『中外日報』平成7年1月26日付(25258号)12-17面


リバイバルへ息長い支援を

宗教界に高まる復興への息吹

兵庫県南部地震・第四報

 兵庫県南部地震による宗教界の被害は、実態調査が進むにつれて、日とともに数字が拡大しているが、各教団を中心とした救援活動も軌道に乗り、復興への意欲が高まりつつある。一方、三次にわたる本紙の総力取材による生々しい現地ルポに記事と写真グラフにより「被災地の宗教施設の実情が初めて分かった」との感謝の声が、続々と寄せられている。それらの期待に応え、さらに第四報を、十二面から十七面まで六面にわたって掲載する。


全職員、昼夜交代で対応

兵庫教区教務所 まず被害実情掌握

◇…浄土真宗本願寺派…◇

 今回の兵庫県南部地震は神戸市、芦屋市、西宮市など兵庫県南部の都市の宗教施設に甚大な被害をもたらしているが、その中でも浄土真宗本願寺派(松村了昌総長)の兵庫教区(土基謙教教務所長)が受けた被害はことのほか深刻であると言える。
 同教区は被害地域に二百ヵ寺余りの寺院を抱え多数の門信徒が居住している。同教区並びに宗派の調べではこのうちの半数を超える百ヵ寺余りの寺院で本堂や庫裡が倒壊し寺族、門信徒の多数が死亡するなど人的、物的両面で被害を受けているという。
 教務所では、地震発生の直後から土基所長を委員長とする災害対策本部を設置。神戸市役所の近くにある教務所と神戸別院の仮事務所が幸いにも無傷であったため、ここに職員らが昼夜を問わず交代で詰め対応に当たっている。  最大の急務は教区内寺院などが受けた人的、物的な被害状況の確認。本山宗務所とも連携して電話やFAXを使って状況の把握に努め、電話が通じない地域には職員が直接足を運んで確認した。
 この結果、二十日の時点で被害寺院は同教区の阪神北(川西市・宝塚市・西宮市・川辺郡)、阪神西(尼崎市・宝塚市・西宮市)、阪神南(尼崎市)、神戸東(芦屋市・神戸市東灘・灘区)、神戸中(神戸市中央区)、神戸湊(神戸市兵庫区・北区)、神戸西(神戸市長田区・須磨区)、神明(神戸市垂水区・西区・明石市)、淡路(津名郡・洲本市・三原郡)の九組、約百ヵ寺に何らかの形で被害が出ていることが判明している。
 地震発生直後から同教区には本山宗務所をはじめ隣接する大阪、備後の両教区や長崎、山陰、鹿児島など全国の各教区、旭川龍谷高校、本派学校連合会など関係学校などからの救援物資が続々と陸路を長時間をかけて教務所へ搬入されている。
 対策委員会ではこれら大量の救援物資を九つの被害の出ている組へ被害状況に応じて四つの段階に分け、被害寺院が多い神戸西(十九ヵ寺)、神戸中(十七ヵ寺)の両組などを中心に傾斜配分方式で配給している。
 また、現地で被害住民らの声を聞いて「いま何が一番必要とされているか」を調査。水や防寒用の毛布、暖房器具、さらに女性の生理用品、乳幼児のミルクなどを送り込むようにしているが、当初は不足していた食糧などが事務所に多数残っており、これらを有効に活用するため行政の適切な指示を待っている。
 土基所長は「目下は全職員が総力をあげ被害状況の把握に努めていますが、日が経つにつれて教区内の寺院や門信徒さんへの人的、物的な被害が拡大しているようです。日時が経過するにつれて被害が拡大していきます」と今回の震災が教区へ与える影響を懸念しつつも、本山や各教区の迅速な対応へ謝意を表わし「このご支援に応えるためにも頑張りたい」と語っていた。

境内が全壊の本願寺派妙善寺=神戸市東灘区=。救援を待つ寺院は多い[写真は省略]


遺体受け入れて勤行

傾斜方式で 救援物資を配分

実母はどこに?遺体の姉妹哀れ 神戸別院

重くのしかかる再建への長い道

 また、仮事務所には生田署の要請で中央区内で震災の犠牲となった人々の遺体が続々と運び込まれて、二階の仏間に納棺され、丁重に安置されている。最も多い時には外国人三人を含む十四体の遺体を安置したが、比較的早くに掘り出されたため、全ての遺体の身元が確認されている。
 しかし、医師の不足などのために死亡診断書や火葬許可書の発行が遅れて、二日、三日と安置されたままで付き添う遺族の疲労の色も日増しに濃くなりつつあり、「これから発見されたご遺体の火葬は二月になるかも」と職員らも心配げな表情。
 また、遺体の管理を担当する職員の内本隆宏氏は「救援物資の搬入や手配、被害寺院の状況の把握など混乱状態が続く中で充分なことがさせて頂けないのが残念」と苦しい胸の内を吐露。
 十四人の悲しい犠牲者の中には幼い時に両親が離婚して叔母さんの手で育てられた西光優子さん、美子さんの中学生と小学生の姉妹がいるが、育ての親の叔母も一緒に死亡したため、この姉妹を見送る遺族は一人もいない。
 「幼い頃から寂しい思いをされたことと思います。遺品はありませんが、なんとか出棺までには実のお母さんと連絡をつけて最後を送って頂くようにしてあげたい」と職員らは両親の所在確認に全力を上げている。
 震災から五日目となる二十一日も前日も事務所に泊まり込んでいた土基所長や職員、そして、応援に駆けつけた教区内の僧侶らが早朝から被災地へ運ぶ救援物資の分配に忙しく立ち働き、その中を午前八時には内本氏が黒衣に着替えて出棺勤行のため二階の遺体安置所へ。
 この日、葬儀(出棺勤行)が営まれた犠牲者の遺族は突然の訃報に急ぎ四国から駆けつけたという。お勤めが終わると棺は職員らに見送られ火葬場へと向かった。
 兵庫教区は関東大震災の二倍の揺れを記録した今回の震災の発生直後から未曾有の混乱に見舞われたと言ってよく、教区内の被災寺院の状況の確認が精いっぱいの状態。
 西宮市から明石市までに約七百戸ある別院の直門徒や各寺院の門信徒の安否の確認にまでは至っておらず、職員らも「どれほどのご門徒が犠牲となられたのか見当もつきません」と心配している。
 五千人にものぼる多数の犠牲者を出した今同の震災が大阪、安芸などと並ぶ本願寺派の“金城湯池”の同教区に与える影響は計り知れず、現在、建築中の神戸別院の工期が延期となることは確実で、その他にも教区、別院の恒例行事にも影響が出そう。
 同教区がこの震災の後遺症から立ち直るのは容易なことではなく、職員らも「地域の復興なくして寺院の復興、教区の復興はありません。そのためにできるだけのことはさせて頂きたい」と長期戦の構えで復旧に取り組む。
 現在、神戸には全国から救援物資を満載したトラックが駆けつけ、また、宗教団体だけでなく全国各地からのボランティアの人たちの熱気で町全体が被われている。
 しかし、この地に住む人たちに、この“騒ぎ”が去った後に待ちかまえているのは、自分たち一人ひとりに重くのしかかる復興への気の遠くなるような道のりである。
 本山から救援に駆けつけ、現地に留まり援助活動に従事した中山知見広報部長は「こちらへ来て初めて分かったが、本当の救援とは安易なヒロイズムに浮かれてやるべきことではありません。現地に腰を据えてじっくりと取り組まないと駄目です」と語っていたが、今後、宗門は現地と痛みを分かち合った息の長い援助態勢が必要とされる。


せめて法衣や仏具を

住職ら募金 兵庫教区で助け合い

 浄土真宗本願寺派(松村了昌総長)の兵庫教区(土基謙教教務所長)の住職らが、被災寺院の復興を助けようと比較的被害の少なかった明石市以西や県北部の関係者らに義援金を募っている。この義援金で法衣や仏具を購入して被災寺院へ送ることにしており、発起人の一人、姫路市聖安寺の菅義成住職は「教区人の一人として看過できない惨状だ。せめて法衣や仏具を送らせて頂き復興に役立てて頂ければと思う」と語っている。
 今回の震災に見舞われ甚大な被害が出ている宝塚、西宮、芦屋、神戸の各市には約二百ヵ寺の本願寺派寺院がある。
 兵庫教区の調べでは、このうちの約半数の寺院が本堂や庫裡が倒壊したり寺族、門信徒らの尊い人命が多数犠牲になっており、豊原大成総務の実父、豊原大潤元総長も西宮市の自坊西福寺で寺族二人と共に崩れ落ちた庫裡の下敷きになり圧死した。
 兵庫教区では土基所長が陣頭指揮をとり、災害対策本部に殆ど全職員が昼夜交代で詰めて救援物資の輸送や寺院や門信徒の被害状況の把握に努めているが、このほど比較的被害が軽微で済んだ地方の住職らが救援に立ち上がった。
 前総務で竜野市正専寺の九折舜壽住職、姫路市聖安寺の菅義成住職、同浄福寺の門徒堀静男氏の三氏が発起人。明石市以西、県北部の寺院住職らに寄付を呼びかけ、被災寺院へ法衣や仏具を送る。
 比較的被害が軽微だった地域の僧侶らは被災地へ行き現地での救援を希望する人たちが多く、そうした要望が教務所にもたくさん届いている。しかし、教務所では混乱を避けるため被害状況が完全に把握できるまで待ってほしい、と留意に努めている。
 九折住職は「私の周囲にも現地へ行きたいという人々が多数いるが、現状ではそれはできない。それに代わることとして今回の募金をさせて頂く。たとえ輪袈裟一本でもお役に立てれば……」と今回の呼びかけの趣旨について説明している。
 対象となる二十八組、五百余りの寺院に趣意書を送り、一口二万円で寄付金を募っている。締め切りは二月二十七日で、現金に限らず法衣、仏具、輪袈裟なども受け付け、教区とも相談して被害状況に応じて義援金や物資を送りたいとしている。
 なお、今回の寄付金の送付先は、〒679−41、竜野市揖保町松原、正専寺《電話=〇七九一(六七)〇二〇五》、〒671−11、姫路市大津区天満一一三六、聖安寺《電話=〇七九二(三六)二三六九》。


義援金勧募スタート

◇…全日本仏教会…◇

 全日本仏教会(伊藤治雄理事長)では二十日から、兵庫県南部地震の被災者への義援金を受け付けている。入金先は「郵便為替=00130−6−37600(財)全日本仏教会」。
 同会では地震が発生して以来、各加盟宗派・団体の被害状況の把握に全力を尽くしているが、通信網のマヒで同会側から被災地への連絡がつかず、なかなか全容がつかみづらいようだ。
 ただ、各宗派からは続々と情報が寄せられており、確度の高い情報を総合した上で、適切な対応を検討したい方針である。
 二十三日には菅野秀浩総務部長と伊東俊彦同和推進部長の二人が被災地入りし、兵庫県仏教会会長・高見寛康氏の自坊、高野山真言宗金剛福寺(神戸市灘区)の安否を尋ね、同仏教会に対し見舞会百万円を贈った。
 金剛福寺は高見氏本人は無事だが、本堂が全壊するなど深刻な被害を受けているという。また同日、大阪府仏教会でも被害状況を聴取、井桁雄弘事務局長(住吉区・浄土宗大円寺住職)に三十万円を手渡した。
 全日本仏教会では三十一日に理事会・評議員会の開催を予定しており、席上、現地報告をもとに、被災者への救援活動など地震災害の対応策を協議することになっている。


光紹法主が「お言葉」

東山浄苑 遺骨の安置を無償で

◇…浄土真宗東本願寺派  独立寺院・東山浄苑…◇

 明石海峡を隔てて震源地の淡路島に臨む西林寺(二階堂正純住職、明石市)は諸伽藍の屋根が損壊した。神戸別院(華房嶺麿輪番、兵庫区)は本堂の屋根が落ち、半壊状態。しかし、華房輪番ら寺族にけがはなく、庫裡も無事だったそうだ。すでに華房輪番らは檀信徒らとともに本堂の復興に意欲を見せているという。また、遍満寺(河野文麿住職、大阪市西淀川区)は仏具が散乱した程度で大きな被害はなかった。


牛久アケイディアなど

 本山東京本願寺(大谷光紹法主、東京都台東区)では十八日、本山内に月田彰英執務長を本部長に安藤義祐総務、立花記久丸総務らを部員にして対策本部を設置した。被害寺院の調査に全力をあげる一方、全国の崇敬寺院に義援金の協力を呼びかける趣意書を送付し、本山本堂、牛久アケイディア礼拝門には義援金箱も置いた。
 また、光紹法主は十八日、災害見舞いの「お言葉」を各被災寺院へ送った=別掲。対策本部では現地入りも予定しており、東京から救援物資の輸送も計画している。
【光紹法主のお言葉】
 このたびの兵庫県南部地震にあたり、さぞ御心労のことと心からお見舞い申し上げます。本山に災害対策本部を設置しましたので貴寺の被災状況を対策本部まで御報告下されば幸甚です。慈光照護の下、いくたの困難を克服されますよう衷心より念じます。
= ◇ =
 東山浄苑(理事長=霊源院大谷暢順東本願寺連枝)は十八日、暢順連枝を本部長に地震対策本部を設置した。早速、畿内一万一千軒の参苑者(納骨者)に暢順連枝が同苑施設の無事を報告した見舞状を送付。兵庫県南部、大阪府内の震災地に住む約三千六百軒には往復ハガキを送って被害状況を調べている。
 また、境内護持堂と護持堂(納骨堂)に義援金箱を設け、暢順連枝、同苑職員が率先して募金を始めた。一月末には同苑機関紙『東山浄苑四季報』に暢順連枝の見舞文を掲載、紙面を通じて全国の参苑者に募金の協力を呼びかける。取り扱いは郵便振替で「京都三−三五四三一 東山浄苑兵庫県南部地震義援金口」へ。
 さらに、常楽堂の一室を開放して、被災で亡くなった一般市民の遺骨を預ることも決めた。現在、神戸市など被災地の対策本部に協力を申し出ており、同苑では「手継ぎ寺が倒壊して納骨できない状況と聞く。宗派を問わず、引き取り手があるまでいつまでも無償で預からせてもらう」と話している。そして、暢順連枝を導師に震災の犠牲者追弔会も予定している。


由緒建造物も取り壊し

救援物資配分へ兵庫仏青活躍

◇…神戸の天台宗寺院…◇

 兵庫県南部地震で県下の天台宗寺院九十二ヵ寺の多くが被災した。とりわけ激震が襲った神戸市の浜側にある六ヵ寺は、本堂が全壊して復旧のめどがたたないなど深刻な状況だ。そのうち三ヵ寺を訪ねた。
 兵庫区会下山町の善光寺(高坂盛暢住職)は、地震による火災で町全体が焼け野原になった松本通を見おろす高台にある。幸い火の手は及ばずに済んだが、地震の揺れで本堂が傾き、「大きな余震が起きたら倒壊しそう」(高坂住職)な状態。被災後はじめての雨天となり、傾斜地での地滑りが懸念された二十二日、高坂住職は降りしきる雨の中、宗務庁から届いた救援物資の防水シートを本堂にかぶせるなど、応急手当てに追われていた。
 本堂内部では壁面がところどころ剥落したほか、仏具類が散乱したが、本尊はじめ仏像はいずれも無事だった。
 善光寺は先代住職の七回忌を来年に控え、庫裡の新築など記念の建築事業に取り組み始めたばかり。昨年には本堂の屋根瓦を全面的に葺き替え、今年、外壁の塗装に着手しようとした矢先の大震災だった。眼下の町・松本通が壊滅状態で、再建に要する什器・資材を寺へ運び込むルートが絶たれているため、本堂は「しばらく閉鎖するしかない」という。
 地震は庫裡で就寝中の住職はじめ家族六人を襲った。住職は「小さな箱に閉じ込められて四方から思いきり揺すられているような衝撃だった」と恐怖の瞬間を回想し、「今は余震の恐ろしさに震えている。今度(大きな揺れが)来たら助からないと思っている」と話した。
 兵庫区永沢町の理教院(勝山忠圓住職)では、庫裡がかろうじて原形をとどめているものの、本堂はめちゃめちゃに崩れて瓦礫の山になってしまった。同居していた住職夫人の母が足の骨を折って入院し、住職夫妻はしかたなく入院先の病院に一時避難したが、今後の行き先は未定だ。
 地震が発生した午前五時四十六分、勝山住職はいつもなら朝の勤行の真っ最中のはずだが、前夜から三九度の発熱で庫裡で寝込んでいたため、一命を取り留めた。骨折した母は本堂内にいたが、大型の線香立てと崩れ落ちてきた建物との空間にうまく滑り込み、「奇跡的に」圧死を免れた。
 伝教大師が延暦二十三年(八〇四)に創建したと伝える名刹、能福寺(雲井世雄住職)も無惨な姿をさらしている。明治十六年築の本堂は、月ノ輪御陵にあった九條家の拝殿を移築した由緒ある建造物だが、地震の影響で歪みが激しく、建築業者の見立てでは「倒壊寸前」。隣接する書院・庫裡が二次災害に見舞われてはならないと、雲井住職は断腸の思いで取り壊しを決めた。
 また、鐘楼が全壊して隣にある平清盛の墓所を押しつぶし、四百五十基の墓石のうち八割が倒壊した。七百軒ある檀家の消息ははっきりしていない。八人が犠牲になったことは判明した。「住職としてお檀家の安否がいちばん心配。そのほかは何も思い浮かばなくて……」。気丈に被害状況を語ってくれた雲井住職も、この話題になると沈痛な面もちになった。
 「兵庫大仏」の名で親しまれ、平成三年に再興した青銅製の毘盧舎那大仏(高さ一八メートル)には全く被害はなかった。葬祭業者や花屋も被災しているため、亡くなった檀家の葬式が出せず、取り急ぎ、この大仏を仰ぎながら「葬式の真似ごと」をするつもりだという。
 境内にある鉄筋コンクリート建ての会館の被害は、壁にひびが少し入っただけと比較的軽微で、ホールでは家を失った近隣の被災者三十人が不安な避難生活を送っている。
 同会館を拠点にして、天台宗兵庫仏教青年会による被災者への救援活動も始まった。能福寺は、宗務庁や延暦寺、全国各教区からの救援物資の中継地点になっており、これまでに水・食糧・日用品など七トンが寄せられた。二十三日には兵庫仏青のメンバー七人が駆けつけ、軽トラック三台で周辺寺院に物資を交代で運搬。これらは寺を通して、被災した檀信徒や住民に配給されることになっている。
 兵庫教区の地震災害対策本部(土中善信本部長)では、今後、活動基地を能福寺から加古川市の教信寺に移し、長期的に救援活動を展開する方針だ。


一遍上人御廟が倒壊

◇…時宗…◇

 戦後最大規模の被害をもたらした「兵庫県南部地震」は時宗末寺にも大きな損害を与えた。
 最大の被害を出した神戸市には時宗末寺が六ヵ寺あり、このうち同市兵庫区松原通一丁目の真光寺(渡部良証住職)境内にある「一遍上人御廟」が倒壊。渡部住職は無事で、宗務所へ一報した。同寺では鐘楼堂も倒壊した。
 兵庫区今出在家町の薬仙寺(後藤俊雄住職)では、本堂の屋根瓦が落ちた。建造して三十六年経つ木造の庫裡は、梁が落ちるなどして半倒壊、大きな余震があれば倒れるような状態だという。また、境内地を囲むブロック塀が崩れ落ちた。
 同区東柳原町の満福寺(井上良憲住職)は墓石が倒れたくらいで難をのがれた。
 兵庫区鵯越筋の荷松院(秋山文善住職)も建具が動かなくなったくらいで本堂、庫裡とも無事。
 このほか、神戸市西部の須磨区・長楽寺(江原浄然住職)、長田区・普照院(福島邦祥住職)の二ヵ寺については、電話連絡がとれない状態が続いており、安否が気遣われる。
 このため京都市下京区金光寺の新堀俊尚住職がバイクでこの地域の被災状況把握に向かった。
 秋庭(稔)内局はこの事態を受けて、二十一日常議員会を開き、救援方法等について討議した。


灘、東灘は壊滅的な被害

生田神社や廣田神社も

「赤鳥居」残ったが

◇…神戸・西宮の神社…◇

 神社界では、兵庫県きっての名社、廣田神社(西宮市大社町、中山隆宮司)の、拝殿と本殿の間にある祭舎が完全に倒壊し、儀式殿も全壊、社務所半壊、手水舎全壊、参集所全壊と、大きな被害を受けていたことが判明した。本殿や近年に建てられた五末社は無事だったが、拝殿が若干傾き、内部の柱は裂け、見た目よりも大きな被害を受けている。
 神戸市東灘区では、三王神社(杉村悳子宮司)の社務所が全壊し、宿直していた■宜の杉村忠彦さんが五十四歳で亡くなるという事態が発生した。同神社では本殿も半懐、石鳥居もバラバラに崩れるなど、被害が大きかった。
 同じ東灘区の網敷天満神社(江藤満佐美宮司)は、同区でも特に崇敬者が多い神社として知られるが、拝殿、本殿ともに崩れ、石鳥居も上の部分が崩れて危険なため、境内を立ち入り禁止にしている。
 また同区には、国道2号線に面して大きな鳥居が建っており、地割れにも負けずに残っている。この「一の鳥居」は稲荷神社(東灘区森北町、神田衛治宮司)の名物「赤鳥居」であり、鳥居から七百メートルほど北に本殿が鎮座している。同神社では二の鳥居も倒れずに残っているが、これは、石造りでないのが幸いしたとみられている。二つの鳥居とも木製の本体にブリキを巻いて補強してあるという簡素な造りで、周りの家が倒壊しても鳥居は残った。
 ただし一の鳥居は地盤の亀裂が激しく、建て直しに相当する大規模な補修が必要となりそうで、神田宮司は「改めて建てるとなれば、境内地から離れた鳥居だけに、許可がおりるかどうか心配」と語っている。稲荷神社は拝殿が傾いており、こちらは完全に建て直すことが必要。
 灘区では、神戸護国神社(灘区篠原北町、久保田梅継宮司)、河内国魂神社(灘区国魂通、伊藤日出麿宮司)など、高台にある神社は被害が少なかった。
 特に神戸護国神社は、平成元年の御大典の年、反皇室ゲリラのテロ活動への対策として社殿の補強を行なった。コンクリート造りの社殿が補強されたばかりとあって、社殿はビクともしなかった。
 敏馬神社(灘区岩屋中町、花木直彦宮司)では、本殿、社務所とも全壊。最も被害が大きい神社の一つとなった。幸い花木宮司ら家族は無事で、境内の倉庫に移転した。
 丹生神社(灘区高羽町、村上徳太郎宮司)は、本殿、社務所ともに倒れてはいないが、大きく傾斜してしまった。ここも灯籠など石造りのものは全て倒壊した。
 また同じ灘区の王子神社、船寺神社は社殿が強固なコンクリート造りのために、殆ど損害を受けなかった。船寺神社に至っては完全なるコンクリート造りの社殿がまさしく無傷で残っている。
 そして灘区大和の徳井神社が大きな被害を受け、本殿が大きな傷も無く残ったものの、居住家屋が全壊、橘健一宮司と夫人の文子さんが死亡した。
 中央区は、拝殿が倒壊した生田神社(中央区下山手通、加藤隆久宮司)に見物人が多く集まり、神社では無用の危険を避けるために境内を立ち入り禁止にした。
 本殿は無事残り、震災後には神職による地震奉告祭も執り行なわれた。
 また三宮にある同神社のお旅所、兵庫宮(六車勝昭権■宜奉仕)も深刻な打撃を受けた。社務所は壁がそげ落ち、手水舎は崩れた。
 同じ中央区に鎮座する湊川神社(中央区多聞通、吉田智朗宮司)は、被害の激しかった三宮と長田の間、JR神戸駅前に位置するが、被害はまわりの地区に比べて意外と少なかった。
 正面門の両側に位置する瓦葺きの塀が大きく崩れ、境内の石造りの建造物はことごとく倒れた。しかし石造りの中で最も大切な、国指定の史跡・楠木正成公墓碑の石碑は無事であり、神職らは不幸中の幸いと、さっそく同石碑の保護・補強作業を行なった。
 本殿は堅固なコンクリート造りであったことが幸いして殆ど被害はなく、手水舎、境内社に被害が出たくらいで済んだ。
 同神社境内にある兵庫県神社庁では現在被害状況の完全把握に全力を尽くしており、さらなる負傷者が出ないことを祈りながら、情報の収集、現地視察などを進めている。


神戸市当局へ 救援物資輸送

生長の家

 生長の家(谷口清超総裁、本部=東京都渋谷区神宮前)では、神戸市中央区に有する「生長の家兵庫県教化部」の建物は被害を免れた。この他、兵庫県内に五つある道場のうち一つが天井が落ちた程度で、大きな被害はなかった。
 本部は地震による被害の大きさをみて、毛布・食糧・水など救援物資をトラック四台に積んで二十日までに神戸市災害対策本部へ届けた。今後は、全国の信者に災害救援金を募るとしている。


共同募金会へ 三千万円寄託

妙智會教団

 妙智會教団(宮本丈靖会長、本部=東京都渋谷区代々木)は十九日までに「兵庫県南部地震」の被災者に対して義援金三千万円を贈ることを決定、二十一日に東京都共同募金会へ寄託。
 現地にある支部等の被害状況については、確認を急いでいる。


当面の措置で 三千万円提供

真如苑

 真如苑(伊藤真聰継主、総本部=東京都立川市)の悠音精舎(高槻)、大阪精舎(豊中)、京都支部は被害はなかった。芦屋の関西本部は、正門が倒れたが、木造二階建ての建物は瓦も落ちず無事であった。真如苑では当面の措置として、地震義援金三千万円を送った。


救援物資運ぶ ボランティア

思親会

 思親会(飯島正三会長、本部=神奈川県伊勢原市子易)は兵庫県南部地震で、同県芦屋市業平にある「芦屋法座」が全壊、同市に住む組長一人が死亡、会員一人が行方不明になった。京都市の「関西支部」は無事だった。十八日午後、飯島法道渉外室長が急遽、被災状況の確認に芦屋市へ赴き、また被災者への救援物資運搬のボランティアに加わった。
 同会本部は地震発生後まもなく、被災者救援のため五十万円を日本赤十字社へ寄託。今後も全国の支部へ募金を呼び掛け救援金を贈る予定。

 ◇以下は14面につづく◇


日赤に救援金百万円を寄託

白光真宏会

 白光真宏会(西園寺昌美会長、本部=千葉県市川市中国分)は「兵庫県南部地震」の大きな被害が伝えられた後に、兵庫県、大阪府、京都府に在住のメンバーの安否の確認。当初は電話回線がふさがって連絡がとれない状態だったが、現地のメンバー同士が連絡を取り合い、建物の被害はあったもののメンバーほぼ全員の安全を本部へ伝達した。同会は被災者救援のため救援金百万円を日本赤十字社に寄託した。


一刻も早く 現地慰問を

解脱会

 特に多くの被害者を出した神戸市に七支部を持つ解脱会(岡野聖法法主、東京都新宿区)は、十九日午前の時点で、被災地との連絡が思うままに取れず、被害状況の把握が困難な段階。火災が多発した長田区には、会員八百人が所属する神戸中央支部(中山数一支部長)があるが、解脱会本部に入った連絡によると、建物の損壊はほとんどなく、類焼も免れているという。
 援助活動の内容については検討中で、取りあえずは「一刻も早く現地入りしてお見舞いしたい」(村山正幸総務部長)としている。


その他の宗教施設被害状況

 その他の宗教施設の状況は次の通り。
 ▽天理教兵神大教会(神戸市須磨区)=教会の壁が崩れた▽PL教団須磨教会(神戸市須磨区)=教会の壁が崩れた▽円応教(兵庫県氷上郡山南町)=本部の被害はなかったが、県内にある七、八教会の屋根瓦が落ちた▽妙道会(大阪市天王寺区)=本部の被害は特になかった▽トゥルース教(大阪府吹田市)=本部の被害は特になかった。


再建へ長い闘いが始まった

神戸市兵庫区の南禅寺派恵林寺は新築中だったが、本堂、庫裡ともに全壊した[写真は省略]

庫裡、山門など全壊状態の浄土宗願成寺(神戸市兵庫区)は、避難住民に本堂を開放、庫裡の一部を霊安室として提供して、境内で炊き出し奉仕を行なっている [写真は省略]

兵庫区荒田町の曹洞宗永昌寺は本堂や山門が傾き(写真上)、庫裡(写真下は内部)は倒壊寸前の危険な状態にある。安藤匠治住職は「寺を護るため避難所には行きません」と法友や近隣の人たちの救援物資でしのいでいる [写真は省略]

「般若林」の名で知られる神戸市兵庫区の曹洞宗八王寺は、山門脇にある県文化財の鎮守堂が全壊し(写真上)、庫裡は壊滅的状態(写真中)。本道の屋根瓦は落下した。唯一、鉄筋の剣道場「伝苗閣」が残り、舎利塔も外形をとどめた。写真下は、倒れた墓石。歴住の墓石も[写真は省略]

「兵庫大仏」で名高い兵庫区の天台宗・能福寺では本堂が倒壊寸前の被害を受けたが、青銅製の大仏は無傷だった[写真は省略]

自然食品の店舗になっている一階部分が押しつぶされた世界救世教のMOA西宮[写真は省略]

神戸市灘区国玉通の曹洞宗海蔵寺は庫裡右新築中を被災。境内の地蔵像などが倒れたが、原田隆一住職は救援活動に奔走している[写真は省略]

兵庫区会下山町の高台にある本門佛立宗の本法寺は大伽藍の外形をとどめているが本堂・庫裡の内部は損傷が激しい[写真は省略]

神戸市役所一階に設置されたNTTの無料電話で無事を確認し合う市民[写真は省略]

墓石が全部倒れる被害で済んだ神戸市兵庫区の法華宗本門流久遠寺(岡本顕雅住職)には、兵庫地区の救護対策本部が置かれた[写真は省略]

兵庫区の法華宗本門流本光院(藤村隆秀住職)は、本堂半壊、二階建ての庫裡は一階部分がつぶれて平屋のようになり、住職らは現在テント生活中だ[写真は省略]

日本でただ一つのイスラム教モスク、神戸回教寺院=中央区=は壁が崩落、ムスリム(信者)の老婦人らが集まり後片付けをしていた[写真は省略]

神戸市兵庫区の山側・鳥原貯水池の畔に建つ日蓮宗行守寺(清水教信住職)は本堂全壊、庫裡も半壊した右。高台の景勝地にある同寺からは、市街地を焼く火の手が見えたという。住職一家はガレージで避難生活下[写真は省略]

中央区・摩耶山麓の高台にある曹洞宗歓喜寺は石柱が倒れただけ。しかし22日は降雨で緊急避難命令が出た[写真は省略]


神戸市中央区の日蓮宗本妙院(大塚泰詮住職=兵庫県東部宗務所長)は本堂屋根・内部に被害を受け、さらに浄行堂・写経塔は壊滅した[写真は省略]

神戸市兵庫区の日蓮宗法華寺(内藤慈宣住職)は本堂が全壊し、屋根だけがかろうじて原形を留めている。「朝勤がもう少し早ければ私も下敷きになっていたでしょう」と内藤住職[写真は省略]

新神戸駅から三筋下った角にある中央区の曹洞宗東福寺は外塀が崩れ(写真下)、六本柱の鐘楼堂は足が外れて倒れる寸前(写真上)。総檜づくりの見事な本堂も、歪んでしまった[写真は省略]

兵庫区の南禅寺派福厳寺では、伽藍は傾いて、本堂は使用不能になった[写真は省略]

神戸市兵庫区山本通の米屋で世界救世教MOAのメンバー・吉田治幸さんは、地震から一週間、自前の米でおにぎりの炊き出しをしたあと、MOA自然健康食品の紅茶の無料サービスをした[写真は省略]


“物心ともども”支援推進

とりあえず 一千余万円 さらに募金活動を展開

◇…世界救世教…◇

 世界救世教(川合輝明総長)は静岡県熱海市の教団本部に地震災害の対策本部(川合典範本部長)を設置。とりあえず激しい被害のあった神戸市・西宮市・尼崎市などに合計一千五十万円を贈り、順次、各地から寄せられた義援金を届ける方針で、最終的には五千万円を見込んでいる。
 大阪府箕面市のMOA北大阪に対策本部事務局(責任者・大野慎一MOA関西代表)を置き、信徒の被害状況の把握に全力を尽くすとともに、被災信徒・市民への実質的な援助活動を行なっている。
 被災地に二千世帯・四千人いる信徒のうち、二十四日現在、死者十三人、負傷者四十二人が確認されており、倒壊や火災などの被害を受けた信徒宅は約百軒に及ぶという。
 同事務局には、飲料水・食糧・生活必需品などの救援物資が集積され、各地から集まった若手のメンバー、専従員を中心に百五十人が物資の仕分け、輸送作業などボランティア活動に従事している。
 事務局の副責任者・中本正則総務次長は「メンバーが亡くなったことは非常につらいが、みんなで励まし合い、被災者に力強く立ち上がってもらえる活動を展開したい。物だけでなく精神的な支援が必要だと思う」と活動方針を話した。
 被災地域内に五ヵ所ある教団拠点の被害は、鉄筋コンクリート三階建ての一階部分が潰れたMOA西宮(西宮市城山)を除いて、比較的軽微だった。
 被災したMOA西宮は、阪急神戸線の西宮北口・夙川間で高架線が崩れ落ち、五十メートルにわたってレールが蛇のようにのたくっている現場のすぐ近く。
 周辺は高台の閑静な住宅街で、土塀やブロック塀の倒壊が目立つ。築後二十七年のMOA西宮の建物は、一階の自然食品の売店、駐車場がそっくり押しつぶされ、乗用車二台が埋もれている。地震の時、宿直の職員が一人いたが、揺れがあった直後に外に飛び出して事なきを得、三階ホールに奉ってあった御神体、岡田茂吉教祖の御真影も無事だった。
 震災から四日目の二十一日は、MOA西宮責任者の岸輝雄さん(三一)ら職員十人が、阪急甲陽線苦楽園口駅近くに確保した仮事務所への引っ越しに追われていた。「余震があるたびに建物が傾いており、予断を許しません」と岸さん。崩落の恐怖を後目に、半日がかりで机や椅子、重要書類、ワープロなど必要品の搬出を終えた。
 対策本部事務局のまとめによると、建物の倒壊が激しかった神戸市東灘区にあるMOA神戸は木造建築だが地震の影響はほとんどなく、MOA宝塚(宝塚市南口)は敷地内に亀裂が走った。MOA明石(明石市朝霧北町)は天井の表面が剥落し、MOA尼崎(尼崎市七松町)はドアの開閉がしにくくなった程度だという。


深見教祖現地入り

盲人救援へ ワールドメイト

 神道系教団「ワールドメイト」(深見東州教祖、本部=東京都杉並区)は、芦屋市茶屋之町に関西支部のある「関西ワールドメイト会館」を有するが、兵庫県南部地震の被害を免れた。
 周辺の住宅が大きな被害にあう中、会館の建物は無事。また、会館にある神棚も無事だった。電灯にも異常はなかったため、被災した住民の避難場所になり、地震発生の十七日は三十人ほどが泊まった。
 深見教祖らは甚大な被害への対応を同日深夜に協議。十八日早朝には救援物資を積んだトラック三台とともに、深見教祖自ら現地へ向かった。到着後は日本赤十字社と連絡をとり、救援物資の輸送に陣頭指揮を執った。
 さらにスタッフ五十人、会員の医師二人、看護婦二人を十九日に現地へ派遣。大阪方面の支部から会員の援助を受けて、おにぎりの炊き出しを行ない、救援物資として布団・毛布三百人分、水三トン、米五百キロ、仮設トイレ八十八台、発電機十三台、灯光機二十台などを運んだ。
 物資の費用は全国の会員へ呼び掛けて集めた救援基金から支払われる。
 盲人福祉に力を注いできたワールドメイトはまた、被災した盲人の救援なども検討している。


創価学会

『大悪起これば大善きたる』
「すべてを変毒為薬して行こうよ」と

真心の奉仕活動 海外各紙も報道

 死者・行方不明者が五千人を超える大災害となった兵庫県南部地震で、創価学会(秋谷栄之助会長)では十七日の地震発生直後に、関西文化会館(大阪市天王寺区)に「関西災害対策本部」(本部長=西口良三関西長)を設置、また東京の創価学会本部にも秋谷会長を本部長、森田一哉理事長らを副本部長とする「災害対策本部」を設け、被災者の救援活動に全力で取り組むとともに、西口関西長ら関西の幹部が被災地へ入り、「大悪起これば大善きたる」との御書の金言をモットーに、すべて変毒為薬としていこうと、激励を続けている。
 兵庫県内では、神戸市の灘文化会館(灘区)、神戸講堂(東灘区)、長田文化会館(長田区)をはじめ西宮市の西宮池田講堂、尼崎市の尼崎池田文化会館など各地の創価学会の会館が、被災した近隣住民の避難所や救援・医療活動の拠点として提供された。信仰する宗派・教団や、また信仰の有無を問わず、思想・信條を超えて多くの被災者がこれらの会館に避難し、互いに励まし合いながら生活を送っている。
 東京の創価学会本部の「災害対策本部」では十八日、森田修平ドクター部長を中心とするドクター部(医師)のメンバー約百三十人、および白樺会・グループ(看護婦)のメンバー約三百五十人からなる「救急医療班」を結成して急きょ被災地へ派遣。関西をはじめ中部、中国、四国など各方面の学会組織からも派遣された「救急医療班」とともに、各会館や小・中学校など兵庫県内の避難所を訪問して被災者の手当てや診療に懸命に取り組んでいる。
 また現地では地震発生以来、関西の学会青年部員をはじめ多くの会員が、被災者の救援のため自発的なボランティア活動を展開。神戸へ船で運ばれた救援物資を荷揚げしたり、渋滞が続く車の間を縫うように自転車やオートバイを使って物資の運搬に当たるなど、不眠不休で救援活動を続けている。
 「関西災害対策本部」では十九日までに中部、中国、四国など近隣地域の学会組織から寄せられたものを含め、飲料水(ペットボトル)二十二万本、おにぎり六十五万個、パン五十万個、缶詰め三十一万個、携帯用カイロ三十五万個、毛布、七万五千枚、卓上用コンロ三万五千個、紙おむつ四万人分など多数の救援物資を、ヘリコプターのべ四機、トラックのべ千二百二十台、チャーター船のべ三十隻、バイクのべ九百台、自転車のべ千三百五十台を使用して被災地に届けた。
 また創価学会本部では、全国から寄せられた義援金一億円を、被災者の救援活動等のために兵庫県災害対策本部に寄託することを決定。西口関西長と大西正人兵庫総県長が二十日午後、貝原俊民知事に目録を手渡した。貝原知事は「被災者のための真心のボランティア活動に尽力していただき、創価学会の皆さんに心から御礼申し上げます。このようなご寄付までいただき、救援活動のために有効に使わさせていただきます」と感謝の言葉を述べた。
 同日午前には、西口関西長と大西総県長が兵庫県庁と神戸市役所を訪問。貝原知事、笹山幸俊市長に、それぞれ救援活動の現状と今後の方向性を確認するとともに、復旧へ向けて今後より一層、密接な連携を取り合いながら救援活動を進めていくことを話し合った。
 「いま一番、望まれている物は何か」「一番、早く届ける方法は何か」−創価学会メンバーの真心のこもった奉仕活動に被災地からは、
 「とにかく“迅速”が光っています。学会は、最も望んでいた水や卓上用コンロ、食料等の手配がどこよりも早い」「学会員の力強い励ましに勇気がわきました。元気づけられました」
 といった称賛の声が寄せられている。
 メンバーの懸命な活動ぶりは被災者にも力強い励ましとなり、「学会の皆さんも被災者であるのに不眠不休で作業をされている。ただ休んでいるだけでは申し訳ない。僕も手伝います」と、青年部員と一緒に救援物資の搬入を手伝う若者もいた。
 こうした創価学会の救援活動は、国内の新聞・ラジオはもとより、イギリス・フランスなど海外の新聞でも報じられている。イギリスの夕刊紙『イブニング・スタンダード』は、創価学会の会館が被災した人々の避難所として使用されていることを十八日付で報道。フランスの朝刊紙は十九日付で、「創価学会の方々が、見事な救援活動を組織していました」という被災者の声を伝えた。
 献身的な救援活動を続けるメンバーの姿は、復旧へ向けて立ち上がった被災者の心に、確かな“勇気”と“希望”の炎を灯し始めたようだ。

到着した救援物資を搬入する青年部メンバー(西宮市・西宮池田講堂)[写真は省略]

神戸市中央区・兵庫池田文化会館。震災直後から兵庫県南部の被災地の十二の会館が避難所として、また救援基地としてフル稼働を続けている[写真は省略]


青年部数万がボランティアへ

最高協議会で 池田名誉会長が謝辞

 創価学会では二十一日夕、池田大作名誉会長、秋谷会長をはじめ森田理事長、各副会長、婦人部・青年部の代表の出席のもと、最高協議会を東京都内で開催し、席上、池田名誉会長は次のように述べた。
 1.改めて兵庫県南部地震で亡くなられた方々に、心からお悔やみを申し上げたい。被災された方々に、衷心よりお見舞い申し上げたい。
 2.支援して下さった関西をはじめ全国の同志の皆さま、また災害対策本部の方々に深く感謝申し上げたい。
 3.学会員の迅速で懸命な行動に、多くの人々から絶賛の声が寄せられている。「本当にご苦労さまです。本当にありがとう」と重ねて申し上げたい。
 4.特に数万人の青年部が寝食を忘れてボランティア活動に尽くされている。海外のマスコミをはじめ内外ともに瞠目するその活躍に、心から称賛を送りたい。
 5.なお兵庫の全会館は什器や備品に多少の被害はあったものの、すべて無事である。
 6.幹部の皆さまにはこれからも、被災された方々に対し温かな、できる限りの援助をお願いしたい。


各国SGI、識者から励ましのメッセージ

 戦後最大の被害をもたらした兵庫県南部地震は、各国でもトップニュースとして大きく報道されている。
 創価学会本部には、世界各国のSGT(創価学会インタナショナル)から励ましのメッセージが続々と届けられた。
 「昨年、SGT研修で関西を訪れたイタリアの多くのメンバーが『常勝関西』の皆さまの真心からの歓迎を受けました。それはメンバーの“生涯の宝”となっています。一日も早く再建され、再び不死鳥のごとく『常勝関西』が輝くことを心から祈っています」(イタリアSGI)
 「昨年のロサンゼルス地震からちょうど一年。アメリカの同志は心を痛めています。一日も早い復興を祈っています」(アメリカSGI)
 「決して負けない“関西魂”を遺憾なく発揮し、変毒為薬されんことを確信しています」(韓国SGI)
 また同本部には連日、世界の識者から多数のお見舞いと励ましが寄せられている。
 「今回の関西方面の地震災害に対して、皆さまに心よりお見舞い申し上げます」(ゴルバチョフ元ソ連大統領)
 「私どもは被災された方々が、強靭さと信仰で必ずやこの厳しい災難を乗り越えられますことを確信しております」(ブラジルの音楽家、アマラウ・ビエイラ夫妻)
 「目的に対する真摯さと勤勉性、そして細部まで行き届いた計画−こうした日本人の皆さまの特質で、必ずや元通りの状態を早急に取り戻されることと確信します」(インドのソニア・ガンジー女史=故ラジブ・ガンジー元首相夫人)
 「日本国民を襲いましたこの惨事にあたりまして、ジブチ共和国政府ならびに同国民は、遺族の方々に衷心よりお悔やみ申し上げます。あわせて遺族の方々が、一日も早く悲しみから立ち直られることをお祈りいたしますとともに、亡くなられた方々のご冥福を衷心よりお祈り申し上げます」(ジブチ共和国のアプティドン大統領)
 「民主音楽協会主催による『ナイジェリア国立舞踊団』の大阪公演の際に大阪、神戸のSGIの皆さまの絶大なご支援をいただいたことが、誇りと感謝とともに胸に蘇ってまいります。私と家族は深い哀悼の意を表し、悲劇の痛みを共に分かち合わせていただきます」(ナイジェリア共和国のドゴン=ヤロ前駐日大使)
 このほかチリのエイルウィン前大統領、中国人民対外友好協会の斉懐遠会長、中日友好協会の孫平化会長、インド国際文化開発協会(ICDO)のバルマ事務局長、ペルー・サンマルコス大学のゲバラ名誉教授、アルゼンチン・ローマス・サモーラ大学のトマ法学部長ら法学部教職員一同、フランス写真博物館のファージュ館長、アメリカのサイモン・ウィーゼンタール・センターのクーパー副館長、トルコの国民的歌手バリス・マンチョ氏、アメリカのジョージ・ブラウン・ジュニア連邦議会議員、ロシアの世界的作家アイトマートフ氏など、各国の識者・文化人からメッセージが届けられている。

メンバーの手により被災者に温かい豚汁がふるまわれた(西宮市・西宮池田講堂)[写真は省略]


「学会が最初に動いた」

迅速な救援活動に称賛の声

 創価学会では十七日の地震発生後、大阪にいち早く「災害対策本部」を設置。大阪のメンバーらはその日に高速艇で被災地の淡路島へ駆けつけると共に、オートバイや自転車で続々と神戸方面の被災地へ入った。また各地で「救急医療班」が結成され、東京からも森田ドクター部長らが現地入りした。
 東京からの救急医療班が到着したとき、すでに関西を中心に各地のドクター部、白樺会・グループのメンバーが被災現場や避難所で懸命の治療活動を行なっていた。
 西宮池田講堂(西宮市)に入った森田ドクター部長は、「大変でしたね。万全を尽くしますから」と、すぐさま怪我をした人々の治療に当たる。「大丈夫です。元気を出してください」。ドクター部長の励ましで被災者の顔に笑顔が戻った。森田ドクター部長は、創価学会の医療班の手当てを受けた人からは、「学会の方の応援はどこよりも早かった。また真剣でした。不安がいっぱいの中で本当にありがたかった。心から感謝します」といった声が相次いで聞かれたという。
 「一刻も早く、一人でも多くの人に救助の手を」との思いが、メンバー一人々々の胸に刻み込まれているからだろう。果敢、迅速、有効は学会の災害救援活動の数十年来の伝統であり、そのノウハウの蓄積が、いざというときものをいう。
 約六百人の住民が避難している西宮池田講堂。大阪、東京など各地から駆けつけた青年部メンバーらによる“ボランティア隊”が、続々と到着する救援物資を手際よく館内に運び入れる。
 同講堂で二十日夕、避難者に温かい豚汁が振る舞われた。冷たい食べ物が続いて体調を崩した被災者から、“温かい食べ物を”との声が上がったのを受け、名古屋のメンバーが材料を携えて同講堂へ急行、さっそく調理したものだ。豚汁は近隣の小・中学校などの避難所にも配られ、「おいしい」と箸をすすめる子供たちの頬が緩んだ。
 創価学会の目を見張るような救援活動に国内外から称賛の声が寄せられる一方、指摘されているのが政府の対応の遅さで、巷間では「最初に動いたのが創価学会。次に海外からの救助隊、最後に政府」との声も聞かれるほど。
 また地震発生後、三日目にしてようやく現地を視察した村山富市首相は、後ろ手を組んで被災者を見舞うなど、一国の首相にあるまじき無神経極まりない態度に国民から非難の声があがっている。


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