神戸大学附属図書館報 Vol.10 No.1(2000.4)

米国の大学図書館で考えたこと

稲 積 包 昭  

 4年に一度だけ全米の、いや少し大袈裟に言えば、全世界の注目を浴びる州があります。大統領選挙の結果に大きな影響を与えると言われている予備選の口火を切る、普段はほとんど経済的にも政治的にも話題になることがない、米国東部にあるニューハンプシャー州です。そしてそこの小さな町、ダラム(Durham)にあるニューハンプシャー大学(UNH)の図書館での経験から日本の大学図書館の稀覯書のインターライブラリー・ローン(interlibrary loan)制度について考えてみました。

 ところで、19世紀アメリカの作家、ハーマン・メルヴィルは代表作である、Moby-Dick (『白鯨』)の前に、4本の冒険小説を書いています。脱走水夫として南太平洋の島々で体験した数奇な出来事を描いたものです。南洋の島々での脱走、捕虜生活、自国の軍艦による救助までをそれぞれあつかった作品は”冒険物語”として当時のアメリカ人読者に歓迎されました。ところがそのあとに発表された『白鯨』は、白鯨に片足をかみ取られ、復讐の鬼となった船長とMoby-Dickと呼ばれた巨大鯨との3日間にわたる死闘を描いた雄大な海の叙事詩ですが、寓意に満ち、それ以前の作品とは全く異なるものになっています。単なる海洋冒険物語作家から、今日世界の十大小説の一つとして高く評価されるこの作品を描くにいたった変化は何だったのか。メルヴィル研究者はその謎を解こうとして奮闘しています。シェークスピアが作品の内容面に与えた思想的・哲学的影響についてはかなり早くから指摘されていますが、作品中に多く用いられた新造語、古語、ハイフン付き複合語など文体面における特徴が彼独自のものなのか、あるいは多くの読書による影響によるものなのかについては未だ本格的な研究はなされていません。メルヴィルが愛読した『シェークスピア全集』(1837年、ボストン発行)は彼の死後、遺族によってハーバード大学・ホートン・ライブラリーに寄贈されています。1985年、UNH研修中に同図書館を訪ねましたが稀覯書中の稀覯書ということで閲覧を許可されませんでした。シェークスピアの影響は文学的な面だけでなく、文体的にもこの全集によるものではないかと思っていた私は先ずこの全集に用いられているハイフン付き複合語を全部調べ上げ、次に『白鯨』以前の作品中のハイフン付き複合語と『白鯨』中のそれとの異同を比較する計画を立てました。それにはどうしても1837年版を直接調べる必要があります。

 1991年、再びUNHで研修中、インターライブラリー・ローンという制度があり、全米の大学図書館の蔵書を借り出すことが出来ることを知りました。(もちろん、こういう制度は日本の大学図書館の間でも実行されていますし、稀覯書であっても直接所蔵する図書館に行けば閲覧することは可能です。ただし、近在の図書館ならいざ知らず、遠い沖縄や北海道の図書館に閲覧に行くだけでも大変なところなのに各巻平均700ページ、全7巻を調べるには一日、二日の作業というわけにはいきません。)UNHの図書館の担当者に研究の目的と『全集』の借り出しを相談したところ、先ず、この『全集』がどこの図書館に現存するのか直ぐにコンピュータ検索で調べてくれ、私の記憶に間違いがなければ、全米にホートン・ライブラリーを含めて4セットあること、しかしその全ての図書館が館外貸し出しができない本に分類されているとのことでした。その知らせにがっかりするとその担当者は、あなたは1837年版に拘っているがこれは第2版であって実は1836年に出版された初版が検索の結果メーン州のBowdoin Collegeにあるからこれでもいいならトライしてみようと言って、同大学図書館に頼んでくれました。結果はOK。一週間後に送られてきました。貸し出し期間は2週間、複写・館外持ち出し禁止、図書館内の指定された場所での係員監視のもとでの閲覧という条件付きでした。この制度のおかげで遠くまで行くことも、何日もホテルに泊まることもなく作業を終えることができ、この制度と両図書館にたいして深く感謝した次第です。

 さて、神戸大学をはじめとして、我が国の多くの図書館には稀覯書の利用者への提供の仕方、稀覯(貴重)書の扱いに関して、まだアメリカの大学図書館で行われているようなインターライブラリー・ローン制度が確立されていないようです。時間的・経済的理由のために利用できない稀覯書、普通の本と全く同じ扱いを受け、複写などで傷んでいく貴重書、美術骨董品扱いをされて利用に供されない稀覯書、等々、貴重な本の保存と有効利用のための "interlibrary loan" 制度の必要性とその制度充実を痛感しています。

(いなづみ かねあき 副館長 国際・教養系担当)