『中外日報』平成7年1月28日付(25259号)12-16面


兵庫県南部地震特報5

奥邨総長、現地入り

救援活動、宗務所単位で

街頭では緊急募金 池田市で四百万円

◇日蓮宗◇

 十七日未明に発生した兵庫県南部地震は神戸市を中心に死者五千人を超える未曾有の大災害となったが、地震発生時、東京の宗務院第二庁舎の宿舎に泊まっていた奥邨正寛宗務総長は素早い対応を見せた。
 宗務院に登庁してから、テレビ等で一番被害が大きいと報道された神戸市を統轄する兵庫県東部宗務所(大塚泰詮所長)と連絡を取ろうとしたがなかなか取れなかったため、この日一日、情報収集と地震対策に忙殺されたという。
 結局、緊急連絡網を使って、何とか兵庫県東部宗務所と連絡ができ、大塚所長の無事は確認できたものの、宗門寺院も相当被災しているものと想像され、神戸市出身の中井泰淳国際開教室長(神戸市灘区・本泉寺)とともに現地入りすることを決断し、十七日夜九時すぎ空路、大阪(伊丹空港)入りした。
 奥邨総長は、そのままタクシーで神戸に向かおうとしたが、高速道路は不通、また国道2号線や同43号線も大混雑で通行不能と教えられたため、いったん自坊(大阪市此花区・正蓮寺)に立ち寄り、ここから自ら自家用車を運転して神戸をめざした。普通なら一時間ほどで行ける距離なのに、大混乱の中、交通規制や障害物に阻まれたり、また迂回しながらで、結局、四時間ほどかかって神戸市内に入り、兵庫県東部宗務所(兵庫市中央区・本妙院)に着いたのはもう十八日の午前二時すぎになっていた。
 さっそく、現地の情報収集とお見舞いを行ない、中井室長を自坊まで送ったが、もうその時は、本泉寺は遺体の安置所になっており、本堂には五十体ほどが運び込まれていて、足の踏み場もなかったという。この頃になると、どの道路も救援のためや親類・知人の安否を求めて往来する車でいっぱいになり、奥邨総長は帰路、九時間もかかって大阪にたどり着き、再び自坊に立ち寄った後、十八日中には東京(宗務院)に戻った。
 奥邨総長が現地入りしていた間、宗務院では十八日に奥邨総長を本部長、加賀美泰全庶務部長と渡辺一之財務部長を副本部長とする「兵庫県南部地震対策本部」を設置したほか、綜合企画部の部員二人を現地に派遣、さらに大塚所長に義援金として、とりあえず五十万円を贈った。
 宗務院ではまた、二十三日までに五千五百ヵ寺の全宗門寺院に対して、直接郵送で「兵庫県南部地震義援金勧募」の緊急要請を行なった。
 一方、被災地に近い大阪では宗務所単位でさっそく独自の救援活動に乗り出しており、例えば大阪府豊能宗務所(高川法晴所長)では、地震翌日の十八日に緊急会議を開いて、1街頭募金の実施2管内寺院の風呂を地元の一般被災者に開放する3どこにも行き場のない被災者は家族を含めて管内寺院で引き受ける用意があることを兵庫県東部の大塚所長に伝える−などを決め、翌十九日から連日六日間、管内の日蓮宗青年会を中核に、山下文浩所長代理(豊能郡能勢町・圓珠寺=高川所長は現在、日蓮宗加行所に入行中)や豊能郡能勢町の森恵遠・善福寺住職(大本山本圀寺七十五世)ら僧俗十五人が阪急宝塚線池田駅前に立ち、義援金を募集したところ、総額四百万円ほどが集まったそうで、これらは直ちに日赤の大阪府支部に贈られた。
 奥邨総長は「地震直後、現地に行ってよかった。十八日までは何とか一般の車が走れたが、その後は規制され、警察・消防の車とか、救援車しか入れなくなりましたからね。それにしても、現地は大混乱で惨澹たる状態でした。電気も消え、電話も通じないという有り様ですから、宗務所も努力しているものの、まだ管内寺院の全状況を掴みきれないというのが正直なところで、これがはっきりするまでにはもう少し時間がかかるでしょう」と、視察直後に話している。


住職一人死亡 六ヵ寺で本堂倒壊

 さて被害状況だが、神戸市を中心に、西宮市、尼崎市などの宗門寺院が被災した。
 一番悲惨だったのは、神戸市東灘区の妙見寺で、岩田随教住職が潰れた本堂の下敷きになって圧死した。同寺では本堂のほか、庫裡も全壊し、現在は全くの廃虚と化してしまっている。亡くなった岩田住職の夫人は、兵庫県東部の大塚所長の妹にあたることから、十九日に大塚所長が遺体の安置所を訪れ、枕経を上げて荼毘に付し、仮の葬儀だけは執り行なったという。
 また急斜地に建っていた神戸市兵庫区の妙徳寺(福田淳弘住職)は、上の方から民家が覆いかぶさるように崩れてきたために全壊、その残骸が同寺のすぐ下を走る神戸電鉄有馬線(湊川−長田間)の線路を塞いだ状態になっている。上の民家も妙徳寺も跡形もなく、線路の手前に「妙徳寺」という碑がなかったら、そこにお寺があったことなど、まったくわからないように形が変わってしまっていた。崩れ落ちた民家の駐車場に止めてあった二台の車は、まだ斜面にぶら下がったままの状態で、いつずり落ちてくるかわからず、付近は立ち入り禁止になっている。
 奇跡的に軽傷で済んだ福田住職は、夫人が骨盤骨折で近くの川崎病院に入院中のため、自分のケガを押して、入院中の夫人に付き添い、看護にあたっている。
 神戸市兵庫区の法蓮寺(内藤慈宣住職)は、本堂が倒壊し、屋根の部分が残っているだけ。庫裡も屋根・天井に穴があき、内部はめちゃめちゃで使いものにならなくなった。内藤住職は「もう少し朝勤が早かったら、確実に下敷きになっていたでしょう」と恐怖の体験を語ってくれたが、同寺ではこのほかに墓石が全部倒れ、塀も崩れた。境内には二本の亀裂が走っており、現在は崩壊せずに済んだ庫裡のうち、奥の六畳二間で生活している。
 さらに菊水山麓の高台(標高百二十メートル)にある神戸市兵庫区の行守寺(清水教信住職)も、本堂・庫裡が全・半壊した。半壊した庫裡も、さらに崩れる恐れがあるため、中に入れない。現在はガレージに避難し、たった一本通じていた境内の水銀灯用のコンセントから電気を引いて、ホットカーペットで暖を取っている。清水住職は「ここは神戸市水道局鳥原貯水池の畔にあり、近くに水道局の事務所もあるためか、鳥原貯水池を一周する『水と森の回遊路』の亀ノ甲広場という所の水場が使えたので、水だけは何とかなったが、どこから手をつけていいのかわからず、まだ宗務所にも被害届さえ出していません」と途方に暮れていた。
 西宮市では浄願寺(富田智妙住職)で、本堂・鐘楼を含む諸堂が全壊し、残ったのは鉄筋コンクリート造りの納骨堂だけという惨状。
 尼崎市では、長遠寺(池田博隆住職)の客殿(重要文化財指定)が倒壊した。同寺は本堂と多宝塔が国の重要文化財で、客殿・庫裡・鐘楼・宝蔵が県の重要文化財という名刹だっただけに、復興にはかなりの時間がかかりそう。
 被災地の寺院では大なり小なりの被害が出ており、大塚所長の自坊である神戸市中央区の本妙院は、本堂・庫裡の屋根や本堂内の壁が壊れたほか、浄行堂と写経塔が倒壊した。また同寺は、付近の住民の避難所として開放された。
 さらに中井国際開教室長の自坊である神戸市灘区・本泉寺は、遺体の安置所として使用され、五十体ほどの遺体が収容されていた。二十二日現在、まだ身元不明で引き取り手もない遺体が残っていた。夫人と生まれたばかりの子供がいる副住職夫妻を大阪の親類に避難させたという中井室長は「十八日午前三時に東京から戻った時には、警察・消防・自衛隊の人に加え、遺族らでごったがえしていた。おそらく五百人ほどはいたでしょう。今日はもう初七日。この状態では、今月いっぱい、とても登院は無理でしょう」と、一人で走り回っていた。


神戸市の三ヵ寺全壊

淡路島にも大きな被害

川口総長が陣頭視察

◇法華宗本門流

 兵庫県尼崎市の大本山本興寺(大平日晋貫首)を筆頭に、淡路島を含む兵庫県下に多くの寺院を抱える法華宗本門流(川口日唱宗務総長)では、現地との連絡がまったく取れなかったため、急遽、川口総長自らが兵庫県に向かい、被害状況を把握することになり、矢吹慈英主事を伴って、十九日にまず大本山本興寺を訪れた。
 尼崎市開明町にある大本山本興寺では既報のように山門の扉が壊れたほか、三光堂の柱が傾き、境内北側と西側の塀が倒れ、また庫裡もあちこちが壊れるなどの被害に見舞われた。
 また大本山本興寺塔頭の一乗院(斎藤舜駘住職)でも山門が倒れたほか、同養寿院(三浦成雄住職=本興寺執事長)では本堂の屋根が潰れて半壊の状態。
 川口総長は尼崎市・大本山本興寺を拠点に、ここから自転車で神戸市に入り、市内にある宗門寺院を見て回ったが、それによると被害状況は次のようであったという。
 【神戸市】兵庫区・妙行寺=被害あり。同・妙昭寺=かなりの被害あり。同法華寺=建物は大丈夫だったが、仏具類が壊れた。同・感応寺=本堂内部・外壁が壊れた。同・久遠寺=墓石が全部倒壊。同・本光院=本堂・庫裡が全壊。長田区・西代感応寺=本堂が全壊。須磨区・妙興寺=山門崩壊。灘区・本勝寺=本堂内部と外壁が壊れた。東灘区・要玄寺=本堂は全壊、庫裡も半壊した。
 【伊丹市】妙宣寺=山門が崩壊。
 【淡路島】津名郡一宮町・聖楽院、同・孝進寺、同・本門寺、同・妙京寺、津名郡北淡町・本円寺、津名郡津名町・西光寺=かなりの被害あり。津名郡一宮町・最明寺、三原郡西淡町・妙泉寺、津名郡東浦町・妙勝寺=本堂が半壊。津名郡津名町・妙安寺=庫裡が傾き、使用不能。
 なかでも記者が見た中で、最も被害が大きかったのが、神戸市兵庫区の本光院(藤村隆秀住職)で、本堂と庫裡が倒壊し、現在は境内に簡易テントとビニールシートで寒風と雨露を凌いでいる。特に二階建ての庫裡は、一階部分が原形をとどめないほどに潰れてしまい、平屋建てのように形が変わっていた。
 藤村住職は「川口総長さんには早速お越しいただき、お見舞いを受けました。家族は二階に寝ていたので、命だけは助かりましたが、本堂もめちゃめちゃで、いつ崩れるかわからない状態。電気は前の道の外灯から引いて使っていますが、水も食糧も救援物資をもらっています」と語ってくれたが、夫人は地震の恐怖と心労のため、ビニールで覆っただけのテントに臥せっていた。
 また本光院隣の久遠寺(岡本顕雅住職)は、本堂裏手の工場が火事になり、十数年前に建てたばかりという近代建築の本堂もあわや類焼かと思われたが、必死の消火活動で、壁一つ隔てたところで鎮火し、難を逃れた。このほか墓地が全部倒れたが、危機一髪のところで、本堂・庫裡が無事だったため、消防署の要請により、同寺には兵庫地区の「救護対策本部」が置かれ、医師が二十四時間態勢で詰めて被災者の診療にあたっていた。


宝塚・妙玄寺が大破

前住職と住職夫人、死去

◇法華宗陣門流

 法華宗陣門流(牧野琢成宗務総長)では、兵庫県宝塚市の妙玄寺(長谷川宣正住職)が被災し、長谷川好昭前住職と住職夫人の佳世さんの二人が亡くなった。
 妙玄寺は関西教区では一番実力のある寺院で、伽藍も整い、周囲に堀を巡らすなど、美しいたたずまいを見せていたが、今度の地震で本堂をはじめ、庫裡、山門などが全壊し、前住職の離れ(隠居所)と番神堂が倒壊寸前といった状況。
 この事態に、宗務院では牧野総長、土屋善敬総務部長らが現地と連絡を取り、京都市・別院本禅寺塔頭心城院の赤塚高明住職、大阪市北区・夕願寺の門谷光瑞住職、それに大阪にいたことがある富山県婦負郡細入村・上行寺の門谷東生住職の三人が現地に赴いて、亡くなった二人の合同葬儀を営んだ。
 無事だった長谷川住職と子供二人、それに九十歳になるという前住職夫人は一時、門前の公民館に避難していたが、現在は近くの親戚の家に身を寄せているという。
 妙玄寺の檀徒も多数が罹災しているため、同寺の復興はかなり長引くものと予想される。


曹洞宗

プレハブ13棟を提供

ボランティア SVA、四百人投入めざす

 曹洞宗宗務庁(伊東盛熈宗務総長)は兵庫県南部地震(阪神大震災)の被災寺院に対し、要望に応じてプレハブを提供することを決めた。本堂、庫裡など全壊状態の寺院に仮設住居として利用できるよう宗務庁の責任で建設する。また被害の大きい寺院を拠点にし、地域住民への救援活動を展開する態勢を整えつつある。
 プレハブの建設は、取りあえず十三軒を予定している。被災寺院からの要望に対応して順次建設することにしており、建設に要する費用は宗務庁が全面的に負担する。
 現地への救援活動は、中央区国香通の東福寺(圓通幸温住職)を中継拠点とし、被害の甚大な寺院を中心として地域住民への支援活動を展開することを決めた。これは救援物資が比較的に届きやすい地域よりも、被害の大きい地域への救援を目指すもの。
 また「曹洞宗義援金」の受け付け開始を知らせるダイレクトメールを二十五日、全国の曹洞宗寺院に宛てて一斉に発送した。
 文書は「阪神大震災災害義援金受付開始のお知らせ」で、「阪神大震災」災害対策本部長・曹洞宗宗務総長伊東盛熈、総務部長佐々木孝一の両氏の名前で出された。
 義援金受付口座は、払込口座番号=00190−2−604062、または東京9−604062。加入者名=曹洞宗義援金。
 宗派を超えたボランティア団体として国際的な活動を展開している曹洞宗国際ボランティア会(松永然道会長)は、会員などのボランティアや、駒沢大学など曹洞宗の関係大学などから約四百人のボランティアを募り、現地で救援活動を進める予定。


被災状況調べ見舞金を伝達

曹洞宗宗務庁

 大震災発生後、曹洞宗宗務庁は二十日に大阪宗務所管内の第五、第六教区へ総務部福祉課の石田隼朗課長と栗原泰厳書記を派遣、二十一日には兵庫県宗務所管内の第一教区に岡山県側から教学部の中村秀雄課長と小林千秋書記、大阪側から石田課長と栗原書記、同第二教区に有田恵宗人事部長と宮崎英輝・和賀紳城の両書記が入り、それぞれ見舞いの金品と見舞状、死亡者の出た寺院へは弔慰金を手渡すとともに、被災状況をつぶさに調査した。


曹洞宗寺院の被災状況

 宗務庁現地調査の結果、兵庫県第一宗務所(三輪昌伸所長)の第一・第二教区、大阪府宗務所(前野珪三所長)の第五・第六教区における曹洞宗寺院の被災状況は次の通り。
 【兵庫県第一宗務所】
◇第一教区
 ▽八王寺(志保見道元住職、神戸市兵庫区)=本堂瓦損壊・内部損傷大、庫裡・書院全壊▽満福寺(志保見文彦住職、神戸市長田区)=本堂瓦損壊・内部損傷大、庫裡・書院全壊、鐘楼堂全壊▽歓喜寺(横山顕宗住職、神戸市中央区)=被害小▽東福寺(圓通幸温住職、神戸市中央区)=本堂内部損壊、庫裡壁亀裂、鐘楼堂損壊、外塀損壊▽永昌寺(安藤正治住職、神戸市兵庫区)=本堂内部損傷大、庫裡傾斜▽海蔵寺(原田隆文住職、神戸市灘区)=本堂壁落下傾斜、庫裡屋根損壊、山門傾斜
 ▽永徳寺(寺本環光住職、神戸市北区)=被害なし▽成道寺(平井真隆住職、神戸市北区)被害なし▽三宝寺(今井良岳住職、神戸市北区)=被害なし▽福田寺(卜田哲真住職、神戸市北区)=被害なし▽最法寺(加藤大真住職、神戸市北区)=被害なし▽妙香寺(弊道紀住職、神戸市北区)=本堂内部損傷大▽海光寺(工藤智澄住職、西宮市)=被害小
 ▽禅昌寺(吉用慈鑑住職、神戸市東灘区)=本堂・庫裡全壊▽泰雲寺(本庄廣司住職、淡路島・洲本市)=被害小▽向栄寺(岡本寛明住職、神戸市東灘区)=副住職の子供二人死亡、本堂瓦損傷、庫裡書院全壊、アパート全壊▽月照寺(間瀬元道住職、明石市)=本堂傾斜・内部損傷大、山門屋根損壊▽安養寺(宇野義晴住職、神戸市垂水区)=本堂・庫裡傾斜、鐘楼堂全壊▽西教寺(宮脇正勝住職、神戸市西区)=書院屋根損壊
 ▽雲晴寺(五十川幸雄住職、明石市)=本堂・庫裡内部損壊大▽勝明寺(山口博道住職、神戸市西区)=被害小▽福林寺(林泰寿住職、明石市)=被害小▽宝珠寺(萬年基臣住職、神戸市西区)=被害小▽正受寺(中村智正住職、神戸市西区)=庫裡屋根損傷▽薬師寺(有元邦博住職、神戸市西区)=山門仁王像倒れ、境内地割れ▽栽松寺(有倉慧明住職、明石市)=庫裡瓦損傷
◇第二教区
 ▽宝泉寺(岸野恭順住職、宝塚市)=本堂・庫裡全壊▽墨染寺(三輪昌伸住職、伊丹市)=瓦落下、墓地倒壊▽全昌寺(越賀公道住職、尼崎市)=鐘楼堂倒壊、塀全壊▽福寿庵(大平加夫住職、川西市)=全壊▽楊林寺(西村真典住職、宝塚市)=本堂傾斜、内部損壊大▽慈眼寺(山田好道住職、伊丹市)=本堂・庫裡全壊▽喜音寺(戸田泰浩住職、宝塚市)=本堂半壊▽大宝寺(水野梅秀住職、宝塚市)=本堂柱傾斜、塀全壊 礼
 ▽最禅寺(古結直應住職、伊丹市)=庫裡半壊、本堂内部破損▽東明寺(吉田禅明住職、川西市)=本堂半壊、山門傾斜▽地蔵寺(吉川泰隆住職、宝塚市)=被害小▽荒村寺(福田智道住職、伊丹市)=被害小▽泉流寺(西村真典住職、宝塚市)=被害小▽大昌寺(洞上俊孝住職、川西市)=被害小▽善源寺(森田泰弘住職)=被害小▽岡本寺(金子正恵住職)=被害小
 ▽陽泉寺(岡田良雄住職、川辺郡猪名川町)=壁亀裂▽普賢寺(水田邦隆住職、川辺郡猪名川町)=塀・五輪塔倒壊▽雲覚寺(原文隆住職、川辺郡猪名川町)=壁亀裂▽徳林寺(塩竈博隆住職、川西市)=被害なし▽慶昌寺(中村英昌住職、川西市)=被害小▽善久寺(市川幾生住職、川辺郡猪名川町)=被害なし▽正林寺(蒔田勝壽住職、川辺郡猪名川町)=被害小▽景福寺(森口智幸住職、川辺郡猪名川町)=被害なし
 ▽普明寺(湯浅徹雄住職、宝塚市)=天蓋落下、灯籠・墓倒壊▽洞泉寺(萩野孝昌住職、川辺郡猪名川町)=被害なし▽定星寺(藤原宏道住職、川辺郡猪名川町)=被害小▽精明院(森口智幸住職、川辺郡猪名川町)=被害なし▽長伝寺(平尾玄秀住職、川辺郡猪名川町)=被害なし▽福祥寺(北楠省三住職、川辺郡猪名川町)=被害小
 ▽永泰寺(荒山欸孝住職、川辺郡猪名川町)=被害小▽自牧寺(湯浅信彦住職、川辺郡猪名郡名川町)=被害小▽松山寺(平尾玄秀住職、川辺郡猪名川町)=被害なし▽泉福院(村山廣甫住職、尼崎市)=屋根落下、塀・灯籠倒壊▽菩提寺(能勢全隆住職、宝塚市)=被害小▽頼光寺(橋本堅豊住職、川西市)=被害小
 【大阪府宗務所】
◇第五教区
 ▽東光院(村山廣甫住職、豊中市)=本堂全壊、山門傾斜▽常楽寺(八田自勝住職、豊中市)=本堂瓦損壊、庫裡亀裂▽梅林寺(木下良裕住職、豊中市)=本堂傾斜・瓦損壊▽南昌寺(本庄廣司住職、豊中市)=本堂傾斜・瓦損壊、庫裡傾斜
◇第六教区
 ▽栄松寺(八木道雄住職、箕面市)=山門と本堂屋根傾斜▽陽松庵(福本高芳住職、池田市)=建物すべて傾斜、本堂を除く建物屋根損壊▽慈恩寺(吉川信隆住職、池田市)=本堂傾斜、庫裡・客殿瓦損壊▽松操寺(高畑良圓住職、池田市)=屋根一部損壊


外国人被災者に対応

聖堂焼け跡にも診療所

◇カトリック◇

兵庫県南部地震によるカトリック関係の被害は大阪教区

(安田久雄大司教)に属する兵庫県下に集中しているが、教区内外からボランティアがかけつけ、全国の信徒からの見舞金も集まり、救援物資は「しばらく辞退します」というほどの状態である。
 現地の教会が、崩れ残った建物に被災者を収容したり、プレハブの診療所を開設するなど、キリスト教らしい奉仕活動が目立っている。
 おもな被害は、神戸市長田区の鷹取教会が全焼、中央区の下山手教会が全壊、東灘区の住吉教会司祭館が倒壊、西宮市の夙川教会が内部崩壊のほか、神戸、芦屋両市の四教会が損壊した。また修道院では神戸、宝塚、西宮、尼崎市内の九ヵ所、学校では尼崎市の英知大学をはじめ八校、さらに十六の幼稚園に被害があった。なお司祭・修道女らには死亡者はなかった。
 大阪教区は現地救援本部を神戸市中山手教会に置き、物資の配分などに当たっているほか、在日外国人被災者のための相談窓口を、電話のかかりやすい大阪に設け、大阪教区国際協力委員会(電話〇六−六四一−〇〇六九=シスター毛利)が応対している。
 また「カトリック医療協災害医療本部」は神戸市灘区の神戸海星病院を核に、福岡県・久留米聖マリア病院を通じて派遣されたボランティア医師・看護婦らを含め、同市内六ヵ所に常設の診療所を開いて、市民の治療に当たっている。とくに全焼した鷹取教会では、約五十平方メートルのプレハブを建てて診療所にあて、市民から感謝されている。
 大阪教区の義援金受け入れ窓口は「さくら銀行甲東支店普通預金3084020・カトリック大阪大司教区」。
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 このほか神戸市北区のセブンスデー教団・神戸アドベント病院も医療活動を展開中。


PL病院から医療班

 PL教団(御木貴日止教主、大本庁・大阪府富田林市新堂二一七二ノ一)の渉外課によれば、神戸市中央区の神戸中央教会も尼崎市の尼崎中央教会も被災の程度は軽微であったという。その他、神戸市内や芦屋市にある教会なども全壊といった大被害はなかったとしている。信徒の被災については、被災者の救援を主としているので、目下、調査中という。教団の救援活動としては、地震発生の翌十八日は大本庁が休日であったが、水や食料品を携帯した本部職員を派遣、大本庁内にあるPL病院からも医師や看護婦を神戸市内の避難所や病院に急行させたという。


兵庫県庁に五千万円

円応教平和基金から寄託

 円応教(深田充啓教主、本部・兵庫県氷上郡山南町村森一ノ一)では、教団本部の被害はなく、被害の多かった神戸市東灘区の東灘教会をはじめ、中央、兵庫、垂水、西の各区や西宮市に教会があるが、いずれも被害の詳細はまだ把握できていない、としている。信徒の人的被害などについては、一般の被災者救援を主としているので、現在のところは未調査とのことである。救援は、震災後、水や食料を持参して被災者に配り、その後も続行しているが、食料品については充分にあるので、目下は待機中とのことである。
 この救援活動と共に、円応教平和基金から義援金五千万円を兵庫県庁に寄託した。同基金は、戦争を懺悔し、平和の招来に寄与するべく、信徒から募ってきている基金で、今回の震災の義援金として贈ったが、今後も同基金の募財を続けていくという。


実態調査は救援活動後

大慧会

大慧会(石倉恒男会長、本部・大阪府堺市大美野一四二)は本部をはじめ姫路教会などは小被害に留まった。信徒の被害状況については、調査中。


神戸の三ヵ寺に被害

救援活動 青年会・教友会員らで

神戸市側の要請で遺体の供養に出仕

◇西山禅林寺派

 浄土宗西山禅林寺派(五十嵐隆明宗務総長)では、十七日の兵庫県南部地震によって兵庫県宗務支所下の神戸市内三ヵ寺に被害があり、兵庫県宗務支所(岡本俊教支所長)、兵庫青年会(富永真光会長)や教友会(勝山淳明会長)、全国禅林寺庭婦人会(田中澄子会長)などが被災寺院や檀信徒の救援活動に立ち上がっている。同派寺院は兵庫県でも明石以西に集中しており、被災地にあるのは神戸の三ヵ寺だけである。
 同派では救援対策を話し合うため二十一日に参事会を開き、一千万円の見舞金を宗内寺院に勧募して被災寺院や檀信徒救援のため贈ることを決めた。また二十三日には宗務所の堀本俊明主事、岡本教伝録事、林田善仁録事の三人が車に救援物資を積んで被災地の三ヵ寺を見舞った。
 それらの報告によると同派寺院の被害状況は次の通りであった。
 ▽神戸市兵庫区中之島二丁目の阿弥陀寺(澤木亮道住職)では、本堂はかなり痛んでいるが、残存しており、檀家の人々の避難場所や遺体安置所として利用されている。
 ▽神戸市兵庫区島上町二丁目の来迎寺(大西誠治住職)では、庫裡が倒れて使用に耐えず、残存している本堂で日常生活をしている。
 ▽神戸市長田区片山町三丁目の善導寺(戸上直人住職)は、山手にあるため建物の被害は軽いが、寺族は大阪の親類(住職の娘さんの嫁ぎ先)に身を寄せている。
 地元の兵庫青年会と壮年層の教友会では、二十一日に打ち合わせの会合を開き、両会が二十万円ずつ出し合って救援物資を調達した。現地に連絡を取ったところ、物資よりも、現在安置所におかれている遺体を供養する僧侶が必要との神戸市役所からの要請もあり、供養の準備を整えて現地に赴いた。
 二十二日午後六時には、下村和法福林寺住職、猪沢良秀恩徳寺住職、西田秀雄、榊原功二各氏がタオルや医薬品等の物資を持参して現地へ赴いた。
 続いて二十三日午前五時には富永真光円福寺住職、西川賀久西岸寺住職、岡本教穂、檀上昌宏両氏。二十四日午前五時には橋本義然来迎寺住職、酒見真尚龍泉寺住職、岡本文穂氏。二十五日午前四時三十分には富永円福寺住職、西田秀雄、下村明生、榊原功二各氏がそれぞれ早朝に出発し、夜遅く帰って次の班にバトンタッチした。また寺庭婦人も炊き出しのため交代で現地に赴いている。
 各班はボランティアで東灘区の避難所である神戸商業高校に交代で常駐し、朝夕は豚汁の炊き出しに携わり、昼間は学校、公園に分散している各遺体安置所を回り、読経して供養を行なっている。
 現在、救援物資の購入は教友会、青年会の会費で賄っている。救援物資は下着、肉、野菜、味噌、醤油、お椀等。購入費が不足してきたため、兵庫県宗務支所の援助も受け、今後の長期化に備えて、本山の援助が期待されている。
 また、全国禅林寺庭婦人会では各寺院に義援金箱を設け、募金活動を展開している。
 同派としては、二十一日に参事会を開き、被災地見舞金一千万円を送ることとし、全国の寺院に一口二万円で一口以上の喜捨を依頼することになった。不足分は宗派の災害救援基金から拠出する予定。


救護隊が続々現地へ

直ちに対策本部 復旧祈願祭も執行

◇大本◇

 大本本部(植村彰本部長)では十七日の地震発生後直ちに、大本神戸本苑(神戸市兵庫区会下山町一ノ二ノ二七)担当の特派宣伝使(本部職員)・中里友彦氏を、被害状況確認のため大阪・神戸の教会へ派遣。中里氏は現地の教会長、教会役員らとともに調査に当たった。
 また同本部及び人類愛善会(広瀬静水会長)は「兵庫県南部地震災害救援本部」(本部長=植村彰大本本部長)を大本本部内に設置した。
 十七日午後には、「兵庫県南部地震災害復旧祈願祭」を亀岡天恩郷、綾部梅松苑、東京東光苑の各大本本部で執行した(二十四日まで)。
 災害救援本部では本木及び人類愛善会の全国各機関に愛善救援基金(〈郵送〉〒621京都府亀岡市天恩郷 人類愛善会総本部宛、〈郵便振替〉01000−7−8229 人類愛善会総本部宛、〈銀行振込〉京都銀行亀岡支店・普通129125・兵庫県南部地震 災害救援金 人類愛善会総本部宛)の拠出を求めるとともに、救援物資の提供を依頼した。
 災害救援本部は十八日午前、「兵庫県南部地震災害救援隊」を組織して、天恩郷万祥殿で結団式を行ない、同日午後、第一次救援隊十二人を被災地へ派遣した。
 同隊は大阪と神戸北の両ルートで現地入りし、神戸市役所へ飲料水二トンを届けたほか長田区および中央区内に水、食料品、日用品などを搬入した。
 十九日午前には第二次救援隊十二人が出発。現地で第一次救援隊と合流し、水六百リットル、毛布百枚、おにぎり千個の救援物資を被害の大きい東灘区の区役所、ならびに日用品等を避難所の須磨区・東須磨小学校、西宮市・西宮市立体育館に搬入した。
 またこの日から地方機関の救援活動も本格化し、大本岡山本苑では毛布や日用品を神戸市垂水区、大本京都本苑では食料を西宮市立体育館に搬入。翌二十日には大阪本苑が食料、大本はりま本苑が日用品、大本口丹波主会がおにぎり二千六百個をそれぞれ被災地へ届けた。
 災害救援本部は二十一日午前、第三次救援隊二十八人を派遣して、東灘区役所に水千四百四十リットル、毛布百枚、おにぎり二千六百個を届けるとともに、同救援隊を五班に分け、宝塚・芦屋の両市、西宮市、東灘・灘の両区、中央区、長田・須磨の両区にそれぞれ日用品を搬入した。
 植村彰本部長は二十三日、第四次(二十三日午前出発、十人)および第五次救援隊(二十四日未明出発、十九人)の隊長として神戸市内の被災地に入った。
 第四及び五次救援隊は、次の物資を兵庫・東灘の両区役所、および避難所の兵庫区・水木小学校に運んだ。
 洋式簡易トイレ三十台(合わせて消臭剤、ウエット・ティッシュ、トイレット・ペーパー)、男性用防寒着百五十三着、同下着百六十三着、同靴下二百足、女性用防寒着五百四十八着、同下着五十二着、子供用防寒着百五十九着、マフラー五十七本、毛布百枚、ブルーシート六十枚、水(二十リットル入りポリタンク)六十二本。


神戸本門寺で住職の甥死亡

本門法華宗

 本門法華宗の本門寺(神戸市須磨区磯馴町五ノ一三、松本興資住職)では諸堂が全壊し、下敷きとなって同住職の甥が亡くなった。最勝寺(神戸市長田区高東町二ノ一ノ八、福録日源住職)では墓石の倒壊がひどく、堂宇の古い瓦が落ちた。また境内に地割れを生じた。
 本門立正会(神戸市須磨区川上町二ノ二ノ一五、真鍋円隆住職)および淡路島(三原郡西淡町)の金岳寺(井上義昭住職)、法王寺(安田正範住職)では被害は軽いもよう。


陣頭に立つ津田宮司

長田神社 氏子の三分の二被災

境内を被災者九十余人に開放

 神戸市長田区の長田神社(津田信基宮司)は、兵庫県南部地震により境内の多くの建物が損壊したが、本殿・拝殿は倒壊を免れた。昭和三年の建築で、柱が大きく丈夫なためだった。“昭和の文化財”といわれるゆえんである。
 神門は浮き上がり、すき塀は倒れ、燈籠など石造物は全て倒壊した。社務所は、土台がずれた。結婚式場の参集殿は増築した部分に隙間ができたり、柱の鉄骨がむき出しになったりしているが、建物は堅固なので、被災者に開放、九十数人が避難している。
 宮司の二階建て木造の宿舎は古いため倒壊し、職員宿舎は新しく鉄骨が使ってあったため、倒壊は免れた。が、屋根の瓦は落ち、ビニールシートをかぶせて雨漏りを防いでいる。禰宜の宮本芳郎氏は何に当たったのかは分からないが額に傷を負った。
 津田宮司は所用で大阪・池田の実家へ帰っていたため危うく助かった。
 地震後、ある職員は須磨の実家から八キロの道を、ペットボトルの水二十本を、山道を通って神社まで。長田神社の周辺は特に被害が大きく大規模な火災により多くの家屋が焼失した。同神社の主要な建物は、作りがしっかりしていて助かったのは不幸中の幸いだった。しかし、氏子の三分の二が被災しており、今後の復旧は難航するものとみられている。とりあえず同神社名物の節分は中止となった。
 津田宮司は「神社は崇敬者のもの。地元が甚大な被害を受けているだけに、復興には時間がかかるだろう。しかし、こういう時こそ、しっかりして頑張らなければ。境内は被災者に開放して避難民を受け入れている」と、元気に語っている。長田神社では地震後、津田宮司の指揮のもと、緊急体制を取っている。
 1当直者は臨機の服装で神業奉仕をすること。毎日の日課は朝だけに、服装は作業服の上に白い服を着る。月次祭では、趣旨を神前で心に願うように。その他は祭儀部長の指示で神事を執り行なう。
 その他は様子を見て、必要な事項はその都度指示。今もたくさんの人々がお参りして御本殿の無事を喜んでいる。
 2災害物件の処理は応急処置にとどめる。当面、緊急を要し、かつ復旧の可能な個所から手当てをしていく。
 3事故の皆無を期する。職員は地震後、即刻、冷静に対処した。当直者は一睡もせず、連絡や避難、境内の点検などに当たった。建築業者に、社殿の建物の損壊がどの程度なのか見てもらった。職員の宿舎には雨漏りを防ぐため、ビニールをかぶせた。
 津田宮司自身、五代の宮司が住んでいた職舎が倒れ、危うく七十八歳の命を取り留めた。「命を助けて下さったと感謝しているが、もう少し頑張れとのことだと受けとめている」。今回、石造物は全て倒壊したので、今後、復興には石材を使わず安全第一に処理したいという。
 津田宮司は小学二年生の時、関東大震災を経験、昭和二年の丹後地震は大阪の池田で経験した。昭和十八年九月十日の鳥取地震では震源地にいた。先輩を送り届け、宿舎に引き上げ、梨を買っているところで地震が起きた。兵庫県の豊岡まで歩いた。新婚早々だったので、未亡人を作ってはいけないと、必死で帰った。
 兵庫県南部地震の報を聞いて、全国に散らばっている同社の旧職員が心配して駆けつけた。伊勢神宮の酒井逸雄少宮司も、その一人だが、津田宮司のもとへ見舞いの電話があった。宮司が無事であることを確認して安心していたという。
 名古屋・大県神社の牧野武彦氏は尼崎から単車で救援物資を運んできた。住吉神社の権宮司・片岡友次氏、白山比■神社の藤原正克氏は西宮から二十キロの道を自転車で駆けつけた。大分県護国神社の板井清明氏は自動車で救援物資を運んできた。その他、東京や各地から激励の物資や電話が寄せられている。
石造物が全て倒壊した長田神社[写真は省略]


五十四の教会が被災

泉尾教会 連日の救援活動

◇金光教◇

 岡山県浅口郡金光町の金光教本部(津田貴雄教監)では、兵庫県南部地震(阪神大震災)発生翌日の十八日に「阪神大震災」金光教災害対策本郡(本部長・津田教監)を設置すると同時に、被災地に森定斎専掌を団長とする本部職員十四人を派遣。被災地神戸を挟んで西側の城南教会(姫路)に九人、東側の尼崎教会(兵庫県)に三人、淡路島には二人を派遣し、現地の西近畿教区関係者などと協力して、二十一日までに全ての教会を歩いて被災状況を調査するとともに、災害救助法が適用された九市四町の各災害対策本部には見舞金を贈っている。
 教団本部の発表では二十四日現在の被災教会数は五十四教会。全壊から一部損傷まで被災状況は様々であるが、教団本部として、被災教会への配慮のため被災した教会名を公表していない。理由は、被災した教会の被災程度を全壊、半懐、一部倒壊、一部損傷など一方的に判断できないとのことで、今後、早急に建築や保険関係の専門家を現地に派遣し、詳しい調査を実施した上で、被災程度を判断するという。
 二十一日には津田教監、菊川洋一教務二部長、十亀光照開拓布教課長が姫路・城南教会入りし西近畿教務所長、教区委員、教会連合会長らと今後の取り組み、対応について懇談。西近畿教区としては「復興委員会」(委員長・瀬崎庫敏姫路東教会長)を設置した。
 また、教監通牒を発して全国の教会に財的支援、人的支援、物的支援を呼び掛けている。


六甲教会 完全に崩壊

被災教会名は公表せず

 同教団の教会は、神戸市内に三十六、淡路島に七、西宮市に六、尼崎市に七、伊丹市に二、宝塚市に三、芦屋市に二、川西市に二教会など。神戸市灘区には西近畿教務所も置かれている。阪神間、とくに神戸市内の教会はそれぞれが何らかの被害を受けたようで、中でも被害が大きかったのが今のところは御影教会(神戸市東灘区)、北御影教会(神戸市東灘区)、六甲教会(神戸市灘区)、兵庫教会(神戸市兵庫区)、尻池教会(神戸市長田区)とみられる。
 御影教会は広前が大きく傾き倒壊寸前で、他の建物も全壊に近い。山森正生教会長は離れで起居しながら後片づけ等に追われている。岡山の青年会からボランティアによる応援が駆けつけ、作業を進めている。
 六甲教会は全ての建物が完全に崩れた。地震が起きた時、沢田重信教会長は広前の結界で“御祈念中”で、一瞬のうちに建物が倒壊して下敷きになったが、幸い落ちてきた天井を机などが支え、わずかな隙間ができて、何とか脱出することができたという。現在は九州等からボランティアに来た青年教師らとともに後片づけをしている。
 常盤木教会(神戸市灘区)は木造の建物が無事に残っているが、ゆがみが激しく神前等をすでに移している。同教会はちょうど被災地域の中間地点に当たるため救援物資が持ち込まれ、ここを拠点に各所の被災者に運ばれている。
 西近畿教務所は被害の大きかったJR六甲道の駅前にあるが、鉄筋建てのマンションのため大きな被害は免れたもよう。ただし中の機器に被害が出ていると推測されるが、職員も各教会への対策に追われ教務所まで手が回らないのが現状のようだ。
 西宮市内の教会には大きな被害は無かったようだ。西宮教会(西宮市与古道町)は鉄筋造りのため建物に被害はなく、庭の灯籠が倒れた程度だった。
 ただし、周辺地域は被害の大きかった所だけに隣の民家も倒壊して同教会の建物にもたれかかっている。この民家の一階にいた高校生は下敷きとなったが、幸いその建物の窓と教会の窓がうまく合わさり、その中から引き上げられて助かったという。


外国人のため 英字新聞にも告知出す

 近畿の各教務所でも様々な形で救援活動を進めている。とくに中近畿教務所では地震の翌日から毎日、現地へ出向き被災者への救援活動を行なっている。地震直後は救援物資として水、おにぎり、カップラーメン等を運び、現在も地元の支援対策室等と連絡を取りながら、不足しているものをその都度ワゴン車やトラックで搬送している。
 今回の救援活動の担当地域は西近畿教務所が神戸市・宝塚市・伊丹市、中近畿教務所が芦屋市・西宮市・尼崎市を担当、東近畿教務所が中近畿教務所を手伝う形を取っている。
 各教会でも様々な形で救援活動を行なっている。
 難波教会(近藤世喜子教会長、大阪市浪速区難波中)は震災直後から炊き出しをしておにぎりを被災者に届けている。二十六日には、西宮の公園で五百人分の温かい豚汁とおにぎりを接待した。
 泉尾教会(三宅歳雄教会長、大阪市大正区)では、連日の救援活動を展開している。
 同教会では信者や近隣住民から救援物資を収集。二十日からは、公安当局の特別通行許可も取り、トラック部隊を編成。青年信徒を中心に、連日、二十四時間態勢で、ピストン輸送を始めた。
 二十二日からは、豚汁やうどんなどの温かい食物を配給するためにプロパン厨房設備車も合流。既に八千食分を供給。被災者の方から喜ばれ、連日、NHKのほか、民放各局から取材を受けている。
 また、二十二日は三宅歳雄教会長の布教六十八周年の記念大祭が予定通り行なわれたが、今回震災にあった淡路島や兵庫県南部は泉尾教会の信者の多い地域。その中を船や電車を乗り継いで十時間以上かけて参拝した信者もあり、祭典では追悼の祈りが行なわれ、また緊急の救援決議集会が行なわれた。
 報道されているように、今回の震災では政府の対応の遅れがそれだけ災禍を大きくし、また全国から大量に寄せられた支援物資の配布が、不充分な中で、被災者に直接救援物資を配布する泉尾教会の救援部隊の活動は注目されている。
 さらには、公の救援活動ではとかく後回しにされがちな、阪神地域在住の被災外国人に対しても、英字新聞等に告知を出して日本人被災者同様、教会内の宿泊施設の提供などを行なっている。外国人は頼る知人も少なく、また同教会では国際的な活動を行なってきたためという。
 なお、教団本部では現地の義援金を次の口座で受け付けている。
 特別会計「災害救済金」郵便振替口座01250−3−17391
 広島銀行金光支店(普)600130
 また、泉尾教会で募集している同震災への義援金の送金口座番号は、以下の通りである。
 口座名「KCI兵庫県南部地震救援基金」
 住友銀行大正区支店(普)434770
 三和銀行大正橋支店(普)3714802
 大阪銀行大正通支店(普)334414

金光教六甲教会(神戸市灘区)は全ての建物が全壊、御祈念中だった沢田教会長も下敷きになったが幸い助かった[写真は省略]

金光教常盤木教会の建物はゆがみ、神前は移動して、広前は救援物資配送の基地にされた[写真は省略]

鉄筋造りの西宮教会は無傷だったが、隣の民家が崩壊、もたれかかっている[写真は省略]

西宮市甲子園の春風公民館では豚汁の炊き出しを行ない、長蛇の列ができた[写真は省略]

連日、泉尾教会からトラック部隊が救援物資を運んだ [写真は省略]


創価学会

迅速で大規模 救援活動を展開

海外のマスコミも賞讃

青年部数万人を中心に、壮年部婦人部も続々と救援活動に参加

兵庫県南部地震の被災地へ

義援金計二億三千二百万円を県のほか六市二町に

飲料水22万本をはじめ続々届く救援物資

十七日から二十二日まで医師のべ二百六人、看護婦のべ四百九十人、医療品二万五百ケースを投入した

 兵庫県南部地震から十日がたち、被災地では懸命の復旧活動が続けられている。創価学会(秋谷栄之助会長)では去る二十日、全国の学会員から寄せられた真心の義援金一億円を兵庫県に寄託したのに続き、二十五日には被災地への第二次義援金の寄託を決定。地震で甚大な被害を受けた神戸市に六千万円を贈ることになり、同日午前九時過ぎ、大西正人兵庫総県長(創価学会兵庫県災害対策本部長)が神戸市中央区の神戸市役所を訪れ、笹山幸俊市長に目録を手渡した。また被災地の西宮市と尼崎市に各二千万円、芦屋市、伊丹市、宝塚市に各一千万円、淡路島の北淡町、一宮町に各百万円の義援金を寄託した。これで創価学会が寄託した義援金は計二億三千二百万円となった。
 一方、全国の学会員からは膨大な数の救援物資が、今も創価学会の災害対策本部に次々と寄せられている。これらの物資はトラックやバイク・自転車、ヘリコプター、船など様々な手段を駆使して、一刻も早く被災者の手に届くよう、青年部を中心とした“ボランティア隊”によって被災地に運び込まれた。
 あるメンバーは語った。「『真っ先にいちばん困った人のもとへ』−学会で教えられた精神を胸に、暗い夜道を一心不乱に走り続けました」
 この“学会精神”は、これまで国内外で発生したすべての災害救援活動において、いかんなく発揮されてきた。今回の創価学会の迅速、果敢な対応はその賜である。
 学会員によって被災地に届けられた主な救援物資は次の通り(二十二日現在)。
 飲料水二十二万本(ペットボトル)、お茶十一万本(同)、おにぎり六十五万個、パン五十万個、缶詰め三十一万個、携帯用カイロ三十五万個、毛布七万五千枚、卓上用コンロ三万五千個、電池二万三千個、紙おむつ四万人分、粉ミルク五千五百缶、トイレットペーパー七万五千個、ビニールカッパ二万九千個、医療品二万五百ケースなど。
 これらの物資がヘリコプターのべ四機、トラックのべ千二百二十台、チャーター船のべ三十隻、バイクのべ九百台、自転車のべ千三百五十台を利用して届けられた。
 また震災直後から派遣された創価学会の救急医療班は二十二日までに、ドクター部の医師がのべ二百六人、白樺会・グループの看護婦がのべ四百九十人に達した。
 救急医療班は兵庫県内の小・中学校等の避難所で訪問診療を行なっている。
秋谷会長ら現地へ
 創価学会の災害対策本部長を務める秋谷会長は二十四日、坂口幾代婦人部長、谷川佳樹青年部長ら本部の幹部とともに被災地を訪れ、神戸市内を中心に兵庫、大阪の各地で被災者を全力で激励した。また同会長らは現地の災害対策本部の関係者と、今後の救援活動について協議した。

大阪港から船積みされる救援物資[写真は省略]

ヘリコプターやバイクも動員して被災地に続々と届けられた救援物資[写真は省略]


四国霊場に被災者受け入れ

費用は豊山派が負担

◇…真言宗豊山派…◇

一億円を目標に募金進める

 真言宗豊山派(吉田俊誉管長)では、兵庫県南部地震による被災者の救援のため、同派寺院がある高知県(橋本大二郎知事)、室戸市(西尾恒造市長)とタイアップして、兵車県南部地震被災者救援(受け入れ)のための本部(本部長=川田聖定宗務総長、担当部長=杉山康信教化部長)を豊山派宗務所内に設置し、被災者の救援活動に乗りだした。
 豊山派の寺院は兵庫県下には一ヵ寺もないため、大きな被災を受けた寺院はなかった。
 豊山派では、同派の寺院がある高知県、室戸市を通して、兵庫県に緊急的措置として被災者の受け入れを申し出た。
 室戸市の四国霊場第二十六番札所金剛頂寺の坂井智宏住職が中心となり、通称“室戸豊山三山”と呼称される金剛頂寺、第二十四番札所最御崎寺(島田信雄住職)、第二十五番札所津照寺(大西竜真住職)や、室戸市の国立室戸少年自然の家で、これまでに五百五十人の被災者を受け入れる態勢を整え、最終的には千人くらいまで受け入れたい意向である。
 二十三日、二十四日には田代弘興、鴇晃秀両宗会議員が東京から室戸市に飛んで、西尾室戸市長、坂井住職らと打ち合わせを行ない、被災者受け入れのための具体的な話し合いをして帰京、豊山派宗務所に報告した。
 受け入れ期間は、被災地の復興のめどがつく二月末ぐらいを予定している。
 被災者の受け入れに要する費用(宿泊費)は豊山派(総本山奈良長谷寺)が負担することになり、現在約一億円を目標に募金が進められている。なお、豊山派では福祉基金から三百万円を日本赤十字を通して被災地におくった。


“お粗末”とドイツ紙

日本政府の救援対策批判

 外電によると、二十四日付けのドイツ有力紙『フランクフルター・アルゲマイネ』は東京特派員の記事で、兵庫県南部地震における日本政府のお粗末な救援対策は正真正銘の“スキャンダル”と指摘し、「政治家と役人は国民を保護する義務の履行において、十七日の地震発生以来、連日無能ぶりを証明した」と手厳しく批判した。
 同紙は、「生き埋めになった多くの人たちが息絶えるまで、政府は外国からの救援の申し出を長々と吟味していたが、その理由は単なる無能のためか、役所間の縄張り根性のせいか、恥の観念あるいは誇り高さのせいなのか、そのなぞは今後も長く議論されよう」と皮肉たっぷりに指摘している。
 記事は、地震発生直後にキンケル・ドイツ外相が電報を打って救援活動への協力を申し出たが、数日間にわたって何の回答もなく、その間、がれきの下で一時間刻みに死者の数が増えていったと結んでいる。


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