KSKQ障害者救援本部通信, No.22(1996.8.26号)

兵庫県南部地震障害者救援本部

1996.8.28. - 8p

請求記号:震災-7-z27


かずこさん 見ててね
  あなたがしたかったこと
    みんなで探していくから。

[写真あり 浜根かずこさん 省略]

 「愛!愛(娘)!起きて!」と叫び続けていました。えっ!これは一体なに?思考が停止した40秒!体の上に雨あられと降りそそいだ本、レコード。又、地震が起こったらとの思いで布団の上で固まっていた私でした。息子明は?夫は?一階の店は大丈夫だろうか?電気・ガス・水道は?障害者の仲間は?電話がおかしい。単車で夫に走ってもらう。テレビは地震情報を流している。私らは命があったんだ、ボーッとしてたら申し訳ない。食糧、薬(精神安定剤)を積んで六甲へ。知的障害を持つ芦屋の仲間のもとへ「確認に行って」と私、走りだす夫。

――今は亡き浜根かずこさんが昨年5月に書かれた文章の冒頭部分だ。*
*ジョイフルビギン「障害者と阪神淡路大震災」収録

 JR尼崎駅を降りて南東へ少し歩いて横丁を曲がると大衆中華「菜来軒」の看板が見えてくる。油が染み込んで年期の入った赤いのれんをくぐると、そこは浜根ワールド。
 「いらっしゃい!」威勢のいい一雄さんの声。何か口を開く度に豪快な笑い声が続く。眼鏡の奥は優しそうな目。2階から「お名前は?」と明さんが降りてくる。
 カウンターの隅には市民運動の各種ビラが。奥の3畳程の座敷には「障害者」問題や人権、情報公開の資料や本がうず高く積まれている。

[写真あり 一雄さんと明さん(中央は相談に訪れた地域のお母さん) 省略]

菜来軒はよろず相談所

 ここに居を構えて20年。学生運動で知り合って結ばれた浜根かずこさんと一雄さん。22年前に明くんが生まれ、彼とていねいにつきあう中で障害者運動に出会うことになる。
 「分けられずに同じ世代の子どもと、もまれもみ合う生活の中で育ち合いたい」という願いで、地域の保育所、小学校、中学校、高校に入ることを目指し、実現してきた。
 地域の学校に入ることは地域の子どもにとっては当たり前のことだ。子どもが希望すれば通学できるように条件や環境を整えるのが教育行政の仕事。それなのに「障害児」が普通学校普通学級に行こうとすると、それは「就学闘争」になってしまう。教育行政が「障害児」を差別し排除しようとするから、子どもと教育権者である親は「闘って入る」ことになる。浜根さん夫婦はそうしたたくさんの子どもと親の相談に乗り、励まし勇気づけ、共に悩んできた。

障害者のネットワークの底力や

 地震の時は浜根さんたちは救援する側に廻った。
「いつも助けられてばかりの私、役に立ちたい!炊き出しをしたい!」という障害者の仲間の声に励まされ地域の50人規模の避難所で、地域の私立高校の生徒、難病の会、キリスト教会などの協力も得て被災者のために、毎週土曜日に炊き出しをした。
 障害者の提案で被災者との交流会をもった。それがきっかけで、被災障害者、高齢者から生活保護・介護手当受給の相談や下着が欲しいなどの相談がポツポツ出てきた。「障害をもつ人なら、私らの悲しみもわかってもらえる」と心の垣根を取り払われたようだ、とかずこさんは語っていた。彼女は「相談事なら任せとき。障害者の相談で20年のキャリアや。」と走り回っていた。困っている人を見たらじっとしておれない性格は筋金入り。尼崎の仮設住宅連絡会にもしょっちゅう参加し、被災者の生活改善に奔走した。
 障害者仲間や被災者になくてはならない存在だったかずこさんは、地震から半年が過ぎた7月末の暑い日に急死した。民間「治療機関」での不本意な死だった。

障害者の要求を出すとすべてが見える

 あれから1年が過ぎた。明さんは毎日「お母さん何時に帰る?」と尋ねる。
 二人で切り開いてきた地域の就学運動。障害者が生まれ育った地域で当たり前に暮らせるようにと準備していた作業所も開設したばかりだった。かずこさんの形見のようなサニーサイド作業所をなんとか地域に根付かせようとメンバーは毎日力を尽くす。
 明さんは小学校の頃から、毎週月曜の店の定休日は大好きな阪神電車に乗って神戸までお出掛けと決めていて、ずっと一雄さんがつきあってきた。地震の時はしばらく西宮までしか行けず明さんが納得するか心配したが、西宮駅まで行って実際に惨状を目の当たりにするとあきらめて家に帰ったという。いつも途中下車して立ち寄る大石駅そばのビルも壊れてなくなってしまったが、明さんは今も必ず跡地に立ち寄る。
 昨年秋からは一雄さんに代わって被災地障害者センターのボランティアが同行するようになる。他の日は障害者労働センターで牛乳パックの整理に精を出す明さんも、月曜日は三宮でランチなのだ。(同行者募集中)
 一雄さんはかずこさんの分も動き回る。先日も尼崎市障害福祉新長期計画策定・中間報告案に関して第1回目の要望を提出した。震災後の住宅施策についても障害者の立場から仲間たちと要望を出した。次は知的障害者の介護保障要求のとっかりとして、ガイドヘルパー制度適用を市に要求していくつもりだ。「これからも障害者が当たり前に堂々と生きていけるように明と一緒に歩いていきたい。かずこはいっぱい心を残していった。したかったこと、言いたかったこと、いっぱいあったやろうに、本当に口惜しかったと思う。」
 かずこさんの1周忌に仲間たちの手で追悼文集が刊行された。「優しさ染め抜いたエプロンはためかせ駆けぬけた貴女へ」と題した文集は哀悼の言葉で埋まり、かずこさんの足跡の大きさが忍ばれる。私は震災後の出会いだから数える位しかお目にかかっていない。文集を読むほどに、もっと早くお会いしたがったと残念でならない。
 かずこさんは冒頭の文章を次のような言葉でしめくくっている。
 縦社会ではなく、横のつながりで再構築です。生きる為の最低の要求、それは住宅。皆が住む場所を手に入れなければなりません。もうあんな恐い思いをするのはイヤ!公営住宅に住める様にがんばらなくては。働く場を!障害者の要求を出すと、全てが見えてくる。“社会の復興は障害者から!”が合い言葉です。


ユーザーとしての障害者・高齢者ニーズを反映するシステムが必要だ
−神戸港中突堤旅客船アメニティターミナル整備事業・意見聴取の報告−

坂上正司

 7月17日、神戸市役所において「神戸港中突堤旅客船アメニティ・ターミナル整備事業」についの障害当事者からの意見聴取が行われ、尾上浩二氏(大阪府民の会)、松本薫氏(神戸車椅子マップを作る会)と私の3人が臨んだ。出席者は私たちの他に、市役所、学者、コンサルタント会社とあわせて20名ほど。
 さて、この事業は神戸市が阪神大震災で崩れた神戸港国産弁天地区に旅客船ターミナルを作るもので、障害者・高齢者のアクセスビリティに関する部分は(財)交通アメニティ推進機構から助成が出ることになっていて、1998年春頃の完成を予定している。
 まず最初に、この計画が今まで関西地区で計画された建物の中では比較的よく検討されて、障害者・高齢者への配慮も先駆的なものであることを述べておく。しかし、これはあくまで比較の問題であって、必ずしもベストと言えるものではないことも同時に述べておく。ここでは紙面が限られているので、障害者の「動線」(人の流れ)という視点から考えてみる。
 建物のなかのエレベーターや自動扉、誘導鈴や点字ブロック、手すりにトイレなど基本的な設備は、おそらく何かのマニュアルに書いてある通りに揃ってはいる。動線は直線的でわかりやすいものになっており、健常者のそれとの差異も最小限にされている。しかし、入口付近の動線はなぜかわざわざ曲げてある。エレベーターはデザイン優先のらせん階段のために、通り抜け型が却下された。感知式扉、自動移動などは検討事項になったことは評価できる。
 さて、都市交通におけるターミナルとは複数の交通機関が接する部分のことを指すはずで、確かにこの建物も南側の旅客船、北側のバス・タクシー、計画中の地下鉄海岸線などのターミナル的な位置にはある。しがし、現実的には簡単に乗り込める旅客船やバス・タクシーがないので、単なる便利な建物に過ぎないのは残念だ。周辺交通機関が整備されない限り、ここをターミナルと呼ぶには少々おこがましい気さえする。
 最後に、この計画は決して悪い計画ではないが、本来ユーザーの一人であるはずの私たち障害者があくまで協力者としてしか扱われていないことは残念だ。産・官・学だけでつくる計画には限界があることがこれだけはっきりわかっているのだから、ユーザー一人一人の意見がより反映される計画が望まれる。(障害者情報クラブ事務局長)


グラフィティ 被災地の夏

震災後2度目の夏。今年の夏も暑かった。
復興住宅の入居申し込みが始まった。元の場所へ帰れるのか。いつ入れるのか。
それぞれの夏。果てしなく続く青空のように心が晴れ渡る日よ早く来い。

[写真あり 尼崎市の仮設住宅に住むHさん。地震の時はタンスの下敷きになった。仮設の壁は本当に薄く、音が気になって夜なかなか眠れない。ひさしやトイレ・風呂の手すりは知人がつけてくれた。とにかく暑い。 省略]
[写真あり 被災地障害者センターのボランティア講座ビラまきや新聞広告(無料)で新人が15人も来てくれた。地域ボランティアも入れて22〜3人の参加で一同大喜び。これは寸劇「障害者のくらし]。なかなかの出来でした。 省略]
[写真あり JR鷹取駅の線路沿いに続く仮設住宅 省略]
[写真あり ピータンハウスは、1年間過ごしたプレハブの作業所の場所が防災公園用地にかかるため、須磨区のマンションの1室に引っ越した。周りはやはり更地が目立つ。なんとか地域に根付きたい。 省略]
[写真あり 抗議のビラまき」精神保健福祉事務の移管に伴い、神戸市と兵庫県の補助金負担のなすり合いで事実上減額、という異常事態に抗議して、7月25日神戸市内の作業所メンバーが市役所前でビラまきをしました。被災地障害者センターも応援にかけつけました。 省略]

それぞれの夏しんどいことも腹立つこともうれしいことも情けないこともワクワクすることもあった夏ももう終わり みなさんの夏はどうでしたか?

被災地障害者センター「障害者による復活救援活動」No.6神戸ホームヘルパー事情より(一部抜粋)

 神戸市のヘルパーはいわばパートタイムヘルパー。そこに大き数字のマジックが隠されている。ヘルパーをいくら増やしても依頼が少なければ、または依頼を水面下で止めておけは資金は少なくてすむ。働いた時間だけの給料を出せばいいのである。ヘルパーの人数は確かに増加している。しかし、それに比例してヘルパーの仕事が増えているようにはなかなか思えない。この前ひとり暮らしをしたいということで、ヘルパーを新規で依頼したときなんか「最高がんばって週一回、二時間の派遣です」という返事。もしかしたら震災後、ヘルパー依頼が急増したのかもしれないが、それにしてもがんばって週一回とは情けない。
 在宅生活を送るために行政のサービス拡充が急務であることは震災から学んだはずである。これは行政も認めている。予算がないという事では済まされるわけがない。安上がりに安上がりに「福祉」推進し、実際に必要としているニーズも極力抑えようとしている姿が見え隠れする。特に神戸市内でも区によって、または人によって派遣時間の上限が異なるということがどうも不思議だ。  前記の新聞記者とヘルパーのことで色々と話をしていて、私が「ヘルパー減らされたり、最
高一回だなんて言われて、これじゃ在宅生活出来ませんよねー」とこぼしたとき、彼女は「えー、行政は『必要性に応じて毎日でも派遣できます』って言ってましたよ」と不思議そうな顔で答えていた。
 被災地障害者センターの活動の大部分は、実はヘルパー制度が充実し融通が効くものであれは解決する問題である。「この人の生活どうなるの」と個々違った問題を抱えた一人一人のことを行政に訴えていこうと思っている。 (福)


投稿

キメ細かい福祉行政を求めて
新明 進 (内部障害者の福祉を守る会連合会・西宮在住)

 悪夢の様な大震災から1年6ヵ月が過ぎました。高齢者や障害者の方の現状は改善されたでしょうか? 疑問をもつ者は私一人ではありません。芦屋、西宮、尼崎市と仮設住宅巡回相談の福祉専門で多くの方々と話し合いお悩みを聞いてきました。あいにく体調を悪くし辞職して2ヵ月立ちますが、今も相談が持ち込まれます。行政は何をしているのでしょうか?

 震災直後から仮設住宅に閉じこもり一日中酒におぼれ肝硬変で苦しみ通院費もなく寝たきりの方、疾病で苦しんでおられるご高齢の方々に対してその都度その市の高年福祉課にホームヘルパーやケースワーカーに対応を要請してきましたが、その時は対処して下さっていても、今は何もしてくれないとの苦情が寄せられています。巡回相談中、身障者手帳の交付助言と申請手続きを数多く行いましたが、今の相談員の方は「今日はお変わりありませんか?そうですか。又何日目にお伺いします。」の言葉のみで、個々の苦情の内容までの相談はないとの訴えです。震災弱者の方々の救済の基本に立ち返ることが必要かと思います。

 震災で自宅が全壊し仮設に入居。自宅の敷地はさら地になって草が伸び放題で蚊が発生するから引き抜くよう地元から要請があったが、独りくらしの高齢者ではどうにもならず、市にお願いしても自分で処分して下さいとのツレない返事であります。

長年市税を払い、年金生活者の身に消費税が課せられ、更に来年4月より5%の消費税の負担は追い打ちです。高齢社会と共に増加する障害者の現状を把握して、被災者へ共に温かい手を差し伸べるべき機会は今をおいて他にはないと思います。

◇仮設住宅入居世帯40899世帯(兵庫県で被災した人) 8/23現在
(内訳) 神戸市 25506世帯  宝塚市 1120世帯  北淡町 514世帯
  西宮市 4571世帯  加古川市 907世帯  伊丹市 487世帯
  尼崎市 1994世帯  大阪府・市 745世帯  姫路市 444世帯
  芦屋市 1953世帯  明石市 662世帯  その他 1996世帯
◇神戸市内の避難生活者354人(待機所96人避難所258人) 8/1現在
◇仮設住宅入居者の生活保護受給世帯4939世帯 4/1現在
(県平均割合の7.8倍その内高齢者世帯5割障害者世帯4割)兵庫県神戸市調べ
 

障害者労働センター(DWC)シンポジウム

第1部 恋愛のすすめ 講師/樋口恵子さん(町田市議員)
第2部 それぞれの立身でもう一度見つめなおしてみよう。もっと本音でつきあうために 〜障害者と健全者にわかれてのトーク〜
終了後、交流会を行ないます
◆とき  9月28日(土)午後2時〜5時
◆ところ  東淀川勤労者センター
 (地下鉄御堂筋・JR新大阪駅徒歩5分 06−321−0001)
◆参加費  1000円
手話通訳の必要な方は9月14日までにご連絡ください
【主催・お問合せ先】障害者労働センター連絡会(TEL/FAX06−321−6596)


救援本部会計報告

2年目の夏もこんなにもたくさんのカンパ本当にありがとうございます。

 9月に第4次支援金の配布を予定しています。被災地の障害者の拠点(作業所、ケアセンター、たまり場など)が対象です。震災で示されたように地域拠点は非常時も平時も救援センターであり、障害者の権利擁護・情報センターです。内容については来月号で詳しくお知らせします。

★支出について
救援金…義援金13グループに計824万のほか、震災直後の避難生活経費・各地域での拠点建設運営への支援金。
救援物資…プレハブ3件建設とリース料金・移転内装設備費・車3台・バイク5台・印刷機・ワープロなど。
お見舞金…42団体分、1260万円
人件費…95年度中は、介助派遣・情報発信・物販・企画etc再生めざして常時17名が有償で活動(兵庫14名・大阪3名)。96年度は救援本部の人件費支出は大阪のみ。兵庫ではグッズ販売などを財源とする。
電話料…95年度中は、被災地に携帯電話5台と毎月の通話料金など。96年6月以降は本部事務所の電話代・FAX通信ネット経費
★収入について
 街頭カンパは救援本部主催以外の街頭カンパも含みます。通信購読カンパ(千円)は個人・団体・企業のどれかに算入しています。購読カンパという名前ですが、用途は救援金カンパと同じです。購読カンパは現在313名の方からいただいています。


インフォメーション

「県外避難者の実状と支援を考える」フォーラム
【日時】9月28日(土)2時〜5時
【主催】市外・県外避難者ネットワークりんりん
     TEL 06−443−3808 FAX 06−449−8204
【会場】神戸市産業振興センター(JR神戸駅より南東へ歩いて5分


THE・街頭カンパ

救援本部主催

8月4日(日)天王寺
◆参加者 のべ31人
◇募金額   ¥287,983
◆募金累計¥7,934,231

昨年2月から毎月休まずに行われている救援本部の街頭カンパ活動。大阪府下の作業所や障害者解放センター、労働センターなどの障害者によって11時から6時までの7時間、繁華街の駅頭で被災障害者支援が呼びかけられる。震災直後は道行く人の関心も高く、駆け寄って来て募金箱に紙幣(!)を入れて下さる方が多かったが、月日が経つにつれ募金額も減ってきた。思えばあの「オウム騒動」の洪水のような一辺倒報道が、世の中に震災など無かったかのように思わせてしまったのが響いた。
本当にマスメディアの力は強力だ。しかし、世の中捨てたものじゃない。一年半以上が経過した今、当然ピーク時には戻らないものの再び上昇中だ。「まだ震災のことやってるのか…」という驚きが道行く人の足を留めるのではないか。手前みそかも知れないが、人の流れを見ていてそんなことをふと思った。
7時間の間にはいろんなドラマがある。通行人としてビラを受け取る側だったのが意気を感じて配る側に回った人がいる。それも毎月11時から6時まで貫徹!大阪市内に住むその男性は「少しでも被災地の役に立ちたい」と言葉少なに語る。
「役所に言え!マスコミに言え!」と助言の、親切なおじさま。これを機会に関心をもって下さると嬉しい。この日は被災障害者のSさんと被災地障害者センターのボランティアがオールナイトマラソン明けで駆けつけ、睡眠不足の赤い目で汗だくで呼びかけていた。

[写真あり カンパお願いしまぁす。 省略]
[写真あり ねえチョット振り向いておくれよ。 省略]


事務局よりのお知らせ


(c) 1996兵庫県南部地震障害者救援本部 (デジタル化:神戸大学附属図書館)
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