神戸大学附属図書館報 Vol.10 No.3(2000.10)

(附属図書館の歴史エピソード)

1920年代の神戸高等商業学校の図書館について

天 野 雅 敏

   神戸高等商業学校が神戸商業大学に昇格したのは1929(昭和4)年4月のことであり、筒井ヶ丘から六甲台への学舎の移転がなったのは1934(昭和9)年8月のことであったが、大学への昇格には、それに先行する長い道程があったこともよく知られている。
 大正期にはいると、教育調査会、臨時教育会議、臨時教育委員会、教育評議会などの政府諮問機関が相ついで設置され、教育制度の再整備と拡充が俎上にのぼるが、とりわけ臨時教育会議は、その一環として高等教育の整備・拡充を企図するとともに、単科大学の設立も容認しようとした。この学制により、東京高等商業学校及び医学専門学校がまず昇格し、東京高等工業学校及び神戸高等商業学校がそれに続くであろうと当時の新聞はみていた。こうして、『筒臺廿五年史』によれば、1918(大正7)年4月から1923(大正12)年3月にかけて「昇格運動に終始せる時代」を迎えたのである。昇格に向けて、高等教育・研究機関としての充実がはかられたのも、この期のことであった。日濠貿易の開拓者兼松房治郎氏を記念する兼松翁記念会と株式会社兼松商店の寄付を受け、1919(大正8)年10月に商業に関する調査研究機関として「商業研究所」が設置されており、翌年12月には兼松記念館が竣工した。そして、『神戸高等商業学校一覧』(昭和3年4月調)によれば、「商科大学図書館たるの実質を具備す可く、鋭意其内容充実に努力しつつあり」、昭和2年度末の普通図書の現在数は79,688冊で、うち洋書は40,731冊で、和漢書は38,951冊であった。また、「別置和漢古書(主として明治以前の著書にして、海運に関するもの最も多し)1,633部あり」とされ、貴重な文献・資料の収集にも努力がなされていた。1926(大正15)年神戸高等商業学校図書館の受け入れた住田文庫は、そうした文脈のなかに位置づけうるであろう。
 住田文庫は、実業界にあって優れた海運研究者として知られ、後年日本海事史学会会長をつとめることになった住田正一氏の寄贈になるものであり、同文庫目録によると、「海事、地誌を主とする古記録、古版本、その他、約6,500点より」なっている。1926(大正15)年12月15日付の神戸高商の校内新聞「丘人」の一記事は、住田文庫の受け入れを報じるとともに、同文庫に蒐集されていた「和漢船用集」や「神戸浦船舶関係文書」をとりあげ、その意義に触れている。
 住田氏は、1918(大正7)年東京帝国大学法科大学政治学科を卒業し、鈴木商店船舶部に勤務するとともに、実務にあって多数の海事関係の研究書をものされた。なかでも、1920(大正9)年に公刊された『船荷證券論』(巌松堂書店)は、「故鈴木商店支配人西川文蔵氏の霊前に捧」げられており、その巻頭には、「本書の原稿半ば完成せし頃突然恩師西川文蔵氏の訃に接し生前故人のありしことども憶ひ出されて哀悼の念禁ずる能はざるものあり聊か拙なき譯文を記して故人の英霊を慰む 憧憬かるる安静何地にか求めん 人は唯だ暗らき死の扉 死の扉を開きてこそ 初めて得らるれ心の故郷 著者」とある。西川氏は、高等商業学校(東京高商)を経て、1894(明治27)年鈴木に学卒者第1号として入店し、大番頭金子直吉氏の推薦により1908(明治41)年支配人となり、「鈴木の組織づくりの柱石で」(桂芳男『幻の総合商社 鈴木商店』、社会思想社)あったといわれており、享年47歳のその急逝は衝撃的であったようである。第一次大戦の終焉と西川氏の急逝は、鈴木にとって大きな転機となった。1920年代には経営の悪化が進み、それへの対応と機構改革のなかから、神戸高等商業学校が輩出した高畑誠一氏や永井幸太郎氏などがトップ・マネジメントの一角に就くが、金融恐慌と主力銀行の台湾銀行の貸出打ち切りに直面して、鈴木は崩壊するにいたるのである。鈴木商店の倒産は1927(昭和2)年4月2日のことであったが、住田文庫の神戸高等商業学校図書館への受け入れは、その前年のことであった。そして、神戸高商の方でも、1925(大正14)年7月7日には水島銕也校長がその職を退いており、田崎愼治教授が新たに校長に就任した。同教授は、1901(明治34)年7月に高等商業学校・専攻部保険科を修了し、1906(明治39)年5月英国バーミング・ハム大学商科を卒業され、海上保険に関する論文で、Bachelor of Commerce(商学士)の学位を取得しており、海事関係の貴重書・資料を中心とした住田文庫には深い理解があったものと推察される。
 なお、さいごに、住田文庫の受け入れがなされた1926(大正15)年の神戸高等商業学校図書館には、1912年4月から1922年4月にかけてライプチヒ商科大学長をつとめたアーブラハム・アードラーAbraham Adler の文庫が受け入れられており、その購入にさいして尽力のあった平井泰太郎教授によると、「筒臺図書館の独逸商業学文献に量と質との光彩を加へて」いたとされるが、このアードラー文庫の詳細については、平井泰太郎「ライプチヒ商科大学に於ける『税務研究所』」(『経済学・商業学 国民経済雑誌』第38巻第1号、1925年)、早島瑛「アーブラハム・アードラーとアードラー文庫」(『神戸大学史紀要』第2号、1992年)の諸研究があることを指摘して擱筆することにしたい。

(あまの まさとし 経済学研究科教授)