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https://doi.org/10.24546/81012642
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81012642 (fulltext)
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9
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メタデータID
81012642
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open access
出版タイプ
Version of Record
タイトル
清末のモンゴル教区における布教拠点「西湾子村」と外国人宣教師の到達
その他のタイトル
The Missionary Base in Xiwanzi of Mongol Diocese during Late Qing Dynasty and the Arrival of Foreign Missionaries
著者
著者名
ハスゴワ
哈斯高娃
収録物名
国際文化学
Intercultural Studies Review
巻(号)
34
ページ
68-91
出版者
神戸大学大学院国際文化学研究科
刊行日
2021-03-26
公開日
2021-03-30
抄録
消代モンゴルのチャハル八旗内にあった西湾子村では、康熙39(1700)年頃にキリスト教徒が現れ、禁教期間中はここが、直隷省(現河北省)で布教するフランスの遣使会宣教師と内地の漢人信者たちの避難所となった。イギリスは太平天国の占領地で貿易を行っていた上、清朝政府によって両者とも同じプロテスタント(耶蘇教)を信仰しているとして警戒されていた。一方、フランスのカトリック(天主教)は太平天国の宗教とは若干違うと認識されていた。清朝政府はフランスを籠絡するためにカトリック布教権限の交渉に応じて、中国の内地に仏清天津条約の第8款・第13款と仏清北京条約の第6款など布教権限に関する条款を通知したが、モンゴルは通知対象外とされた。さらに消代には、万里の長城はモンゴルと内地各省との行政範疇の地理的な目安であって、属民が関所を出入りする場合は、役所から許可証を発行してもらう必要があった。当時、フランスの遣使会はモンゴル教区を管理していて、フランス領事は西湾子村に赴くフランス保護下の外国人宣教師に護照(パスポート)を発行していた。本研究で、筆者は総理各国事務術門の漢文公文書と地方のモンゴル文公文書史料を利用して、彼ら宣教師が西湾子村に到達・滞在できた際の実態と、西湾子村を拠点にモンゴル教区の開墾地で滞在・布教先を獲得できたという実態を検証した。また、西湾子村などの漢人農民を管理するために設置された張家口理事同知衛門は、直隷省の管下とされ、役所が直隷省宣化府に建てられた。そのため、西湾子村はフランス領事によって「直隷省宣化府所属西湾子村」と誤解されていたことを明らかにした。
キーワード
清代のモンゴル教区 西湾子村 漢人教徒 フランス保護下のカトリック宣教師
カテゴリ
国際文化学
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34号(2021-03-26)
紀要論文
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資源タイプ
departmental bulletin paper
言語
Japanese (日本語)
eISSN
2187-2082
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URI
http://web.cla.kobe-u.ac.jp/kbkjnl
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