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二六新報(二六新聞)

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明治26(1893)年10月26日、秋山定輔により創刊された。当初は大新聞型の硬い紙面で売れ行きが悪かったが、休刊をへて明治33(1900)年に復刊すると1部2厘の破格の廉価やセンセーショナルな紙面で「万朝報」に対抗して庶民へのアピールをはかって部数を大幅に伸ばした。その後激しい政府攻撃などを続けて、一般紙としては珍しく、発売禁止・差し押さえを数十回も被り、発行禁止処分も2度受けている。
明治37(1904)年に秋山がロシアのスパイだという「露探事件」がおこった。当時の桂内閣系による陰謀といわれるが、これを機に部数が下降線をたどることになる。桂との関係は後に修復、大正2(1913)年の憲政擁護運動では逆に桂内閣を支持して群集の襲撃を受けた。
また、発行禁止処分との関係で、明治37年4月〜42年12月まで「東京二六」、その後いったん「二六新報」に戻るが、大正3年7月〜11月は「二六新聞」、大正3年11月〜7年2月は「世界新聞」と題号を変えることとなった。大正7(1918)年2月以降「二六新報」に復元するがその後もふるわず、昭和15年(1940)9月に終刊となった。