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神戸大学附属図書館報

■■■ 大学の顔、大学の頭 ■■■

中 谷 武

 2年前、イギリスに半年滞在した。そのとき通ったのがLSE(London School of Economics)の図書館である。荘厳な石造りのドーム状の図書館で、メインの閲覧室は両サイドが3階建てで、真ん中が吹き抜けになっていて、真っ正面に大きな時計がかかっている。ちょうど教会にいるような雰囲気である。あるとき試験の真っ最中で、アベックの学生たちがワイワイガヤガヤと雑談を始めた。「うるさいな」と思った頃、少し離れた席で本を読んでいた年輩の紳士がツカツカと近づき“This is the Library.”と一喝した。学生は恐縮してピタッと話を止めた。決して注意する方、あるいは注意された方が、逆上して相手をののしったり、無視したり、ということはない。しかも、このような光景は稀で、半年居て2、3度目にした程度である。基本的に静寂は保たれている。
 ふかふかした絨毯の上にたくさんの机があって、試験中以外はのんびりと座れた。すべて開架式で学生は自由に本を手にできる。検索用の端末も、カード式のコピー機 も使いやすい。学生は各自1枚コピーカードを持っていて、足りなくなればコインを入れて追加する。疲れると、コーヒーと軽食の休憩ルームがある。LSEの休憩室はもうひとつだが、近くにたくさんマクド店がある。ここで食べた1ポンドのマクドは大丈夫だったのだろうか、BSEが気になるところである。それはともかく、必要な本や雑誌はすべて揃っていて、完全に自分の自由になる。このような場所が朝の9時から夜の11時まで提供されているのが大学である。
 完備した設備と静寂、これは少ないながらも私が経験した外国の図書館の共通した印象である。もう20年も前に滞在したアメリカ東海岸のY大学のS記念図書館、これは実に見事だった。地上15階地下1階の荘厳なゴシック風建築で、ステンドグラスに見とれているだけで時間が経つ。あるとき、エレベーターで尖塔探検を試みると、写真に見たケルンの大聖堂を思わせる石造りであった。何階か忘れたが、白土三平「カムイ伝」全21巻を見つけて、感激した。彼らは世界の重要な図書はすべて所蔵する全米第2位の大学図書館だと自慢していた。西海岸のC大学D校の図書館は一転して近代的な大ビルディングであった。とにかく大きくて、図書館の中を歩きながら本を探すだけで、1日8000歩ぐらいにはなって良い運動になる。外へ出ると明るく広い芝生が広がっており、そこに寝転がってパンをかじっていると、誰も日本に帰りたくなくなるのである。
  外国の図書館で感じるのは、図書館こそ大学の顔であり、頭であるということだ。大学の一番目立つところに、一番立派な形をしてデンと位置しているから顔だし、深遠な思考を、するかどうかは別として、出来る環境を整えている場所だから、頭でもある。朝、学生が来て、まず立ち寄ってみたくなる魅力、昼疲れた学生が立ち寄りたくなるゆとり、静かに考える人が求める静寂、このような存在感が図書館に必要だ。図書館は学ぶ人間に一番必要な環境である。私の恩師、置塩先生が「本は買っておきなさい。今読まなくても、横にあればいつか読む」と言われた。私はこれを私の子供に実行した。ただし、買わずに図書館で借りたのである。一家4人で一人5冊計20冊をいつも市立図書館から借りてきて、テレビの横に置いた。効果てきめん、子供は本を読むようになった。しかし、困ったことが起こった。本を読むときに、いつもテレビをつけるのである。それはともかく、環境は大切である。
 さて、神戸大学の図書館は顔として立派か、頭として十分か。顔も頭も悪くない、マーマーだと思う。しかし、特に外国と比較すると、見劣りがする。どうしたらよいのか。答えはひとつ。出し惜しみせず、カネと人を遣うことだ。図書館は大学の顔であり頭であるが、日本という国にとっても顔であり頭であるとの位置づけがされていない。国や企業はもっと文化と教育にカネを遣うべきである。必要なことに十分なお金を、これが結論である。

( P.S.私が驚いたLSE図書館は仮の住まいであった。昨年、本図書館ライオネル・ロビンズへ引っ越している。本館の偉容は下記のURLで見て下さい。あまりの素晴らしさに声も出ません。)
 http://www.lse.ac.uk/library/abthli/LibraryAnnualReport2001.pdf

(なかたに たけし 図書館運営委員:経済学研究科)