの私らを見る目が冷たくなったような気がする。あいさつしても知らん顔やし・・。

仮設住宅はお父さんには暮らせない

 8月20日で災害救助法が打ち切られ仮設住宅への移転を強く促されたが、最寄り駅にエレベーターがないことや病院が遠くなることでとても行く気になれなかった。
 結局、年が明けて隣の公園に立てられた元仮設校舎に移った。中野さんは1号棟の端の教室を間仕切りした「部屋」に2人で暮らす。風呂はなく、みつみさんが健市さんの車いすを押して銭湯に行くが道がガタガタで車いすも重くきついと話す。

日本が民主主義の国て本当?

 「待機所いうとこは宙ぶらりんで落ち着かない。時々役所の人が早よ仮設に移れ言いにくる。これからのこと考えたら夜もなかなかねられへん」「雨の日は炊事場への渡廊下の屋根から雨が肩にかかって濡れるからとい(樋)をつけて、と頼んでも予算がないの一点張り。住専には何千億出す国が。ほんまに情けない。日本は民主主義の国や言うたん誰や。」「一日も早く家賃の安い公営住宅に移って安住のすみかを作りたい。今はそれだけが楽しみや。センターの人が来てくれてほんまに頼りにしてる。いつまでもセンターつぶさんといてほしい。私らがなんぼ行政に言うてもなんにも聞いてくれへん。センターの人が一緒について来てくれたら車いすも新しいのに替えてくれた。個人がなんぼ行ってもあかん。私らはもう絶望してる。被災して人間のいやな面を身過ぎてしもた。落ち込むばっかりや。弱いもんはどこまでも弱い。センターが頼りや。いつまでも、私らが死ぬまでおってや。」
 切々とみつみさんが語るそばで健市さんは深いまなざしでじっと下を見つめたままだ。

無言の抵抗

 「私らは無言の抵抗をしてる」とみつみさん。「不便な仮設行け言われても動かへん。頼んでも聞いてくれへんからもう何も言えへん。私らに残された手段は無言の抵抗だけや。」

権利擁護(行使)拠点としての被災地障害者センター

 被災障害者の方々のお話をうかがっていて日増しに強くなる思いがある。それは地域に「権利擁護(行使)」拠点が必要だということ。各種制度やサービスがあっても申請主義なので制度やサービスを利用したい人が役所に出向かないと手続きが始まらない。申請してもいやな思いをしたり時間がかかったりで、しまいには「もうええわ」となる。何より当事者がそういうサービスを受けられることを知らないことが多い。また逆に行政の担当者もくわしく知らずに適切なアドバイスが実際にできないこともある。
 地域の「権利擁護拠点」。被災地障害者センターは今まさしく被災障害者の権利擁護拠点になっている。センターから訪問する度に「センターはいつまであるの?」と尋ねる高齢障害者たち。センターが動けば動くほど無理やり埋もれさせられていたニーズの底無し沼が出現する。「権利意識」を持たせられず「甘えたらアカン、わがまま言うたらアカン」と身を粉にしてガマンにガマンを重ねてきた日本の庶民たち。今回の震災でそうした庶民いじめの構図が更にくっきりと浮かび上がってくる。

 「そやけど今度の地震がいちばんきつかったな。戦争の時よりきついわ。私らの代わりにあんたらで行政がようなるよう言うて行ってほしい。それから、また日本のどこかでこんな災害があった時に、センターみたいな障害者のことようわかってる人らが避難所をまとめないかん。もう私らみたいなくやしいつらい思いは誰にもしてほしくない。」

 「私はね、センターが社会的にちゃんと認められてるのか見届けたいの。昨日もテレビの震災特集で<ボランティアは挑戦する>いう番組あったからセンターが出ると思て見たら出てないから腹立ったわ。ふれあいとかエエ話ばっかり。私らみたいに宙ぶらりんでしんどい老夫婦のこと一つも出てけえへん。センターのことみんなもっと知ってほしい。センターぜったいなくならんといてほしい。」 (報告/橘)

[写真あり 省略]

インフォメーション

被災地障害者センターではこれまでの1年4ヵ月の活動をふまえたボランティア講座を計画しています。「ボランティアってなんだ?」「震災前から非日常を生きてきた障害者のくらし」などなどセンターならではの企画を練っています。7月後半から開講する予定。問い合わせは被災地障害者センターまで。 078−672−1000FAX078−672−8797
「記録室文庫」開設 震災救援活動に関する資料をできうる限り集め保存することを目的に設置されたボランティア団体「震災・記録活動室」は「記録室文庫」を開設、資料を公開している。問い合わせ先→神戸市長田区東尻池町1−11一4 078−682−7230FAX078−682−7231
本の紹介『神戸黒書・阪神大震災と神戸市政』市民がつくる神戸市白書委員会編労働旬報社¥1800『大震災・市民編1995』長征社¥4944被災者に密着して聞き取った証言集。
高いので地元の図書館で購入してもらいましょう。


発信・仮設住宅

ポートアイランド仮設住宅群から 高瀬建三さん

[写真あり 省略]

 神戸ポートアイランド。人工島。沖合いに神戸空港建設が予定されている。莫大な建設費がつぎ込まれる空港より被災者の生活再建や、低水準(在宅福祉指標は全国ワースト3)にとどまる福祉サービスの拡充を優先すべきとの声も強いが神戸市当局には届かない。市街地とつなぐ動脈は自動車道路とモノレール。地震の時モノレールは落下し、交通は遮断された。多くの反対を押し切って移転した市立中央病院は震災時、市街地から孤立し、中核救急医療拠点の責務を果たせなかった。
ポートアイランドに建設された仮設住宅は六千戸。被災地最大の仮設住宅群だ。

○高瀬さんは神戸市灘区の自宅で被災。建物は全壊。荷物もほとんど持ち出せなかった。以前から介護に入っていた近くのデイケアセンターに避難しながら各避難所を回って精神「障害」者の支援活動を行った。「精神医療SOS」電話相談窓口も設けた。混乱の中で精神「障害」者は排外の的にされるのでは、と思うとじっとしてはおれなかった。8月に入り5度目の抽選で仮設住宅に入居できた。

○延々と続く仮設住宅は収容所を思わせる。遊園地ポートピアランドに隣接。「部屋にいると遊園地から聞こえる歓声にビクっとすることがある。」というのも、自治会の世話役を引き受けてから毎日のように相談や苦情があるからだ。「立て付けが悪いので窓を閉めていても強い浜風で雨が吹き込む。」「猫の死骸が床下にある。」「窓ガラスを割られた。」「誰か酔って騒いでいる。」・・。孤独死を発見したこともある。周囲は40代から60代の単身者がけっこう多い。寂しさをアルコールで埋めてしまいがちだ。少しでも気持ちをなごませてもらおうと高瀬さんたちは催し物や相談活動に心をくだく。
 「被災者の『心のケア』が、ほとんど実行されていない。掛け声だけ。とくに子どもの問題が深刻だと思う。殺風景な環境とイライラした余裕のない大人の中でどんな思いをしているのか。医療・福祉・保健の従事者がパイプを密にして仮設への対応を急いで欲しい。」

○仮設住宅というとコミュニティを解体させられたバラバラの集団というイメージが強いが「それなりのコミュニティは作れるはず。いや作っていかなければ。」と高瀬さんは熱っぽく語る。「同じ被災者どうし助け合って協力して少しでもうるおいのある住宅にしたい。」「あいさつもできるだけしようとみんなで話している。花も植えていこうって。」
 ふれあいセンター(集会所)の回りはきれいに花壇が設けられていた。住宅の回りもところどころ花や野菜が植わっている。高瀬さんと外を歩くと出会う人出会う人があいさつをかわす。
○「震災後初めてのグッドニュース」と差し出されたその日の朝刊のトップ記事は被災者向けの復興住宅の上方修正と所得に応じての家賃軽減(6000円〜ただし5年の限定)の政府方針だった。
 「やっぱり皆の一番の願いは恒久住宅にいつ入れるかだから。そのめどがなかったら落ち着かない。人間は住基盤がないのが一番不安定になる。」

○自治会は5月にアンケート調査を実施した。それによると7割が「体の調子が悪い」、「心の調子については4割の方が「よくない」と答えている。経済状態は半数が「ギリギリ」、「困っている、借金がある」が3割で大半の方が余裕のない状態だ。(兵庫県の調査でも被災者の3割が年収百万円以下だった。)仮設後については8割が公営住宅希望。
 今はほとんどの時間を自治会活動に費やす高瀬さん自身、睡眠障害や抑うつ症状をかかえる。「落ち着くために早くここを出たいでしょう?」と尋ねると意外な答が返って来て私は愚問を恥じた。「いやみんなでクシの歯が抜けるように次々と出ていくのは残る者が寂しいからあわてて出て行かんとこって言ってる。僕は最後まで見届けたい。」
(取材/千)


●人・インタビュー●
長年暮らしたこの街だからこそ私は暮らしてゆけるのです

岸田たか子さん(神戸市長田区・全盲)

――地震当時の様子をお聞かせください。
 その日はぐっすり寝ていて、その時には体がもちあがるような揺れとともに物が落ちてきて、びっくりして目が覚めました。同居している30年来の友人(岸本さんはこの友人と一緒に治療院を開いている)としばらくは表にも出られず茫然としていました。みんなが「大丈夫か」と声をかけてくれるのですが、どうしてそんなに声をかけあってるのかと不思議でした。後で大変だったことを聞きました。引っ越して2年半ぐらいで家は補修もされていたほうですし、6軒続きの家で、そのうちの倒れなかった3軒の真ん中が私たちの家で一番損壊がなかったのです。幸い私たち二人ともけがはなかったです。
 治療院のお客さんが来てくれて、引っ繰り返ったものを片づけました。そのうち静かになったんですよ。実は周りの人たちは、近くの老人センターに避難していたんですね。私たちはそんなこと知らないからガラスの破片の片付けなどをしていました。何かあったときは老人センターが避難所になっていたのですが、知らなかったんですね。
 電気もガスも水道も通じません。食物はあったんですが、食べる気がしなくて。夜の8時すぎに火災が発生したから、避難するようにという声が聞こえたんです。どこへ行ったらいいのかわかりませんから、とにかく連れていってくださいと頼んで、近所の人と一緒に学校へ行ったんですが、もういっぱいで入れなくて、近くでたきびをして7〜8人の人と一晩を過ごしました。
 翌日は火災も収まったということで、食物を近くの人に分けてもらって、近所の人に連れられて家に帰りました。一睡もしていなかったので、とにかくお布団のなかで眠りたかったですね。老人センターでおかゆを作っているから、もってきてあげられないけど取りにきたらあげられるといわれたんですけれど、ともかく眠りたくて。
 3日目(19日)に、近くの商店街から火災が発生したからまた避難するようにとのことで、どこにいったらいいのかわかりませんでしたが、大通りまでいけば連れていってもらえるということで、ともかく大通りまで出ていって、知らない人からどこへいくのか声をかけられて、避難所になっている高校に連れていってもらうことができました。
 本当は、友人の姉が大阪門真市にいて連絡が取れて迎えにきてもらうために家にいたかったんですが、避難所の世話係の人が連絡するから、家には帰らないようにと言われました。友人の姉は13時間かけて車で迎えにきてくれました。避難所で無事会えまして、いったん家に着替えとか取りに帰って、それから門真に行きました。ついたのは明け方の4時ごろでした。
――その後どうなさったんですか
 屋根の修理が終わった5月末には長田の家に戻れました。門真にいるときは、もちろん環境が違いますからまったく身動き取れず、毎日震災情報をTVで聞くだけという生活でした.地震のショックとでもいうんでしょうか。私たち盲人は電話番号などは覚えているほうなんですが、門真にいるときには点字の電話番号帳ももってきていなかったし、番号を友人も私も忘れて思い出さないんですね。屋根の修理が終わった5月末に、家に帰れました。治療院のお客さんの紹介で大工さんを紹介してもらって、早く工事をお願いできました。6軒そろってでないと借地権は売れないということで、結局その後家だけ買い取りました。
 こちらに戻ってきて知り合いと再会できました。お客さんだった人たちとか。みな遠くの仮設からも会いにきてくれたんですね。でも約半分の人は帰ってこれてません。治療院の仕事もお客さんが半分に減ってしまいました。慣れたところだからなんとか暮らせていますけれども。家の修理は200万円以上かかりましたから、30万円の補助金がでました。他には役所からは何にもないですね。国民健康保険も罹災証明が出たので、一年間は無料でしたが、この6月からは元どおりです。
――現在のくらしはいかがですか。震災後とくに困ったこととありませんか。
 以前とまったく周囲の環境が変わってしまったので、外出することができなくなりました。以前なら2〜3キロメートルの範囲ならひとりで行動できたのですが、今は恐くて外出は近くのお風呂だけで、買物も週2回のヘルパーさん任せ、役所とか病院にいくときにはボランティアの人にガイドヘルパーを頼んでいます。もっとひとりで歩けるようになるといいのですが…ボランティアのガイドヘルパーや家屋改造助成のことは市政だよりの点字版で知りました。他に「点字毎日」が私の情報源ですね。
 すぐ近くでなくなった人もいます。近所の人はよくしてくれます。声かけあってね。30年住みなれたところだからこそですね。不便だけど毎日の生活はそれなりにできてます。地震のことは早く忘れたいです。今とこれからのことが大切ですから。(談)
(聞き手 福田)

[21号に訂正あり]
お詫びと訂正
前号(救援本部通信No.20)の「人・インタビュー」で岸田たか子さんとありましたが、岸本たか子さんの間違いでした。岸本さん本当にごめんなさい!お詫びして訂正いたします。


全国の支援活動から 大阪発!

おいしく食べて飲んで支援グッズも買えるそんなお店をご紹介します

僕のTシャツは、このお店でも買えるよ!

居酒屋ちゃあむ

美味しいオリジナル料理(気合いがはいってます!)がいろいろあって、飲んで食べて楽しめるお店。ママの素敵な笑顔に会えるのも楽しみの一つ。きさくな雰囲気で幅広い層のお客さんに愛されています。
・地下鉄中央線緑橋駅4番出口から徒歩3分  06−965−2367

[写真あり 目につく所にグッズをディスプレイして… 省略]

地酒の店 典子

[写真あり この笑顔に会いたくて足を運ぶお客さんもいるはず… 省略]

カウンターに座ると、その名のとおりおいしい地酒が次から次へと。
お酒を愛してやまないママの典子さんとお客さんの間には、「地酒」をとおして言葉を超えたふしぎな通じあいが感じられます。
・地下鉄谷町線阿倍野駅3番出口から徒歩2分  06−624−7443

どちらもほぼいつも満員なのであしからず…
救援本部より:これからも息の長〜いご協力よろしくお願いいたします

全国の支援活動をしてくださっているかたをお知らせください。このコーナーでご紹介しだいと思います。


救援本部会計報告 本当に必要なところに届く「ふくし」。

○人間として生きる「ふくし」を共につくっていきましょう。
連帯のメッセージを待っています。

[写真あり 省略]

 丁重な転居や名変更のご連絡を、多数頂いていますが、「転居先不明」等で帰ってくる通信もかなりの数になります。できるかぎり、ひとことお知らせください。遅くともその翌月から、新しいご住所にお送りいたします。

※メッセージより

★支出について
救援金…義援金13グループに計824万のほか、震災直後の避難生活経費・各地域での拠点建設運営への支援金。第三次配分相談中。
救援物資…プレハブ3件建設とリース料金・移転内装設備費・車3台・バイク5台・印刷機・ワープロなど。
お見舞金…42団体分、1260万円
人件費…95年度中は、介助派遣・情報発信・物販・企画etc再生めざして常時17名が有償で活動(兵庫14名・大阪3名)。96年度は救援本部の人件費支出は大阪のみ。兵庫ではグッズ販売などを財源とする。
電話料…95年度中は、被災地に携帯電話5台と毎月の通話料金など
★収入について
 街頭カンパは救援本部主催以外の街頭カンパも含みます。通信購読カンパ(千円)は個人・団体・企業のどれかに算入しています。購読カンパという名前ですが用途は救援金カンパと同じです。多数お申込みありがとうございます。


THE・街頭カンパ

救援本部主催

6月2日(日)天王寺
◆参加者 のべ29人
◇募金額   ¥212,767
◆募金累計¥7,323,330
◇次回は7月7日(日)

「ゆうゆう」や「ぷくぷく」の若いスタッフがキャピキャピとビラをまいていた。大阪の「生きる場」にもこうやってエネルギッシュな若い力が集まってくるのはホンマにエエこっちゃなあとおじさんはしみじみ思った。


もよおしのご案内

6月30日(日) 障害者政策研究集会・地元実行委員会発足集会ごご1時〜5時西宮総合福祉センター(JR西宮駅)<記念講演>『障害者プラン』(ノーマライゼーション7カ年戦略)と私たちの地域づくり(『復興』『自立』『戦略』)講師=大谷強さん(関西学院大学教員)
7月3日(水) 救援本部事務局総務うちあわせごご3時〜救援本部事務所
7月4日(木) 故・浜根和子さん裁判第2回公判大阪地裁ごご1時20分〜1009号法廷
7月7日(日) 救援本部の街頭カンパ午前11時〜ごご6時地下鉄天王寺駅長室前
7月7日(日) 障問連(兵庫)生きる場・作業所意見交流会午前11時〜川西市『あかねはうす』作業所≪生きる場・作業所の未来への語り≫&バーベキューパーティ
7月31日(水) 救援本部事務局会議午前10時半〜芦原橋ヒューマインド
11月30日(土)〜12月1日(日)障害者政策研究全国集会・知的障害者全国交流会(神戸)


遊び雲(コーヒーショップ) 虹の家(リサイクルショップ)オープン

地域にうって出る障害者の拠点が被災地にまた一つ誕生しました

[写真あり 省略]

ウエストコースト風の店内。プレハブとは思えぬできばえ。お隣はリサイクルショップ。ぜひお立ち寄りくださいませ。
JR甲子園駅南西に歩いて5分のところです。

「遊び雲」
◆西宮市甲子園口3−12−10
 0798−67−1500

「虹の家」
◆西宮市甲子園口3−12−9
 0798−67−6788


事務局からおしらせ 先月号は19号です。訂正よろしくお願いします。付録のビラを活用して通信購読者をご紹介くださいね。ご意見おまちしています
 

(c) 1996兵庫県南部地震障害者救援本部 (デジタル化:神戸大学附属図書館)
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