神戸大学附属図書館報 Vol.5 No.4(1996.1)

神戸医学校と神戸大学医学部

岡田安弘

 昨年(平成6, 1994)は神戸大学医学部が創立50周年を迎えた。それを記念して「神戸大学医学部50年史」が編纂された。私はその編纂の委員長として医学部の歴史をひもとき、医学部の現在のあり方と将来について考える機会を与えられたことは幸いであった。

 医学部の淵源は明治2年(1869)に開設された神戸病院に始まる。その時すでに医学伝習所(医師養成所)が設置されていた。その学校と病院には時代は様々だがヴェッダー、ハルリス、ベリー、ヒル、ヘイデンといったアメリカ人、イギリス人、オランダ人の他、神田、神中、杉田、佐野、江馬といったドイツ医学を学んだ人達が医学教育や医療に携わっていた。そして明治15年(1882)には甲種医学校として神戸医学校が設立された。その中には神戸薬学校も併設されていた。しかし明治21年(1888)、県の経済的理由でこの医学校は廃止され、病院だけが残り県立神戸病院として県民・市民のための中心的医療機関として親しまれることになる。

 もしこの初期の神戸医学校が廃止されずに存続していたら、この神戸医学校は長崎の医学校や緒方洪庵の開いた大阪の適塾と同様に自然な形で神戸の大学の中心として発展していたであろう。そしてこの学校は病院という単なる医療機関としてではなく、他の土地に見られないユニークで国際的な医学校に発展し、おそらくそれを柱にして明治初期に神戸に存在した和漢学を中心とした明親館や、洋学を教育する神戸洋学伝習所とともに学問的な意味で国際都市としての神戸のアカデミーを、そして統合的な神戸の大学を形成する中心的な役割を果たしていたと思われる。

 神戸医学校は神戸病院という形で残ることになったが、神戸医学校にはじまる学問としての「医学」の考え方は神戸病院の中に受け継がれている。たとえば医師養成所でベリー の行なった解剖は日本ではじめての病理解剖であったと言われているし、さらに「50年史」編纂の過程で明治18年に神戸医学校を卒業した池田宇之助という学生の講義筆記ノート(8冊)がそのままの形で東京で見つかり、その内容からもその当時既に高いレベルの医学教育がなされていたことも明らかになった。また神戸病院は「兵庫医学」という医学誌を発刊し医学研究・教育の中心となっている。昭和19年に神戸病院を母体として兵庫県立医学専門学校が再建され、21年には兵庫県立医科大学、27年の神戸医科大学を経て昭和39年に神戸大学医学部へと発展してきた。従って神戸大学医学部の歴史は50年というよりも、今年で126年と言う方が正しいと思われる。

 この歴史の中で最も重要なことは、神戸大学医学部が医療のための診療所のみではないということである。確かにこの126年にわたる歴史の中で梅毒、ペスト、コレラその他の伝染病対策や市民、県民の健康に神戸病院、大学附属病院の果たしてきた役割はきわめて大きい。しかしそれ以上に神戸病院の初期において既に医学校が存在し、学問としての「医学」が教えられていたことを忘れてはならない。

 このような歴史的な過程を把握し、私達としてはこの医学部を単なる医療機関としてでなく、学問としての「医学」と「医療」を両立して行けるアカデミーの中心として発展させて行く努力をすべきであると50年史の編纂をしながら痛感した。

(おかだ やすひろ  医学部分館長)

写真:神戸医学校生池田宇之助の講義筆記ノート(明治18年)