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https://doi.org/10.24546/81006268
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81006268 (fulltext)
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3.98 MB
54
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81006268
アクセス権
open access
出版タイプ
Version of Record
タイトル
近現代神戸の観光空間 : 1920-1950年代の湊川新開地の変遷に着目して
その他のタイトル
Urban Tourism Space of Kobe in the Modern Era : The Transition of the Minatogawa-Shinkaichi in the 1920-1950s
著者
著者名
村上, しほり
Murakami, Shihori
ムラカミ, シホリ
所属機関名
神戸大学大学院人間発達環境学研究科
収録物名
神戸大学大学院人間発達環境学研究科研究紀要
巻(号)
7(2)
ページ
39-48
出版者
神戸大学大学院人間発達環境学研究科
刊行日
2014-03
公開日
2014-05-28
抄録
昭和初期から占領期の都市空間の変容を考えるとき,第二次世界大戦と占領による影響は看過できない。また,観光空間のあり方を考えるとき,メディアの描きだすイメージが果たす役割は大きい。そこで本稿では,神戸の観光空間の変遷について,都市観光としての湊川新開地の位置づけと,その昭和初期から戦時体制・空襲被害・GHQ 占領といった契機の影響に着目して,観光案内書や新聞にみられた記述を整理,検討した。明治末期の湊川付替えによって形成された湊川公園と湊川新開地本通りは,昭和初期の博覧会や市民祭りの舞台となり,神戸市の盛り場・歓楽街としての地位が築かれていった。大正末期には湊川公園南側に望遠施設である神戸タワーが建設され,ますます市内の象徴的な場所となった。1930 年代の神戸では観光への取組みが盛んであったが,戦時体制によって収束した。1945 年初頭の神戸大空襲によって市街地の 6 割以上が焼失し,湊川新開地も焼け野原と化した。戦後の生活再建や娯楽復興は行政も市民も望むところであった一方で,復興街路計画や進駐軍による接収地と民意との関係には,ときに相克が生じた。湊川新開地という場所で顕著にあらわれたその具体相からは,戦災都市の観光空間としての復興が,物質的要因や社会的認識などに何重にも規定されながら形づくられていったことが読みとれた。
カテゴリ
人間発達環境学研究科
神戸大学大学院人間発達環境学研究科研究紀要
>
7巻
>
7巻2号(2014-03)
紀要論文
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資源タイプ
departmental bulletin paper
言語
Japanese (日本語)
ISSN
1882-2851
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eISSN
1882-5753
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NCID
AA12316357
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URI
http://www.h.kobe-u.ac.jp/ja/node/18
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