KSKQ障害者救援本部通信, No.26

兵庫県南部地震障害者救援本部

1996.12.17. - 8p

請求記号:震災-7-z27


11.27総会決定
体制を変え
救援本部の支援ネットワーク継続

情報は被災地障害者センターが継続発信
どうかいつまでも見守っていてください

 救援本部総会が11月27日大阪市内で開かれ、震災3年目を前にして、活動方針を決定しました。救援本部は、昨年の1月21日に結成されてより、全国各地の障害者拠点ネットワークに支えられて、様々な支援活動を行ってきました。全国に向けて被災障害者や団体、作業所などの状況を伝えるとともに、被災障害者への支援を呼びかけてきました。それぞれの課題をかかえながらも、被災障害者支援に寄せられた共感は1億5千万円という、私たちがかつて経験したこともない大きな力に結実しました。改めて全国の支援者のみなさんに心より感謝申し上げます。本当にありがとうございました。
 総会において、救援本部のこれからの活動を検討しました結果、独立事務所・専従体制はひとまず終了するものの、大阪での被災地支援のネットワークは今後も継続することになりました。
 救援本部の大きな活動であった被災地情報発信は、被災地障害者センターが引き継いでくださいます。これまで救援本部通信をお送りしていた読者のみなさんへは、引き続き被災地障害者センター通信をお送りしていくことになります。
 被災地障害者センターはこれからも更に地域に密着して活動を続けます。どうかこれからも被災地障害者センターに変わらぬご支援をお願いいたします。
 私たちは、震災で立ちあらわれ、今も被災障害者をとりまく諸々の問題は、ひとり被災地だけのことでも非常時だけのことでもなく、人権にかかわる、私たちの普遍的な課題だと考えます。また、あれほどの大災害を経験した地域の障害者や地域拠点に
長期的な支援が必要であることは言うまでもないと思います。
 私たち救援本部は、長期的な視野で活動を続けようと模索しておられる被災地障害者センターをよりどころに、これからも被災地支援を続けていきたいと考えています。
 被災障害者拠点のみなさんが、震災で大きな被害を受けながらも、仲間の安否確認や救援活動に奔走されたのみならず、炊き出しや物資配布、バザー、イベントなど、地域の支援活動にも力を尽くされたことに敬意を表すと共に、私たちの教訓として深く心にとどめたいと思います。
 「被災地の街づくりは『復旧』であってはならない。今こそ災害に強く、人にやさしい、共に生きる街をつくろう」と、未来を見すえ、前を向いて歩を進めておられる被災障害者のみなさんと共にこれからも歩んでいきたいと願っております。
1996年12月 兵庫県南部地震障害者救援本部

救援本部総会の決定事項は以下のとおりです。

  1. 今後の予定
    '97年1月 ・1月中に救援本部事務所を閉鎖、1月末までは事務所職員は被災地障害者センターで業務を行なう。
    ・専従職員体制および事務所の常設は1月末で終了
    2月 ・活動報告集刊行
    ・救援本部総会開催(活動報告集刊行後)
  2. 通信、名簿は被災地障害者センターに引き継ぐ。
    通信は12月号(今号)を大阪発最終号とし、‘97年1月号は被災地障害者センター通信と合併で発行、2月以降救援本部通信購読者へは被災地障害者センター通信が送られることとなる。
  3. 大阪では被災地との連絡・支援の「人のネットワーク」を残し、窓口を「障害者の自立と完全参加をめざす大阪連絡会議(障大連)」とする。
    ◆連絡先は全障連/関西ブロック気付TEL06−969−2580FAX06−969−2544
  4. 2月以降、当面は救援本部事務局メンバーで2〜3ヵ月に1度集まり、情報交換、被災地への必要な対応等の協議を継続する。また必要に応じて関係者の召集を救援本部代表、または副代表より行なう。
  5. 会計は、‘97年1月を以て大阪の口座に必要経費分を残し、被災地障害者センターの口座に移行。以後、残務処理が終了した時点で全額を移行。
  6. 支援カンパの振込先は、1月以降被災地障害者センターの口座とする。
  7. 救援本部主催の街頭カンパ活動は、‘96年12月をもって終了する。
  8. 「ゆめ・風十億円基金」とも、今後も連携を図ってゆく。
 以上


救援本部のこれまでの動き 1995年1月17日→1996年12月

1995年
1月17日 全障連事務所で安否確認、救援活動の動き始まる。
1月19日 全国に向けて支援要請の緊急第一信発信(全障連全国ブロックより)
1月21日 在阪5団体を中心に、障害者救援本部が結成される。全障連事務所を拠点に支援態勢がとられる。以来約1ヵ月、問い合わせや安否確認、ボランティア申し出の電話が殺到、4台の電話は鳴り通しで担当者は休む間もなかった。
・早川福祉会館(ぴあ大阪)に避難所を確保、7人の障害者と家族が2ヵ月あまりの避難生活を送る。(コーディネート/おおさか行動する障害者応援センター、全障連関西ブロック、中部障害者解放センター、南部障害者解放センター)
1月25日 救援物資受付所を豊能障害者労働センター(箕面)に設置
1月26日 東京で被災障害者支援実行委員会結成。大阪との連携態勢がとられる。
2月5日 第1回街頭カンパ活動。2ヵ月の間、毎週行われた。4月以降は月1回となる。
3月28日 独立事務所開設専従職員2名
4月9日 お見舞い金を被災42障害者団体にお渡しする(総額1260万円)。
4月11日 ぴあ大阪の避難所を閉じる。
7月3日 救援本部総会で支援計画決定
8月〜 ・建物、備品復旧費として11作業所に総額714万円の支援
・新たにつくられる地域活動拠点の建設費として4拠点に総額2000万円の支援
10月18日 JR西日本交渉
11月11日 救援本部総会
12月12日 厚生省交渉
[写真あり 避難所となったぴあ大阪。 省略]
 
1996年
1月13日 シンポジウム「障害者のくらしの再生は見えてきたか?」開催。300人参加
3月27日 救援本部総会で活動継続決定
5月10日 第3次震災復興緊急助成決定
6月上旬 支援要請拡大のとりくみ(協力1200団体に「支援のお願い」版下送付)
7月31日 第4次支援金交付決定
9月〜 全半壊した作業所の再建支援として5団体に総額1250万円の第3次支援
11月2日 被災地障害者センター第7回全体会で第4次支援金配布 (被災30団体・総額約1010万円)
11月27日 救援本部総会3年目の体制決まる
[写真あり 救援本部通信の発送作業。 省略]

忘れない心は私たちの心
これからも心をつないでいきましょう。


KOBEで考えてみません?!
新しいまち、ひと、社会

『ありがとう』 −被災地から全国に

 もう行政だけに任せてはおけない。障害者政策は障害当事者自身の手で作り出そう。とのねらいで結集した障害者政策研究集会第2回大会が11月30日から12月1日にかけて神戸市内で開かれ、全国か600人が参加して活発な論議が行われた。障害者施策をめぐる国や自治体の動きが急な中、策定過程に当事者参加はもはや不可欠との共通認識を前提に具体的な方法の論議が既に積み上げられつつあるという確かな手ごたえが感じられた。また、同時開催された第3回知的障害者全国交流集会にも250人の参加があり「自分たちのことは自分たちで決めるのだ。」という自信と勇気に満ちあふれた集会となった。厳しい冷え込みで雪もちらついたが、会場は21世紀を見すえた「人間としての権利」を求める障害当事者の力強い熱気に満ちあふれていた。【編集部】

障害者政策研究第2回全国集会報告

 さる11月30日〜12月1日にかけて神戸「しあわせの村」に於いて、政策研究第2回全国集会を行い、600人近くの人が集まりました。主催者としても予想を大幅に上回ったことで、ただただ驚くばかりでした。この間、準備から様々な形で協力いただきました皆様、また参加して頂いた皆様に厚く御礼申し上げます。本当にありがとうございました。
 障害者の福祉施策の必要性が盛んに叫ばれてはいるものの、むしろ当事者による政策研究が追いついていない状態です。それは震災のあった被災地でも決して例外ではなく、むしろ震災からの生活のなかで「当事者の声を政策に反映していかなければ」と思い、神戸で集会を開くことになりました。震災で何が問題になってきたか、全国の仲間と語り合い、一緒に学びながら、新時代につながる福祉政策の在り方を検証していくのにはいい機会。全国から集まった支援者へのお礼も含めて準備を進めてきました。当初、震災以降、自治体や企業の財政状況が厳しいこともあり集会資金思うように集まらず、また福永代表が突然倒れるわ(もう退院しました)頼りない事務局長(僕)で全国実行委員会の人を戸惑わせたりして「ホンマこの集会うまくいくんかいな」と思ったこともありました。しかし、地元実行委員会の集会に対する熱意があったからこそ見事に成功したんだと思っています。各分科会でのテーマに添った取り組み、さらには当日まで影で支えてくれた多くの人たちがいたからだと思います。
 とりわけ分科会では「若者」という新しい形での分科会も生まれ、当事者が日常生活の様子を寸劇に演じるなど、政策研究とはとても似つかぬようなユニークな試みをやってのけたりしました。教育分科会でも、現在高校に通う若い人たちからの発言も出されました。また、復興の街を調査し検証した、まちづくり分科会、労働分科会では作業所問題も含めて、雇用後のフォローの在り方、知的障害者の職場での実態を告げる事件をめぐる議論もなされていました。同時開催でもあった「第3回知的障害者全国交流集会」と一緒に夜のレセプションを行なうつもりでしたが、会場の関係でできなかったことが少し残念です。しかし、西宮青葉園の人が司会をし、韓国の音楽であるサムルノリを演奏等、結構盛り上がりました。
 本来、政策研究という集会は、それぞれのテーマに精通している人たちの集まりという感じがしますが、今回神戸でいろんな立場の人がたくさんあつまり、意見を交え、熱気ある議論ができてよかったんじゃないかなあと思っています。
 ただ、今度神戸で集会をやるようなことがあれば、もっと交通アクセスのよい場所でないといかんな、まだ被災地の行政に障害者のこえは充分届いていないことを実感しました。集会をやったからというわけではありませんが、これを機に被災地の、あるいは全国レベルでのつながりを確認できたと思うし、障害者がさらに行政に提言していく突破口が見えてきたと思います。
 協力いただきました皆様、本当にありがとうございました。
障害者政策研究第2回全国集会 事務局長 凪裕之

[写真あり 省略]

来年のピープルファーストも、楽しいことをやってほしい…。

桜田厚子(神戸でみんなで話しあおう会・代表)

この集会で、東京の人か静岡の人とか20人ぐらい新しい友達ができました。朝の司会やダンス、アドバイザーの分科会やったので、もうクタクタでつかれました。楽しかったのはダンス。汗いっぱいかいた。来年静岡でも、楽しいことやってほしい。静岡には行ったことないから、一日目はみんなで顔あわせ会やって、2回目は一緒に泊まろうかって、来年の話もうできてます。  ガイドヘルプの勉強会の練習をおそくまでやったけど、ガイドヘルプ制度をまだつかったことはないので、今度使ってみなあかんな思うてます。また静岡に行ったときに、みんなに教えたげようかな。静岡は遠いね。お金もためなあかんね。でも行くで、絶対に。目標きめな、ね。  最初のあいさつは、私はよう字を書かれへんし口で言うのをワープロで打ってもろて練習しました。アドバイザーの分科会の練習もだいぶおそくまで20っぺんかもっとやったかな。だいぶん練習したからつかれたし、みんなお風呂はいったり楽しそうにそう話してるのに、さみしかった。またぜひえんぴつの家にもきてください。たのしみにしてます。みんなげんきで。 (この原稿は、桜田さんのお話を編集部までまとめたものです)


THE・街頭カンパ

救援本部主催

12月1日(日)天王寺
◆参加者 のべ40人
◇募金額   ¥310,942
◆募金累計¥8,881,044

街頭カンパ最後の取り組みに40名の参加がありました。今年一番の寒さの中、みんな大きな声で支援を呼びかけて下さってカンパ金額も30万円を超えました。毎回毎回、最後の片付けまで残って協力してくださった方、ありがとうございました。

被災障害者の支援活動はこれからも継続して取り組んでいくことが必要です。様々な支援活動の呼びかけに、今までにも増して応援して協力していって頂きたいと思います。
 1995年1月17日大震災の翌月、2月5日「ナンバ高島屋前」に始まり「京阪京橋駅前」「梅田ナビオ前」そして「天王寺」と、救援本部主催の2年間にわたる街頭カンパ活動に参加してくださったみなさん、本当に本当にありがとうございました。(共同連・柿久保)

[写真あり 人間プラカードの威力を見よ 省略]
[写真あり ビラを受け取って感じる所あり以来毎回フルタイムで参加して下さっていたAさん 省略]
[写真あり ビラ1枚に願いを込めて。 省略]


救援本部は「障害」のある人たちで成り立っているんだもの

 ある夏の天王寺カンパの日のできごと。一人の若い女性の通行人が訴えてこられた。
 「あそこでチラシを配っている男の人に『受け取れよ、アホ!』って言われたんですよ。わたしも被災者なんですけどね、こういう活動は意義あると思うんですけど、でも参加している人がそんなこと言っているようでは、ぜんぜん力になっていかない。もっとよく考えてください」と。
 チラシを配っている“彼”にはもちろん「悪気」はない。他の人とうまく話を交わしたり、うまく関係をつくったりしていくことができず、つい「邪険で失礼な」ものの言い方をしてしまうのだ。そんな彼のことをよく知っている者には何ともないが、知らない人には彼のコトバがそのまま届いてしまう。
 被災地の人々は地震によって身近な人を亡くし、家財を失い、思い出も希望も引き裂かれ、2年を経ても依然、困難な生活を強いられている。その痛手の奥底は、私たち「隣人」がどんなにおもんばかっても、共有できないかも知れないほどの深いものであるだろう。だから被災地の人々を支えていこうとするためには、それなりの心くばりがいる。
 すれ違い、誤解、言い足りなさ…幾多のトラブルは決して安易に正当化してはならない。が、それでも私たちは“彼”を含めた多くの仲間と共に活動を続けたい。障害者救援本部は、様々な「障害」のある人たちによって成り立っているんだもの。(枚方・東牧)


救援本部会計報告 ほんとうにありがとうございました

つないだ手のぬくもりは忘れません。とてつもなく力がみなぎってくるのです。

収入のうちカンパの内訳 支出

★支出について
救援金…95年度は義援金13グループ計824万のほか、震災直後の避難生活経費・各地域での拠点建設運営への支援金。96年度は、第三次支援金6団体に計1280万円、第四次支援金を30団体に計1010万円配布した。
救援物資…プレハブ3件建設とリース料金・移転内装設備費・車3台・バイク5台・印刷機・ワープロなど。
お見舞金…42団体分、1260万円
人件費…95年度中は、介助派遣・情報発信・物販・企画etc再生めざして常時17名が有償で活動(兵庫14名・大阪3名)。96年度は本部としての人件費支出は大阪3名分(1名は兵庫と兼務)。兵庫ではカンパなどを財源として11名。(神戸7名・西宮4名)
電話料…95年度中は、被災地に携帯電話5台と毎月の通話料金など。96年6月以降は本部事務所の電話代・FAX通信ネット経費

 本号の総会報告にもありますように、1月から通信発行および振込み口座を被災地障害者センターに引き継ぎます。全国各地でご支援下さっている皆様方のお力でここまで来ることができました。心から御礼申し上げます。(会計)


おしらせ

救援本部の事務所閉鎖にともない、1月よりカンパの振込み先が変わります。
【新しい振込先】 郵便振替01170−6−60090
加入者名被災地障害者センター
 なお、救援本部の口座へのカンパの受付けは、12月末で終了させていただきます。たくさんのご協力、本当にありがとうございました。

☆『救援本部活動の記録』にあなたの声を!400字以内で郵送かFAXで1/10迄に救援本部まで。
付録で紹介の『福祉のまちづくりデザイン』救援本部にあります。購入希望の方は連絡を。


もよおしのご案内

12月20日(金) 神戸市とのオールラウンド交渉午前10侍〜午後5時神戸市総合福祉センター
12月22日(日)〜23日(月) 被災地障害者センター・神戸/須佐野公園移転・お別れパーティー
いずれも詳細は被災地障害者センター(TEL078−672−1000)まで
'97年1月18日(土)〜19日(日) 市民とNGOの「防災」国際フォーラム 詳細は付録を参照ください
 

被災地障害者センタープレハブ「拓人(たくと)」の名付け親は語る

 「拓人」の名前の由来を文章で表すのは初めてで、いざ書こうとなるとなかなかうまく言葉が見つかりません。ただ、あの時の(昨年2月に被災地で「拓人」という文字が頭の中に浮かんだ瞬間の)「ガッツやKOBE」に似た気持ちが自分の中に存在していたことは、今でもはっきりと覚えています。震災により大きな被災を受けたこの神戸の街を、震災前と変わらない位、いや震災前以上に復興、きりひらいていって欲しいと考え「拓」の字を選び、それを行うのは神戸の街にすんでいる「人」であり、私たちのようなボランティアの「人」であり、そして何よりも一人ひとりが大切な生命(いのち)を持つ人間としての「人」であり、この二つの思いを込め「拓人」と名付けました。「拓人」という名前を多くの方に知ってもらい親しみをもって呼ばれていることをとても嬉しく思います。誰にとっても住みよい街、どんな立場の人にとっても美しく見える神戸の街の灯。そんな願いを「拓人」の二文字に託します。森本直子(北九州市在住)

プレハブ「拓人」もいよいよ公園を出ます。思い出多い「すさの公園」でありがとう〜さよならパーティをします(上記)。ぜひおいで下さい。


編集後記

★大阪発の救援本部通信もこれで最終です。ご声援本当にありがとうございました。被災障害者の言葉とまなざしの数々に触れ「人」の暖かさに胸を熱くし、また同時に「人」の冷たさにも胸を震わせました。「みんなに伝えたい」という当事者の思い、そして応援してくださる方々の声が何よりの支えでした。みなさんとの「つながり」を感じ続けた2年間。この手ごたえを抱いてこれからも歩き続けます。(橘高千秋)

★全国のさまざまな方たちに支えられてきた救援本部の活動。はたして皆さんの思いにどれだけ応えてこれただろうか…どんなに伝えたいと思っても言葉だけでは言い表せない感謝の気持ち、そして被災者の生の日常を決して忘れないでほしい、応援しつづけてほしいという気持ち。国レベルでの被災者援護法は実現までまだ遠い道のりだ。取り組むべき課題はあまりに多く、そして重い。(福田光子)


(c) 1996兵庫県南部地震障害者救援本部 (デジタル化:神戸大学附属図書館)
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