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https://doi.org/10.24546/81012170
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81012170 (fulltext)
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1.77 MB
15
メタデータ
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メタデータID
81012170
アクセス権
open access
出版タイプ
Version of Record
タイトル
出会えなさの痛手から : イエスとレヴィナスに伏在する「出会えなさ」の考察を通して
デアエナサ ノ イタデ カラ : イエス ト レヴィナス ニ フクザイ スル デアエナサ ノ コウサツ オ トオシテ
その他のタイトル
From the Pain caused by Unencounterability : through the study of Unencounterability seen implicitly in Jesus and Lévinas
著者
著者名
竹井, 夏生
Takei, Natsuo
タケイ, ナツオ
収録物名
神戸大学大学院人間発達環境学研究科研究紀要
巻(号)
13(2)
ページ
1-14
出版者
神戸大学大学院人間発達環境学研究科
刊行日
2020-03-31
公開日
2020-05-22
抄録
セラピーにおいて出会えなさを味わうことは避けられない。セラピーにおける関係の断絶を,セラピストは様々なかたちで経験する。セラピストはそこで存在意義のなさ,役割の持てなさ,惨めさ,孤立感を味わう。しかしこの「出会えなさの痛手」は果たして否定的なものでしかないのだろうか。この「出会えなさの痛手」にこそ,セラピーというものを問い,クライエントの心のありようを問い,そして「出会い」を問うことのできる道のりが隠されているのではないか。そのことをここではイエスとレヴィナスに訊いていく。イエスの宣教活動は決して出会いに満ちた捗々しいものではなく,むしろ出会えなさに覆われたものであったと考えられること,そしてその出会えなさの痛手をイエスがいかに生き抜き,そこから何を見出していったのかを,いくつかのイエスの譬えを手掛かりに考えていく。またレヴィナスの『存在の彼方へ』を,圧倒的な出会えなさの中で,「私」と「他者」はいかにして出会いうるのか,徹底的に破壊された「私」と現実現生にはもういない「他者」との出会いとはいかなるものなのか―その筋立てを構想した作品として捉えていく。これらの手がかりを通して,「出会えなさの痛手」はセラピストにとって過ぎ越さなければならない大切な道のりであることを示していく。
カテゴリ
神戸大学大学院人間発達環境学研究科研究紀要
>
13巻
>
13巻2号(2020-03-31)
紀要論文
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資源タイプ
departmental bulletin paper
言語
Japanese (日本語)
ISSN
1882-2851
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eISSN
1882-5753
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NCID
AA12316357
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関連情報
NAID
40022204597
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URI
http://www.h.kobe-u.ac.jp/ja/node/18
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